頭痛のやまない午後 #弍
途中にある会議シーンは読み飛ばし可です。流し読みでも構いません。
うぅ、頭が痛い。
比喩表現としての精神的な頭痛ではなく、物理的に頭が痛い。
物理的な頭痛って、なんだかホームランボールが頭に激突して流血したみたいな怪我のイメージがするけれど、そうではなく風邪を引いた時に起こる一般的な頭の痛さである。精神的な頭痛に関しては自分でもなんだ?って感じなので、思考がうまく行ってないのが自分でも分かる。
今は六時間目。もちろん月曜日の。
私たち3-1のクラスメイトは教室にて英語の授業を受けている。そこに属する私も当然、英語の熟語について叩き込まれているわけだが、教師の説明と同時に井世界部の会議にも耳を傾けている。ワイヤレスイヤホンをして頬杖をつき、右耳を隠しているのだ。
頭痛の原因は恐らくとか無く、確実に両耳から入ってくる別々の話それぞれに集中しているためだろう。
朝から体調が悪いのも相まって、今日は一段と頭痛がひどい。
うあー しんどいー
授業中に部の会議をする形式について抗議するかどうか二年半の間迷ってきたが、いよいよ今日しようかと考え至る。
そんな緊急会議の議題は、今回は二つ。
その一つ目を今まさに行っていて、お喋りな怪井が先週の水曜日に出没したらしい。なんでも、部員が死んだとか死んでないとか。私の知る限りそんな生き死にの関わる部活ではないのだけれど、いつから物騒になっていたのだろう。
ここで補足を入れると、この緊急会議、部長が議題に関して報告をし、その後部員から意見や疑問を募って今後の方針を固めていくスタイルなのだけれど、授業中に開かれることが災いして報告をする部長以外口頭での応答が出来ない。災いして、なんて言ったが、故意によるものだろうことは想像に難くない。声バレを未然に防いでいるのだろう。
部長しか喋らない会議って、それじゃあ他の部員はどうやって意見を伝えるのかと訊かれると、それは書いているとしか言えない。自分の伝えたいことを、ブラインドタッチ……は今は駄目だから、スマホをタッチタイピングして部長と他部員に伝えているのだ。その際、部長以外は画面を基本見ていないので、書き込まれたことは包み隠さず全て部長が読み上げることとなる。それはもう、忙しなく。
特に、今日みたいに盛り上がるような議題の時は大変だ。一人一人が言いたいことがあって、それに対してもまた意見や疑問が絶えず、長文が連投されることもしばしば。部長自身の考えを出す暇がないことだってままある。
まるで生配信でコメントを読み上げる機械音声になったみたいに、名前と書いてあることだけをただただ喋り続ける。あるいは、ラジオパーソナリティが送られて来た手紙やメールを読み上げるだけのラジオと言った方が分かりやすいだろうか。
司会進行だけでなく各人の代弁まで一人で行うのだから、その疲労と労力は計り知れない。もう、やってることが長じゃない。
唯一、書記が必要ないことが救いだろうか。
本日一つ目の議題、“会話が可能な怪井の対応”について、話の中心、というか一番多く名前が上がっているのは、検討使という人物だ。彼については、彼と分かる程度には知っている。彼は去年から問題の渦中にいることが多かったので、一方的にだが知っている。
彼はとにかく、問題に巻き込まれる。よくそんなに問題を持ってこれるなぁと感心して、逆に巻き込まれに行ってるんじゃないかって懐疑的になるぐらいには緊急会議に議題を提供する。
でも、先週の寝坊に関しては100彼が悪いけど。寝坊よりも大羊退治を一人でやろうとしたことの方が大問題だけど。よっぽどの重罪だけど。
部長がもう少し厳しい性格だったら、罰が下ってもおかしくはない。間井に限って、そんなことはないと思うが。
英語教師の声に重なって、淡々と読み上げる厳しくない部長の声が耳に押し込まれる。
やばいなぁ、そろそろ本気でしんどくなってきた。痛みが爆音となって脳内をこだまし、両方の声もまともに聞き取れない。入ってくる音全てが、耳小骨から頭蓋骨に響き伝わる。
