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夢の中なら  作者: にてん
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この痛みは本物か?

 見渡す限り薄暗く、障害物一つない世界だった。

「漢字を練習しろ~」

低いうめき声が聞こえる。

振り向くと、ノートに描かれたキャラクターたちが、血だらけになりながら僕に向かって走っている。あるキャラクターは眼球が飛び出し、あるキャラクターは腕がもげていたり……。それはもう、ひどい有様だった。

僕はその光景が恐ろしくて一目散に逃げようとするも、水中にいるみたいで早く走ることが出来なかった。

「いやだ! いやだ! いやだ!」

 僕の悲鳴を打ち消すみたいに、辺りは奇声で溢れかえっていた。

「まってよ、ねえ、まって~」

 クマのイラストが、茶色の体毛を真っ赤にして、僕に迫っていた。

「血が止まらないよ~」

僕は恐ろしくて必死に走った。ありえない。こんな世界ありえない。

終わりのない闇を、ひたすらに走った。けれど、もがけばもがく程足が空回りして、まるで泥沼にはまっているかのようだった。

足を回そうとしても、まったく言うことが聞かない。自分の体じゃないみたいだ。

息が切れて胸が苦しくなる。足を動かそうと歯を食いしばるが、乳酸がたまって足の回転は遅くなるばかりだ。

口の中が渇き、酸欠で頭が痛くなる。自分のことで必死になっていると、突然肩を強く掴まれた。

「……どうだい? 君も痛いか?」

 恐る恐る振り向くと、そこにはクマのイラストが笑顔で立っていた。血だらけの体に対して、その笑顔はあまりにも不釣り合いだ。

「なに言ってるか分からないよ!」

 頭を横いっぱいに振って嫌がったけど、クマのイラストは血だらけになりながら訳の分からないことばかり喋り始めた。

「にげるな向き合えよわむし」

勝手なことを言っているが、僕はそれに構わず全力で抵抗した! 

精一杯に暴れる。

必死の抵抗だ。

それでも、血だらけのクマから逃れることができない。

慌てていると、ふと気付くことがあった。

それは、普段の僕が、夢の中の僕を上から見下ろしていて、まるで僕が二人いるみたいな感覚だった。

だから、苦しくて怖いけど「どうせ夢なんだから、怖がる必要ないのに」と言うように、どこか冷めている僕の気持ちも心の中にあった。

なんだ、夢なのか……。そんな気持ちが、恐ろしいイラストを目の前にして湧きおこる。

夢と現実の境がはっきりすればはっきりするほど、僕の心は冷めた感情でいっぱいになる。それは同時に「ああ、夢で良かった」という安心感に変わった。

しかし、その安心感と並んで激痛が走った。イラストが僕に噛みついたのだ。

ありえない。右腕から、赤黒い血が吹き出た。その光景はあまりにもショックで、僕は気を失いそうになる。夢の中で気を失うというのもおかしいが、意識が遠のくのが手に取るように分かった。

肌が裂けて、肉が見えて、血が噴き出している。肉の間から、真っ白な骨まで見えていた。

そして、今までに経験したことのない痛みだった。

このまま、失血死しちゃうのかな……。

わらわらとキャラクターたちが集まる中、僕の意識は遠のいて行った。

     


「朝ごはんできたから、早く起きて」

 母さんは僕を起こしに部屋に入ってきた。

夢と現実の狭間で揺れていた僕は、起こされたとほぼ同時に布団から跳ね起きた。

「凄い汗。風邪ひくから、ちゃんと拭いておきなさい」

「うん」

我に帰り、右腕をさする。何度も何度もさする。

大丈夫、やっぱり、夢だ。

 急ぎ足で洗面台へ向かう。

今日は月曜日の朝。一週間の始まりで、一番憂鬱な気持ちになってしまう時間だ。嫌な夢の後だから、なおさら。

 洗面台の前に立ちながら、鏡の中の僕をじっと見つめた。さっきまでの僕は、まるで僕であって、僕じゃないみたいだった。

上手くは言えないけど、僕が二人いるみたいな。夢を体験している僕と、それを見ている僕。夢の中の僕は一体誰なのだろうか。ぼーっとしていると、母さんがまたうるさそうなので、余計なことは考えずに食卓へ向かった。

