第二章《導きの儀式》 其の一
警視庁に到着後、エマは公安部の水崎という若くハキハキとした女性刑事に預けられ身支度を整えた。
まずは転倒し汚れていたセーラー服を脱ぎ、次に擦り剥いて処置を受けた怪我部分にビニール袋やラップを巻き、濡れないように気を付けながらシャワーを浴びて汚れを落とす。最低限必要な肌の保湿剤なども緊急宿泊時用のものを貸してもらい、水崎の私物である洗濯されたTシャツとジャージ――下着に関しては予備で置いていた新品のスポーツブラとショーツを渡された――を着れば完了だ。
何から何まで使わせてもらい大変心苦しかったが、水崎は「むしろ私の私物でごめんね。服は実用性重視で全然可愛くないし、それに化粧水とかクリームは若い子向けのじゃないからちょっと肌に重たいかも」と貸した服装の見た目やエマの肌事情を気にして謝っていた。仕事の一環とはいえ、とても気さくでできた人柄の人物である。
身支度が終われば、エマは部屋へと案内された。天井に監視カメラが設置されている以外は全面白い壁のこじんまりとした部屋の中に、スチール製の机と椅子、そして簡易ベッドが所狭しと置かれている。おそらく取調室にわざわざエマが寝るためのベッドを用意してくれたのだろう。
その部屋で渡されたコンビニ弁当を一人で食べ、食後には部屋の前で警備をしてくれていた水崎に付き添われながら新品の旅行用歯磨きセット――こちらは購買にて売られていたものらしい――を使い歯を磨きまた部屋へと戻る。
体内時計から計算すると寝るにはまだ大分早い時間だろうが、スマホもなく、腕時計を持っていないエマには正確な時間が分からない。時間を潰すにしてもスクールバッグに入っている教科書を開いて宿題を
やる気にはなれず、簡易ベッドの上にごろりと寝転がった。
(うーん、暇だ。やっぱりスマホが使えないと不便すぎる。教科書以外に何か本持ってれば良かったな……って、そういえば図書室で本を借りたんだった)
その存在を思い出し、エマはスクールバッグから目当ての本を取り出した。まるで辞書のように分厚く重いハードカバーのそれを簡易ベッドの上に置き、しみじみと眺める。
(『星暦五〇二二年最新版 導きの星教完全解説――導師ミヤコ様の偉業とその御力の全て――』って、何度見てもすごいタイトルの本だよね。こんな本が学校の図書室のオススメ新書コーナーに並ぶわ、大学の入試問題にも使われるなんて私としては世も末だとしか思えないんだけど……これがこの世界の常識なんだよなあ)
いまだ馴染めないこの世界の常識に多少しょっぱい気持ちになりながら、エマは目次のページを開く。今の自分にとって何か有益な情報がないだろうかと、導きの指輪をつけている右手の人差し指で目次をなぞりながら目で追おうとして――自分の意思と関係なく勝手に動き出したその指にぎょっとする。
「何、何っ⁉︎ なんで動くの⁉︎」
驚いたエマが左手で右手首を引っ張り止めようとしているにも関わらず、指先はそれをものともせずに滑らかに目次をなぞりある一点でピタリと止まった。そして次の瞬間エマが右手首へと働きかけていた力が正常に伝わり、掴んでいた左手ごと右腕が勢いよく大きく上へと振り上げられ、その勢いにつられてバランスを崩した上半身がベッドに仰向けに倒れ込む。
もしも今の状況を監視カメラで見ていた人物がいれば、きっとエマが急に迫真のパントマイムを披露したと勘違いしたことだろう。お願いだから監視していた人物はいないのだと信じたい。
白い天井を見上げながら、エマはバクバクと激しく鼓動する心臓の動きに合わせて荒い呼吸を繰り返した。緊張によって微かに震える右手を目の前に突き出し、ゆっくりと握り開く動きを繰り返す。それがちゃんと自分の意思通りに動くことに安心して、エマは右手の甲を閉じた両瞼の上に置いて大きなため息をついた。
「びっくりしたー……なんで勝手に動くのよ……」
「示ノ原さん、大きな声が聞こえたけど大丈夫?」
「あ、すみません大丈夫です!」
「大丈夫ならいいの。邪魔しちゃってごめんね」
大きな声に気が付いた水崎に扉をノックされ確認のための声をかけられたが、エマは慌てて身体を起こし返事をして誤魔化した。
深く追求しないでくれた水崎の配慮に心の中で感謝して、エマは開かれたままの本を改めて確認する。
(そういえば、さっき指が止まったところって……五百二十四頁「導きの儀式の様子について」?)
