其の二
十八年の時が流れ、赤ん坊は可愛らしい女性へと成長した。未だ女性と称するには幼げなところも見受けられるが、それもきっと魅力の一つだろう。そんなエマを命の危険から守り、導師にするためにレオナルドは特命を受けて来日した。
ミヤコの儀式によって得た情報から完璧な計画が立てられていたにも関わらず、トラブルが多数起こる事態にレオナルドや日本星賓館の人間たちは焦りが隠せない。ミヤコは今の今までその力に翳りを見せることはなかったのだ。いつかはそんな日が訪れてしまうと考えられていたが、それが今日とはなんという皮肉だろう。
レオナルド自身も車に乗っているところを銃撃され、手負いの状態でエマの元に向かうために人気のない細い路地を単身で進んでいたところを一般人の女性と遭遇し、その直後に自分を狙っていたのであろう一人の手練れと交戦。辛勝したが、血を失いすぎたことで立つこともできないほどになってしまった。
朦朧とした意識の中で、レオナルドはただエマのことを思う。
(このまま死ねば、エマ様に指輪をお渡しすることができない。せめて、それまでの間だけでいい。命を繋ぎ、エマ様を御守りしなければ――エマ様の導守としてあれずとも、少しでも、エマ様のお役に立たなければ)
そう思い、死にそうな自分に話しかける女性に藁にもすがる気持ちで導きの指輪を手渡せば、奇跡が起こった。指輪をはめたその女性は、導師となる資格を持つ指輪の適応者だったのだ。それによって右手の親指にある超越の指輪の力が発動し、信じられない激痛が体を貫き息も上手くできずに噎せ返る。少しして痛みが落ち着けば、今度は急激な眠気を感じ――ぼんやりとしか見えない命の恩人である女性になんとか後で指輪を取りに行くことを伝え、レオナルドの意識はふつりと途切れた。
「ここは……病院か」
静かな病院の個室でレオナルドが目を覚ました時、すでに体の傷は全て癒えていた。部屋は真っ暗で、すでに夜中の時間なのは間違いない。
エマが無事かどうかについて一瞬意識を巡らせたが、こうしてレオナルドが病院にいることと、近くに日本星賓館側の人間が控えていないことからその点については問題がないのだろうと判断した。もしものことが起こっていれば、すぐに状況を知らせるための人材を準備しておくのが普通なのだ。
そこまで理解してからレオナルドは今までにない力が漲る感覚に、ウィリアムが言っていたことを思い出す。
(「超越の指輪の力が発動すれば、自分の体が別物になったことを理解するだろう。そして今まで不可能であったことをできると感じるようになる。その感覚は正しい。今までの常識に囚われずに体を使いこなすといい」……でしたねウィリアム様。短い間に使いこなせるまで至れるかは分かりませんが、精一杯励みます)
レオナルドは病室内を物色し、テーブルの上に置かれた紙袋の中に血塗れの自分が着ていたであろう衣類と貴重品が纏められているのを見つけた。病衣よりもましだろうとそちらに着替え、靴もスリッパではなく床に置かれていた自分の革靴を履く。乾いた血によりパリパリと服が擦れるのが不快だが、そんなことに構っている時間はない。割れたエマの母親のスマホに自分のスマホ、腕時計、財布、そして大切なロケットペンダントを持ち、扉の外にいるであろう護衛に声をかけずに窓を開ける。
暖かくなってきた春の夜の空気を吸い込んでから、レオナルドは五階の窓から一気に飛び降りた。近くの建物に飛び移りながら、超越の指輪の力によって感じる導きの指輪を持つ人物の元へと夜の街をかける。時に建物の上やビルの壁を走り、道路や電車を飛び越え、人の目につかないように暗闇に紛れ疾走する。レオナルドの髪と肌の色と服装も相まって、おそらくその姿をきちんと視認できた人間はいなかっただろう。
導きの指輪の気配を辿り着いたのは、一等地と呼べるような場所にある広大な敷地の洋館だ。この建物についての情報を、レオナルドは偶然にも持ち合わせていた。この一ヶ月間、何度もその動向を調べていた相手の所有する重要拠点である。
(これは、セイラ様の拠点⁉︎ あの女性が指輪を所持していることを気取られたか!)
自分の体が無事な今、女性が今も指輪をはめたままの状態なのは間違いない。ただし状況は最悪だといえるだろう。エマを殺し、自分自身が導師になろうとしている星羅にとってレオナルドは間違いなく邪魔な存在だ。指輪を持つ女性を早く連れ出さなければ、レオナルドがエマに指輪を渡すことが不可能になってしまう。
しかも敷地の周りは警察車両が取り囲み、重装備を身につけた警官たちが油断なく取り囲んでいた。そして洋館の外からでも、中で行われているのであろう銃撃戦の音が聞こえてくるではないか。おそらく日本星賓館の率師から日本の裁きの星へと指示が行き、日本警察と共闘体制を取ることが決まったのだろう。そしてついに星羅率いるステッラの裁きの星との交戦が始まったのだと考えられる。もしかすると指輪を持つ女性を奪還しようとしているのかもしれない。
(交戦中の正面から突入するのは愚策。一気に突入し、救出して素早く離脱するには――女性がいるのはあの窓の部屋か。確か報告書によると特殊な防弾ガラスが使用されているという……ならば警戒も薄い。窓本体を破るのが難しいなら、フレームごと吹っ飛ばし押し入るのみ!)
