其の二
広い会議室には縦内と湯木は勿論のこと、総勢数十人の刑事たちが集まり手持ちの資料を確認しながら話を進めていた。扉を開けて会議室に入ったエマはその全員からの視線を一斉に浴び、先ほどまでの気合いが吹き飛び畏縮してしまう。
水崎の先導に従い会議室の最奥にある会議の主導者たちが並ぶ長机へと連れられたエマは、縦内と湯木の間にあった空席へと勧められるままに座った。数十人の刑事の視線に緊張した様子のエマにいち早く気が付いた湯木は、その緊張をほぐすように左隣から声をかける。
「ようこそ示ノ原さん、むさ苦しいところでごめんね。顔は怖くても中身は多分良い人間ばかりだから安心していいよ」
「湯木、一言多い。示ノ原さん、重要な話があるそうですね。さっそくですが伺ってもかまいませんか」
「大丈夫です。ただその話をする前に……ここにいる皆さんは、指輪の件を知っていますか?」
エマは少し小声で――とはいえ机にセットされたマイクにより会議室中にその声は聞こえてはいるが、気分の問題だ――そう言って、うかがうように縦内と湯木をチラリと見る。その問いかけに縦内は安心させるように頷いた。
「今この場にいる人間ですと、水崎以外は全員知っています。水崎にも伝えても大丈夫ですから問題ありません」
「指輪関係の話ってこと? レオナルド様が言ってたことを何か思い出したとかかな?」
「いえ、実はこの本を見て欲しいんですが……この五百二十四頁『導きの儀式の様子について』の部分です」
エマは両手でしっかりと抱えていたハードカバーの分厚い本を机の上に置き、該当のページをパラパラとめくり開く。すると本を覗き込んでいた縦内はすぐにどういった内容の本なのかを理解したようだ。
「ん? これは先月出版されたばかりの星教完全解説本の最新版じゃないですか。私も買ってはいますが、忙しくてまだ途中までしか……導きの儀式が今回の事件と何か関係があったということでしょうか」
「実は私もさっきこの本を読んで知ったんですけど、導きの儀式の内容について書かれている本は今までなかったらしいですね。この部分には著者が儀式の現場に同席して取材した時の内容が詳細に書かれていました」
「なんだって、そんな革新的な内容がこの本に⁉︎ 星書にすら詳細が記されていないの秘中の儀なのに……これは勲章ものの功績だぞ」
「たしかにすごいことだけど、それのどこが今回の事件に関係あるのかな?」
本の著者の偉業に感動する縦内と違い、湯木は冷静に事件との関わりについてエマへと尋ねる。そのもっともな質問に対し、誤解を招かないように慎重に言葉を選びながらエマは答えた。
「私、ここに書かれている儀式の内容を真似てみたら……できたんです」
「できた、とは一体……」
「縦内さんの名前って『きみお』なんですよね? あと階級は警部。合ってますよね?」
「たしかに私の名前は公雄ですが、それが何か……いや、私は示ノ原さんに手帳を見せて身分提示していませんでしたね。水崎、お前は示ノ原さんに話したか?」
エマの言わんとすることに気が付いた縦内が、長机から少し離れたところに立った状態で待機している水崎に確認を取る。
「いえ、私は縦内さんとしか呼んでいないはずです」
「え、つまり示ノ原さんは導きの儀式の内容を真似て縦内さんの名前と階級を当てたってこと⁉︎ それが本当なら、もしかして事件の犯人の名前も分かったりする⁉︎」
ここでエマの真意を理解した湯木の発言に、ことの重大さに気が付いた会議室内の人間たちが一気にざわめく。先ほどよりもさらに注目されているという状態に怖気付きそうになりながらも、エマは肯定の言葉を返した。
「多分、できると思います。まだ私も不慣れなので手探りではあるんですけど……複数答えがあるような曖昧な問い方ではなく、『はい』や『いいえ』の二択で答えられるものや、固有名詞が答えになる質問内容だとより儀式がしやすいと思います」
そう言うとエマは今度はノートを机の上に広げ、先ほど作ったばかりの狐狗狸さんもどきの表を準備する。そこに書かれたひらがなと漢字を見て、湯木が不思議そうにエマへと話しかけた。
「示ノ原さん、ノートにたくさん書いているこの記号は何? こんな記号初めて見たけど、文字なのかな? ……古代星字ってわけでもないよね?」
「これは、その……私が以前考えた暗号文字なんです。星字よりもこっちの方が儀式をやりやすいみたいで……えっと、さっそく儀式を初めてみましょうか?」
