其の二
レオナルドとの話が一段落ついてから、医師を呼んだり、お腹が空いたから遅い昼ご飯を食べたりと細々なことをエマは済ませていく。
日本星賓館にいる家族にもようやく連絡することができて、両親と祖母にはこってりと叱られてしまった。エマが危険な状況になってしまい相当な心配をかけていたことを思えば、ごく自然で当たり前の反応だろう。心から心配し怒ってくれる家族の存在に、エマは反省しつつも感謝の気持ちで一杯になった。家族もエマが導師になるのに合わせてステッラへ移住することになるそうなので、落ち着いてからゆっくりと話す機会があるだろう。その時に、改めてこの気持ちを伝えようと思う。
家族との長い電話が終わると、そのタイミングを見計らっていたレオナルドに声をかけられる。
「エマ様、警視庁から謝罪と説明のためにこちらに人を向かわせたいとのことです。希望の人物がいる場合は伝えることができますが、どうされますか」
「それじゃあ、湯木さんと縦内さんにお願いしたいかな。一番話しやすいし」
「……承知いたしました」
その言葉を聞いてレオナルドの表情がほんの少しだけ強張ったが、まだレオナルドの表情の変化に疎いエマがそれに気付くことはなかった。
「失礼します」
「あ、湯木さん!」
しばらくレオナルドと談笑しながら待っていると、おそらく昨日からずっと働き詰めだったのだろう、疲れた顔にくたびれたグレーのスーツ姿の湯木が丁寧に入室する。
湯木はエマの姿を認めると、ガバっと音が鳴りそうなほど勢いよく腰から直角になるほど深々とお辞儀をした。
「示ノ原エマ様、この度は警視庁に所属する人間がこのような凶事を起こしてしまい、誠に申し訳ございません!」
「そんな、だ、大丈夫ですよ⁉︎ 勿論銃を撃ったのは駄目ですけど、結局私もセイラも無事でしたし……それにやったのは湯木さんじゃないじゃないですか」
「そのような寛大な御言葉かけていただき、感謝の念に堪えません!」
「湯木さん……。ここはレオと私しかいませんから、今まで通り話してもらえませんか。レオ、いいよね?」
「エマ様がそうお望みでしたら、私に依存はありません」
「ね、レオもこう言ってくれましたから……」
その態度に動揺してしまったエマがそうお願いすると、湯木は深々と下げていた頭をゆっくりと上げた。しかしその表情はいつものようなへらりとしたものではなく、相変わらず深刻である。
見てる側が重たい気持ちになるような後悔をその顔に滲ませながら、湯木はゆっくりと口を開いた。
「……ありがとう示ノ原さん。じゃあお言葉に甘えて、普通に話させてもらうね。示ノ原さん、本当にごめん。あんなことを止められなくて、示ノ原さんに大怪我をさせて本当にごめん。何度謝っても足りないけど、僕らが心からそう思っていることを伝えさせて欲しい」
「……分かりました、謝罪を受け取ります。だからもう謝らなくてもいいですよ。運良く怪我も治りましたから」
「うん……ありがとう。じゃあ早速だけど、今回の件についての事情説明を始めようか」
「お願いします。あ、そういえば縦内さんは……やっぱり色々と忙しいですよね。湯木さんも忙しいのに指名しちゃってすみませんでした」
そのエマの言葉に湯木は驚いたように目を見開き、辛そうに顔を顰めた。湯木は言葉が出てこないかのように何度か口を開け閉めして、ようやく絞り出すような声を出す。
「……そっか、そうだよね。あの時の示ノ原さんには分からないか。示ノ原さん、落ち着いて聞いて欲しい。……あの時撃ったのは、縦内さんなんだ」
「……え?」
湯木のその告白に、事実を知らなかったエマの思考は止まる。少ししてやっと頭に浮かんだのは『何故』という一言だけだった。
「そんな、なんで縦内さんが……」
「僕もそう思ったよ。だから少し前まで縦内さんの尋問にも参加してたんだ。縦内さんは素直に供述したし、裏取りも問題なし。理由は至ってシンプル――怨恨だった」
そう言って、湯木は尋問で知り得た内容をエマへとゆっくり説明し出す。表情は暗く陰り、その沈痛な面持ちは普段わざと軽薄そうに振る舞っている湯木の隠された本心を如実に表していた。