あーこれはダメなやつだ、と見切りをつけ、頬杖を止めると共にイヤホンを外す。
そのまま崩れるように左手を挙げて、可能な限り声を張る。
「せんせー。頭痛いんで保健室行ってきます」
教室の注目を何でもないように浴びて、「顔色悪そうだな病井。途中で倒れると危ないから里竹、一緒に行ってやれ。二人がいなかった分の授業内容は後で周りが教えてやれよー」という英語教師(イケ男)の親切心も浴びて、それなりに仲の良い隣の席の里竹ちゃんと教室を出る。
頭痛いって大丈夫? 歩けそう? という里竹ちゃんの心配に顎を引いて返して、俯いて邪魔になった髪をかき上げる風にしてイヤホンを再度付ける。スマホはスカートのポケットに入っているので接続が切れる心配はないし、一時停止したのでイヤホンからもスマホからも音は漏れない。
教室を退室すると、如実に頭痛が軽減されていく。痛みがすぅーっと引いていく感覚はいつ感じても癖になる。非常に危うい脳内麻薬だ。そんなのが分泌されてるかは知らないけど。
右耳に被さるようにサイドの髪を撫でて、左側を歩く里竹ちゃんに話しかける。緊急会議は保健室で横になりながら参加することにした。
「ごめんね。こんな大事な時期に」
里竹ちゃんは推薦入試を狙ってたはずだ。英語の科目を推薦で使うかは知らないが、高校三年生の大事な時期に授業を抜け出させるのは申し訳ない。
「そんな気にしないで。体調悪いなら仕方ないよ。それよりも本当に大丈夫? あんまり根を詰めすぎても良いことないよ」
「うん。保健室行けば治ると思う。頭痛いのはいつものことだから」
私はやまいという名前に恥じない偏頭痛持ちだ。
「病井ちゃんは進路どこ行くの? って病人に質問するのは良くないね。ごめん」
「私は県立大の看護かな。里竹ちゃんはどこ受けるの?」
「私は隣の国立大の経済学部だよ。ってか、そっかぁ。看護かぁ。大変だねー」
最後の方は返事も相槌も求めない独り言のようだった。里竹ちゃんは窓の外の、年がら年中咲き誇る万年桜を眺める。
その態度に甘えて、里竹ちゃん経済学部なんだ。受かると良いね。という適当な相槌を飲み込む。
水耕高校は校則がゆるゆるなことに定評があるものの、ど田舎の進学校を自称するだけあって、卒業後の進路は進学か浪人の二択だ。ごく稀に、オリンピックの頻度ぐらいで就職する人がいるらしいが。
里竹ちゃんの何とも言えない呟きは、おそらく文系クラスにいながら理系学部の看護を目指す私の身を案じたものなのだろう。水耕高校の三年生は一、二組が文系、三、四、五組が理系、六組がより上を目指す特別クラスってな感じでクラス分けされている。
私も一年生の時から看護を視野に入れていたのであれば進級時のアンケートで理系を希望したのだけれど、早い話が三年生になってから気が変わったのだ。
進路に関しては親や担任、進路担当の先生ともよく話し合って一応頑張る方向が見えているので心配はご無用だ。
そう里竹ちゃんに伝えようか考え、でも別にいいか、と思い直していたら、あっという間に保健室に着いた。
「ありがとう。後は一人で大丈夫だから」
「そう? じゃ、授業の範囲あとで教えたげるね。それじゃ、また明日」
「うん。またねー」
心優しい里竹ちゃんが踵を返したのを見て、保健室のドアノブを捻る。
保健室内には、当たり前だが保健医がいた。御歳何歳か判断のつかないお婆さんが、椅子に腰掛けたままこちらを振り向く。彼女の団子にまとめた髪には、ちらほらと白髪が見える。それが染髪によるものなのか、ナチュラルなものなのかは学校のいくつあるか知れない七不思議の一つだ。
「あら、いらっしゃい。頭痛いならベッド使いなさいな。今は誰もいないから静かだよ」
「失礼します。ありがとうございます」
彼女は慣れたようにベッドへ促し、私も入り口のすぐそばにあるベッドへ自分の部屋のように横たわる。保健室登校って程じゃないがここには通い慣れていて、彼女とは顔見知りだ。
「あんまり辛かったら親御さん呼ぶからね。言うんだよ」
私は寝れば良くなるので親を呼んだことはないのだが、彼女は毎回言ってくれる。