先ほど指先が勝手に動き指し示した場所に書かれている目次の内容に、エマは興味を惹かれて該当の場所を開いて読み始める。するとそこには、導師であるミヤコがどのように自然災害の場所や時期を予想しているのかという具体的な手法についての詳細な説明をすると書かれているではないか。
この本にそんな重要そうな内容が書かれていることにまず驚いたが、どうもこの項目部分はつい先月出版されたばかりのこの最新版に初めて記載された内容らしい。儀式の重要性についての記述の後に、星書にすら書き記されていなかった内容を世界で初めて出版する名誉について、著者の熱い気持ちがびっしりとしたためられていた。
たしかにこの世界の基準で考えれば名誉なことだろうが、どうにも著者の星教に対する情熱が暑苦しすぎて目が滑ってしまう。そしてそのまま流れるように、この儀式内容を取材するにあたってどれほど大変だったのかという著者のさらなる自己主張の激しい長文を諦めて流し読む。一体何ページを本題以外で費やすのかと多少イライラとしつつも、重要な部分を読み飛ばさないように律儀にしばらく読み進めてようやく現れた目当ての記述に、エマははやる気持ちでページをめくった。
(導きの儀式が始まると、ミヤコ様は集中された面持ちで机に向かわれます。机の上に広げられた何枚もの資料と古代星字が刻まれている三十センチメートル四方ほどの白銀の金属板――残念ながらこれらについては機密事項が含まれており、内容を近くで確認することはできませんでした――へと、神がお造りになられた神器たる青銀に輝く導きの指輪がある右手の人差し指を、流れるような美しい所作でなぞられました。まずは金属板に九回指先を止めて示した場所をしっかりと目視なさり、その後に紙の資料へと一度指をなぞられ、またその指先を止めて示した場所を確認なさりました。そして側に控えていた大率師様を左手でお呼びして、その耳元で尊きお言葉を囁かれたのです――って、待って! これってさっきの私みたいじゃない⁉︎)
あまりにもタイムリーな内容に、エマの背筋がぞわりと粟立つ。先ほど初めて体験した怪奇現象が、まさか導師の儀式内容と一致するなど偶然にしてはできすぎている。
隠された真実を暴くような興奮と、緊張、そしてほんの少しの恐怖を感じながら、エマは慎重に本の続きを読み進めていく。気分はまさに新しく見つかったばかりの遺跡を発掘調査する考古学者だ。
儀式の内容自体は、その後も同じような内容が繰り返し記述されている。どうやら著者が取材した時の内容を一から十まで全てを書き起こしているようだ。指先をどこに何回止めたかということまでおそらく正確に書かれているあたり、著者の狂気すら覚える意気込みを感じることができる。それは詳細な資料としては正しいあり方だが、今のエマにはまだるっこしくて仕方がない。
しばらくあまり有用ではなさそうな内容が続いていたが、それでも諦めずに文字を追いながらページをめくっていくと、今度は儀式について著者が独自で集めた情報についての記述が始まった。エマはその中でも、過去に外国の星教新聞に記載されていたという内容にふと目が留まる。
(導きの儀式の最中、ミヤコ様は一体何を考えていらっしゃるのでしょうか。それを疑問に思った幼い信徒に質問され、ミヤコ様はこうお答えになりました。「難しいことは考えていません。私は、その時点で私たちにできる最善を神に問いかけるのです。すると神は私にその答えを指し示してくださいます」――なるほど、問いかけと、指し示すね。さっき私はたしか……今の私に必要な情報がないかなって考えながら人差し指を……ということは、それが条件?)
導師ミヤコはいかにもありがたそうな言葉で信徒に説明していたが、先ほどエマの指先が勝手に動いた時はそんな大層なことを考えてはいなかった。そして過去のエマも同じようなことをしたことがあったが、こんな風になったことは一度もない。
ということはつまり、今までになかった要素である導きの指輪がこの怪奇現象の原因であり、おそらく超越の指輪と同じく信徒には隠されていた真の能力であるのだろう。ただし、この能力には致命的な欠点があるようにエマは思う。
(すごい能力ではあるけど、これって答えになるものが近くにない場合ってどうなるの?)
ものは試しだと、エマは「明日の東京の天気が何か知りたい」と念じながら右手の人差し指で今開いている本の文章をなぞってみる。しかし指先は自分の意志の通りに動くだけで、何も変化は起こらなかった。
次に本の中で「雨」の文字が書かれているページを必死に探し出し同じようにしてみるが、これも何の変化も起こらない。次は「晴」の文字が書かれているページをこれまた必死に探し出し同じようにしてみると、指先がすすすと勝手に動き「晴」の文字を指し示した。
ちなみにエマは自身の勘により、明日の東京の天気が晴れであることはなんとなく予想がついていたため答えとしては合っているのだろう。
(え、使い勝手悪すぎない? 問いに対する答えが近くにあるとは限らないじゃない。自然災害の発生場所は地図とか地球儀を使えば分かるだろうけど、時期とか種類とか規模とか対策とか……全部の選択肢を最初から指せるように用意する必要があるの? そんなことしてたら資料に埋もれそう……あれ、でも儀式の時はそんなに大量の資料だとは書かれていなかったよね?)
