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僕らのマル秘井世界部!  作者: 何ヶ河何可
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頭痛のやまない午後2 #弍

 妊娠とは、女性が子供をお腹に授かること、を指しているのだろう。

 私は、妊娠という言葉が持つそれ以外の意味を知らないので意味を取り違えている可能性も考えたが、掃討班の、しかも別の曜日の私に頼んでいる緊急性、重大さからして、みごもる以外にしっくりくる意味は無いように思えた。

 また、打ち間違いの線も考えたが、入力ミスという無数の選択肢を吟味する行為がどれだけ無意味かを悟って、早々に打ち切った。

 3-1教室に向かう道すがら、先ほど見たメッセージに頭を痛める。物理的には回復しているので、悩ませるという比喩的な意味合いで。


音無おとなしもんって子が妊娠しちゃったみたいで。


 ……妊娠。

 高校生が。

 高校一年生が。

 音無門が。

 門ちゃんが。

 吹奏楽部の後輩である、門ちゃんが。

 私からは後輩であり友達だとも思っている、門ちゃんが。

 お腹に、赤ちゃんを――――。


 頭が痛くなってくる。今度は物理的にも。

 最初に断っておくと、本人を責めるつもりはない。

 誰を責める義理も義務も心算もない。

 そんなことは当たり前だ。

 子供を授かることは悪いことじゃない。

 それは何歳だろうが等しくめでたいことだ。

 しかし、そうは言っても、だ。

 疑問は尽きずに、脳を圧迫してくる。相手は誰? いつから? 妊娠何週目? 彼女は大丈夫なのか? 学校に来れる状態なのか? 来ても良いのか? 親は知ってるのか? 先生は知ってるのか? 生徒は? 何人が知っている? どのくらい噂が流れてる? どこまで広まっている? 彼女は今後どうするつもりなんだ? 将来のことは決めてあるのか? なぜ今まで彼女は普通に学校へ来れている? 来ても大丈夫だと医者に言われているのか? そもそも医者に掛かっているのか?

 先週まで、彼女はそんな素振り見せていなかったのに。

 先週どころか、今日移動教室の時に見かけた時ですら楽しそうに挨拶して来たのに。

 同じ吹奏楽部の後輩が、その身に子供を宿していた。

 その事実に気付けなかった自分の両の節穴を掘り返したい。落ちた目ん玉を踏み潰したい。

 せめて責め立てる対象があるとすれば自分だけだ。

 でも、ひとまず今は冷静に。自分を呪うのは後回しだ。今の状態では部活にさえ参加できない。

 まず、妊娠の虚実については真実だろう。茹でだこちゃんとは去年一緒のチームだったので、確証のないことはしっかり確証がないと伝える子だと知っている。その子が、妊娠したと断言したのならそれを信じるしかない。

 次に、私が頼まれたのは妊娠している門ちゃんのメンタルケア。つまりは普段、解消班がやっている仕事を任された形になる。茹でだこちゃんは「私じゃ難しい立ち位置で」と言っていた。確かに、見ず知らずの関わり合いがない人よりも部活の先輩のほうが距離は近い。色々話を聞き出せるだろう。

 ただ、そうなると、なぜ赤の他人の茹でだこちゃんが妊娠なんていう人生のビッグイベントを耳に入れれたのか、が気になる。考えられるものとしては、解消班の持つパイプを使ったか、赤の他人まで噂が広まっているかのどちらかだろう。解消班の人は、一人一人が独立した独自の情報入手経路を持つと聞いたことがある。なかなかに信用できない筋からの与太話だけど。

 けれどまあ、井世界を知らず普通に暮らす学生や討伐が主な仕事である掃討班よりも人の噂を多く仕入れているのは本当だろう。

 話を戻すと、私が依頼されたのは門ちゃんのメンタルケアであり、噂話の収拾をつけることではない。茹でだこちゃんが知っているということは、本人から直接妊娠の事実を聞くことはないので、少なからず友人にしろ他人にしろ知っていることになる。その拡がりを抑えるのはおそらく茹でだこちゃんがやってくれるのだろう。学生の内に子を授かったことが、噂話大好き人間たちよって広められることは容易に想像できる。

 あと気になるのは、相手の存在だろうか。妊娠が一人では不可能なことは、義務教育を終えた一般人なら誰でも知っていることだ。一般的というか、生物普遍的な事実だ。学生が妊娠したなら、学生を妊娠させた人がいる。その人が学生か、社会人か、はたまた社会から外れた人かは分からないけれど。

 ともかく、一人の女学生には重過ぎる責任を背負わせかけている相手が現状見えない。茹でだこちゃんもそこまでは情報として掴んでいないのか触れてこなかった。私も門ちゃんに恋人がいるということを聞いたことがない。

 一体誰との子を?

