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導きの指輪を託されて  作者: 青井はる
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第三章《裁きの星》  其の一

 艶々とした木材が、複雑に組み合わされて幾何学的に敷き詰められている。その柄をぼんやりと眺めて、エマは「寄木張り」という言葉を思い出した。欧州では宮殿でも使われている、伝統的なフローリングの装飾方法の一つだ。しっかりと磨かれ手入れされているそれを綺麗だなと、どこか夢見心地で触ってみようと右手を伸ばして――視界に入った青銀せいぎんの指輪を見て我に返る。


(ここはっ⁉︎ 私一体……そうだ、水崎さんが!)


 綺麗な寄木張りの床に倒れていたエマは、警視庁の廊下で起こったことを思い出す。慌てて立ちあがろうとするも、足が急に引っ張られバランスを崩しまた床へと倒れ込んでしまった。


「いった……何、これ……手錠?」


 痛みに顔を顰めながら足元を見れば、両足首にはエマの動きを阻害するように手錠がはめられているではないか。これでは立ち上がるのすら困難で、歩くことはほとんど不可能だ。

 このままでは逃げることができないことを悟ったエマは、上半身を起こし解決策を求めて周囲を見回して――重厚なアンティークのダイニングテーブルセットの椅子に優雅に座り、ティーカップを持ち静かに飲み物を飲んでいた妙齢の女性と目が合った。


「あら、無様な格好ですこと……所詮ステッラを出てさもしく生きていた女の血を引く者などその程度ということかしら。こんな品のない子供を後継に指名なさるなんて、さすがのミヤコ御婆様もお歳には勝てなかったということね」

「もしかして、明宮星羅さん……?」


 家具と調和するクラシカルな部屋に似合いの丁寧な口調を操り、露出が少なく体のラインにそった赤紫のエレガントなマーメイドラインのワンピースを身に付けた女は、テーブルの上のソーサーに音もなくティーカップを置いた。その流れるような動きを眺めていたエマは、遠慮がちに問いかける。


「わたくしの尊き名を『さん』付けで呼ぶなんて、そんな無礼はおよしになって。最低限の礼儀も知らないあなたが私の血族だなんて、まるで悪夢みたいですわ」


 星羅はその美しいかんばせを曇らせ、憂いを帯びたしっとりとした声でエマの鼓膜を震わせる。柳眉りゅうびを寄せ静かに目を伏せるその表情は、絵になるほどに美しかった。

 緑の黒髪をさらりと揺らしながら傾けた顔は、凄腕の職人が丹精込めて作ったビスクドールのように整っており、計算しつくされ配置されたそれぞれのパーツは同じ人間とは思えないほどに繊細で美しい。東洋の血が入っているだろうその少し幼げな顔立ちに似つかわしくない成熟した肢体は、大輪の薔薇を思わせるように芳しくも瑞々しく、異性だけでなく同性すらも惹きつける魔性を秘めていた。

 このまるで現実味のないただ人を魅了し堕落させるために生まれたような佳人は、一度心を捕らえられれば骨の髄まで溶かされてしまうような甘美な毒の蜜を滴らせている。ぞっとするほど美しく、蠱惑こわく的で、身の破滅を感じたとしても手折りたくなる毒の華――明宮星羅とはそんな女だった。

 エマは今生こんじょうの自分の容姿を結構整っている方だと客観的に評価していたが、星羅と並べば霞むどころか平均以下の容姿だと思い込んでしまうことだろう。

 少し華奢だが年齢的にも相応なはずのスタイルの良さを感じさせるエマの体付きは、星羅の完成されたプロポーションと比べるとまるで凹凸のない幼児体形に見えて恥ずかしくなるだろう。顔立ちだって、クオーターのエマは栗色の髪の毛と色白な肌に可愛らしいと評されるぱっちりとした二重のつぶらな瞳ではあるが、人間の器に美という概念を可能な限り詰め込んだある意味暴力的な星羅のそれと比べると、淡い色合いも相まって何も記憶に残らないようなぼんやりとした印象しか残らないのは間違いない。

