其の二
星羅がダイニングテーブルの上にある呼び鈴を小さく鳴らせば、扉を出てすぐ側に控えていたであろう人物がノックの後に控えめに声をかけた。入室の許可が出るとメイド姿の女性が静かに入室し「お茶を」と一言星羅が言えば、すでに出されていたカップとソーサーをを下げ、素早く丁寧に新しいものを用意する。
エマが座っている席の前にも芳しい温かな紅茶が差し出されたので、それを遠慮なく飲んだ。緊張して疲れた体に美味しい紅茶がじんわりと染み渡り、ようやく人心地がついた気がする。
エマが一通り紅茶を堪能してから、さりげなくタイミングを見計らっていたであろう星羅が話を切り出した。
「エマ様は、導きの星教の戒律を全てご存知かしら」
「それはさすがに知ってる。小学校の時に暗唱のテストがあったくらいだし。えっと……『人を傷付けたり殺してはいけない』、『人の心を傷付けてはいけない』、『他人のものを盗んではいけない』、『悪意を持って人を騙してはいけない』、『罪を犯した時は誠心誠意謝り罪を償いなさい』、『人に親切に接しなさい』、『家族や愛した人を尊重し大切にしなさい』、『礼節を守りなさい』、『二日働き一日休息を取りなさい』、『導師の御導きには必ず従いなさい』の全部で十個だよね?」
「ええ、正解ですわ。その大切な戒律ですけれど、全てを律儀に守っている敬虔な信徒は世界中にどれくらいいると思いまして?」
星羅の言葉にエマは少しだけ考えてみる。戒律はどれもそこまで難しいものではないが、全部を守り続けるとなると意外と難しいものだろう。ただし世界中ともなれば、おそらくその人数は多いはずだ。
「世界中? 具体的な数は分からないし、とりあえず一杯としか言えないけど……」
「現在地球上の人口は約七十億人ですが、その内二十三億四千五百十一万八千七百九十六人が戒律を守り日々正しく生きていますわ」
「……なんでそんなに具体的な数字がすぐに出るの?」
「毎年十二月と一月の境目にある五日から六日の星邂期、その間だけステッラの聖域内にある大神殿に敬虔な信徒のみが参列できる星邂祭が行われるのはご存知? この星邂祭は、真実戒律を守り生活を行なっている信徒が一生に一度だけ招かれ、そしてその個人情報は全てステッラにて記録されますの。これはとても名誉なことですわ」
エマが借りた本にも書かれていた星邂祭についての詳細を、星羅は説明する。
名誉だと言われてもエマにはいまいちピンとこないが、世界中の人間から戒律を守っている人を判別する方法は気になった。まさかストーカーのように一人一人を毎日監視するわけではないだろうし、そうなると本当に戒律を守っているのかどうかを判定するのは普通の方法では無理だろう。
「戒律を本当に守っているかどうかなんて、どうやって調べてるの?」
「それは正式に導師になった後に学びますから、その時にしっかりとお聞きくださいませ。重要なのはこの後ですの。この敬虔な信徒たちには二つの道が示されますわ――そのまま敬虔な信徒として生き続けるか、それとも星の導きを守るためにあえて戒律を破る組織に身を置くか」
その聞き覚えのあるフレーズに、エマは自身の記憶を遡る。
縦内、レオナルドの手術を担当した医師、市川、そして星羅……この短期間に四人もの人間がエマの前でその言葉を使っていたではないか。これを偶然の一致というには無理があるだろう。
「そういえばその『星の導きを守るために』って言葉、何回か聞いたけど……セイラもさっき言ってたよね」
「そう、エマ様はすでに何度かお聞きになっていたのですわね。その言葉を使うのは裁きの星に所属する、導師の導きに従わない不心得者たちを粛清せんと茨の道を選んだ信徒ですわ」
「暗号っぽいなとは思ってたけど本当にあったんだ、そういう秘密の組織」
「エマ様ほどの勘の良さがあれば、どうしても気付きの機会を得やすいのでしょうね。そして勿論わたくしもその一員ですわ。十六の頃から裁師の階級を戴いておりますの」
「裁師? どういう階級なの?」
記憶にもない初めて聞く階級名を、エマは星羅へと問いかける。星羅はそれに心得たように頷き、その説明を話し出した。