 現時点で分からないのは当然だし、そこまで詮索する必要もないのかも知れないけれど、ついつい余計な疑問がよぎってしまう。

 身近な人が妊娠だなんて初めてだから、不安定になっているのかもしれない。

 高校生という時期は不安定だし、妊娠中は不安定になりやすいと聞く。

 彼女は今、どういう気持ちでいるのだろう。

 不安定×不安定の中で、何を思っているのだろう。

 私はいても立ってもいられず、教室の荷物をひったくるように取って教室を出る。

 兎にも角にも、何かが起こる前に何かをしなきゃいけない。

 何もないのが一番だけど、何かがあってからでは遅い。

 怪井化という不穏当な考えに突き動かされて、私は吹部の部室へ走った。


   ***


 水耕高校の敷地内、部室棟からも校舎からも離れた林の中に、吹部の部室は孤立している。

 理由は深く考えるまでもなく、うるさいからただ一つだろう。

 だからって、乱立する木々の中に建築する必要はないと思う。春も夏も秋も虫たちが忙しなくて、羽音がなくとも騒がしい。冬は冬で他の施設から遠い分、暖房を入れていてもなんとなく寒いし。

 吹奏楽部の先輩たち過去に何しでかしたんだろうなぁ。と、劣悪な環境に追いやられた理由をOBOGたちに求めつつ、今年の文化祭でやる曲の楽譜を貰う。

 外は真っ暗で、とは言い難く、十人いれば十人が明るくはないと答える程度には薄暗い。丁度、事故が多いことで有名な黄昏時を過ぎた頃だ。

 今日の練習は既に終わり、顧問が配り忘れていた『エルクンバンチェロ』と『(なんか知らんやつ)のメドレー』を鞄に仕舞う。これ本当に文化祭でやるの? って組み合わせだが、顧問は本気らしい。部員から曲案を募った時に、一部の界隈で盛り上がってる曲だけは死守したが、まさか選考する顧問が死角だったとは。

 耕織こうしょくかん(吹奏楽部の部室がある建物の名前)からは、部員がぼちぼち帰り始めている。人の大勢いた熱気が微かに残る部屋で、悠長に帰り支度をしている私に、友人が声を掛ける。


「やーまいっ。まだ帰んないの?」

「うん。ちょっと門ちゃんと話がしたくて」


 私は上目遣いに視線を門ちゃんのほうへとやる。先程「この後話したいことあるから一人で残っててくれない?」と言った門ちゃんは、なぜか怯えるように俯いて椅子に座っている。

 友人は声を小さくして、耳打ちするように話す。


「あんたが説教なんて珍しいね。今日音無さんなんかミスってた?」

「いやそうじゃなくて、単に聞きたいことっていうか」

「二人っきりで? 気に入らないことあったなら手伝うけど。後輩に舐められてちゃたまんないからね」

「いやいやそんなんじゃないって。本当に。むしろ逆っていうか、心配事があるんだよ」

「そう? ま、舐めた態度取ってきたらいつでも言ってね。吹部の縦社会を教えてやるから」

「いやいや、冗談でもそんなこと言ったら後輩萎縮しちゃうって」


 冗談半分、本気半分の会話を楽しみつつ、「それじゃ、私予備校あるから。まったねー」と言って友人は耕織館を出ていく。

 他の部員たちもほぼほぼ帰り切って、残るは門ちゃんと私含めて数人になった。

 顧問は仕事が忙しいのか楽譜を配るや否や、去り際に「鍵は最後に出た人が閉めて職員室まで返しに来てくれ」と残してすぐさま立ち去った。

 私は残る後輩たち数人に声を掛け、耕織館から立ち退いてもらう。その中には門ちゃんと仲の良い子もいて、帰宅の催促に若干抵抗の色が見られたが、先輩ということもあり思っていたよりすんなりと受け入れてくれた。

 やっぱり何人かは勘違いしてるのかな、と絶賛勘違い中の脅えた様子の門ちゃんを先導して、耕織館から外の雑木林に出る。手入れはしょっちゅうされているから雑木林ではないのかな。そこら辺定義が分からないからなんとも言えない。

 先輩からの呼び出しなんて、確かに説教一択なのかもしれないけど、私が怒れると思うのだろうか。私は全然思わないのけれど。存外、怒るって人生を真剣に生きてないと難しいんだよね。