優しい人だなぁと思いつつも、心を開ききれないのは彼女の持つ独特なオーラによるものだろう。彼女が先生だからとか、私がそういう性分だからとか、思いつく理由はあるけれど、どうにも警戒心が後一歩解けないのは野性の勘的な部分が大きい。
まあ、室内で二人きりになっても眠りにつけるのだから心のどこかで安心はしているのだと思うけど。
少なくとも不安はない。
カーテンに囲まれた簡易個室に寝て、イヤホンをタッチする。部長の声が右耳から流れ込む。
「じつですか? あと、部長がさっき過去に例はないと言ってましたがそれは他の先輩方も同様なのでしょうか。」
前の流れがわからない状態で、私含める先輩宛の質問が来てしまった。仕方なく、慌ててスマホを取り出して確認する。
その間にも部長の音声は、書き込んだ人のアカウント名と内容を澱みなく発信し続ける。
「ツチノコの薮より。@二の次。俺も人語を話す怪井は聞いたことないよ。
上にも下にもいるより。@二の次。私も一、二年の時に先輩から聞いたことないかな。
イナエノマより。@二の次。同じく聞いたことない。
キーは鍵より。同じく。」
書き込まれたメッセージを遡って、少し遅れて理解し、少し遅れて返事をしたのが、少し遅れて読み上げられる。
「自傷無傷より。@二の次。同じく。」
急いで送ったせいで何だか素っ気なくなってしまった。
部長が続いて来た文章を読み上げる。
「コバンシャチより。@二の次。そうですね。少なくとも人の言葉を喋るのは事実です。二人目撃者がいますから、幻覚の類ではないと思います。」
「二の次より。みなさんありがとうございます」
「艮より。今思ったんですけど幻覚を見せる怪井の可能性はないですか?」
「コバンシャチより。だとしたら私には判断ができかねますね。その可能性は見落としてました。」
「ツチノコの薮より。確かにその可能性も捨てきれないけど話せる怪井と同じで聞いたことないかな」
「上にも下にもいるより。そうだね。特別な怪井という意味では同じ扱いになりそう。対処は変わってくるけど」
「ケツアゴのワニより。話せる、もしくは幻覚を見せる怪井で、それ以外は見た目の情報以外集まってない感じか。情報が少ないっすね。原因も思い当たる節がないし」
「茹でだこウインナーより。@ケツアゴのワニ。怪井と話した内容も情報には入らない? 最初に部長がまとめてたやつ。」
「ケツアゴのワニより。@茹でだこウインナー。あ、そうだったわ。サンクス。」
「イナエノマより。もし仮にそいつが幻覚じゃなく話せる怪井だとして、今回は会いに来ただけってことはまた来るつもりってことだよな。怪井が再出現を宣言するってどういうことだ? 突発的に来たほうが校舎の破壊は容易だと思うんだが。」
「二の次より。話せる怪井ということはそのレベルの知能があると考えられるので、単純破壊ではなくまわりくどい手を使ってくる可能性もあります。」
「イナエノマより。なるほど、化け物に知能が備わったパターンか。厄介だな。」
「ツチノコの薮より。確かにそう考えるのが妥当だね。何かうそぶかれたり、誘導させられる可能性もなくはない。あとは、言葉巧みに部員を連れ去ったりとか。」
「二の次より。連れ去る? どこにですか?」
「ツチノコの薮より。どこにかは分からないけど、そいつがどっかに消えてまた来ると言ったらしいから、拠点があるのかなって」
「二の次より。なるほど。あり得なくはないですね。だとしたら、仮説に仮説を重ねることになりますが、拠点を見つけれられれば巣を直接叩いて討伐することもできそうですね。あくまで机上の空論ですが。」
「ツチノコの薮より。確かにそれができればベストかもね。」
「イナエノマより。なんにせよ、話せる怪井と話して良いことは無さそうだな。あっちは仲良くするつもりみたいだが、怪井って自称してる時点でこっちは敵対しかない。」
「上にも下にもいるより。そうだね。でも、多少なりとも友好的ならせっかく話せるんだし怪井について聞いてみたりできないかな。井世界についても分からないことだらけなんだし。もちろん討伐優先ではあるけど。そこら辺どう?コバンシャチさん。」