「そうですね、では確認のためにいくつか質問をしてみましょう。今日の湯木が食べた夕飯の内容を教えてください」
縦内の問いかけを聞き、エマは右手の人差し指をノートに添える。しかし何故か指先は動かないままだ。
(あれ、動かない。もしかして、「湯木さんは今日の夕飯を食べましたか」……あ、「いいえ」だ)
「湯木さんはまだ夕飯を食べていませんね」
「おお、当たった!」
「なるほど……こういった手法の儀式なんですね。ちなみに、しばらく動かなかったのは何故でしょう。そんなに難しい問いでしたか?」
「食べた夕飯の内容を教えてほしいという問いに対して『食べていない』という答えの示し方はできないみたいです。私が『湯木さんは今日の夕飯を食べたか』という問いかけをもう一度して、それに対して『いいえ』という答えが示されました」
「結構融通が効かない感じなんだ、お役所仕事っぽいなあ」
「こら、茶化すな。ですがこれは良い例題でしたね、では次は――現在レオナルド様を警護している公安部の人間は全部で何人ですか」
今度は指先がスムーズに動き出し、漢数字をなぞって指し示す。数字を読み間違えないようにきちんと確認してからエマは答えた。
「十九人です」
「その内巡査部長以上の階級は何人いますか」
「――四人です」
「……すごいな、これ本当に導師様と同じ御力なんじゃないですか?」
「田中管理官、どうされますか」
縦内がそう言って長机の右奥に座る人物に問いかける。田中管理官と呼ばれた白髪が目立つ壮年の男性は、おそらく街中で出会えば思わず道を譲られるであろう強面を真っ直ぐにエマへと向け、真摯に言葉を紡いだ。
「示ノ原エマさん、事件の早期解決のために貴女の尊き御力を貸していただけないでしょうか」
「勿論、私にできることを手伝わせてください。それから、そんなにかしこまらなくても大丈夫です。私は後でレオナルド様に指輪を返す予定ですから」
年嵩の威厳ある男性にかしこまられて、エマは居心地が悪そうに苦笑して答える。エマにとってこの事件への協力は望むところであり、むしろ自分からこの力を使ってほしいと願っていたくらいだ。そして一時的に導きの指輪を所持してはいるが、別に正式に導師になるわけでもないただの女子高生だというエマの認識からすれば、こうした対応にくすぐったくなってしまうのも仕方がないだろう。
この場の責任者である田中管理官の確認も取れたため、話は変わり問いかけの内容について移っていく。
今回の事件の直接的な被害者であるレオナルドがいまだ意識不明なため、捜査の進みはいまだ芳しくない状態だ。
時間が経てば情報も上がってくるだろうが、レオナルドが銃撃された現場すら今は見当が付いていない。あれほど血を流していたにも関わらず、事件現場となった路地のすぐ近くの場所から血痕が急に現れているのだ。勿論その近辺で銃声を聞いたという情報は入っていない。おそらく車かバイクで移動を行なっている途中にすでに負傷しており、降車してからの血痕が発見されたと考えられてはいるが、移動に使われたと考えられている車やバイクは見つかっていない。監視カメラの映像確認が急がれているが、それもまだ時間がかかるだろう。
エマの件についても家はもぬけの殻で家族の安否確認は取れていない。ただ家が外部から侵入されたという形跡はあったが荒らされた様子もなく、それ以上の情報は現状不明のままである。
とにかく精査できる情報が少なすぎる。知りたいことが山ほどあるこの状況で、優先順位を付けていかなければいけない。
「やはり一番優先すべきは、レオナルド様を襲撃した犯人か。この場合実行犯ではなく首謀者を尋ねるべきか……だが首謀者が複数人いる場合、答えが示されないかもしれないな」
「いや、そこはまず最初に疑わしい人物の名前を挙げて一通り犯人かどうか聞いてみるのが良いんじゃないですか? 『はい』と『いいえ』の二択なら多分儀式もやりやすいはずですし。ちょうど条件に合う御方々がいたじゃないですか。田中管理官、良いですか?」
「ああ、かまわない」
「じゃあ示ノ原さん、導師ミヤコ様の御子様である明宮八千代様は星レオナルド様の命を狙っている?」
湯木の提案がすんなり通り、ついにエマによる導きの儀式が始まった。
エマは問いかけを聞き逃さないように耳をすましながら、指先の動きに目線を集中させる。はたして湯木の思惑通り、エマの人差し指は滑らかに動き出した。
「――はい」
