其の二
エマと縦内は、レオナルドのいる集中治療室から静かに出た。すると廊下には七三分けの黒髪に黒縁眼鏡と黒いスーツ姿という、全体的に黒い出立ちの生真面目で神経質そうな男が一人で周囲を警戒しながら待機しているのが見える。おそらくこの男が、先ほど縦内の話に出ていた交代要員なのだろう。
男の姿を確認した縦内は、どこか安心したように纏う空気を和らげた。
「市川か。お前で助かった。これから湯木と一緒に彼女を移動させる。増員は要請しているから、それまでの間を頼む」
「他に何か指示はありますか」
「彼の検査が終わり身体的に問題がないと診断されて、なおかつ意識が戻らない場合は警察病院へと移送してくれ。それから担当医師から体内にあった銃弾をもらって鑑識に回して欲しい。彼の意識が戻った場合はすぐにこちらに連絡を。話ができるのなら、色々と確認したいことがある」
「警備の配置は、いつものようにで?」
「それで構わない。何かあれば本部だけでなくこちらにも一報入れてくれ」
「了解しました」
「頼んだぞ」
そう言いながら、縦内は市川と呼んだ男の肩を軽く叩いて激励する。それに応えるように、市川は気合を入れたきりりとした表情で頷いた。
それで市川への用は済んだとばかりに、縦内は素早くスマホを操作してから迷いなく歩き出す。エマは自分のことをじろりとどこか無機質な目で見つめる市川へと軽く会釈をしてから、慌てて縦内の後を足早に追いかけた。
(なんだろう、私この人に嫌われてる? 初対面なのに?)
市川の態度が少し引っかかるが、今はそれよりも縦内だ。エマはそこまで小柄ではないが、それでも大股でシャキシャキと歩く縦内の歩幅について行くのは少しだけ急ぐ必要があるため気を抜けない。
自然な様子で周囲を警戒しながら歩く縦内との間に雑談はなく、二人は無言のままに病院の正面玄関へとたどりつく。正面玄関を出てすぐにあるロータリーの停車位置に、湯木が乗った真っ赤な国産のスポーツカーが停まっているのが見えた。
「あの、この車二人乗りですよね?」
「いいえ。これは一応四人乗りですよ」
ドアが二つしかないその車を近くで見たエマがそう言えば、慣れた様子で縦内が助手席のドアを開ける。そして助手席にあるボタンを押してのそのシートを前に倒すと、普通の乗用車に比べて少し狭そうな後部座席に入る隙間ができた。
(おおー、すごい! こういう車初めて見た)
その仕掛けに感心しながら、エマは気を付けて中に入る。エマが運転席の後ろの座席へときちんと座ったことを確認すると、元の位置に助手席のシートを戻して縦内が乗り込んだ。
「二人ともシートベルトを閉めましたか? よし、大丈夫みたいなんで出発しますね」
湯木は二人をちらりと確認してからそう言うと、静かに車を発進させる。スポーツカーに乗るくらいなのだからスピードを出す荒い運転をするのかと思いきや、とても丁寧で快適な運転にエマは驚いた。
「運転、上手なんですね」
「でしょでしょ。これでも警察官だから、ちゃんと丁寧な運転を心がけているんだよ」
「私物とはいえ、こんな派手な車だと目立って仕事に影響が出そうだがな」
「それはほら、こういう格好に合わせてるんで。スポーツカーに乗ってるってだけで、車好きの男だと思って車の話題に乗ってくれる人って結構いるから役立ちますよ。それに今回みたいに、護衛対象を乗せる時は後部座席が見えづらいから意外と便利なんですよね。示ノ原さんにはちょっと狭いんで不自由かけちゃうけど」
「いえ、大丈夫ですよ」
「なら良かったです。自分は流石にそちらに座るのが厳しいので助かります」
「縦内さんはファミリーカーとかじゃないと厳しいですよね。ちょっと筋肉付けすぎなんじゃないですか」
「うるさい。お前こそもう少し体を鍛えるんだな。いざという時に動けないぞ」
「いや、あんまり鍛えすぎるとまた見た目に調整入れるのが大変なんで。これでも細マッチョだから脱いだらすごいんですよ、脱いだら」
「脱いだらすごいっていうのは、レオナルド様のような体だろう。まあ、あれは脱がなくてもすごいが」
「あー、たしかに。そういえばレオナルド様の件について教えてくださいよ。……やっぱり厳しい状態ですか」