 前世のエマは憧れの先輩男性社員が顔だけ良い後輩女性社員と結婚することにショックを受けて嘆いていたが、これくらい整った容姿の女性が相手だったなら中身がどうであろうと納得したことだろう――そう、それが目的のために人殺しを指示するような残酷な心根の持ち主だったとしても。

 虫も殺したことのないような手弱女たおやめに見えるこの女が、エマを襲おうとした犯人が従っていた相手であることはすでに分かっている。導師の後継者であるというそれだけの理由で、エマは星羅に殺したいほどに疎まれているのだ。

 どんな理由があろうとも、平和的な方法ではなく相手を殺すことで解決する手段を積極的に選ぶ人物が導師になれば……「最善」という大義名分の元に、自身に都合の悪い人物や不興を招いた人物を簡単に処分するだろうことが想像できてしまう。導師自身以外にはそれが本当に正しい選択なのかを把握する術はないのだから、偽ることはたやすい。

 そして、導師という絶対者の言葉を疑うことのないこの世界の人々は、それこそが最善なのだと信じて盲目的に付き従うのだろう。その導師こそが、平和を脅かす影なる脅威であることに気付きもしないままに。


(導師様としての素質の優劣がどうなのかは知らないけど、それでもなんでこの人が後継者に選ばれなかったのかということだけは理解できる。この人は、すごく――苛烈だ)


 エマは星羅に対して警戒をあらわに、不自由な足を動かし少しでも距離を取ろうとじりじりと後ずさる。そんな様子のエマを見て、星羅は少しだけ面白そうに口角を上げた。


「ふうん、さすがに後継者に選ばれるだけはあるということかしら。わたくしの魅力に成す術なく呑まれるわけではないのですわね。ふふっ、褒めて差し上げてもよろしくてよ。でも、あなた……何かちぐはぐですわ。資格はたしかにあるみたいですけれど、それなのに市川のことに気が付いたのは護衛がやられてしまうその瞬間。自分の命が狙われていた時も、駅から数分歩くまで自分が標的だとはまるで気が付いていなかったようですし……考えることに夢中になって感じ取ることが上手にできていないのかしら? こんな人に導きの指輪を授けたところで宝の持ち腐れですわ。ここまでくるといっそ憐れですこと」

「……あなたなら、私以上に使いこなせると?」

「『貴女様』とおっしゃってくださるかしら。何度もわたくしの手を煩わさせる愚かな人間は不快ですの。次に間違えたならその悪いお口を縫い合わさせましょうかしら。……こんな相手をわざわざ手勢を使ってまで処分する必要はなかったのかもしれませんわね。わたくしもまだまだ未熟ですこと、無駄な時間と労力を使ってしまいましたわ……」


 ふう、とその紅く瑞々しい唇から悩ましげなため息をついて星羅は物憂げに目を閉じる。そうしてしばらく考え込んでから、けぶるようなまつ毛で縁取られた煌めく黒曜石の瞳を開いた。


「でも、そうね。あなたは本当に何も知らなかったただの道化のようですし、こんな神威の欠片もない島国で生まれた頃から暮らしていたのですもの。色々と理解ができていないのも仕方がないことなのかもしれませんわね。血族のよしみで、このわたくしが慈悲の心を持って教えて差し上げましてよ」


 そう言い慈愛に満ちた眼差しでエマを眺める星羅は、ともすれば聖女にも見えたことだろう。だがエマにはその瞳の奥に、こちらを実験用のモルモットとして見ているような無機質で非情な感情が潜んでいるように感じて心がざわざわする。


