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ガリ勉ぼっちと真昼の幽霊  作者: 黄色い鳥
夏休み編(2年生8月)
27/30

第二十五話 ぼっちな僕と真夜中の旧校舎①

 8月10日。クーラーのよく効いた塾の自習室。時刻は午後9時50分。今現在自習室に残っているのは僕1人だけだった。夏期講習が終わったのが午後8時半だからそれから1時間半はこの部屋にいる事になる。


 あ、今、『流石、優等生』なんて思った人。残念ながら、僕は勉強するためにここにいる訳じゃない。まぁ、面倒な塾の宿題はすぐに終わらせたのだけれど、今は「勉強している」風に見せる為に机にテキストを広げているだけだ。


 僕の目線の先には静かに針を進める腕時計。長い針が12を指し、静まり返った部屋に掛け時計のオルゴールの音だけが鳴り響く。


 ……そろそろいい頃合いかな。


 荷物を持って部屋を出ると、前方の廊下から誰かがやって来るのが見えた。……あれは、数学担当の福山先生だ。


 「あれ?誰かと思ったら井上じゃないか。勉強(はかど)ったか?」

 「えぇ、まぁ……」

 「気を付けて帰れよ〜」

 先生に曖昧な笑みを返すと、僕は自転車置き場まで急いで向かった。



 塾のある駅前の通りは、居酒屋や飲食店が立ち並んでいて栄えているが、少し離れると一気に人通りが少なくなる。こんなに遅い時間ともなれば尚更だ。昼間通った時とは全く違う印象の道を進みながら、僕はこの間の出来事を思い出していた。


 僕は毎日、夏期講習が始まる前の朝早い時間に真昼に会いに行っていた。勉強ばかりのつまらない毎日を少しでも楽しくしたいというのもあったけれど……。1番の理由は、夏休みが始まるのを恐れていた真昼が心配だったからだ。


 それで、僕は少しでも長く真昼と居られる様に夏期講習が終わってからも旧校舎に来る事を彼女に提案した。きっと真昼は喜んでくれるはずだと思っていたのに……。彼女はためらいがちに少し目を伏せた後、こう言った。


 「ねえ、彰。こうやって毎日ここへ来てくれるのはすっごく嬉しいよ。……でも、夜遅くに来るのはやっぱりやめた方がいいと思うな」

 「……どうして。僕、子ども扱いされてる?」

 「ううん。もし、彰が大人だったとしても同じ事言うよ。大事な人に何かあったら嫌だもん。それに、私は、今のままで充分。毎日彰と話せるんだから」


 「ね?」と言いながら、真昼は拗ねる僕をなだめるように優しく微笑み掛けた。けれど、僕はその時の彼女の瞳が悲しげに揺れている事に気付いた。


 昨日は夏期講習が終わった後、散々迷った挙句彼女の言う通りに真っ直ぐ家に帰った。でも、シャワーに入っている時や寝る前、そして今日の夏期講習中もずっと彼女の悲しげな表情が目に焼き付いて消えないのだ。


 これが僕の頭の中だけならまだ良い。けれど、彼女の顔が脳裏に浮かぶ度、旧校舎にひとりでいる彼女もあの時の様に悲しい顔をしているんじゃないか。どうもそう思えてならないのだった。



 そんな事を考えているうちに、学校近くの交差点まで来ていた。ここを真っ直ぐに進めば学校。右に曲がれば、僕の家に着く。真夜中の旧校舎へと向かうか、昨日と同じ様に家に帰るか。ここが正に、分かれ道と言う訳だ。


 頭の中に、真昼の言葉がよぎる。

 「夜遅くに来るのはやめた方がいいと思うな」

 僕を心の底から心配しての言葉だった。これからしようとしているのは、そんな彼女との約束を破る事なんだ。胸の奥がズキズキと痛む様な気がした。


 

 しかし、僕はその痛みを押してペダルを踏み、自転車を真っ直ぐに進めた。知らず知らずのうちにハンドルを握る手に力が入る。


 空を見上げれば、家々の隙間から大きな月が覗いていた。昼間の喧騒から想像もつかない程静まり返った真夜中の住宅街には僕の自転車の車輪のカラカラ、という音だけが鳴り響いている。


 本当に、今まで見た中で一番綺麗で大きな月だった。それこそ、圧倒されてしまって少し怖いくらいに。



 何だか妙な胸騒ぎがした。


 単に綺麗な月を見て、少し興奮していただけかもしれない。それならまだいい。その時、僕の脳裏にまたあの時の悲しげに笑う真昼が浮かんだのだ。


 僕は立ち漕ぎの姿勢になると、前傾姿勢でペダルを漕ぐペースを速めた。


 ハァ、ハァ……。


 静かな住宅街に僕の荒い呼吸と車輪の音だけが響いている。もやしっ子の僕には中々にきつい運動に加えて、8月の蒸し暑い気候が体力をどんどん奪い、みるみるうちに汗が吹き出し、額や頬を伝って流れ落ちていく。


 真昼。ねぇ、どうか無事でいて。いつもみたいに図書室に浮かんでいてよ。汗だくで着いた僕を見て、「どうしたの」って驚いて、「夜に来たら危ないでしょ」ってちょっと眉をしかめて叱って。……それから、とんだ早とちりをした僕の話を聞いて馬鹿だなあって笑ってよ。

 

 

 一心不乱に自転車を漕ぐ僕を月の白い光が舞台の照明の様に照らす。


 まさか、あんな事になるなんて。今の僕はまだこの舞台の展開を知る由もないのだった。

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