其の零 侍の最期
──此処は戦場。
至る箇所から黒煙が立ち上っており、彼方此方に血が流れ肉の裂けた死体が転がっていた。
中には凶弾や矢によって貫かれたモノ、火薬兵器の爆発に巻き込まれ、四肢が吹き飛び頭も無くなったモノもある。
この場所に蔓延る匂いは火薬と肉の焼けた匂い、血液や刀が醸し出す鉄の匂い。
その場に居るだけで吐き気を催し、嘔吐感を生み出すような死臭が鼻腔を貫く。
死体の一部には抜かれる事の無い刀が突き刺さっているモノもあり、まだ死後硬直が始まっていない柔らかな死肉を烏が啄む。
そんな死体の転がる戦場にて、一人の若者が中心に位置するであろう場所に立ち竦んでいた。
年齢は一〇代後半から二〇代前半。この時代からすれば疾うの昔に成人している年齢だ。
若者の面持ちは凛としており、ややつり目気味の一重眼と真っ直ぐな黒い瞳を持つ。
その髪は結われており、若者の後頭部に髷が成されていた。しかしその髪型は髷のみならず、全体的に頭皮を見せぬ長髪。俗に言う総髪という髪型。または“ポニーテール”という代物だ。
其の若者が持つ刀には夥しい程の血液がこびり付いており、美しかったであろう銀色の刃は赤く染まっている。
血痕はまだ新しいのか、多少渇き始めてはいるがポツポツと戦場の土に赤黒い水滴を溢していた。
「……」
青年は放心しつつ空を眺める。天空は曇天の空模様ではあるが一部からは暖かな日光が差し込んでおり、その青年を中心に光の輪が広がる。
それと同時に兵士の死肉を啄んでいた烏は何かを見て飛び去り、死体に刺さったままの刀も日光に照らされる。
そんな戦場へ目掛け、ザッザと土を踏む足音が近付いていた。
「……正しく一騎当千。いや、それすら生温く、鬼神の如き力を持つ若者よ……たった一人で数万の兵を切り捨てる芸当……やはり主は妖だったか」
「……違う……」
その者はクッと笑って話し掛け、言葉を聞いた青年は即答で返す。
そう、この軍隊。それはたった一人の青年によって壊滅させられたモノだった。
「……違う? フフ、そうかもしれんな……俗に云われる妖という者は彼の有名な悪逆非道の限りを尽くした悪鬼、酒呑童子や大国を滅ぼした九尾の狐こと玉藻の前が居る。……奴等を完全に封じ込める事は出来なかったが、酒呑童子は摂津源氏の源頼光殿と嵯峨源氏の渡辺綱殿を筆頭とする頼光四天王……坂田金時殿、碓井貞光殿、卜部季武殿により討伐された。して九尾の狐は三浦介義明殿、千葉介常胤殿、上総介広常殿らを将軍とし、安部泰成殿を軍師とした兵隊達によって討伐された。……そう、何れも妖者は必ず我ら侍によって封じられているのだ。……しかし、主はたった一人でこの侍の兵隊を全滅させた……これが意味する事は分かるか?」
「……」
青年の妖では無いと言う発言に対し、そうかもしれないと軽く笑いながら同意する。
しかしその目は笑っておらず、続けるように言葉を発した。
「主は妖等と言う小さな器で収まる代物では無いと言う事だ。鬼にしても狐にしても、必ず侍に封じられたのだからな。……つまり主はもう既に──“神の領域”に到達していると言う事となる……」
「……現人神ですか……」
青年は人間では無く、妖でも無い。
世界に降り立った神仏──“現人神”。
その者は青年に向け、確かな口調でそう言った。
「……ならば、仮に拙者が現人神となっているとしましょう……その場合、拙者はどうなるのでしょうか?」
現人神という発言に対し、訝しげな表情で返す。
本来ならば神仏は祀られ、人々に様々な恩恵を与える存在となる。
逆に悪神や悪鬼羅刹は滅ぼされ、忌み嫌われ蔑まれる存在になる。
「……」
青年の問いに対し、俯くように口を噤む。
その様子から決して穏やかな事にはならないと言う事が窺えられた。
怪訝そうな青年に向け、陰鬱そうに苦々しく口を開く。
「……万の兵を一人で滅ぼすその力。……先の村を護る為とは言え、多くの命を奪ったのは事実。このままでは殿様からも命じられるであろう。……“切腹”をな……」
「……やはり“切腹”で御座るか。しかし、それは仕方無き事で御座います。拙者は故郷を護る為、戦火が降り注がらぬよう将軍の嗾けた兵を討ち滅ぼしたのですから。相応の処罰を言い渡される事は理解し、覚悟を決めておりました所存」
言われた答えは“切腹”。
侍が戒めの為に己の腹を裂いて自害すると言う行為。
青年は言い渡されるであろう事を分かっていたらしく、疾うの昔に覚悟は決めていたようだ。
どう言った理由か定かではないが、将軍の命令によって攻めて来た軍隊を滅ぼした。その力はどうあったとして封じられるべきモノなのだから。
「……スマン、儂にはどうする事も出来なかった。儂にも妻や子供が居る……非情だが、己の命が惜しいのだ……かつての侍たるモノが何とも情けぬ有り様よ……」
その者は青年に頭を下げ、やり切れぬ思いを告げる。
青年の命を助けたかったらしいが、そう言う訳には行かない。
御上の命を聞かなくては、謀反を起こしたとしてその者と家族が処刑されてしまうのだから。
「……頭を御上げ下さい、先生。拙者に護るべき家族は居りませぬ。それに、“打ち首”のような“斬首刑”や同じく死刑に値する“絞首刑”では無く“切腹”という始末ならば、我が人生の最期を綺麗に飾れましょう。結果的に頭を切り離されるモノではありますが、現人神となり名誉ある死を選べるのならばそれは良き事で御座います故」
「……教え子を護りたかったが、主の覚悟は疾うに決めていたようだな……分かった。儂はもう、何も言わぬ……」
そして青年とその青年の恩師は戦場を後にする。
罪人を処罰すべく刑では無く、名誉のある切腹を言い渡されたならば侍としてはこれ以上に無い最良の死を迎えられる事だろう。
~武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり~
これは有名な書物の一節だが、死して初めて最良の行動選択を行えると言う意。
正しく今、それが現実となろうとしていた。
──そしてその数ヶ月後。一人の、鬼神にして現人神となった侍──天神鬼右衛門はこの世を去った。