第二十七話 ぼっちな僕と真夜中の旧校舎③
恐る恐る隙間から覗き見た光景に、僕は思わず声を上げそうになった。
すぐ近くに誰かがいる!
慌てて口を押さえ、冷静に状況を観察すると、図書室の少し手前に、座り込んでいる男子生徒が1人と、彼を見下ろす様にふわふわと宙に浮かんでいる真昼がいた。
真昼と一緒に浮かんでいる掃除用具と床に落ちている明かりがついたままの懐中電灯から察するに、真昼が掃除用具を浮かばせて驚かせた時点で生徒達は大慌てで逃げ出していったのだろう。恐らく、懐中電灯はその際の落とし物に違いない。
観察する中で、気付いた事がもう一つあった。逃げ遅れ、仲間にも置いていかれてしまった可哀想な彼についてだ。僕はてっきり、彼は掃除用具が浮かんで迫ってきた恐怖に腰が抜け、その場にへたり込んでしまったのかと思った。でも、どうやらその予想は違っていた様だ。
彼の視線が、宙に浮かぶ真昼を捉えていた様に見えたのだ。
いや、視線という言葉は正確に言えば間違っている。この暗い旧校舎では、彼の身体の輪郭を捉える事はできてもその目線や表情までは読み取れなかったからだ。頼みの綱の懐中電灯も彼のいる方向を逸れ、廊下の奥の方をぼんやりと照らし出すばかりだった。
真昼、男子生徒、そして僕。3人共が一言たりとも発さず、一瞬とも永遠とも感じられる静かな時間が流れた。彼に聞こえない様に呼吸音を抑えていると、心臓の鼓動がドク、ドク、と嫌にうるさく聞こえる。
真昼の姿が見えるばかりか、逃げ出す事も、叫ぶ事もせずに彼女をじっと見つめる謎の男子生徒。
彼は、一体誰なんだ?
この引き戸を開けて一歩踏み出せば彼の顔を十分に見る事ができる距離だ。かといって、下手に僕が出て行っても状況がややこしくなるのは明白。
あと一歩……。あと一歩なのに。もどかしい状況に、ジリジリとした苛立ちを感じ始めたその時。
カシャン、カシャンという軽い音が聞こえてきたかと思えば、ほうきにモップ、バケツ等それまで宙に浮かんでいた掃除用具達が綺麗に壁際に立て掛けられた。
掃除用具を置いて、一体どうするのだろう?僕が固唾を呑んで見守っていると、真昼は口を開いた。
「君は……」
短い言葉だったけれど、その声は確かに震えていた。そして、彼女はやけに重々しい仕草で傍らに転がった懐中電灯を男子生徒の方に向けると、懐中電灯がまるでスポットライトの様に彼の姿を照らしだす。
「嘘だろ……」
思わず、僕は隠れている事も忘れて小さな声でそう呟いていた。
ゆ、祐介?
そう。眩しさに目をつむってはいるが、目の前の人物は紛れもなく、僕の旧友である風島祐介その人だった。
どうして祐介がこんな所にいるのだろうか……。まさか、僕がここに来ていたのがバレたんじゃないか?いくつもの疑問が浮かび、グルグルと頭から離れない。一体、どうすれば……。そう考えていた時、ようやく光に慣れた様子の祐介が口を開いた。
「あの、もしかして……。前に俺のクラスに来てませんでした?」
何だか祐介が敬語で話してると違和感が……って、いや、違う!何であいつは真昼と普通に話せてるんだ⁈さっきから驚きの連続で開いた口が中々塞がらない。
「うん、前に一度行った事があるよ。君は風島祐介くん……だよね?幽霊が、見えるの?」
戸惑いを隠しきれない様子の真昼に対して、祐介は平然としている。
「はい。うちの母方の家系は霊感が強いらしくて……。でも、俺は母さんや婆ちゃんと比べれば全然大した事ないんです。霊が多い場所に行くとたまにぼんやりと人影が見えるくらいで」
それは大した事ないとは言えない気がするんだけど……。ドン引きする僕をよそに、祐介は話を続ける。
「だから、あの日教室に入ってきたあなたを見た時、びっくりしたんです。あまりにも姿がはっきり見えていたから。宙を飛んでなかったら、幽霊だと分からないくらいで」
「え!それじゃあ、あの日もずっと気付いてたって事⁈」
「はい……。婆ちゃんから幽霊がいても見えないふりをしろと言われていて。明らかに僕だけを見ていたので内心ヒヤヒヤでした」
「全く見えていないとばかり……。知ってたらあんなに近寄らなかったのに。驚かせちゃって、本当にごめんね」
それにしても、真昼が3組の教室までやってきた日、僕は何故気付かなかったのだろうか。机の位置は通路を挟んで僕の斜め後ろが祐介だから、前を向いていたとしたら視界に彼女の姿は入らない。それか、塾の宿題に集中するあまり周りが全く見えなくなっていたか……。
「あ、いや、最初は驚きましたけど……。何だか、『この人は僕がこれまで見てきた幽霊とは違う』って思ったんです。言葉に出来ないけど……僕達、生きている人間とあんまり変わらないっていうか。だから、怖くはなかったんです」
『生きている人間みたい』か。僕も真昼に初めて会った時、同じ事を思ったっけ。正直な祐介の事だ。この言葉も嘘偽りのない心からの物だろう。
「ありがとう。やっぱり、君はいい子だね」
真昼は祐介にお礼を言うと、唐突に図書室の方を振り返り、悪戯っ子の様な笑顔でこう言った。
「私との約束を破る、そこの困った子にも見習って欲しいな」
ギクリと背筋が固まった。……もしかして、真昼は最初から気付いてたのか?そう思うとコソコソと覗き見ていた自分が急に恥ずかしくなってきた。
「そこ……?もしかして、誰かいるのか?」
祐介は真昼の言葉に戸惑いを隠しきれない様子でこちらを見つめている。
……そうだ。元々、夏休みが明けたら祐介を旧校舎に誘ってみるつもりだったんだ。ちょっとその予定が早まっただけじゃないか。ドクドクとうるさく脈打つ鼓動を落ち着かせるように、僕は自分に言い聞かせ、目をギュッとつむって引き戸に手をかける。
ガラッ!
勢いよく扉を開けると、真昼と祐介のいる世界とこちらの世界が繋がったような、そんな感覚を覚えた。
さて、第一声は何を言うべきか……。
「ゆ、ゆうす「うわぁぁぁぁああああ!」
意を決して瞼を開けた僕の視界に入ってきたのは、悲鳴を上げその場にへたりと座り込む友人の姿だった……。