「世界各国に存在する裁きの星は、国ごとに組織化されておりますの。それぞれの国の裁きの星に裁師は一人存在し、まとめ役となっていますわ。平時は構成員が国内に不心得者が潜んでいないかの警戒や幅広い情報収集を行っておりますので、裁師はその報告を受け取りますの。また有事においては星賓館にいる率師からの指示を構成員に伝えたり、その実行に必要な人員へと適切な役目を振り分ける仕事がありますわ。ちなみに不心得者たちを粛清するための実働部隊は、普段は星賓館にて率師を守る部隊と、裁師を守る部隊の二つ分かれていますの。ただしステッラの裁きの星だけは少し特殊でして、他にも色々と違う仕事や役割がありますわ。わたくしはステッラの裁師ですし、手勢は全てステッラの裁きの星の構成員ですの」
「じゃあ市川さんや、さっき紅茶を用意してくれたメイドさんもステッラの裁きの星の人ってことなの?」
「そうですわ。三年近く前に導師の後継者が日本にいるのではないかと気が付いてから、構成員の中で個人的に親交があった市川を送り込んでいましたの。そして市川は日本の裁師と協議して、日本にいる間は基本的に日本の裁きの星に籍を置くことになっていますわ。今回わたくしの指示に従ってもらったのは特例中の特例……日本の裁師は市川の行動に気が付いていなかったようですわね」
星羅の流れるような説明を聞いて、エマはあることに気が付いた。
「ん、ちょっと待って。セイラは裁師なんでしょう? なんで私を殺して導師様になろうとしたの? 導師様は私を後継者に選んでいたみたいだし、それを守らないのは裁きの星的に駄目なんじゃない?」
エマのその指摘に、星羅はそっと視線を伏せる。そして浮かべた儚げな憂いの表情には、過去の自分の行いに対する後悔が滲んでいた。
「ええ、本来ならば許されることはないでしょうね。でもエマ様、わたくしは今回の後継者指名に関して正式な指示を受けていませんの。つまりエマ様は表面上は日本に住むただの一般市民……後々世界にとって不利益をもたらすという証拠があれば、そこは裁師の裁量でどうにかできる範囲ですわ。勿論、本来ステッラにて活動すべきわたくしが日本にまで手を伸ばすのは多少越権行為ですけれど」
そう静かに星羅に告げられ、エマの心臓はどくりと嫌な音を立てる。
力が足りない自分が導師になれば、それが原因で世界の平和が脅かされるのではないか――エマがおそらく導師の後継者であるだろうと縦内と湯木に言われた時、そんな恐ろしい未来を想像してしまったことを思い出す。
「私が導師様になると、世界にとって不利益が起こるの……?」
「……そう確信していた、という方が正確かしら。ミヤコ御婆様は今年で九十歳、近年の体調を鑑みるにもう先は長くありませんの。ですから代替わりが起こるであろうという予想は何年も前から簡単にできましたわ。ですが今現在、次代を担える資格を持つ血族は驚くほどに少数。わたくしもくまなく調べましたが、それでも世界中でたったの十二人でしたわ。そしてその中でわたくしこそが間違いなく最高の候補者でしたが、何故かいつまで経っても内示がありませんでしたの。つまり私にすら存在を伏せられた後継者がすでに内々で決定されていたのだと確信しましたわ」
不安そうにそう尋ねるエマに星羅は苦笑しながら訂正の言葉を言い、それから今回の事件に関しての説明を滔々《とうとう》と話し出した。
「わたくしにすら秘匿された存在ともなれば、逆に目星も付けやすかったですわ。そこで駆け落ちし行方不明とされていた人物を調べ――二年かけてようやくエマ様へと辿り着きましたの。ステッラの裁きの星は導師の直属部隊でもありますから関係は密接。ですから次代の導師になるであろうエマ様についてはしっかりと調査いたしましたの。年齢についてはうっかり忘れていましたけれど、それ以外はしっかりと覚えていますわ。その調査結果を見た段階で予感がして、今から一ヶ月ほど前に来日して直接エマ様の様子を見た時に直感しましたの。エマ様には確かに資格がありますわ。しかし導師として多くの困難を乗り越え世界を導くために必要な心の強さが備わっておらず、もしも導師になればその心の弱さが原因で世界に要らぬ混乱を招くと」
星羅はそこまで言い切り、一度深く息を吐いた。そしてざわめく心を落ち着かせるように、その豊かな胸に惚れ惚れするほどに形の良い両手を当てながら言葉を紡ぐ。