エマのその答えに、会議室内はしんと静まり返った。縦内と湯木から推論をすでに聞き、不敬であると知りつつも「あの御方々ならばありえるかもしれない」と心の隅で思ってしまった疑念が、導きの指輪を持つエマによって肯定されてしまったのである。日々導きの星教の教えを胸に職務に励んでいる刑事たちの衝撃は計り知れない。
問いかけをした湯木自身も、あまりにもできすぎたような現実にその身を震わせる。緊張から嫌な汗が流れ、声が喉に張り付いたようにうまく出せなくなっているのを無理やり誤魔化すように、わざと明るい声を上げた。
「最初からドンピシャとか、さすがに怖くなるなー……。ええと、明宮八千代様は今回の星レオナルド様が負傷した事件に関わっている?」
「――はい」
「星レオナルド様を銃撃した犯人は、明宮八千代様の指示で動いていた?」
「――はい」
「星レオナルド様の左目を刃物で切り付けた犯人は、明宮八千代様の指示で動いていた?」
「――いいえ」
「じゃあその犯人は、誰の指示で動いていた?」
「――あけみや、せいら」
「明宮星羅様だって? 導師様の御曾孫じゃないか。二人が共謀していたのか?」
新しい首謀者の名前に縦内が思わず声を上げると、その言葉に素早く湯木が返した。
「今聞きます。明宮八千代様と明宮星羅様は共謀している?」
「――いいえ」
「えーっと、それなら……星レオナルド様の左目を刃物で切り付けた犯人は、示ノ原エマさんを狙っていた?」
「――はい」
「明宮星羅様は、示ノ原エマさんの命を狙っている?」
「――はい」
「……それは、示ノ原エマさんが導師様の後継者だから?」
「――はい」
その導かれた答えに、再び会議室はざわめきに包まれる。確かにエマは指輪を所持してはいるが、エマが思い出したレオナルドの言葉により正式な後継者は別にいるのだろうと考えを修正された経緯があった。まさかその新しい推理が間違っており、当初の予想通りエマが後継者だったとは誰も思いもしなかったのだ。
儀式を行なっていたエマは、自分の指先が示した『はい』と書かれた場所を呆然と見つめている。エマ自身、自分は導師の後継者ではないと思い込んでいただけにこの結果は予想外でしかなかった。
「いや、最初はそうだと思っていたけど、本当に⁉︎」
「それならレオナルド様が指輪を取りに来ると言った件はどうなるんだ⁉︎」
「そんなの僕に聞かれても分かりませんよ! あ、聞き方が悪かったかもしれませんしもう一度確認してみましょう! ええと、示ノ原エマさんは導師ミヤコ様が定めた正統な次期導師様ですか?」
「――はい。あの、これ本当にそうなんですか⁉︎ 自分で儀式をしておいてなんですけど、本当にこの儀式って正しい答えが出ているんですか⁉︎ 導師様の後継者とか困ります!」
「まあまあまあまあ、示ノ原さん、ここは落ち着こう! そう、深呼吸して! スー……ハー……よし、次の質問に行きましょうか」
「そんなのじゃ落ち着けません!」
「示ノ原さん、落ち着いてください! レオナルド様の言葉の真意がまだ分かりませんから、まずはそこを明らかにしましょう!」
「そうですそうです! あ、でもどうやって質問しましょうか」
「そうだな……」
混乱し思考が乱れた三人の様子をしばらく眺めていた田中管理官は、落ち着いた良く通る声でエマへと問いかけた。
「星レオナルド様が示ノ原エマさんに指輪を渡した時、星レオナルド様は示ノ原エマさんの姿をはっきりと認識できていましたか?」
全くの盲点だったその問いに、会議室の空気がぴりりと引き締まる。思えば当時のレオナルドの左目は刃物に切り付けられて閉じられており、なおかつ激しい失血により瀕死の状態だった。右目は辛うじて開いてはいたが、意識が朦朧としてエマの姿を正しく認識できていたかどうかは怪しいだろう。
そしてそうなる少し前、エマとレオナルドがぶつかった時は現場の路地はかなり暗く視界が悪かった。エマも雑居ビルの壁についている明かりが灯ったことでようやくレオナルドの全容を確認できたことを思えば、レオナルドがエマを無関係の人物であると誤認してしまった可能性は十分にある。
田中管理官の鋭い推理の結果導かれたその可能性は、いまだ混乱の中にあるエマの指先によりはっきりと証明された。
「――いいえ」
「星レオナルド様が導きの指輪を渡す予定だった相手は、示ノ原エマさんですか?」
「――はい……」