「いや……むしろもう心配はなさそうだ」
「え! 本当ですか⁉︎ すごい生命力ですね、正直もう駄目かと思ってましたよ。やっぱりあれだけ鍛えてると違うのかな」
レオナルドの無事に安心しながらも感心したようにその肉体のタフさについて思いを馳せる湯木に、エマは少し言葉を濁しながらその考えを訂正する。
「鍛えてるというか……あの、多分指輪の効果じゃないかって」
「指輪って、超越の指輪のこと? あ、縦内さんもレオナルド様がつけているのを確認しました?」
「ああ、あれはまず間違いなく本物だろう。勿論公安部にある資料に間違いがなければ、だがな。……星書のどこにも書かれていないが、どうやら超越の指輪には導守様の肉体を回復する力があったらしい。それも多分、導師様が導きの指輪をつけている時だけその効果が発揮されると考えられる。ちなみに現在レオナルド様の体は傷一つ見当たらない状態だ。医師の話では、体内にある銃弾も勝手に体から排出されたらしいぞ」
「え、待ってくださいよ! そんな非科学的な……いや、でも超越の指輪の効果っていうならありえなくもないか。神の御業ってやつですね」
「だな。まさしく死を超越したわけだ。その御力の結果をこの目で見ることができるなんて、これも日々星の導きに殉じ職務を全うしているという善行に対する報いだな」
「えー、僕だって同じことしてますよ。なんで縦内さんだけ報いがあるんですか」
「信仰心の差だろう」
「はあ……僕ももう少し教会に行く頻度増やそうかな」
「そうしておけ。お前は忙しいからと参拝を疎かにしすぎだ」
瀕死の大怪我が治ったという超常的な事象が起きたにも関わらず、湯木はすんなりとその事実を受け入れているようだ。そんな湯木の様子が、エマは信じられない。
(え、神の御業の一言で納得しちゃうの? これってもしかして狂信者ってやつ?)
エマは、この世界が前世と違い不思議な力が存在するパラレルワールドの地球だという認識なのでなんとか納得することができた。しかし、そうでなければきっとそう簡単には信じることができない内容だ。前世でそんなことを話す人間をがいれば、二次元と現実を混同したか、精神的な病気を持っているか、はたまた何か危ない薬を使用している疑いを持つのは間違いない。
実際に無傷のレオナルドを見た縦内はともかく、湯木は見てもいないのにこんな異常な話を信じている。神の御業という一言で全てを納得する様子に、無条件で全てを受け入れてしまう宗教的な狂気を感じてエマは少し怖くなった。
「話は変わるが、レオナルド様は示ノ原さんに指輪を渡した時に『取りに来るまで外さないように』と言っていたらしい。この意味、分かるか」
「……つまり、示ノ原さんに元々指輪を渡すつもりがなかったってことですか? じゃあ、指輪の色が変わったのもただの偶然? そんな奇跡あります?」
「レオナルド様が両方の指輪を所持していたことから、導師様と導守様の代替わりが行われるのは間違いないだろう。各国に通達がないことから、極秘で行う事情があったはずだ。それこそ次期導守様であるだろうレオナルド様が単身で行動するほどのな。しかし次期導師様は……示ノ原さん以外の人物かもしれない。おそらくレオナルド様も、瀕死の状態だからこそ微かな可能性にかけて指輪を渡したんだろう。あの状態で何もしなければ間違いなく死んでいたからな。そして奇跡的に、示ノ原さんには導師様になれる素質があった。これにより超越の指輪の効果が発揮され一命を取り留めたが、正統な後継者が別に存在するためレオナルド様は示ノ原さんに『取りに来る』と伝えた――これなら一応筋は通っている」
「じゃあ示ノ原さんが狙われたのは別の理由ですか? わざわざプロを使って普通の女子高生一人を狙うなんて、そこまでする必要あります?」
「それは今ここで考えても答えは出ないだろう。判断材料が少なすぎる。それより問題なのは、レオナルド様がどこで誰にやられたかだ。示ノ原さんが後継者ならこの二つはどこかで繋がっていた可能性が高かったが、そうでないなら全くの別件かもしれない。レオナルド様が次期導守様であると知らなくとも、星の名を戴く命師様を害そうという愚か者が日本人にいるとは考えたくもないがな」