「エマ様にもご理解できると思いますけれど、わたくしたちのように導師になる資格を持つとされる者の直感は強力ですわ。そして導きの指輪をつけ、導きの儀式をすることでそれまでは不可能だった詳細な未来予知すらも可能になりますわ。ですが儀式を行うごとに、導師はその資格である勘の良さを少しずつ失っていきますの。そして回数を重ねるごとに儀式で指し示すことができる内容は詳細さを失い、最終的にはその確実性すら失われてしまう……この事実は、ステッラの内政に関わるごく一部の人間にしか知らされておりませんわ。歴代の導師の多くが短い期間しか在位できなかったのは、資格ぎりぎりの力で導師になった者が多かったからですの。六十年以上も儀式を行っているミヤコ御婆様は本当に稀有な存在でしてよ。そのミヤコ御婆様の御力が現在どれほど衰えているのかは、わたくしにも分かりませんわ。ですが代替わりをする今なら誤った予知をした可能性が十分にあると判断し、わたくしは直感を信じてエマ様を極秘に処分しようとしましたの。そしてあまり気は進みませんが、レオナルド様を服従させることもできますし、エマ様を処分した償いも兼ねてわたくしが導師をお務めしようと思ったのですわ」
導きの儀式の思わぬデメリットを、エマは驚きつつも納得した。あんなにも強力な力が何も制限のない状態で使い放題だとしたら、あまりにも都合が良すぎる。勿論制限がない方が嬉しいが、そこまでできると自分が神になったかのように勘違いしてしまう気がする。いつかこの勘の良さを失うのは残念だが、前世ではそもそも持つこともなかった特異な力だ。世界の平和のために死にそうになりながら何度も戦うお話の主人公に比べれば、随分と手軽な代償といえるだろう。
そして自分を殺そうとした理由が直感というエマたちにとって決して無視できないものであると知り、星羅に対する憤りが揺らいでしまう。
星羅にとって、直感とはおそらく今のエマには想像もできないほどに重要な指針だ。直感を信じ行動し、それにより得た成功体験の数々。十八年分の積み上げたそれが、エマを導師にしてはいけないと示したのなら――裁師として星の導きを守るために、泥を被るとしてもそれをなそうとしたのも理解できる。
そうだとしてももっと穏便な方法を取って欲しかったとは思うが、ミヤコの影響力が強いため生半可な方法ではエマが導師になってしまうと判断したのだろう。そう考えると、情状酌量の余地は十分にある。
「本日エマ様の処分を決行しようとずっと準備をしていましたのに……ミヤコ御婆様もさすがに気が付かれたのか、阻止しようと新しい導守のレオナルド様に指輪を持たせてわざわざ来日させましたの。それだけでもかなり厳しい状況でしたのに、八千代御婆様が指輪を奪い自らが導師になろうと浅慮な行動をしてレオナルド様が重傷を負ってしまったのですわ。そしてその時わたくしはレオナルド様の近くにはおらず、周囲に気取られないようにエマ様を直接処分する人員は一人しか用意していませんでしたの。もう一人は予備としてエマ様の自宅に向かわせていましたので、間に合いませんでしたわ。結果として手負いのレオナルド様に用意した人員は倒され、レオナルド様が延命するために一縷の望みをかけてその場に居合わせたエマ様に指輪を託してしまわれた……わたくしの計画は破綻したのですわ」
「破綻したってどういうこと? 私をここまで誘拐できたんだし……あんまり言いたくないけど殺して指輪を奪うなんて簡単にできるでしょう?」
エマのもっともな疑問を、星羅は無言で緩く首を振ることで否定する。そして少しためらった様子の後に、意を決したようにエマの瞳を真っ直ぐに見つめた。
「……エマ様は導守の証である超越の指輪の力をご存知?」
「怪我しても治っちゃう、だよね? レオナルド様の怪我も綺麗になってたし、すごい力だと思う」
「そう、とても強力な力ですわ。怪我の回復以外にも、免疫力の向上や毒物などへの耐性、老化速度の減少、そして人体の限界をはるかに超えた力を引き出すことができるようになりますの……指輪によって体が作り変えられるのですわ」
「作り変えられる……? どういうこと?」
「只人では脆く守り切れないならば、只人でなくせばいい――神はそうお考えになったのですわ。超越の指輪をはめ、力が発動したその瞬間から、その肉体は人でありながら人を超越した何かへと作り変えられてしまう。超強化された肉体は素手で金属をも砕き、壁を走り、跳躍で建物に飛び乗り、銃弾を避けることも、チーターのトップスピードほどの速さで長時間走ることも可能ですわ。しかし超越の指輪の力が絶たれたその瞬間、肉体は崩壊し塵となる……死んでしまいますの」
星羅はまるで子守唄を歌うように、努めて穏やかにエマへと真実を告げる。そのあまりにも現実味のない内容にエマはしばらくぼうっとして、ようやく言葉の意味を理解すると言葉を失った。
「まさか……じゃあ、私が指輪を外したら……」