「そもそもあなた、星書せいしょの内容をどれくらい読み込んでいるのかしら」

「え、星書? 授業で少し習ったくらい……です」


 じっとりとした視線を感じたエマがとっさに言葉遣いを修正すると、星羅はできの良い生徒を褒めるようににこりと微笑みながら、刺々しい言葉を言い放つ。


「この国の教育は一体どうなっているのかしら。星書を全部理解しないでどうして信徒を名乗ることができて? 厚顔無恥という言葉はご存知?」

「ええと、公務員の方たちは暗記しているそうです」

「社会人になってようやく、といったレベルということですのね。こんなに信仰心の希薄な国の民たちをも導かなくてはならないなんて、やはり導師の御役目は思っていた以上に過酷なようですわ。まあ、躾がいがあると思えば少しは楽しくなるのかしら」


 星羅はうんざりとした様子でさらりと恐ろしいことを仄めかす。しかしどうやら信仰心については一家言ありそうな態度を、エマは少しだけ意外に思った。もしかしたら星羅は星羅なりに、導きの星教に対して誠実さを持って向き合っているのかもしれない。勿論、だからといってエマを殺して導師になろうとした行為を許容するわけにはいかないが。

 愚痴を言って気持ちを切り替えたのか、今度は少し楽しげな雰囲気で星羅はエマをじっと眺めてくる。まるで積もったばかりの新雪のどこに足跡を付けようかと悩む子供のような、そんなワクワクした視線にエマはびくりとたじろいだ。


「真っさらなあなたに一体何から教えればいいものかしら……そうね、最初は導師になるための資格を教えて差し上げましょうかしら。あなたは一応資格を持っていたようだけれど、それが一体どういったものなのか理解できていて?」

「多分勘の良さ、だと思っています。他の条件は分かりません」

「そうね、一応合っていますわ。最初の女――星書で尊き女と書かれているわたくしたちの祖先の血を引く女性は、力の大小はあるけれど普通の人間よりも勘が良いものですの。そしてある一定以上の勘の良さを持つ女性だけが、導きの指輪をつけると白銀から青銀せいぎんへとその色を変えることができますの。それができない者は資格がないとされ、導師に選ばれることは決してありませんわ」

「なるほど……」

「これはステッラにて極秘に行われた研究結果ですけれど、勘の良さには最初の女の遺伝子――二種類のX染色体が関わっているそうですわ。子孫のわたくしたちは受け継いだそのX染色体の組み合わせによって力の大小が決まるのだとか……こんな話が外部に漏れれば、神の御威光を畏れない不心得者たちが世界中からわたくしたちの血族を探し出して研究するのでしょうね。ふふ、怖くなってしまったかしら。そうやって怯えているあなたはほんの少しだけ可愛らしく見えますわ」


 星羅の説明を聞き、エマは思わず息を呑む。

 導師という存在が認知され受け入れられているこの世界ではあるが、やはりどこにでもマッドサイエンティストというものは存在するのだろう。さすがに導師を実験体に選ぶことはないだろうが、それ以外の人間なら容赦なく研究材料として扱われるのが目に浮かんだ。

 そんな想像に顔色を悪くさせるエマの反応をじっと見ながら、星羅は嬉しそうに言葉を続ける。


「ただ血を継いでいればいいという話ではないというのに、それを理解せずに自分こそが次代の導師だと思い込む愚かな人間は多いものですわ。八千代御婆様も、御母様も、あのお歳まで生きていたというのに見苦しいこと。それに比べればあなたは分を弁えて野心がないから愚かではないのかしら?」

「……愚かではあると思います。一杯、間違えていますから」


 エマはそう言って唇を噛み締める。レオナルドの件も、水崎の件も、どちらもエマの行動により変えることができたはずのできごとだ。特に水崎の件に関しては、直前の湯木の懸念が的中した結果といえる。

 エマが泣いて儀式を中断していなかったら、星羅に関してもっと詳細な情報を儀式で知ることができていた。そうすれば協力者である市川の存在も明らかになり、水崎が不意を突かれて攻撃を受けることも、何も抵抗できずにエマが連れ去られることも回避できたかもしれない。

 たらればの話ではあるが、それでもエマは後悔せずにはいられないのだ。それでも泣いてうずくまるだけではなく、前を向き、失態を挽回するためにも最善をなそうとする意志を持つことができるのは、あの時湯木が諭してくれたおかげだろう。

 