「決まりですね。示ノ原エマ様。正式な告示はなされていませんが、今回は非常事態につき特例措置を取らせていただきます。我々警視庁公安部は貴女様を導きの星教第三百十五代導師、エマ様と承認いたします! 今回の事件は導師エマ様ならびに導守レオナルド様の御両名の命を狙った、導きの星教および独立宗教国家ステッラに対する悪質なテロ行為である! 現在判明している首謀者は前導師ミヤコ様の御子孫である明宮八千代、明宮星羅の二名。またこの両名の手勢がどれだけ潜伏しているか不明のため、警戒を怠らずに対処するように!」
立ち上がりそう宣言した田中管理官に対し、会議室内の刑事は一斉に起立し敬礼をし「了解!」と声を揃えて返答する。その一糸乱れぬ動きを困惑したまま眺めるしかないエマに、田中管理官は改めて向き直った。
「導師エマ様、尊き御身とは知らず数々の無礼な対応をしてしまい、誠に申し訳ございませんでした。今後こういったことを行わないよう周知を徹底いたしますので、今までの件に関しましては何卒ご容赦していただけますとありがたく存じます。これから私は警視総監及び警察庁、日本星賓館へと改めて導師エマ様が正式に後継になられたことをその経緯も含めて連絡しなければなりません。そのため貴女様のお側をしばし離れることをお許ししていただきたく存じます」
「そんな……そんな風に言わないでください。急にそんな風にされても、私困ります」
突然ガラリと変えられた対応に、困惑し狼狽えたエマは泣きそうになりながらそう言うしかなかった。その心からの動揺と心細さを感じ取った田中管理官は、エマを安心させるように少し苦笑して周囲へとぐるりと首を回す。
このやり取りを固唾を呑んで見守っていた会議室内の全員に聞こえるよう、大きな声で田中管理官は告げた。
「導師エマ様は真に謙虚で奥ゆかしい御方であらせられる! 我々が我を通しその素晴らしき御心を曇らせるのは本末転倒! ゆえに今回の事件解決までの間のみ、導師エマ様と接する者は望まれたように振る舞うことを私が許可する! 勿論、この対応は周囲が公安部の人間だけの場合に限る! ……ということで、大丈夫ですか示ノ原さん?」
「田中管理官さん……ありがとうございますっ!」
自身の意を汲んでくれた田中管理官の対応に、エマは喜びの声を上げ顔をほっと綻ばせる。その年相応の笑顔につられ、ようやく肩の力が抜けた様子の湯木がほっと一息をついた。
「いやー、良かった良かった。でも事件解決までの間だけですから、徐々に慣らしていこうね。そうしないと困るのは示ノ原さんだからさ」
「お前は砕けすぎだ。これを機に、普段から丁寧な言葉遣いに変えるくらいはしておくんだな」
「ええー? いいじゃないですか、必要な時はちゃんと話してるんですし。縦内さんはお堅すぎるんですよ」
「砕けすぎるくらいなら堅すぎる方がましだろうが」
つられて話し出した縦内の指摘に湯木が反論する、その普段通りのやり取りが伝播して会議室は一気に元の空気へと戻っていく。ほど良く力が抜け緊張感の残ったその様子に満足した様子の田中管理官は、最後にいくつか指示を出した。
「縦内、私はこれで出るから会議の進行を任せる。緊急時に連絡が取りやすいよう、この事件に関わる者は全員インカムを着用するように指示を出せ。警察庁や星賓館から情報が入ればすぐに連絡する。儀式で新しく重要な内容が判明した場合はこちらにもすぐに知らせるように」
「了解」
「示ノ原さん、申し訳ありませんがもうしばらく御力を貸してください。何かあれば縦内、湯木、水崎の誰かに遠慮せず伝えてください。この三人の内誰かは必ず側にいさせますので。最後になりますが、体調や気分がすぐれない時は絶対に無理をしないようにお願いします」
「分かりました」
エマの返事に田中管理官は頷くと、足早に会議室を退室した。そして縦内が、田中管理官に任された役目を担おうとその場を取り仕切る。
「では改めて示ノ原さんに導きの儀式を続けてもらう。優先順位が高いものから順に問いかける。また儀式の最中に何か重要なことに気が付いた場合はすぐに発言するように。では示ノ原さん、よろしくお願いします」
「……はい、任せてください!」
一つ大きく深呼吸をしてから、エマは覚悟を決めたようにしっかりと返事をする。決意が滲んだ黒目がちのつぶらな瞳は、まるで星の輝きを灯したように力強く煌めいていた。
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