「縦内さんには部署は違うけど警視庁で働いてた親父さんがいてさ、優秀だったんだって。縦内さんは親父さんに憧れて警察官になったらしいよ。でもね、その親父さんは五年前に自殺してるんだ……懲戒処分を受けた直後だったらしい。親父さんがなんで懲戒処分になったのかは、警視庁内ではわりと有名な話だったんだ。それが『護衛対象である明宮星羅様に対して不適切な行動をしたため』っていう理由でさ、不適切ってなんだって思うよね? 僕はてっきり警護内容に難癖を付けられたんだと思っていたんだけど、縦内さんはちゃんと調べたらしいんだ。そうしたら、本当の理由が『当時十三歳だった明宮星羅様に対して猥褻な行為を行おうとした』ことだったんだ。そんなこと、絶対に許されちゃいけないことだ。親父さんが処分を受けたのは当たり前だし、同情の余地はどこにもない。勿論未遂だったし、他の護衛が気付いてすぐに取り押さえたらしいんだけど……取り押さえた側の人たちが『あれはしょうがない』なんて最低なことを隠れて言ってたらしくて。他の人がそう言っていたくらいだし、真面目に職務に励んでいた親父さんが理由もなくそんなことをするはずがない。だからきっと明宮星羅様にはめられたんだって……縦内さんは思ったんだよ」
湯木の話を聞いて、エマは星羅が「わたくしの魅力に勝手に当てられて自滅していく愚かな人間が大勢いることは否定いたしませんが」と話していたことを思い出した。詳しい話は聞いていないが、それはきっとこういうことだったのだろう。
当時の星羅は十三歳――中学生になったばかりの子供だ。それなのに守るはずの護衛がそんなことをしでかして、どれほど恐ろしかっただろう……いや、そういう人間が大勢いたのならば、すでに慣れてしまっていたのかもしれない。だがそれにしても、間違いなく気持ちのいいものではなかっただろう。
周囲にいる人間を自分の意思でと関係なく魅了してしまうデメリットは、星羅の性格形成に大きく影響したのは間違いない。星羅が何故エマがステッラにいなかったのかと責めたのも、その魅力に呑まれず、それでいて避けずに普通に接することができる対等な友人の存在を欲していたということなのだろう。
「でもセイラは、そんなことをする子じゃないです」
「……そうだね、きっとそうなんだと思う。僕らはミヤコ様の御子孫全員を一括りにして色眼鏡で見ていたんだ。だから縦内さんも、親父さん自身が道を踏み外したっていう単純な答えを受け入れられなかったんだ。被害者である明宮星羅様に、理不尽な憎しみだけを募らせて……」
警視庁内に伝わるミヤコの子孫に対する悪評は事実も多いのだろう。しかし少なくとも星羅の件に関しては誤りだったのだ。だがそれを真実理解している人間はほとんどおらず、星羅の名誉が挽回されることはなかった。基本的にステッラに在住し、時々来日するだけのミヤコの子孫という存在は警視庁内では厄介な存在でしかない。そして実際にひどい行いをする子孫が存在することもあり、星羅の本質はより見えづらくなっていたのだろう。
「それに市川さんの件もある。僕は知らなかったんだけど、縦内さんも市川さんも裁きの星っていう導きの星教の中でも特殊な組織の構成員なんだってさ。縦内さんは市川さんを随分信頼してるなって思ってたけど、そういう繋がりで色々接する機会があったらしい。その信頼していた市川さんが裏切って、明宮星羅様の手下として示ノ原さんを誘拐した――縦内さんは、また誑かされたって思ったんだ。本当は市川さんが最初から明宮星羅様側の人間だったって落ちなんだから笑えないよね」
「……あの、水崎さんは大丈夫だったんですか?」
「水崎さんは大丈夫。使われたのはスタンガンを強力にした銃――っていっても針が二本刺さるだけだから傷もそんなにないし、電撃の威力が通常の物より上げられてたけど後遺症もない。念のため明日まで検査入院はしてるけど元気そうだよ。もしも可能なら、後で顔を見せてあげて欲しい。水崎さんも示ノ原さんのことをすごく心配していたから」
「そうですか、良かった……。私も水崎さんに会いたいから、後でお見舞いしに行きますね」
気になっていた水崎の安否も分かりほっとした様子のエマを見てから、湯木はさらに続きを話す。
「それから縦内さんの所属する裁きの星から、明宮星羅様を抹殺する命令が来たらしい。これは元を辿ると日本星賓館にいる率師様からの命令らしいね。でも明宮星羅様も色々と事情があって今回の事件を起こしていて、そのことについて示ノ原さんときちんと話し合いをすることで和解していた……その事情を知らない率師様は勿論命令を取り下げないし、だから組織の人間も状況が変わったことを知るはずがない。今思えばおかしかったんだ。示ノ原さんを助けようと僕たちはあの場所に押しかけたけど、相手側の反応は好戦的じゃなかった。罠かもしれないけど、あの場ですぐに戦う必要はなかったんだ。だけど現場を指揮していた縦内さんの一声で、戦闘が始まってしまった……」