「その瞬間、レオナルド様は塵となりますわ。そしてエマ様はご存知ないのでしょうけれど、導きの指輪も超越の指輪も、資格を持つ者が正しい指につけて効力が発揮された後は本人の意思以外で外すことは困難ですの。持ち主が死ぬか、それとも指輪のついた手や腕ごと切り離さない限り他人には奪うことはできませんわ。そして資格のあるなしに関係なく、導きの指輪は外せば元々持っていた勘の良さを全て失う……そういう指輪なのですわ」
星羅の肯定と指輪の説明を聞いたエマは、ふとレオナルドと約束した言葉を思い出す。
「でも、レオナルド様は後で指輪を取りに来るって……そう言ってた。自分が死ぬのが分かっていて、それでも指輪を回収しようとしていたってことなの?」
「わたくしもその話を耳に入れましたが、おそらく……。そしてもしも指輪を渡した人物が外すことを拒否すれば、レオナルド様は正統な後継者へと指輪を渡すために殺してでも奪ったことでしょう……偶然にもエマ様本人が指輪を受け取られたので、その必要はなくなったようですけれど」
「そんな……」
「レオナルド様ほど導守として適任の人材は現在他にいませんし、わたくし個人といたしましてもレオナルド様を死なせることは本意ではありませんわ。ですからそんな状況で導きの指輪をエマ様から取り上げるのは避けたいところでしたが、エマ様がこのまま導師になれば世界に混乱が起きてしまう……さすがのわたくしも困ってしまいましたわ。仕方がありませんので最後に一度エマ様と直接お話しをいたしまして、どうするべきなのかを見極めようと思いましたの。その結果によっては残念ですがレオナルド様やエマ様には尊い犠牲になっていただき、なんの利もなくなった導師をわたくしがお務めしなければいけないと……そうならずに済んで本当に幸いですこと」
そこまで話してやっと柔らかい表情に戻った星羅は、肩の荷が下りたようにため息をついた。エマを殺そうと決意してからずっと張り詰めていたのだろう。その圧倒的な美貌が印象的すぎて気付きづらいが、よく見ればその滑らかな象牙色の肌は色白というには少し青白く、化粧で巧妙に隠されてはいるが目の下にはうっすらと隈が見えた。
星羅もステッラでは成人とはいえ、未だ十八歳。前世のエマからすれば十分に子供である。その歳で裁師という役職をこなしているだけでも信じられないのに、世界の危機を感じ絶対権力者である導師に刃向かおうと奮闘していたのだ。その高潔さは称賛に値するだろう。
つまり、明宮星羅は間違いなく『奸譎の御方々』と呼ばれるような人間ではない。
「つまり、セイラはただ世界平和のために頑張ろうとしていただけで、悪い犯罪者じゃなかった……?」
「勿論ですわ。わたくしの魅力に勝手に当てられて自滅していく愚かな人間が大勢いることは否定いたしませんが、わたくしは裁きの星に不当な理由での暴力を指示することもありませんわ。……判断を誤り、必要のない被害を出してしまったのは今回が初めてですの」
星羅のその言葉に嘘がないことは、エマにははっきりと分かる。
(つまりセイラの悪評は自滅した人間を見た周囲が勘違いしたってこと? それでさっきしていた会話は正真正銘の圧迫面接だったと……失敗してたら私のせいでレオナルド様まで死んでたとか、なんとかなって本当によかった……)
「はー……なんで私、セイラと話していてそのことに気付けなかったんだろう。途中から違和感を感じたけど、最初は完全にセイラが悪人だと思っちゃってたし」
「本当に、そのあたりは何故なのかしら。普通はこの歳になるまでに感覚がどんどん研ぎ澄まされていくものですのに、まるで自分の中にある力に気が付いたばかりの子供のようですわ。察知しているはずのものに気が付かなかったり、誤認してしまったり……思考が邪魔をしているのでしょうけれど、逆にその状態で良く直感に全幅の信頼を置けるのか不思議でなりませんわ」
「うーん、ちょっと事情があって……多分慣れるまでしばらく時間がかかると思う」
心底不思議そうにそう言う星羅に、エマは言葉を濁すことしかできない。おそらく直感により信じてはもらえるだろうが、さすがに前世の記憶があると伝えるのは抵抗があった。
エマ自身、前世を思い出してまだ二日目なので色々と折り合いをつけている最中なのだ。この状況で他人に上手く説明するほどの心の余裕はない。アイデンティティーが根本から覆されている状況でこれだけ落ち着いているのも、色んなことが起こりすぎて深く考える時間がないのが逆に良かったのだろう。