「ふふ、ふふふっ……あなたちゃあんと理解できていてよ。自分がいかに愚かで惨めな存在であるかを認めることができるのは美徳ですわ。いいですわね、気に入ってよ。あなたはわたくしがステッラに連れて帰って飼って差し上げましょう。今までよりも、ずうっと幸せに生きられますわ。導師の御役目に忙殺されるわたくしを一時でも慰めることができるなんて、光栄ですこと」


 エマの返事の何かが琴線に触れたのか、星羅は驚くほどに上機嫌になってころころと笑い出す。まるで喜劇を観て笑う幼い子供のような無邪気さのままに紡がれた言葉に、エマは困惑して問いかけた。


「導師様に、なりたいわけではないんですか?」


 先ほどから星羅は、自身が導師になった未来を想像してはいるが、そのことに対する喜びを一切感じることができない。過酷、忙殺といった導師の役目に対するネガティブな感想を事実そうだと認識した上で発言しているだけで、導師になり世界中で一番の権力者になることにはなんの執着もなさそうだ。

 思えば今も、なんだかんだ言いつつ基本的なことすら何も分かっていないエマに対して丁寧に説明をしているではないか。導師になりたいのならばエマの指から指輪を取ってしまえばそれで終わるにも関わらず、エマの意識が戻るまで特に何もせずに放置していたのも不可解だ。


「当たり前ですわ、導師の立場はただのおまけですもの。導師にならないと手に入らないものがありますから、ついでに不本意ですけれど私がなって差し上げるのですわ。もっとも、わたくしが導師になることこそが世界にとっての最善であるのは疑いようもないことですけれど……そうでなければ導師なんて重責を何故わたくしがわざわざ引き受けなくてはならないのかしら」

「導師様にならなければ手に入らないものって、一体なんなんですか?」

「お聞きになりたいの? それは……レオナルド様ですわ」

「……レオナルド様、ですか?」


 ここに来て出てきた思わぬ人物の名前に、エマは目を瞬ききょとんとする。

 エマのその様子に気付いてもいないであろう星羅は、目を潤ませ、熱っぽい吐息を零しながら頬を薔薇色に紅潮させる。途端にぶわりと周囲に振りまかれるその濃厚な色香は、真面目な人間を一気に性犯罪者にしてしまうであろうほどの誘因力ゆういんりょくがあった。

 それはエマからすれば地雷原に裸一貫で突入するような自殺行為にしか思えないのだが、星羅に魅了された人間にはきっと懇切丁寧にそう説明しても理解することはないのだろう。


「そう、あの大きく、強く、わたくしの魅力にすら決して屈せず、手懐けることのできない美しい獣のような御方――導師になれば、どんなに不本意でもレオナルド様は導守としてわたくしに跪かずにはいれないのですわ。ああ、それはなんて素敵なことかしら! 想像しただけで胸が高鳴って身体中が火照ってしまいそうですわ!」


(ええ……何この人、急にくねくねして興奮して……ちょっと気持ち悪いかも)


 豊かでいて芸術品のように気品を感じるその肉体を扇状的にくねらせるさまは、肌の露出がないにも関わらず淫靡な夜の空気を思わせる。前世の記憶を持ってはいるが恋愛経験については大したことのないエマにとって、その星羅の興奮具合は猥褻なものとして規制されるべきもののように感じて仕方がない。魅力よりも、むしろ行き過ぎたものに対して引くような気持ちになる。

 とにかく、このまま星羅を放置するのはあまり好ましくないのは間違いないので、エマは努めて冷静に星羅の気持ちを予想してまとめることにした。


「それってつまり、レオナルド様に恋しているんですか?」

「恋? これはそんな陳腐な言葉で片付くようなものではなくてよ。でも、まだ子供のあなたには理解できないのも仕方がないのかもしれませんわね。ああ……早くレオナルド様のあの澄ましたお顔を歪ませたいですわ……」


(歪ませたいって何? 特殊性癖? いくら見た目が良くてもこれはレオナルド様が可哀想になるな……あ、不本意だろうとってことはレオナルド様もこの人のことを嫌がっている?)


