週初めはブルー #弍
9月の初旬。
月曜日。
朝。
あらゆる始まりが重なった現在、ワタシは人の少ない水耕高校の校舎を散策している。
始まりというのは、ただそれだけだと新しい物へのワクワク感を彷彿とさせるのに、なぜ時間の絡む単語で表した途端に鬱屈とした気分にさせられるのか。
なんて考えながら、西棟の二階、職員室前をあてどなく歩く。
もし仮に、本当にあらゆる時間にまつわる始まりが、人間に鬱々とした気分を強制するのなら、人生の始まり、即ち出生の際にもそれは強いられたのだろうか。
とか。
取り止めもなく、益体もなく、論理だっているようでツッコミどころ満載な、如何にも朝らしい脳内回路で支離滅裂な考え事に耽る。
と、
「あ、ごめんなさい」
意味のない考え事に注意散漫になっていると、開けっぱなしの職員室の戸から出てきた女生徒にぶつかりそうになった。上履きの色が黄色なことから相手は同じ一年生だろう。
ワタシの咄嗟の謝罪に対して、彼女は軽く頭を下げてそそくさと去っていく。
ダメだなぁ。やっぱり朝は。普通に弱いや。
欠伸をしつつ、回避した小さな小さな事故?悲劇?の言い訳をする。
きっと、赤ちゃんが総じて泣いているのは将来起こる数々の大小ある悲劇を憂えているからなのだ。
とか思って、話を壮大にして、自らに身近な朝の憂鬱感と切り離して、現実逃避をする。
井世界部員と言えど、朝は普通に憂鬱だ。
寧ろ、井世界部員だからこそ憂鬱だと言った方がいいかも知れない。
取り敢えず、南西の階段に着いたので、現実から逃げたついでに現世からも逃げる。
現実ではあり得ない、ある種夢のような井世界へと、逃げ込む。
金属を白かクリーム色に塗ったような防火扉に触れる。
合言葉は、ホソワニソリ
***
ピンと張られた紫のゲートを潜り抜けると、着ていた衣服は、黄色い学年カラーが入ったシンプルなデザインの学校指定ジャージにチェンジする。
女子にしては流行のファッションとやらに疎いワタシからすれば、体育や部活に使う分には申し分ないし、ダサくなく寧ろ学校指定にしてはお洒落なデザインに落とし込んでいると思うのだけれど、世のファッショナブルな女子高生に言わせれば、このジャージがダサいことは縄文人でも分かるらしい。
そんな太古の昔にも通じるダサさを有しているなら、逆に評価するべきじゃあなかろうか、と思ってしまう。
もっと酷い意見だと、学校のジャージという時点でダサいのだとか。
そんなの元も子もないというか、救いようがない気がする。
元よりジャージを救う気もないけど。愛着もないし。
まあ、ワタシの周りじゃ水耕高校のジャージをオシャンティだと評する意見が多数なので、体感の賛否は半々と言ったところだけど。
ていうか、そもそも学校のジャージに意見を持つ人の方が稀だ。多くは無関心か、学校指定だなぁ〜、で終わる。
わざわざ取り立てるものでもない。
二階の南廊下から中レンガを見下ろすと、まだ大羊は現れていなかった。
やっぱり人が集まってからじゃないと出てこないかぁ。
現世と変わり映えのしない井世界校舎の窓を開けて、窓枠に肩肘をつく。
井世界に発現し校舎を破壊して回る化け物、怪井は人の念が寄り集まって出来たものだと聞く。寄り集まるとは言っても、複数人とは限らず、たった一人の思いが怪井化する場合もあるけど。
つまりは、毎朝何かしらの反対運動かのように昇降口に佇む大羊も、誰かしらの思いの結晶ということになる。
これもまた聞いた話で、ワタシも納得している仮説なんだけど、大羊の大元は登校の憂鬱感や気怠さなんじゃないか、と言われている。
毎朝出現することと、学校に行きたくないなぁを毎日感じること、そして大羊の強さを考えると、まあ納得のいく仮説だ。
反論は思いつかないし、した所でって感じもする。
「よっ。やっぱりここか」
聞き馴染みの声が、ワタシが来た方向とは逆の東棟方面から届く。
右手に顎を乗せたまま振り向くと、日に焼けた肌にニッコリと真っ白な歯を輝かせた男子が立っている。
「虎井は火曜日のメンバーだろ? なんで月曜の朝に来てるんだよ」
物心ついて以来の幼馴染、虎井はワタシのスライドさせた窓のあるほう、一時的に二重窓となっている狭い狭いアルミサッシの上に手を置いて不思議そうに答える。
「なんでって、蛇こそ聞いてないのかよ。先週、朝の当番忘れた世界最大級のアホがいるから暫くは前後の曜日の人が朝の当番を確認に入るって」
「あーなんか連絡見た気がする。って言うか部長に直で聞いた気がする」
「おい、その様子だと金曜の朝行ってないだろ。やらかしてんなぁ。まあ努力義務だろうから良いんだけど」
虎井の言うように、井世界部には基本的に義務や強制されるルールはない。あっても大抵は緩いルールなので、人によっちゃ無いも同然だ。厳格に取り締まられてるのは、せいぜい部則ぐらいだろう。
「ていうか、虎井にアホ呼ばわりされるなんてその先輩かなり不憫だな」
「え? 先輩なん? やっべ。そういうのは早く言ってくれよ、蛇。アホとか言っちゃったじゃん」
「本人に聞かれてないし良いんじゃね? ワタシは部長から詳しく聞いてたから最初から敬ってだけどね。あと、蛇言うな」
「蛇こそ直で聞いたくせに忘れてたじゃん」
