第三話 ぼっちな僕は透ける手を取る
風が止むと同時にカーテンは元に戻り、映し出された女子生徒の姿も明るい昼間の日差しに眩んで見えなくなった。
あれは一体何だったんだ。確かに声も聞こえたし、目も合ったのだから気のせいではない。青春とは程遠いぼっちな日々を送り続けるあまり、僕の目は女子の幻覚を映していたのかもしれない。そうだとしたらあまりにも痛々しい……。
「…………ねぇ、聞こえてる?びっくりして固まっちゃったのかなぁ」
真っ白になった頭を無理矢理動かしてぐるぐると同じ事を考えていると、僕の斜め上から囁くような声が聞こえてきた。
声の方向を見上げると、うっすらと彼女が宙に浮いている姿が見えた。どうやら幻覚ではなかったらしい。肩より少し長い真っ直ぐな黒髪に、優しそうな顔立ち、うちの女子の制服と色違いの紺色のセーラー服には赤のタイが綺麗に結ばれている。大きくて少し茶色い目が心配そうにこちらを見つめていた。
「あ、あのー」
「え!もしかして、私の事見えてるの⁉︎」
「はい」
「良かったぁ。凄く落ち着いてる。この間来た子は私の事見えなかったんだよねぇ。その前は『出たぁー!!』だなんて叫んで逃げられちゃったし」
そりゃあ、幽霊を見たら殆どの人はそうなるだろう。僕もさっきは驚いたけれど、目の前でやけにハイテンションに話す彼女はホラー映画のおどろおどろしい幽霊達とは違って、身体が透けて宙に浮いている事以外は生きている人間と全く変わらないように思えた。不思議な事に、僕はこの人に対して初めから恐怖心を抱いていなかった事に気付く。
「この校舎の図書館に幽霊が出るのは噂で何となく耳にしていましたよ」
「やっぱり今も噂が流れてるんだね」
「はい。まぁ、僕は幽霊とか余り信じていなかったので。でも、いるんですね、幽霊」
「そう!いるんだよ、幽霊。私こそが、幽霊がいる事の生き証人!いや、幽霊だから……死に証人かな?」
「……フフッ。何だそれ」
謎の幽霊ジョークに不謹慎ながらも吹き出してしまった。彼女の方は心なしか「やってやったぜ」と言わんばかりの満足気な笑みを浮かべている。
「もしかして、そのジョーク自分で考えたんですか?」
そう聞くと、彼女の笑みが心なしか寂しそうな物に変わった様な気がした。
「ふふっ。そうだよ。君みたいな子が話し相手になってくれたら良いんだけどね。そんな機会自体滅多にないからいつも一人でこんな下らない事考えたり、ここの掃除したりして暇潰してるんだよね」
通りでここだけ妙に綺麗だったのか、と僕は納得する。噂が本当だとすると、彼女は旧校舎で亡くなり幽霊になったのだろう。廃校になったのは10年程前だから、少なくとも彼女は10年以上誰もいないこの図書室で独りぼっちでいた事になる。
明るく笑っている彼女からは寂しさや孤独を感じない。でも、そんな彼女の笑顔を見ていると何となく切ない様な、悲しい様な胸がきゅっと締め付けられる感じがして、気付けば僕はこう言っていた。
「あの、僕で良かったら、話し相手になりましょうか?」
「えっ?」
目を見開いて驚く彼女。
「あ、いや、その……。何だか、寂しそうだなって思えて。実は、僕も独りぼっちだから幽霊さんの気持ち、ほんの少しだけ分かるなぁって。あなたと比べたら、僕の孤独なんて、本当に生ぬるい物なんですけど……」
いや、僕は初対面の人に向かって一体何を言ってるんだ⁈同じぼっちだからって、勝手に親近感を抱いて「話し相手」だって?
僕は彼女の顔を見られず俯いてしまう。
ああ、これだから普段人と話さないぼっちは……。僕は心底自分が嫌になった。きっと、彼女にも引かれてしまっただろうな。
意を決して顔を上げ、目の前の彼女を見た僕は驚いた。
彼女はさっきと同じ様に驚いた表情のまま固まっていた。僕が驚いたのは、さっきは幽霊らしく真っ白だった彼女の頬が桜色に染まっていたからだ。
幽霊も照れたらこんな風になるのか。僕は自分の中の幽霊のイメージがどんどん変わっていっている様に感じた。今の彼女をスケッチしたとして、「幽霊」というタイトルを付ける人間はいないだろうな。そんな事を考えていると、彼女が口を開いた。
「あ、ボーッとしちゃってごめんね!さっきね、久しぶりに私の事が見える子が来てくれて、しかも落ち着いて話をしてくれたから今日はとっても嬉しい日だなって思ってたんだ。また明日から独りになっちゃったとしても今日の嬉しかった思い出だけで楽しく過ごせるなぁって。そうしたら、君が話し相手になってくれるって言ってくれて……。何だか嬉しい事が一気に起こりすぎてなんて言ったら良いのか分からなくなっちゃった」
彼女は両手で桜色の頬を覆う。
「明日からも、ここへ来ていいですか?」
「あのね、一つだけ約束してくれる?」
「僕に出来る事なら」
真剣な彼女の様子に僕は一瞬身構えたものの、彼女の言葉を聞いて拍子抜けした。
「敬語じゃなくて、タメ口で話したいな。私ね、幽霊になってから年取らなくなっちゃったんだよね。確かに、今は私の方が年上だけどあと何年かしたら君の方が年上になるからさ。それなら今からタメ口で話しても一緒でしょ?」
「フフッ……。アハハハハ!」
「あー!笑ったなぁ?だって、こんな事聞くの何年振り?って感じなんだもん。凄く緊張したのに笑う事無いでしょ。」
頬を少し膨らませて拗ねる彼女。
「ごめんごめん。だって凄く真剣な感じで聞かれたから何の約束だろうって身構えてたら、タメ口って……。あ、今、自然とタメ口になってた」
そこから、僕たちはどちらからとも言わず微笑み合った。
「じゃあ、気を取り直して……。明日からも、ここに来ていい?」
僕は彼女に右手を差し出す。彼女は差し出された手に一瞬戸惑っていたけれど、僕が微笑むと安心した様子で透ける右手を僕の手と握手する様に重ねる。
「勿論。いつ来てもいいし、ずーっといてもいいんだよ」
彼女と握手している手は目に見えてはいるものの、触れる事は出来なかった。それにも関わらず握手した後の手が温かくなったのは何故だろう。
そんな疑問を抱きながら、僕は6限目に間に合わせる為に彼女に見送られながら急いで旧校舎を後にした。