テーブルには朝食が綺麗に並べられている。右にみそ汁。左に白米。奥にお魚。

母さんは、台所で後片付けをしている。

「ゆうや、次のテストはちゃんとしなさいよ」

 またこれか。

 合掌し、箸を持つ。炊きたてのごはんを口に含みながら、「だいじょうぶ」と当たり障りのないように答えた。

前回のテストは全然ダメだった。スポーツをやっていれば話は別なんだろうけど、帰宅部で、テストの点数も悪いんじゃ、いい所なしだ。

趣味は読書くらいしかなく、最近は自分でも何が楽しくて生きているのか分からなかった。

読書だって、一人でも楽しめるから、暇つぶし程度に読んでいるだけだ。

サッカーとか野球とか、もっと活発な趣味があれば、友達もすぐにできるのかもしれない。自分という人間の浅はかさを恨んで、ごはんをこれでもかというくらい咀嚼していると、母

さんの声に気づけず、頭を叩かれてしまった。

「ゆうや、昨日は勉強したの?」

 母さんは、僕の真正面に腰掛けた。

ごはんと焼き魚をかきこむ。わざと、ゆっくり、モグモグした。

「うーんとね」

 僕は何とかして話をごまかしたかった。逃げ道を探すために色々考えながら、目が泳いでないか気をつける。

「一応やったよ」

「一応って、何ページやったの?」

「宿題の、三ページ」僕は苦し紛れに答えた。

本当のことを言うと、宿題で出たのは五ページだった。僕はその宿題で出た範囲を全て終わらせたはずもなくて、この場を切り抜けようと思案した。しかし、母さんは見抜いているのか「ふーん」と疑うような目を向けて「じゃあ、やった分見せなさい」とテーブルを優しく叩いた。

「う、うん。ちょっと待っててね」

 宿題の範囲が五ページとは母さんも知らないので、別に見せても大丈夫だと思って堂々と昨日の分を見せる。しかし、母さんの顔は見せる前より強張った。

「金曜日、普通に学校から帰って来たんでしょ?」

「うん」

 もちろんだ。放課後は部活もないし、遊ぶ友達もいない。

週に一度図書室へ行くくらいで、僕はほぼ毎日まっすぐ帰っている。

「土曜日も日曜日も、家にいたよね?」

「うん……」

 だんだんと、自分が追い込まれているのに気づいた。

「それなのに、これだけしかやってないの?」

 俯いていると「はあー」と母さんは大きなため息を漏らした。

ごめんなさい。困らせて、ごめんなさい。

「これじゃあ、いい点数取れないよ。頭のいい高校にもいけない」

「うん」

 母さんは呆れてしまったのか、そのまま台所に戻ってしまった。

 中学生になって、いきなり母さんは勉強にうるさくなった。僕が小学生の頃は、もっとおおらかで、むしろ遊びを尊重していた。

僕の憶測だと、やっぱり高校受験があるからだろう。忌々しい高校受験め。

そして、学校で嫌な思いをしてるのに、家でも怒られるなんて最悪な気分だった。

「今日は家に帰ってきたら、勉強しなさいよ」

「分かってるよ母さん」

ごちそうさまを済まし、食器を台所に運んだ。母さんの食器を洗う手つきは忙しない。

「そいうえば、母さん」

「なに?」

母さんはこちらを見向きもせず、ひたすら食器を洗った。

「もうすぐ、父さんの誕生日だよね?」

母さんは顔色一つ変えず、食器を洗う手すら休めない。

「昔みたいに、お祝するの?」

 僕は続けた。

「去年出来なかったから、今年は――」

「ゆうや」

 僕の話は途中で遮られてしまった。

「今年も、バイトが入っちゃったの。たぶん、父さんも仕事だと思う。どうせだから、ケーキは買っておこうと思うから、誕生日当日は冷蔵庫にケーキ入れておくね」

「うん……」

「それと、父さんの誕生日をお祝いするのもいいけど、ゆうやは自分の勉強のことを心配しなさい」

母さんは「じゃあ、バイトの準備あるから。ゆうやも、早く学校行きなさい」と一方的に言って、台所から立ち去ってしまった。

「わかった」

僕は逃げるようにして部屋へ戻った。


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