(昨日前世を思い出したところでまだ色々と現実味もないし……多分以前の私が当たり前にできていたことができなくなってるんだろうな、実感はあまりないけど。それならセイラが感じたっていうちぐはぐさの辻褄も合う。それから多分、セイラが私に対しての評価を変えたのも前世を思い出したことが原因な気がする。これが原因でレオナルド様や水崎さんを傷付けちゃったけど、そうならなかったらセイラはきっと私を認めてくれなかった……これって結局前世を思い出して良かったってことなの? よく分からないな……導師様が予知していた前世を思い出す前の私の未来って一体どんなものだったんだろう)
昨日の夕方からガラリと変わってしまったであろう今の自分が進む未来と、変わる前の自分が辿るはずだった未来の違いに思いを馳せる。今のエマにはどちらが良かったのか見当もつかないが、どちらの未来を選んだとしても問題はあるし、生きている限り導師になることは避けて通れなかったのだろう。
「わたくしたちの力は深く思考するほどに濁りますの。ですから大事な時に感じ取れない場合は導きの儀式で指し示すか、考えることが得意な周囲の人間に任せてしまうのが良くてよ。周囲の人間の考察を聞いていることで、ふと感じ取れることも多々ありますの。普段から思考することを放棄するのは愚かですが、力を使い最善へと導く必要がある時に熟考するのは悪手。導師としてこの力を使いこなすためには意識の切り替えが大事ですわ」
星羅のためになるアドバイスに、エマは思わず唸る。言われたことは理解できるが、実行するのはかなり難しそうだ。
そして思い返せば、昨日の夕方までのエマは確かに困った時にあまり深く考えることはなかったし、そもそも普段から長考することすらあまりなかった。自身の直感を信じ全てを委ねることに慣れきっていたからこそ驚くほど順風満帆に生きていたが、それは逆に思考力の低下と打たれ弱さ、そして我慢強さの欠如に繋がっていた――つまりエマの心は普通に比べて明らかに弱く、そうなるとやはり星羅の直感は当たっていたのだろう。
「大事な時に考え込まないって難しいな……」
「普通でしたら熟考することも良いのでしょうけれど、わたくしたちは事情が異なりますわ。慣れるまでは導師に就任してからもしばらくは補佐を置いた方がいいですわね。良ければわたくしがお務めいたしますわ」
「うん、お願いしようかな……あれ、そういえばセイラって裁師なのに大率師にもなるってこと? それに私の補佐までするってさすがに忙しすぎない?」
「代替わりして間もない導師の補佐は元々大率師がするものですから、それは別に問題ありませんわ。裁師に関しましては、後継者を立てて引き継ぎをするまで兼任という形かしら。その程度、こなせましてよ」
「そうなんだ、セイラは有能なんだね。私も導師様になったら本気で頑張らなきゃなー……」
「……どうしても導師になるのがお嫌でしたら、やはりわたくしがお務めいたしますわ。レオナルド様には尊い犠牲となっていただきますが、おそらく本人にそう告げたとしても納得なさると思いますわ」
星羅はそう言って、強い眼差しで真っ直ぐにエマの瞳を射抜く。そこには期待も失望もなく、ただ静かにエマの本心を問いかけていた。おそらくここでエマが本当に導師になりたくないと伝えれば、星羅は言葉通りに導師になるのだろう――レオナルドの命だけを犠牲にして。しかしそれはエマの選びたい未来ではない。
「ううん、私がやる。頑張るってもう決めたから。それに、私のせいでレオナルド様をこれ以上傷付けたくないしね」
「……そうですの。ですが導師を御守りするのが導守の御役目……間違ってもレオナルド様の身を守るためにエマ様が傷付いてはなりませんわ。その身が危険な時は、辛くともレオナルド様を盾になさってくださいませ。エマ様が死ねば導きの指輪は青銀から白銀へと戻り、超越の指輪の効力も消えてしまいレオナルド様も死ぬことになるのですから」
「うん、分かった……気を付けるね」
エマが星羅の言葉にしっかりと頷いたところで、扉をノックする音が聞こえ「セイラ様、お迎えがいらしたようですがいかがいたしますか」と市川であろう声がした。お迎え――おそらくエマを助けに公安部の刑事たちがこの建物へと来たのだろう。
「そう、ではちょうど椅子が三脚空いていますから……三名だけお通ししてくださいませ。それから新しいお茶の準備も」
「かしこまりました」
星羅は余裕を崩さずに市川へとそう指示し、見るものを魅了するような艶やかな笑みを浮かべて笑った。
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