第二十三話 ぼっちな僕と生ぬるい風
7月14日。7月も半ばという所で、梅雨でずっと隠れていた太陽が「やっと仕事が回ってきた」とばかりに張り切って照りつける物だから気温は毎日30度越え。
それにしても、今朝の目覚めは最悪だった。暑さのあまりアラームが鳴る前に目が覚めてしまったのだ。
「うわ……。身体ベタベタ……」
寝汗でじっとりとベタつき、パジャマが肌に張り付いて気持ち悪い。僕は顔をしかめる。
まぁでも、アラームより30分も早く起きられたのは良かったかもしれない。僕はシャワーを浴び、寝汗を流してからリビングへと向かった。
リビングにはいつもの事ながら誰もいない。シン、と静まり返った部屋を見渡すとダイニングテーブルの上に何か紙が置いてあるのが目についた。
「あぁ、やっと見てくれたのか」
なんて独り言を呟いて、2枚の紙を手に取る。1枚はこの間返ってきた期末テストの順位表。僕がリビングに置いておいた物だ。そして、もう1枚は母さんからの手紙。小さなメモ用紙には急いで書いたであろう走り書きで『彰へ 順位表見せてもらいました。1位おめでとう。あなたには期待しています。秀西を目指してこれからも頑張って下さい』と書かれている。
「はぁ……」
知らず知らずのうちに、僕はため息を吐いていた。いつもと殆ど変わらないメッセージ。これなら、毎回同じ紙を使っても気付かないんじゃないか?少しも喜びを感じない『おめでとう』。そして、最後はいつも一言一句同じ言葉で締められている。
ああ、ちなみに「秀西」とは県内で一二を争う進学校、「秀西高校」の事だ。難関大の合格者も多く輩出されるこの高校を、地元の人達は「エリートへの道」と呼んで親戚に合格者が出ると泣いて喜ぶらしい。
……そして、うちの母さんもその「秀西信者」の1人だ。
僕自身は、「秀西に行きたい」だなんて一度も言った事はない。でも、母さんの中では既に僕が秀西を目指しているという事になっているらしい。
「僕は……」
そう呟いて、時計を見ると家を出なければならない時間が迫っていた。しまった。30分早く起きた意味がないじゃないか!
僕は急いでテーブルの上から適当な菓子パンを手に取り、家を後にした。
「はぁ……はぁ……。ま、間に合った……」
パンを咥えながら必死に自転車をこいで何とか学校まで辿り着く。早朝にも関わらずジリジリと肌を突き刺す様な強い日差しのせいで、シャツは汗でびしょ濡れになっていた。……折角早起きしてシャワーを浴びたのに、これでは台無しだ。
シャツの背中に汗が滴る不快感に顔をしかめながら階段を登り、2年3組の教室に入ろうとしたその時。
「うわっ!」
タッタッタッ、とこちらへ駆けてくる足音が聞こえてきたかと思うと、男子が2人教室から僕がいる方の入り口へ飛び出してきた。
間一髪の所で避け、一体誰だろうと顔を見ると、校外学習の班で一緒だった坂上くんと早崎くんだった。2人は僕の事など視界に入っていないという様子で笑いながら廊下を走っていく。
「はぁ……。せめて一言くらい謝ってくれたっていいじゃないか」
などとブツブツ文句を言いながら教室に入ると、中央付近の席に座っている男子の後ろ姿が目に入った。
「あれ?祐介じゃないか」
祐介も僕の視線に気付いた様でこちらを振り向いた。
「おはよう。彰」
「おはよう。……何か、いつもより元気ないな。もしかして、体調悪いのか?」
祐介はいつも元気で、話し方も文章に書き起こせば常にびっくりマーク(正式にはエクスクラメーションマークと言うらしい)がついた様な感じだ。しかし、今日の祐介は話し方も表情も、まるでしおれたひまわりの様に元気がない。
「そんな事ないよ。元気だし」
「そっか……。ならいいんだけど。ああ、そう言えばさっき教室に入ってくる時に井上くん達が急に飛び出してきてさぁ。ぶつかりそうになったよ。また祐介から言っといてくれないかな。あんな事してたら絶対誰かに怪我させるぞって」
人望の厚い祐介から言ってもらった方が効果があるだろう。何気なくそんな風に考えて出た言葉だった。しかし、祐介からの返答は思いもよらない物だった。
「……ごめん。多分、それはできない」
「へっ?」
予想外の答えに、僕の口からは間の抜けた声が漏れる。「できない」って、一体どういう事だろう?
理由を聞こうとしたその瞬間、朝のHRの始まりを告げるチャイムが鳴り、それとほぼ同時に東先生がやって来た。
「ほらほら、早く座れ〜!朝のHR始めるぞ!」
毎日の事ながら、先生のテンションの高さは朝には堪える。まるで朝ご飯にミックスフライ定食とカツカレーを同時に食べさせられている様な気分だ。
祐介の言葉に後ろ髪を引かれつつも、僕は彼の席を後にした。
「なぁ、彰。俺、間違ってないよな……」
祐介の呟きはクラスの喧騒に紛れ、消えていった。
「起立、礼」
「「ありがとうございました」」
1限目の授業が終わる。次は……音楽か。音楽室に移動しないとな。リコーダーを教室後ろの棚に取りに行こうと席を立つと、女子達の話し声が聞こえてくる。
「ねぇ、『あれ』って本当なの?」
「本当だよ。だってあたし、祐介くんと健二くんが話す所見てたもん」
祐介と、……坂上くん?彼女達の言う『あれ』が祐介が元気の無かった理由に関わってくるに違いない。僕は用意をするふりをしながらも、話をどうにかして聞こうと耳をすませた。
もし、他の男子だったら話を聞かれるのを警戒して彼女達も話すのをやめてしまった事だろう。しかし、幸か不幸かぼっちの僕を警戒する人物はいないのだ。まぁ実際、噂を聞いても広げる人もいないのだけれど。
「それで、何で2人は喧嘩してたの?同じサッカー部で、入学してからずっと仲良かったじゃない」
「それがね。喧嘩っていうよりは、なんて言うか……。祐介くんが一方的に怒ってる感じだったの。『やっぱり、俺の友達を傷つけて、嘘までついてた奴を許せないよ』って言ってた」
「そっか……。校外学習の時はびっくりしちゃったけど、あの祐介くんが怒るくらいだもん。それなりの理由があったんだよね」
彼女達はそれからも話し続けていたけれど、頭が一杯になって僕の耳には何も聞こえて来なかった。教科書類を持ってフラフラとした足取りで廊下へ出る。
目に映る全てがなんだか暗く、まるで歩いている自分をもう1人の自分が宙に浮いて見ている様な、そんな感じがした。
『祐介が1人になったのは、僕のせいだ』
『何で僕なんかを庇ったんだ?』
『祐介が僕みたいに孤立してしまったらどうしよう?』
色々な考えが頭の中で浮かんでは消えていく。
不意に廊下の窓から生ぬるい風が吹いてきて僕の頬を撫でる。校内の湿った嫌な空気は、僕の心を表しているかの様だった。