そう瞬時に判断し、レオナルドは洋館の屋根へと飛び移る。目当ての窓の上にある軒先を掴み、勢いよく体を回転させ軒下にある大きな窓の縁の部分を蹴破った。指輪の力による信じられないほどの剛力により、レオナルドは無事目当ての部屋へと突入することができたのである。
まさかその部屋にいた指輪を渡した女性がエマ本人であり、しかも命を狙っていたはずの星羅と和解しているとは思わなかったがそれはいい。星羅は敵に回すと恐ろしく厄介な人物だが、間違いなく有能で味方となるなら非常に心強い人材だ。エマとも同年代の同性、しかも血縁関係があるために心を許せる相手となることができるだろう。
最悪の事態が回避され、むしろ最上の結果が転がり込んできたこの状況には驚くしかないが、これもエマの持つ天運というものなのかもしれない。そうレオナルドの気が緩んでしまったのが良くなかったのだろうか――防ぐことができなかった一発の銃弾により、事態は急変する。
「縦内さんっ! あんたなんで、なんでこんなことしたんだっ!」
「何故魔女を庇ったんだっ⁉︎ この女は多くの人間を惑わし狂わせる毒婦なんだぞ! 親父も! 市川も! 裁きの星は魔女の抹殺を指示されたのに! 導師まで誑かしたのか⁉︎」
「示ノ原さんが敵ではないって! 誤解があったって言ってたじゃないか⁉︎ くそっ、こんな……! 示ノ原さんっ!」
銃を撃った警官が、近くの警官たちに取り押さえられながら喚いている。おそらく日本の裁きの星の構成員なのだろう。エマと星羅が和解した事情をまだ把握していない率師から、星羅に対しての暗殺命令が出されていたようだ。エマがここにいることといい、レオナルドが眠っている間に色々と状況が変わっていたのだろう。
そして、エマはおそらく星羅が殺されることを察して身を挺して庇ったのだ。いくらレオナルドでも、自分の守れる場所から自主的に飛び出されては咄嗟に守れない――いや、これは言い訳だろう。前導守であるウィリアムならば、そもそも自分の守れる範囲からエマが飛び出すことを許さなかった。この結果は、全てレオナルドの未熟さが招いた結果である。
力なく自分の脚の上に倒れたエマの体に空いた穴を震える両手で必死に押さえながら、涙を流し続ける星羅へとレオナルドは静かな声をかけた。
「セイラ様、手を離して欲しい」
「嫌ですっ! これ以上血を流せば、エマ様は、エマ様がっ!」
「出血を抑えたところでもう無駄だ。このままでは間もなく心臓が止まってしまう」
「あなたはエマ様を諦めろって言うのっ⁉︎」
「そうではない――そのままでは、治療ができない」
レオナルドの言葉にぱっと顔を上げた星羅が、信じられないものを見るようにレオナルドを見つめた。
「本当に、助かりますの……?」
「確率は低いがこれ以外に手立てはない。早くしなければ間に合わずに全てが終わる……さあ、手を」
レオナルドにそう言われ、星羅は悔しそうに唇を噛み締めながら血塗れの手を離した。星羅の手が離れて現れた血が溢れてくるその穴を確認したレオナルドは、迷わず自らの胸へと己の右手を突き刺す。
「ぐぅっ……!」
「あなたっ、何をっ⁉︎」
眼前にて行われたその狂気の沙汰に星羅は思わず声を上げたが、レオナルドの様子はこんな状況にも関わらず落ち着いている。そして痛みに顔を顰め大量の汗を滲ませてはいるが、何故かレオナルドは吐血もせず、そして貫かれているはずの胸元からも一滴も血は流れていないことに星羅は気が付いた。
レオナルドが己の胸へと突き立てた右手を引き抜くと、その指先には胡桃ほどの大きさの歪な赤銀の塊がつままれている。ぽっかりと空いたその胸の穴は、すぐにぼこりぼこりと肉が隆起し回復が始まりだしていた。
レオナルドは指先にある赤銀の塊をエマの傷口へと当て、迷わず中へと押し込んだ。
「エマ様……いただいたものをお返しします。どうか受け取ってください……私や、この世界には、エマ様が必要なのです」
傷口へと押し込まれた赤銀の塊は、どろりと溶け、ぼこぼこと体積を増やしながらエマの傷口を覆い隠す。すると力なくぐったりとしていたエマが体を曲げ、大きく咳き込むように咽せ出した。その拍子に口からは何度か血が吐き出されたため、とても無事とは思えないその有様に星羅が泣き叫びながらエマの体をさする。しばらく咽せ返っていたエマが落ち着きまた体から力が抜けた時、カラリと近くの床に何かが転がった音がした。
「これは、銃弾……?」
星羅が音がした方をチラリと見れば、そこには血が付いた銃弾が転がっているではないか。驚いた星羅がエマの背中の傷口を確認すると、穴が空いていた場所は綺麗に塞がっていた。
超越の指輪によって作り変えられたレオナルドの肉体、その一部を移植することによって行われた傷の修復と異物の排除……まさに奇跡のような治療法である。