「蛇言うなっつってんだろ。一回目は見逃したからな? 二回目は忠告したからな? 三回目はその首締め縄で締めるぞ?」
ワタシは左手に巻き付いている縄を脅すように見せびらかす。これは井世界特典で勝手に付いてきた武器だ。どうせならもっとカッコいいやつが欲しかったのだけど、選ぶ余地はなかったので渋々受け取った。
「分かったよ。ごめんって。でもカッコよくないか? 俺のことも虎って呼んでくれよ。一文字取るだけじゃん」
「嫌だね。現世でそう呼んじゃったら困る。アニマルズはもう昔からあるからいいとしても、今になって互いの呼び方を厨二風に変えるのはナンセンスだよ」
「そうかぁ。まあ、アニマルズが残るなら良しとするか。分かったよ、巽」
「井世界部のメッセージアプリに使ってる名前で呼ぶな」
あのニックネームというのか、コードネームというのか、井世界部内での呼び名かと思ってたら全然違うかった、ちょっと気合い入れて名付けたやつで呼ばないで欲しい。スパイみたいに格好良く呼び合うのかと思っていたのに、部員同士が話す機会は少ないし、会ってもアプリの名前は使わないしで、命名の際に本名以外という縛りを受けたのはなんだったのか甚だ疑問だ。
虎井は虎井で艮って名前にしてるから最悪だ。こういう時に伊達に生来の幼馴染やってないなぁ、なんて感じたくない。
しかも一度決めたら名前変えれないし。複アカしようか悩んだが、結局レビューで星1付けて我慢した。
「じゃあなんて呼べばいいんだよ。アニマルズのスネーク?」
「言語変えただけじゃねーかっ。より嫌だわ。普通に今まで通り蛇井で良いだろ」
アニマルズとかいう、蛇と虎のコンビから安直に名付けた小学生のワタシはどうかしていた。そしてそれを高校生になっても使っている虎井もどうかしている。
……あの時は楽しかったなぁ。二人して土手で転げ回って、公園で走り回って。
悩みや迷いが無かったとは思わないけど、今ほど暗さを心に抱いてなかったのは確かだ。光、希望を秘めていたのは明白だろう。
「あ、そういえば。今日、部の緊急会議があるってのは知ってるよな?」
「井世界部の方でしょ? 知ってるけど、それが?」
「あぁ、なら良かった。いや、さっきまで前後の朝の当番に出ること忘れてたからな。確認だよ、確認」
「流石に緊急会議は忘れないって。で、いつだっけ?」
「なんだよ、あることしか知らねぇじゃん。時間は告知されてないよ。いつも通りそのうちメッセ来るだろ」
「虎井も知らないのかよ。 ……そういや、先週の話知ってる?」
先程交わした会話から、気になっていたことを思い出したので訊いてみる。
ただ、内容が内容なだけに自然と神妙な語り口になる。
「先週の話? 漠然としすぎてねぇか? とある先輩の許されざる朝の失態談だったらさっきしたけど」
「それじゃなくて。先週の水曜日に死に」
「やぁ、朝早くから随分張り切ってるね! でも、井世界に長居は禁物だよ。学校に来ているのに見つからない、なんて事態になりうるからね」
いつの間にか後ろに立って、そう言って割って入ってきたのは、我らが井世界部の部長兼水耕高校の生徒会長である、間井さんだった。赤く染め上げられた、茶髪にも見える長髪が印象的で、学内でも一際目を引く人だ。いくら校則でヘアカラーオッケーと言われているとはいえ、金髪や茶髪以外は珍しい。公立でここまで緩い規則ってだけでも珍しいのに。
生徒会長がド派手だからか、ウチにはピアスホールを開けてる人もちらほらいる。耳だけじゃなく舌ピとかも。
最早どこから許されてどこまでが駄目なのか分からないところだけど、刺青は許されないらしいことは知っている。ハンド部の先輩が入部したての頃に、タトゥーシールを貼って先生の前に行ったら反省文を書かされたと、武勇伝もとい黒歴史を語ってくれた。
かく言うワタシも片耳ピアスをしている。蛇が鎌首をもたげたような格好で巻き付いたやつを左耳に。
「さ、そろそろ人が集まり出してきたからね。大羊も湧くんじゃないかな? 部活熱心なのも良いけど、こっちが本分にならないようにね」
「はい。気をつけます」
虎井が元気に返事をする。
「すいません。登校するの早すぎちゃって暇だったので。これからは気をつけます」
「うん。心の片隅にでも置いておいてくれれば大丈夫だよ。あと、」
部長は、人差し指を口の前に持ってくる。
「蛇井くん。その情報は今日皆に伝えるつもりだから、他言無用をお願いできるかな?」
女子人気も高いそのクールな瞳に、一瞬ドキッとする。
先輩からの、しかも生徒会長と部長を兼任してる人からの格好良い“お願い”なんて、断れるわけがないだろう。
「分かりました。誰にも話しません」
「うん。ありがとう。それについては会議で洗いざらい話すと思うけど、それでも気になることがあったら気軽にメッセなり電話なりしてくれ」
分かりました、と頷くと、虎井が訝しげにワタシ達のやりとりを眺めている。
それを気にする素振りもなく、部長は窓を指差し、声をかける。
「お、そうこうしてるうちに大羊のお出ましだ。病井は今日遅刻するらしいから、私と蛇井くんの二人きりでの討伐だね。さあ、張り切っていこう!」
部長は両手で大剣を構える。
それに押されるように、ワタシは左手の縄を伸ばす。
大羊との開戦。
ワタシは一週間の始まりを感じた。