「もしもそうなら、完全にうちの手落ちですね。国内にある目ぼしいカルト教団や反星教団体の動きは把握してますし、うちでも把握できていなかったレオナルド様の極秘入国の情報を手に入れていた組織があるとは考えづらいですけど。どちらかといえば、ステッラ側からの刺客と考えた方が自然な気がしませんか」
「まさかステッラで内部抗争……後継者争いでも起こっているのか? いや、後継者は導師様が指名するから争うなんてありえないはずだ」
「考えたくないですけど、導師様の身に何かあったとか」
「……導師様の様子が最後に報道されたのは三日前だったか。微妙なところだな」
「いえ、多分それはないと思います」
静かに話を聞いていたエマが、突然確信を持った様子で会話に入り込んで来たことに二人は驚く。
そのしっかりとしたエマの声色に、湯木はもしかしてと思い問いかけた。
「示ノ原さん、もしかして何か知っているの?」
「そういうわけじゃないんですけど、直感で……その、私昔から変に勘が良くて、なんとなくそんな気がするってことは大体当たるんです」
「……これが部下の発言なら一から躾け直すところですが、導きの指輪に認められている貴女が言うなら言葉の重みが違います。他にも、何か感じることがあれば教えてくれませんか」
縦内からの要請に、エマは先ほどから感じていたことを少しずつ話し出す。
「その、多分、私の家族は今も無事だと思います……家が大丈夫かは分かりませんけど。それから、指輪を返すとレオナルド様に何か悪いことが起こるような気がするんです。あ、別に導師様になりたいから指輪を返したくないとかじゃないですよ⁉︎ 導師様になるなんて絶対に嫌なんで、何も問題がないならすぐにでも返したいですから!」
「うんうん、それは分かったよ。信じるから安心して。ちなみに示ノ原さんを狙っていた犯人はレオナルド様のことも狙っていたと思う?」
「いえ、それはないと思います。少なくとも、レオナルド様が私を置いて逃げていれば見向きもしなかったんじゃないかと……多分ですけど」
「では、ステッラで後継者争いは起こっていると思いますか」
縦内の質問に、エマはステッラという特殊な国の内部事情を思う。
するとどこかふんわりとしたイメージが頭の中に思い浮かんで来た。はっきりとはしていないその印象を、どうにか言語化しようとエマは言葉を選ぶ。
「うーん、あるといえばあるような……でもそんな大っぴらに争っているような感じじゃない気がします。内輪揉めとかじゃなくて、一部の外野が勝手に盛り上がっているような……」
「外野ねえ。ステッラの内政に関係ないのに後継者争いに加担できるって相当特殊な立場ですよ。これが本当なら該当者はかなり絞られるんじゃないですか?」
目を閉じ、うんうんと唸りながらエマが脳内のイメージを言語化すると、すかさず湯木がそれをヒントに目星を付けた。
二人のやり取りを聞き、縦内は公安部で把握しているステッラの内部情報から該当しそうな人物を脳内で探し出し――その導き出した答えに、思わず忌まわしそうに顔を顰めた。
「ああ、ちょうどピッタリな人物がいたぞ――導師ミヤコ様の御子孫だ」
縦内の推理を聞き、エマはなるほどと納得した。後継者争いをするくらいなら、最低限導師になるための素質――白銀の導きの指輪をつけた時、それを青銀へと変えるのに必要な何か――を持っている必要がある。エマはそれが特異な勘の良さではないかと疑っているが、他にも何か条件があるのかもしれないので正確なところは分からない。
その素質だが、世界中から無作為に選ばれた誰かが持っているというよりも、遺伝で子々孫々が受け継いでいるという方が効率的で後継者を選びやすいし、何よりしっくりくる。勿論その考え方だとエマも歴代の導師の誰かの血を受け継いでいるということになるが――三百人以上存在したという導師の血族の一部が日本で細々と血を繋いでいたとしても別におかしくはないだろう。しかも今は亡きエマの母方の祖父は北欧の人間だったらしいので、そちら側が導師の血を引いている可能性もある。
