第十七話 ぼっちな僕は暖かい夢を見る
ピピピピ、ピピピピ、と無機質な電子音が鳴り響き、1日の始まりを告げる。
いつもなら、アラームが3回鳴った所で目を覚まして止めるのだけれど、今日は目覚めが悪くアラームはしばらく鳴りっぱなしになっていた。
やっとの所で手を伸ばし、アラームを止めてベッドから起き上がる。すると、何だかゾクゾクとした寒気を感じた。今は6月。雨が続く季節ではあるが、梅雨が明ければすぐに夏がやってくるのだ。こんなに寒いはずがない。
嫌な予感がして、僕はある事を確かめる為にゆっくりと階段を降りていった。
ピピピピ、ピピピピ
再び電子音が鳴った。こんな事をしても結果は同じだと分かってはいるが、僕はそれをそっと取り出す。
37.7℃
体温計の小さな液晶をしばらくボーッと眺め続ける。やっぱり、あの雨が原因か……。昨日、ファストフード店で傘を盗まれてしまった後、ビショビショになりながらもなんとか塾へたどり着いて授業を受けたが、濡れた服が肌に張り付き、寒さから鳥肌が治らなかった。
これはまずいと思い、帰ってからすぐに熱いお風呂に入って寝たものの、僕の身体は僕が思っていた以上に悲鳴を上げていたらしい。こうして体温を計って、熱がある事を知ってしまうと、さっきよりも体調が悪い様な気がしてきた。
まずは、何をすれば良いんだろう……。熱っぽくて上手く働かない頭で必死に考え、僕はスマホを手に取ると、学校へと電話をかける。
『はい。須田川中学校です』
数回の呼び出し音の後、女性の声が聞こえてくる。……事務員さんだろうか。
「2年3組の、井上彰です。今朝、体温を計ったら38℃近くあって……。体調が悪いので今日は休みます」
僕がそう伝えると、メモをとっているのか暫く間が空いた後でまた女性の声がした。
『……井上くん、お家に保護者の方はいらっしゃらないの?』
この人は僕がズル休みをしているとでも思っているのだろうか。もし、休みの連絡をするのが保護者でなければならないのなら、僕の様な子どもは休む事もできない。熱のせいかいつもよりも頭に血が昇ってイライラしたが、それを悟られない様に僕は精一杯の冷静を装ってこう言った。
「はい。母は朝早く仕事に出て、夜遅くにしか帰ってきません。保護者からの連絡が必要なら、僕の名簿から母の職場へ連絡してみてはいかがですか?……とにかく、熱がありますので今日は休みます。それでは、失礼します」
女性が何か言う前に、スマホ画面の赤いボタンを素早く押して通話を切る。何だか力が抜けて、リビングに立っていた僕はダイニングテーブルの椅子へとへたり込んでしまった。
さっき電話で言った通り、この家に僕を看病してくれる人はいない。自分の力で全てなんとかしなければならないのだ。とりあえず、悪化する前に薬を飲もう……。僕は戸棚を開け、薬を探し始めた。
ハァ……ハァ……。
静かな部屋に荒い呼吸の音だけが響き渡る。あの後何とか風邪薬を見つけて飲んだ僕は再び自分の部屋に戻ってベッドに横たわっていた。
それにしても暇だ。さっき起きたばかりだから寝ようと思っても寝られないし、かといって本を読もうとしても頭がボーっとして内容が入ってこない。
少し上体を起こし、改めて室内を見回してみると、シンプルな勉強机とベッド、クローゼットの他には本棚しかないこの部屋は自分でもかなり殺風景に感じた。平日は塾から帰ったら宿題をして寝るだけだし、休日も本屋や映画館へ外出する事が多い僕はこれまでに自分の部屋で趣味を楽しむと言う事が殆どなかった。
クラスメイト達の話を盗み聞きしていると、どうやら彼らの部屋はゲームや漫画、パソコンやプラモデルなどの自分の好きな物で溢れかえっているらしい。対して、僕の趣味の物と言えばこの本棚に収まる量の本だけ。量が趣味への熱量を表す訳ではないのだけれど、「僕も彼らの様に趣味の物を沢山持っていれば、こんな時に何か暇つぶしが出来るかも」なんて考えてしまう。
僕にも出来そうな趣味って何だろう?忙しくても出来て、上達が目に見えて分かって、楽しい物……。あっ、料理はどうだろう。夕飯はファストフードばかりだから、美味しい料理ができたら最高だ。
そんな風に、料理の事を考えていると何だかお腹が痛くなってきた。どうしてだろう。朝から何も食べていないのに。そこまで考えて、僕はハッと気付く。そうか、何も食べていない空きっ腹に薬を飲んだから胃が痛むのか……。
キリキリと胃が痛むのに耐えながら、僕は横向きに脚を抱え込む様な形で寝転ぶ。空きっ腹に薬はダメだって、完全に忘れていた。もやしっ子の僕だけれど、身体は割と丈夫で風邪で寝込むのもここ数年は無かったのだ。
前に、風邪引いた時はどうしてたっけ?……確か母さんが仕事休んでくれて、優しい味のお粥とすり下ろしたリンゴを食べてたよな。あの味、懐かしいな。母さんも、兄さんも、優しくて、甘え、て……。
薬が効いたのか少し楽になり、僕の意識は次第に眠りの淵へと落ちていった。
カチャッ。
何かの物音がきっかけで目が覚める。枕元の時計を確認すれば、時刻は午後0時30分。結構長い時間眠っていた様だ。身体の具合も少し良くなっていたので、僕は上半身を枕にもたれかける様にして起き上がる。
すると、視界の端に見慣れない物が入ってきた。一体何だろう?