「コバンシャチより。うーん、難しくはないのかなと思います。多分、皆さんが思ってるよりフレンドリーではあったので。ただ、そのフレンドリーさが不気味ではありました。友好的というよりも馴れ馴れしいって感じで、でも話が通じないわけではなかったです。」
「上にも下にもいるより。なるほどねぇ。話を聞けなくもないってことか。」
「コバンシャチより。なんかすみません。どっちつかずな意見で。」
「上にも下にもいるより。んーん、答えてくれてありがとう。」
コバンシャチさんは多分一年生なんだろうな、と思い時間を確認すると、授業が半分終わっていた。
会議の時間管理も仕事である部長が、一つ目の議題のまとめに入る。
「取り敢えず、皆まだ話し足りないと思うが一つ目の議題についてはこの辺で終わりにする。今後の対策としては、色々見た感じ情報が足りなくて憶測と推測ばかりってところだから、部全体としては暫くは様子見(情報収集)だな。掃討班は見つけ次第討伐だが、一人では絶対に相手どらないように。解消班は何かしら発生要因に繋がりそうなものがあればメッセなり寄越してくれ。あとは、そうだな。呼び方をを決めておくか。んー……トカゲ……トカゲ……子トカゲ。うん、子トカゲにしよう」
子トカゲかぁ。
いやまあ別に良いけど。
何も不満はないけど。
シンプルで分かりやすいけど。
代案もないし、異議は唱えないけど。
「今日は最初に言ったように子トカゲの周知が目的だから、この議題については要望があれば別の日に続きの会議を開く。では次に」
部長の声を聞いていると、次第に瞼が重くなっていくのが分かる。
会議はまだあと議題が一つある。
しかし、頭痛とここまでの会議で脳は疲労困憊だ。更に一区切りついたことで気が緩んでいる。更に更にふかふかのベッドとタオルケットが私を包む。
ここから先は眠気との戦いだ。
そう思いながらも、私の瞼はゆっくりと閉じた。
***
学校のチャイムが鳴り、瞼を開ける。
どうやら眠ってしまっていたみたいだ。
カーテンの向かうから「病井さん、起きてる?」という声がかけられ、軽く返事をする。
頭痛はすっかり消え去って、思考は明瞭だ。今ならどんな英熟語も一発で覚えれる気がする。
さて、聞いていない会議の内容でも振り返るか。と声の聞こえないイヤホンを右耳にかけたまま、スマホのパスワードを解除する。
アプリを開き、井世界部のグループチャットに指を伸ばしかけて、止まる。
ホーム画面の通知マークだけじゃ気づけなかったが、会議部屋以外からもメッセが来ていた。
会議中なんかまずいことでもあったのだろうか。
メッセージ一覧からじゃ最新のトーク内容すらも見れない仕様をめんどくさく思いつつ、二つ通知のあった茹でだこウインナーさんとのトーク画面を開く。
<茹でだこウインナー
会議直後にすみません。情報の共有をしておきたいことがあって。
会議直後って今じゃないのか? と思い画面上部に目を滑らせると、今は掃除の時間だった。
ってことは、さっき聞いたチャイムは授業終わりではなく掃除開始のチャイムだったのか。
なるほど、と納得して、それと同じくらい反省する。
次からは我慢しないで速攻保健室に来よう。痛みは堪えないのが一番だ。
上に行った視線を、現在時刻から画面下部へと戻す。
<茹でだこウインナー
会議とは別件なんですけど、実は、吹奏楽部の音無門って子が妊娠したらしくて。
上では情報の共有なんて言っちゃいましたが、できればご協力願いたいです。自分じゃどうしても難しい立ち位置にいるので。
二件目のメッセージに、私は頭が痛くなった。
こんなの気にしてる人がいるか分かりませんが、誰がなんてニックネームなのかを一応載せときます。今まで苗字が登場してる人のみですが。
病井→自傷無傷
間井→隙間時間の間
土井→ツチノコの薮
唐井→検討使
鎹井→この字コの字
蛇井→巽
虎井→艮
小金井→コバンシャチ
これはとっっっってもどうでもいいことなんですが、土井さんが“どい”なのか、“つちい”なのかいつも分かんなくなる。