部屋にいたエマにも聞こえた銃声や爆発の音を思い出して、エマは体にぎゅっと力が入る。なんとか途中で止めることができたが、あれだけの騒ぎになっていたのだからその被害はきっと――。
(目を背けちゃいけない……どんな事実でも受け止めて乗り越えていかないと)
覚悟を決めて、でも不安を拭えないエマは湯木へと恐る恐る問いかけた。
「……怪我人は、たくさん出たんですか?」
「そうだね、たくさん出た。でも皆軽傷だから安心して欲しい。僕たちは本気の装備だったけど、あちら側は違ったんだ。銃弾は特製のゴム弾だし、他には制圧用のスタングレネードくらいしか使ってこなかった。練度がびっくりするくらい高いからこちらは被弾者がかなり出て、ゴム弾でも結構な衝撃だから痛いし場合によっては昏倒するから、こっちも最初はゴム弾だと気付かないで焦る人間が多くてね……かなり激しい応酬をしたけど、あちら側は地の利もあって全員無傷らしい。うちはこういう荒事が専門じゃないから仕方がないかもしれないけど、ここまで力の差があると落ち込んじゃうよね。……本気の戦闘だったら全滅していたと思うよ」
淡々とそう事実を述べる湯木の姿は落ち着いていて、本心からその差を理解しているのだろう。
エマは星羅たちがきちんと配慮してくれていたたことに心の中でそっと感謝する。きっと殺してしまった方が楽だったろう。力の差があるとはいえ、本気で攻撃してくる相手に手加減をするのは相当骨が折れたはずだ。それでもエマの心情を慮り、優勢な状態の内は被害を最小限に抑えようとしたのだろう。勿論味方の損害も出ないよう、細心の注意を払ったはずだ。あの時星羅が何度も現場に指示を出していたのも、その直感で適切な対処を行うためだったのかもしれない。
「結局示ノ原さんの鶴の一声でそれは止まったけど、その後すごい音と叫び声がして音声が途切れたから皆びっくりして部屋まで行ったんだよ。部屋に入ったら警察病院に移送されたはずのレオナルド様がいるし、三人とも様子が落ち着いているから大丈夫だと思ったんだけどね……縦内さんは違ったんだ。縦内さんは命令を実行しようと発砲したし、それを後悔していない。庇った示ノ原さんも明宮星羅様に誑かされたと思っている――今も、ね」
「そんな……」
「信心深い人だし、そういう意味では元々素質があったんだろうね。今の縦内さんは恐ろしい狂信者だよ……誰の言葉も届かない。縦内さんは命令を遂行しただけだけど、冷静に状況を把握すればあの時あの行動を取るのは間違いなく最善ではないって気が付けたはずなんだ。いつものあの人なら、絶対に気が付けたんだ……でもできなかった。怨みの気持ちで一杯になって、示ノ原さんの示した導きに従えなかったんだよ。僕にいつも、もっと信仰を強く持てって説教してたのに……」
そこまで言って堪え切れないように涙を零し、嗚咽を漏らす湯木にエマは何も声をかけることができなかった。
少しだけそうしていた湯木は、急に腕でごしごしと乱暴に涙を拭いてから大きく深呼吸をして意識を切り替える。いまだ潤む赤い目を困ったように細めて、ばつが悪そうに苦笑いをした。
「……ごめん、愚痴みたいになっちゃったね。経緯の説明はこれで終わりだよ」
「……縦内さんの処分はどうなるんですか?」
「まず間違いなく懲戒処分になると思う。でも今回の件は表沙汰にはならないから、その後に裁判をするかどうかは分からない。ステッラ側の意向も汲むことになると思うけど……実は、明宮星羅様からは少し減刑をしてもいいって言われてるんだ」
「セイラが?」
「うん。示ノ原さんが意識を失ってからの話だけど、実は明宮星羅様が縦内さんを警棒で思いっきり殴ってね……それで『私刑ではありますが一応罪を償ったことにはなるでしょうし、この分は減刑して構いませんわ。勿論エマ様がご無事である場合に限ってですが』ってさ」
「ええ……? それ、縦内さんは大丈夫だったんですか?」
「いや、歯が一本折れてた。本当に迷いのない渾身の一撃だったよ。……警察官の僕がこんなこと言っちゃ駄目なんだろうけど、殴ってくれて良かったと思う。縦内さんは本当に何も反省していないし、彼女には十分にそうする権利があったから」
星羅が行ったという私刑について、湯木はそう肯定する。