 耕織館の電気が全て消えているのを確認し、出入り口の鍵を閉める。林の中には、校舎東側の教室からの明かりが届いている。各学年六クラスの計18個ある教室の内、明るいのは二つだけだ。

 いかにも放課後らしい物寂しさである。

 しかしまあ、門ちゃんが私に呼び出されたと受けて後輩たちは誰も近寄らなくなっちゃったし、可哀想なことしちゃったなぁ。飛んで火に入る夏の虫じゃあるまいし、火中ならぬ渦中にわざわざ自分から巻き込まれに入る人もいないだろうから、仕方ないんだけど。世の中には、それができる相手が友達だ、なんて暴論を宣う輩がいるが、そんな友達の定義で生きていたら友達は減る一方だ。

 私としては、歳を経るごとに友達の定義は緩く改正していくべきだと思う。どうせ、人との関わりは薄く軽く伸びていくものなのだから。

 とか言う持論は置いといて。一切合切破棄してしまって。

 今やらなきゃいけないことは、この無言の二人きりの散歩をどうにかすることではなく、門ちゃんが妊娠したことについての情報収集と、現在の門ちゃんへの理解を深めることだ。

 校舎の東に位置する林の中には、人影も人の気配も感じられなかったので、早速切り出してみる。


「あのさ、門ちゃんは最近恋愛してる?」


 ただ、自分も緊張しているのか出だしは間違えたっぽかった。


「え? あ、あの。恋愛はしてないですけど」

「あー、そう? 付き合ってる人もいない感じ?」

「い、いないですけど」


 門ちゃんの声の調子は多少上擦っているものの、それは見当はずれな質問をされたことに対する驚きによるものだろう。

 流石に教室の明かりもここまでは届かないので、表情や顔色が窺えない。


「病井さん、どうしたんですか?」


 雰囲気で説教ではないことを察したのか、門ちゃんがいつもの調子に戻ってくる。


「もしかして好きな人でもできたんですか?」

「いや、違う違う」

「じゃあ、告白されたとか? 先輩ちょっとモテそうですもんね」

「ちょっと余計じゃん? ちょっとは。告白も別にされてないんだよねー」

「えー、じゃあいきなり恋愛話ってなんですか? 私病井さんに呼び出しくらうの初めてなんでめっちゃヒヤヒヤしたんですよ? 普段怒んなそうな人だし。もう今日で死ぬんかなって思ってましたよ」

「門ちゃんも言ったけど、私怒んないって。だって怒り方分かんないし。てか、怒らなさそうだから他の先輩とは少し態度違うんだ」

「いや、それは違うじゃないですか。良い意味ですよ良い意味」

「それに勝手にビビってたのはそっちだし。私は元から怒るつもりはなかったよ」

「えぇー、じゃあなんの用事で呼び出したんですか?」

「んーちょっと、聞きたいことがあってね」

「聞きたいことですか?」

「うん。聞きたいこと。あのね、少し小耳に挟んだんだけど」


 周囲を十二分に眺め回し、誰もいないのを確認しつつも、声のボリュームを落として二人だけに聞こえるように続きを紡ぐ。


「妊娠してるって、本当?」


 私の仕草から察知して何かを喋ろうと開いた口は間に合わず、一度ひとたび門ちゃんは口を閉じる。


「本当なの?」


 あまり責めるようなやり口は好きではないが、こうでもしないと先輩の私には話してくれそうもない。


「いや、そんな噂どこで耳にしたんですか。大体、妊娠って、私はお腹も大きくなってないし」

「本当なの?」

「噂に、嘘に決まってるじゃないですか」

「その言葉は本当なの?」

「………………ほ、本当ですよ」

「本当に?」

「…………妊娠、してます。赤ちゃんが、いるんです」


 俯き、私よりさらに小さい声で溢すように言う。


「ごめんね」


 こんなこと、無理に聞き出すようなことじゃない。井世界部と言えど、プライベートとプライバシーには最低限配慮しなければならない。

 それでも、学校が関わる時だけ、こちらから首を突っ込むのだ。


「相手は、分かってるの?」


 門ちゃんは躊躇い、分かりやすく目を泳がせる。

 数秒後、堪忍したように徐に首を横に振った。


「……いえ」


 一階と二階に点いていた教室の電気が消え、林の中が視覚的にも静寂に包まれる。

 残暑、秋の頭にも考えられるこの時期に、夜の虫は鳴いていない。


 私はめっきり静かになった林中で、鳴り止まない頭痛に頭を悩ませた。

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