儀式内容の詳細な記述をもう一度読み返してみるが、やはり紙の資料は机の上に広げられる常識的な範囲内であることは間違いない。ただ一つ気になるのは、古代星字が書かれていると思われる白銀の金属板だ。
(この金属板、紙の資料よりも指が止まる回数が明らかに多い。そんなに何種類も答えになるようなことが書かれているの? それともよく答えになる言葉が書かれてるとか……問いに対する答えでよく使うことができる言葉っていうと、「はい」と「いいえ」?)
「はい」と「いいえ」が書かれている金属板を指先でなぞる導師の姿を想像して、エマは既視感を覚える。一体どこでそんな光景を見たのだろうとしばらく考え込んでいると、ふと前世の小学校の教室で行われた遊びを思い出した。
(そうだ、これって狐狗狸さんだ!)
狐狗狸さんとは、エマの前世においてわりと知名度の高かった降霊術の一種である。紙に「はい」や「いいえ」は勿論、数字や五十音表、鳥居のマークなどを書き、その上に硬貨を置く。そして参加者全員の人差し指を硬貨の上に添えた状態で「狐狗狸さん、狐狗狸さん、おいでください」という呪文を唱えるのだ。
硬貨が動けば狐狗狸さん――狐の霊――が来たとされ、降霊術は成功。そのまま聞きたいことを質問すれば、硬貨が勝手に動き出して答えを示すといった具合である。他にもエンジェルさんと呼ばれる場合もあるが、基本的に呼び方以外はそこまで変わらない。
ちなみに降霊術とされるだけあって、終わる時には決められた手順を踏まなければ祟りが起こるといった噂もあったが、その手順もローカルルールが多いためどれが正解なのかは定かではない。
この狐狗狸さんだが、前世のエマが小学六年生の時に学校内で大流行していたのだ。あまりの流行りっぷりと、狐狗狸さんの言葉を信じ込んだ生徒が精神的に不安定になることもあって、学校から狐狗狸さん禁止令が出たほどだった。
前世のエマも禁止令が出る前に友達に誘われて一度やったことはあるが、明らかに誰かが指先に力を入れて動かしているのが分かって冷めた覚えがある。少なくとも友達の女の子たちにとって狐狗狸さんとは、自分たちの好きな人や嫌いな人を暴露するための都合の良い道具でしかなかったのだ。
そんな前世のなんちゃって降霊術の狐狗狸さんと違い、導師が導きの指輪の力を使い行う狐狗狸さんもどきはどうなるだろうか。
(答えは簡単。世界中の自然災害を正確に予知して、被害を最小限に抑えるチートな予知能力になる!)
エマはスクールバッグから急いでノートと筆箱を取り出した。ノートの何も書かれていない真っ白なページを開き、ボールペンで前世の狐狗狸さんを思い出しながら書き始める。
(あ、星字じゃなくてひらがなで書いちゃった。でもこっちの方が指でなぞってる時に他の人が理解できないから逆に良いのかも)
導師が使っている金属板に刻まれているのが古代星字だというのも、案外そういった事情があるのかもしれない。機密を守るためというよりも、少しでも儀式の内容を高尚に見せようという意図を感じ、エマはなんともいえない気持ちになった。
気持ちを切り替え、エマはノートに続きを書く。前世の狐狗狸さんをベースにしつつも必要のない鳥居のマークは省き、他にも便利そうな句読点や単語を思い付く限り追加すれば完成だ。
(よし、これで良いはず。じゃあさっそく何を質問しようかな……そうだ、縦内さんの下の名前と階級は、と)
エマがそう考えながら右手の人差し指をノートに置けば、想像通りにその指先はノートに書かれた言葉をなぞり出す。時折ピタリと指先が止まった文字を繋げると、それは見事に意味のある言葉になった。
(きみと、けいぶ……すごい、本当にできた。この力があれば、今回の事件の犯人もきっと分かるはず! 湯木さんと縦内さんに伝えなきゃ!)
「あの、水崎さん。事件について至急お伝えしたい大事な話があります。縦内きみと警部と湯木さんを呼んでもらえませんか」
「え、ちょっと待ってね! ……すみません今縦内さんと湯木さんは……はい、実は示ノ原さんが事件について大事な話を至急伝えたいと。ええ、そうです……分かりました、失礼します。示ノ原さん、悪いけど会議室に一緒に来てもらえるかな。縦内さんと湯木さんもいるし、事件に関係がある話ならその方が助かるんだけど……大丈夫そう?」
「大丈夫です、今すぐ行きます」
水崎の反応により、縦内さんの名前は「きみと」で階級が警部だということが証明された。エマは胸を高鳴らせながら分厚い本とノートを抱え、気合い入れて勢い良く扉を開く。
(――これで、レオナルド様へ恩返しをしてみせる!)
緊張と興奮により少し震えたのを武者震いだと言い聞かせて、エマは水崎の後ろを力強く歩き出した。
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