「……良く分からないんですけど、レオナルド様に嫌われているってことですか?」

「ふふっ、どうなのかしら。レオナルド様はわたくしに対する感情をほとんど表に出したことがありませんの。そしてその心は静かで穏やか……大きな感情の起伏をわたくしでも感じ取ることすらできませんでしたわ。こんなことは生まれて初めて! ですからわたくし、レオナルド様を手に入れて愛でますの」

「別に心が欲しいとかじゃなくて、心が大きく動くところを見れば満足ってことですか? じゃあそれが感じ取れたら、満足して捨てたりするかもしれないんですか? ついでの導師様の御役目も?」

「そうね……結局のところ未知なるものに対する執着といえるのかもしれませんわね。既知になれば、レオナルド様も……そう考えると、分かるのに面白いあなたの方が長く楽しめそうですわね」

「え⁉︎ 私、ですか⁉︎」


 急に自分の話題に戻り、エマは慌ててしまう。先ほどもエマを飼うという不穏な発言があったが、星羅にそういう意味で興味を持たれることは全くもって嬉しくない。色々な意味で危険すぎる。


「そう、あなた。何故あなたが今までステッラにいなかったのかしら。あなたがいれば、わたくしの退屈もきっと紛れていたでしょうに……こんな場所で今までのうのうと暮らしていただなんて、わたくしを十八年も放っておいて生きていたのですもの、最低でもその十八年分は楽しませてくださいませ」

「十八年? もしかして同い年、ですか?」

「あら? あなたも十八歳ですの? 大人なのにこんな……? やだ、素敵! 子供ですから無知で面白いものなのかと思っていましたけれど、大人でそうなら本物ですわ!」


 明らかに自分のことを馬鹿にしているであろうその口振りに、エマはどうしてだか苛立たない。なんというか最初と違い、今の星羅は――プレゼントをもらった子供のように、ただ純粋に喜んでいるように感じるのだ。その幼げな雰囲気が、前世の記憶を持つエマにとって庇護すべき対象に見えるのだろうか。

 毒々しく、危険な存在であるはずなのに、どこか憎めない何かを星羅に感じて戸惑ってしまう。そのモヤモヤを上手く処理できないエマは、とりあえず気になった言葉に対して質問することでお茶を濁した。


「ステッラでは十八歳で大人なんですか?」

「ステッラでは十六歳で準成人、十八歳で成人ですの。ちなみに正式に導師と認定されるのも十八歳からですわ。……ねえあなた、このまま本当に導師になってみませんこと?」

「え?」

「レオナルド様は欲しいですわ。けれど、あなたの言った通り既知になれば飽きてしまう気もいたしますの。そのためだけに導師になるなんて、割に合わないと思わなくて? それならあなたが導師になって、わたくしを大率師だいそつしに任命なされば良いのですわ。そうすればわたくしはあなたを近くで見て楽しめますし、そのうちレオナルド様の心の機微を感じる機会がありそうですもの。その方がずっと効率的ですし都合がいいですわ」


 その思いがけない提案に、エマは目を白黒させてしまう。

 大率師とはステッラの内政を取り仕切っている階級である。エマの前世の記憶基準で説明するなら、現代日本における内閣府の大臣たちのような存在だ。そんな重要な職に確実に犯罪に手を染めている星羅が着任するなんて、納得できるはずもない。


(今、この人なんて言った? 私が導師様になってこの人が大率師様に? 都合がいいって……自分の目的のために平気で色んな人を殺そうとしたり傷付けたくせにそんなことが許されると思ってるの? 正気なの?)


