終わりない夢
音楽というものは、情操にとってとても大事だ、痛感する。気分の上げ下げによって変わる仕事をしている人たちにとってはどの歌や曲を聴くかでその仕事の質が変わってくるのだから、死活問題にすらなり得る。やっぱり、いい歌を聴けば良いものができるし、その逆に、いいわけじゃない歌を聴けば良くないものができる。しかし、まだだ。まだできていない。これだ、という会心の作品にまだ巡り合えていない。それに近いものは、既に書いたことがある。ああいう作品、もう一度引き直してみようかとすら思う、そう器用な方ではないのに。ああいう作品を目指したい。生活していてふと、過去に読んだドストエフスキーやトルストイなんかを思い出す時、その時に走る、ぴりりとした電撃のような感触、ああいう感触を自分の作品が呼び覚ますことが出来たらどんなにか。あるのかどうかもわからない、ただの幻なのかもしれない。でも、追いかけたい。あると信じて、いや、あるにちがいないそのものを、追いかけたい。正しく、終わりない夢だ。しかし、果たしてどうなのだろう。夢、という名の、名前の無い名無しの美名に酔っているのではないのか。自分自身に問い掛ける。この問いは、実は自分自身に対して、嫌と言うほど何度も何度も繰り返してきたものである。夢、と言えば、自分の状態が許されると思い込んでいるのでは無いのか。夢、と言えば、自分の不甲斐なさを見過ごしてもらえると思っているのでは無いのか。夢、と言えば、自分が人より一段高い位置にいると悦に浸っているのでは無いのか。夢の魔力を利用して人をだまくらかしているのでは無いのか。そうだ。自分がそうはならないとは限らないのだ。だから、夢、なんて人に言うのはやめた方がいい。夢、を人に語るのなどやめた方がいい。それによって自分が惨めな存在になってしまうくらいなら、夢など捨ててしまえ! 苦しんでいる人がいる、困っている人がいる。そういう人たちの力になってこそ人間ではないか! 夢を叶える人が偉い、なんて、金を手にして自分勝手が通るようになるからそれが偉いとみんな勘違いしてるんだ。目を覚ませ! 哀れな人たちはたくさんいる! 地球は今も汚れ続けているんだ! 夢破れて山河あり、ってね、誰かが言っていた。実に妙に入っている言葉だと思うよ。夢が破れた、果たされなかった。それでも、山や河、自然は、変わらずある。写実的というか、何というか、わびさび、なのかな。素晴らしい。夢、か。たとえそれでも、追わずにはいられない。