あのたおやかな腕からそれほど強力な攻撃がなされたという事実にエマは驚いたが、本当なら星羅はもっと過激な仕打ちをしたかったことだろう。何せ自分自身は殺されかけ、さらに庇ったエマが致命傷を負ったのだ。エマを導師として心から認め、自身は大率師として支えていこうと決意した矢先のそれである。そして縦内は一般人には秘された存在である裁きの星についての情報も周囲の警察官へ漏らしている。率師としても、その失態は見過ごすことはできない。しかも星羅に対して筋違いな怨恨を抱いていることが透けて見える相手が下手人となれば、容赦などできるはずはないのだ。それでも一発殴るだけに留め、なおかつ多少の減刑を認めたのは――縦内の筋違いな怨恨に対して、後悔することがあったのだろう。
星羅は自分が周囲に勘違いされていることに気付いていて、それをずっと放置していた。勘違いしている輩が多いということも理由の一つだが、結局は有象無象が勘違いしていようがどうでもよかったということだろう。そして、そうやって放置していたことが原因でいらぬ怨恨を招いてしまったのなら――今回縦内が発砲した件も、身から出た錆と考えることができる。だからこそ、わざわざ減刑を口にしたのだろう……少しだけだが。
「ステッラ側がどう考えているのかは分からないですけど、私も要望を出してみます。……適正な罰を与え、きちんと罪を償ってもらえるように」
「ありがとう……よろしくお願いするね」
エマとしても縦内が必要以上に重い罰を受けるのは望むところではない。だが狙った人物は違うとはいえ、結果として導師殺害未遂を行なってしまったのだ。エマは指輪の力で奇跡的に回復したが、それは結果論である。おそらく通常なら間違いなく極刑の罪状だろう。しかし率師が星羅に対する抹殺命令を出したのがそもそもの発端であるのだから、情状酌量の余地はある。エマと星羅の訴えがどれほど通るのかは分からないが、生きて罪を償う機会を得ることができることを願うしかない。
そうして会話が途切れ、もう別れの時間なのだと思うとエマは心細い気持ちになる。
湯木は、最初こそ見た目で不審に思ってしまったがエマにとても良くしてくれた。時に気持ちを察しフォローを入れ、時に厳しい現実をあえて突きつけることで発破をかけ、エマのことを信じてくれた。導師として公に出れば、こんな風に接してくれる大人と新しく出会うことはほとんどなくなってしまうだろう。この優しく面倒見のいい兄のような人とまた会いたくて、エマは思い付いたことを口に出す。
「話は変わりますけど、湯木さんは……これからも警視庁でお仕事頑張るんですよね?」
「そうだね、警察官を辞めるつもりはないよ」
「じゃあ良かったらなんですけど、上を目指しませんか?」
「……どういうこと?」
「私は導師になって頑張るって決めたんです。きっとこれから色々な国に訪れたり、その国の人々と関わることになります。現地の警察の人にも勿論、警護とかでお世話になります。そうやってよく関わるなら、やっぱり信頼できる人にお願いしたいって思うんです。直接護衛になってもらえるのも嬉しいですけど、そうでなくても湯木さんが大丈夫だって選んだ人ならきっと安心できるから……だから、そういう采配をできる立場に湯木さんがなってくれれば心強いなって。でもそれって多分役職がもっと上がらないと無理ですよね? だから湯木さんが一杯昇進してくれればいいなーって……駄目ですか?」
エマの素直な気持ちのおねだりに湯木はぽかんと口を開けて驚くと、数瞬おいてから顔をくしゃくしゃにして晴れやかに笑った。
「……ははっ、すごい口説き文句! うん、分かった。示ノ原さんのご要望に応えれるように僕も頑張るよ。ちょうど警部補の昇進試験の途中だから、まずはそこからだね。これでも僕、結構できる方だから……あんまり待たせないようにしてみせるよ」
「ありがとうございます! 約束ですよ!」
「うん、約束……導師様に直々にお願いされたなんて、他の人に知られたら嫉妬で闇討ちされるかも。だから秘密だよ?」
そう言ってパチリとウインクをする湯木は、やっぱりどこから見ても警察官には思えない。でもエマにとっては、世界で一番信頼できる素敵な警察官だった。
その後、約束通り順調に昇進を重ねた湯木はその優秀さから歴代最年少の警視総監に就任する。就任時には導師エマからの祝電があり、警視庁内では大騒ぎになったという。公私共に連絡を取り合う仲だったことが警視庁内全体にバレたことで、開き直った湯木はそれから導師エマとの仲の良さを隠すことがなくなり、優秀な部下たちに嫉妬から時々小さな嫌がらせをされるのだが――それはまた別のお話。
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