「……こんなことができたなんて、わたくし知りませんでしたわ」
「私も知らなかったが、上手くいって何よりだ」
レオナルドのその言葉にぎょっとした星羅は、涙に濡れ呆然としていた顔を一瞬で般若のように変えて叫ぶ。
「あなた! できるかどうかも知らないで治療するとおっしゃっていたんですの⁉︎」
「知識としては知らなかったが、できる気がしたから試したのだ。ウィリアム様が以前、超越の指輪の効力が発揮された時のその感覚は正しいと、常識に囚われずに体を使いこなすようにとおっしゃっていた。何もしなければエマ様は死に、私も死ぬ。ならば試す価値はあるだろう」
「だからって……そういえば、あの赤銀の塊はなんですの? それにあなたの血が流れないのは?」
「あれは私の心臓の一部だ。おそらく指輪の影響であんな風に変質したのだろう。血は怪我を負っても流れないようになっている。回復までの時間を短くできるように工夫がなされているようだ」
もしもレオナルドが心臓以外の部位を移植したとしても、エマが回復することはなかっただろう。赤銀へと変質したその心臓は、レオナルドの体の中で間違いなく一番指輪の力が込もっていた特別な臓器である。その部位だからこそ、肉体から切り離してもその特異な能力を維持することができたのだ。
これはレオナルドも把握していない『献心』と呼ばれる秘された力であり、歴代の導守でも使ったことがある人間はほとんど存在しない。導守によって守られている導師が致命傷を負うこと自体が少ないというのもあるが、この力は導師と導守が輸血可能な血液型の組み合わせでないと発揮できないという隠された縛りが存在する。その条件をクリアしていなければ、導守は本能的にこの力を使うことを思い付きもしないのだ。
ステッラにおいても大昔に数回行われたこの力の行使に関しては詳細な条件も効果も分からないために大した情報は残っておらず、ただ奇跡が起こったという事実と導守が心臓を捧げたという情報を表すために端的に『献心』という言葉が記録されているのみである。
「ではつまり、あなたはあの時自分の心臓を千切っていたということですの⁉︎ よく確証もなくそんなことを……いえ、お待ちになって。エマ様のお体にあなたの心臓が取り込まれているなら、超越の指輪の効果が切れれば……」
「塞いだ傷が開き、数分もせずに死に至るだろう。あれは致命傷だ……名医でも難しいだろう。しかしエマ様が指輪を外さなければ問題はない」
「あなた、分かっていませんの? 超越の指輪の回復は強力ですが、あなたは不死身ではない……かなり方法が限られますが、殺すことはできなくもないのですわ。あなたが油断でうっかり死んでしまえばエマ様の命に関わります、今後は今以上に警戒を怠ってはいけなくてよ」
「……肝に命じよう」
そう言うと、レオナルドはエマを抱き上げ立ち上がる。そのまま窓の方へと向かうレオナルドに、星羅はもしやと声を張り上げた。
「ちょっと、お待ちになって! まさかあなた――」
「エマ様の失われた血を急いで補充する必要がある。私が運ぶのが一番早いだろう」
「そのままではエマ様の体が冷えてしまいますわ! ないよりましですからこれを!」
星羅はそう言いながら慌ててダイニングテーブルにかけられていたしっかりとした生地のテーブルクロスを強引に引っ張る。そうしたことによりその上に置かれたティーカップなどが薙ぎ倒され割れるのも構わず、レオナルドが抱えたエマをその布でしっかりと包んだ。
「ここからでしたらあなたがいらした警察病院が近いでしょう、場所はお分かりになって?」
「ああ、問題ない」
「わたくしから病院へと連絡を入れておきますわ。さあ、早くエマ様をお連れしてくださいな!」
「承知した!」
窓ガラスがあったはずの壁に空いた大きな穴に足をかけて、レオナルドは勢いよく跳躍する。超越の指輪の力を遺憾なく発揮したことにより、その姿は見る間に小さくなっていった。
この一連の流れを銃撃犯を取り押さえながら固唾を呑んで見守っていた警察官たちに向かい、星羅はまさに毒婦と呼ぶにふさわしい身を凍らせるような冷たい眼差しで捕らえる。
「さあて、あなた方にはこの不始末の後片付けをしていただきませんと……後とりあえず、そこの愚かな下手人は一発ぶん殴らなければいけませんわね。歯ぁ食い縛りやがれっ! ですわっ!」
銃撃犯を制圧する時に誰かが落とした警棒を拾い両手で握りしめ、星羅は未だ自分を憎しみに満ちた目で睨む男の頬を渾身の力で殴り付けた。
気に入ってくださった方は評価(下にある☆☆☆☆☆マークをクリックするとできます。最高評価は★★★★★です)やブックマークをしていただけますととても嬉しいです。