「ええと、でも、悪いことを一杯したから逮捕されるんじゃないんですか?」

「そんなもの、あなたが導師として情状酌量を願い出ればどうにでもなることですわ。それとも、あなたはわたくしに導師になって欲しいのかしら? あなたがどうしてもと懇願するのなら、仕方がありませんのでなって差し上げてもよろしくてよ?」

「え、いや、導師になって欲しくは……ないです」

「じゃあ決まりですわね。なあんだ、こんなに簡単に全部を解決できるなんて夢のようですわ! ああ、ミヤコ御婆様はまだ耄碌もうろくされていなかったのですわね! わたくしが未熟なばかりに、本当に余計な手間暇をかけてしまったみたいですわ。でもここでこうしてあなたとお話ししなければ、その過ちに気が付くこともなかったと思えば……全部が無駄というわけでもなかったのかしら」


 いつのまにか星羅の都合の良い方向へと話がどんどんまとめられていってしまう。それではいけないとエマは意を決して声を上げた。


「あの! 本当にそうしたいなら、大率師様になる前にして欲しいことがあります!」

「そうですの、ではどうぞおっしゃってくださいませ」

「今回の事件で傷付けた人と、今までに不当に傷付けたり苦しめた人がいるならその人にも……きちんと謝罪して、罪を償って、赦しを得てください。それができないなら私は絶対に納得できませんし、任命もしません」

「……本当に、わたくしは慢心して心を曇らせていたのですね。でも全部ミヤコ御婆様の思惑通りにことが運んでいるみたいで、少し悔しいですわ」


 エマの決死の訴えを聞き、星羅は悔いるように目を伏せ小さく呟いた。

 その瞼の裏に浮かんだものが一体なんだったのか、それは星羅にしか分からない。しかし、少なくとも悪いものではなかったのだろう。もう一度目を開いた時、星羅の瞳の煌めきは今までにない気高い意志を感じさせた。


「分かりました。あなたの言う通りにいたしますわ――『星の導きを守るために』」

「本当に、約束できますか?」

「わたくしの尊き名に誓いますわ。わたくし、約束は必ず守る誠実な人間ですの。わたくしが本心から誓っていることは、あなたになら分かるはずでしてよ?」


 こういう時、エマたちが持つ特異な勘の良さというものは本当に便利だといえるだろう。言葉だけでは分からない相手の本心を疑い、疑心暗鬼になることがないのだから。

 星羅の心に嘘がないことを理解したエマは、それ以上は念押しをせずに頷き応える。その反応に満足した星羅は、まるで恋人とデートの約束をするようにうっとりとした様子でエマを見つめながら甘く囁いた。


「ねえあなた――いえ、これからはエマ様とお呼びしようかしら。エマ様、わたくしは大率師としてしっかりと支えてみせますわ。その代わりに、わたくしをずっと楽しませてくださいな」

「そんなこと言われても、楽しませれるか自信がないんですけど……」

「ふふっ、それでいいのですわ。エマ様は何も考えずに自然のままでいてくださいませ、それこそが面白いのですもの。後その下手な敬語はおやめになって。導師が大率師にそんな話し方をすることは許されないですわ。わたくしのことは気軽にセイラとお呼びくださいませ」

「分かりまし……分かった、セイラ。これでいい?」

「ええ、お上手ですこと。それではもう必要もないですし、こちらを外しておきましょうかしら」


 星羅は椅子から立ち上がりエマの側へと優雅な足取りで近付くと、足首にはめられていた手錠の鍵を差しカチリと解除した。

 ようやく自由になった両足をぐっと伸ばして、一息つけたエマは素直に星羅へと感謝する。


「ありがとう……というか今さらだけど、その……雰囲気が大分違わない?」

「そうかしら? あまり意識はしていないのですけれど……エマ様のおかげでしょうか」

「おかげ? 私、セイラのためになるようなこと何かしたっけ?」

「良き導きをもたらす導師に対して、わたくしが厳しく接する必要はないでしょう? さて、お迎えがいらっしゃるまでまだ随分と時間がかかりそうですわね。せっかくですから今のうちに大切なことを教えて差し上げますわ」

「大切なこと?」

「ええ、導きの星教においての最大の暗部――『さばきの星』についてですわ」


 星羅はその美しい顔をにこりと綻ばせながら、ぞわりと背筋が凍るような声でそう言った。

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