そしてステッラに導師ミヤコの子孫がいるというのなら、その中で後継者争いがあったとしても不思議ではない。ただし、レオナルドが導きの指輪を持って日本に極秘で入国したことからも分かるように、おそらく導師の後継者は日本に在住している人物で内定しており、ステッラ内で行われているであろう後継者争いは無駄な争いといったところだろうか。
そこまで考えて、エマはあることに気が付いた。
(あれ、身近に血も濃くて素質のありそうな人が何人かいるのにわざわざ国外から後継者を選ぶって、結構異常事態じゃない? それに縦内さんの表情……もしかして導師様の御子孫って問題人物だったりして)
「あー……導師様の御子孫かー。なんか納得ですね」
「そんなに問題ある人なんですか?」
「あまり言いたくありませんが、各国の政府関係者の中では有名な話です。導師ミヤコ様が歴代でも素晴らしい御力を持ち『必定の御方』とまで呼ばれているのに対し、御子孫は『奸譎の御方々《おかたがた》』と呼ばれ、その存在は一般信徒たちにも伏せられています」
「かんけつ、ってどういう意味ですか?」
「邪で心に偽りの多いことだね。僕も意味を知らなかったから昔調べたよ」
「つまり、性格が悪くて導師様にはふさわしくない……って世界中の政府関係者が思ってるってことですよね。しかも御方々っていうくらいですし、何人もそんな人がいるんですか?」
「えっと、御子様が一人、御孫様が二人、御曾孫が三人の計六人。その内女性は御子様と御孫様と御曾孫に各一人ずつだね。ちなみに男女全員その呼び名にふさわしい御方々らしいよ。来日時のエピソードが豊富で警視庁でもちょっとした伝説になってる。御子様はもう一人女性がいらっしゃったらしいけど、大分昔に駆け落ちでステッラを出てからは行方不明らしくてどういう人かは伝わっていないな」
「……導師様の後継者って、もしかしてその行方不明の御子様かその御子孫だったりしませんか?」
「……ステッラからの駆け落ち先に日本を選ぶのは極めて自然ですね。近いですし昔から国交も深くて移住する人も少なくないので、紛れやすいでしょう。それに導師ミヤコ様は後継者に選ばれる前は日本で暮らしていたと聞きます。御親族がいて匿ってもらっていたのかもしれません」
湯木の説明を聞いてピンと来たエマが思い付いたことを伝えれば、その考えを補強するように、縦内がエマの知らない情報を話す。縦内の情報により確信を得たエマは、自分の意見を改めて話した。
「そこまで条件が揃っているなら、むしろ将来後継者争いが起こることを予知した導師様が後継者になる予定の御子様を日本へ逃したんじゃ……」
明らかにエマよりも強力な力――もはや勘の良さではなく予知の領域のそれ――を持つ導師が、今軽く話を聞いたエマでも思い付くような身近にある問題に気付かなかったとは考えられない。ならば知った上であえて放置していたのだと考える方が自然だ。
そして、それに巻き込まれていないのは駆け落ちをしたという子供ただ一人。こちらも導師の力があれば行方不明なんて中途半端な結論になるとは思えない。つまり、あえてそういう情報操作をする必要があったのだ。この場合、居場所を隠し、その身を守る意味合いが強いだろう。
争いから逃し、情報を秘匿し守る――実の子孫の中で唯一そうする必要があるほど大切な人物というならば、次代の導師と目されていたとしても頷ける。こうなると駆け落ちしたという前提すらも疑わしく、後継者争いの場となるステッラから自然に姿を消すための口実としてこじつけられた可能性は高いだろう。
「……縦内さん、僕もうそれが正解な気がするんですけど」
「奇遇だな湯木、私も今ちょうどそう思ったところだ。とはいえ裏付けが取れない内は上も納得しないだろう。一度詳しく調べる必要があるな」
「ですね。到着したら資料を調べる時間を早めに用意します」
「ああ頼む。私は上への報告と捜査会議が終わってからだろうな」
「あの、そういえばどこに移動しているんですか?」
今さらではあるが気になっていたことをエマが質問すれば、縦内はうっかりしてたとばかりに目を瞬かせる。
「ああ、言ってませんでしたか。私たちが守りやすく味方も多い場所――警視庁ですよ」
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