立ち上がってよく見てみると、それは黒い木製のお盆に載った料理だった。スープを入れる取手の付いた器に入ったお粥。その横には、小鉢に入った薄黄色の何か。もしかして……。
右の頬をつねってみると、ジーンと確かな痛みがあった。やっぱり、夢じゃない。
夢の中でも、僕は全く同じ物を食べていた。そう、目の前にあるのと同じお粥とすり下ろしたリンゴ。食器まで全く同じだったから、てっきりまだ夢を見ているのかと思って、あんな古典的な確かめ方をした。
でも、夢は覚めずに今の僕は確かに現実にいる。不思議な事もある物だと、再びお粥を見てみると、まだ微かに湯気が立っていて器を触るとほんのりと温かかった。
さっきは「夢の中に出てきた物と全く同じ」と思っていたけれど、実際に食べてみるとこのお粥は僕が昔食べていた物とは少し違う事が分かった。夢で見たお粥はトロトロで優しい味だったのに対して、こっちのお粥は少しおこげがあって味も少し濃い目。
きっと、これを作った人は料理に慣れていないながらも一生懸命に僕の事を考えてくれたのだろうという事がお粥の味から伝わってきて、思わずクスリと笑みが浮かんだ。
食後。食器を片付けて、薬を飲み終えた僕は再び2階へと上がってきていた。階段のすぐ近くにある自分の部屋の前を通り過ぎ、向かった先は1番奥の部屋。僕がずっと避け続けていた部屋でもある。耳を澄ませると、ドア越しにも微かにゲームの賑やかな音が聴こえてきた。
扉を3回ノックする。しばらく待つが、何の返事もない。もう自分の部屋へ戻ってしまおうか。そう思ったその時、今までずっと流れていたゲームの音が聞こえなくなっている事に気付いた。
僕は意を決して口を開いた。
「あのさ……。お粥とリンゴのすり下ろし、作ってくれたんでしょ。ちょっと焦げてたし、味も濃かったけど、昔食べた母さんのお粥と同じくらい美味しかったよ。ありがとう」
何だか急に照れ臭くなって、僕はそれだけ言うと逃げる様に早足で自分の部屋へと戻り、ベッドへ倒れ込んだ。
『彰が熱出すなんて珍しいねぇ……。大丈夫?何か食べたい物とかある?』
『あのね、母さんの作ったお粥が食べたい。ふわふわの玉子がのってるの!』
『はいはい、作ってくるからそんなにはしゃがないの。また熱上がるよ?お兄ちゃんも心配しちゃうから、早く元気にならなきゃね』
『うん!』
僕はまた昔の事を思い出していた。今から4年くらい前の記憶だ。母さんも兄さんもみんな仲良しで、僕も友達が沢山いた頃。1秒。また1秒。この時間の積み重ねで今が出来ている筈なのに、あの時と何もかもが違うのはどうしてだろう。時間の流れはいつからねじれて狂ってしまったのだろう。
そんな事を考えて感傷に浸っている僕の脳味噌も薄情な物で、今となってはあんなに好きだった母さんのお粥の味もハッキリとは思い出せない。
「どうか、あの頃の記憶を消さないで。少しでも長く残してください」
囁く様に呟いた僕の願いは、静かな部屋に吸い込まれていった。




