75.戦後85年目の決断、1
新世界歴1年10月5日、日本国 首都東京 衆議院本会議場
いつもの国会と違い、今日こそは与野党共に真面目に議論しているように見える。
だが、実際には最大政党に慣れきってだらけている与党と、その与党を野党に引きずり下ろす事しか考えず、審議妨害をするいつものダメダメ日本政治だった。
ただ、いつもより与党や法案に賛成の野党は法案を通そうと必死になり、法案に反対する野党はある意味で懐かしい牛歩作戦などで廃案にしようとしている。
と、言っても4月の衆議院選挙で大敗した野党に勝ち目は無く、法案の審議時間は終了し、いよいよ採決の時を迎えた。
と、言っても流石の今回は欠席による審議拒否する議員は居らず、10年前よりちょっと減った衆議院定数425議席のうち423議席が埋まっていた。
議員は皆は机に設置された賛成と反対、そして棄権のボタンを押し、数十秒後、衆議院正面のモニターに今回の採決の結果が表示された。
そして、その結果をそのまま議長が宣言するかのように前もって用意されているセリフと組み合わせて読み上げた。
「賛成365。反対41、棄権17。・・・よって!国民投票法に基づく憲法9条及び96条改正の国民投票を実施する事を賛成多数で可決します!!」
議長がそう宣言し終わり、法案提出者が立って周りに感謝の礼をした。
賛成のボタンを押した議員は拍手し、反対のボタンを押した人は罵声を浴びせる。
そして棄権した議員達は何もせず、ただ投票結果が示されたモニターをただ茫然と眺めていた。
反対に票を投じた野党の人間は「審議時間が少な過ぎる!」や「国民の理解が得られて無い!」などと叫んでいるが、彼等はどんだけ審議しても、どんだけ説明してもそう言うので他の議員達は放っている。
そもそも365人が拍手している為、41人が叫んでも拍手の音にかき消されてしまうのだ。
ちなみに憲法9条改正の国民投票が決定したが、内容は憲法9条第2項の所謂戦力不保持の削除と、国防組織を保有する事を明記した新2項、そしてシビリアンコントロールを明記した3項の策定である。
もう一つある憲法96条とは日本国憲法改正に関する憲法である。
簡単に言うとこれまで憲法を改正するには国会の審議と国民投票が必要であった。
それでは時間がかかり過ぎると言う事で国会内の議決で改正出来るようにしようとしているのだ。
内容は国民投票が必要な憲法改正を国会の総議員の4分の3以上の賛成により改正されると変更する事だ(普通の法律は過半数)。
そして、この憲法改正の国民投票は日本では大ニュースとして報道されたが、イギリスやスフィアナでは国際情勢コーナーでサラッと放送された程度であった。
イギリスにしろスフィアナにしろ日本が自衛隊と言う軍隊を保有しているのは知っているので、今更憲法改正されようが、されまいが、どっちでも良いのだ。
と言っても興味が無いのは一般国民だけであり、政府はこの国民投票を固唾を飲んで見守っていた。
憲法9条や96条改正による国民投票の実施日は法案可決後に臨時設置された国民投票委員会内での話し合いの結果12月7日の土曜日に実施される事で決定した。
国民投票が実施される2週間前から全ての宣伝活動が禁止される為、11月23日までは改正賛成派、反対派がテレビコマーシャルや宣伝活動をばんばん行っていく事になるだろう。
一方、マスコミは当分ネタには困らないと独自の国民調査や街頭インタビューで賛成派と反対派のどちらが勝つかを予想していた。
最も、マスコミの世論調査での回答者は多くても500人〜1000人程度と、1億1500万人の日本国民の分母から見ると分子が少な過ぎるのであまりあてにはならないが、それで満足する人も居るので、それはそれで自己満足感を満たして良いのだろう。
そんな国民投票法が可決された週の金曜日、多くのサラリーマンが帰宅する途中の品川駅の多くの人が行き交う駅前では賛成派団体が集まった数千人もの群衆の前で選挙カーのような物の上に登り、声高らかに憲法9条を改正する意義に付いて叫んでいた。
「ここに居る皆さんもニュースや動画サイトを通じて見た筈だ!今年の1月、日本は戦場になった!自宅や学校にミサイルや爆弾が落ち、都市は85年前と同じように焼け野原となった!自衛隊が居なければどうなっていたか!1都市どころか、日本中の都市が戦場になっていただろう!!前世界では日米安全保障条約に基づきアメリカ軍がこの国には駐留していた。だが、今はどうか!?アメリカ軍は撤退し、国内に居るのは自衛隊だけだ!軍隊を保有しているヨーロッパでさえ、あのような戦場となったのだ!今こそ、アメリカに押し付けられた憲法9条を捨て去り、自衛隊を増強しなければならない!それこそが、この世界での日本の生きる道なのだ!!」
彼がそう言い切ると集まった群衆から割れんばかりの拍手や賛同する声がきこえてくる。
どうやら、彼の主張はある程度の理解を得られているようだ。
と、言っても彼は何処かの政党に所属している人では無い。
いや、地方議会で議員をしている為、政党に所属している人ではあるが、国会議員では無いので、今回の国民投票には関係は無い。
これが転移してない平行世界の日本ならば、今こんな事を叫んでも一部の人を除き大方は見向きもしなかっただろう。
だが、ミレスティナーレの北海道侵攻(ミレスティナーレは根室侵攻としている)により日本人の意識はガラリと変わってしまった。
否、正常になったとも言えるが、それは誰にも分からない。
ただ1つ言えるのは、転移してしまった日本と転移しなかった日本では何かが大きく違うという事だ。
新世界歴1年10月10日、スペイン王国 バルセロナ サグラダ・ファミリア跡地
誰もが知ってるアントニオガウディが設計したと言われているサグラダ・ファミリアは1882年に着工し、ガウディの没後100年にあたる2026年にようやく完成した。
144年もの建築期間と莫大な建築費(幾らかかったのかは資料の喪失により不明)をかけたキリスト教カトリックの教会であるが、完成から経った4年の2030年にレムリア帝国空軍の戦闘機が放った対地誘導弾の直撃を受け、崩壊した。
当のレムリアとは現在も戦争中であるが、突如のレムリアの侵攻停止と、NATO軍のイベリア半島南部に設定された防衛ラインによりイベリア半島には一先ずの平穏が戻ってきた。
と、言ってもスペインの中でも比較的フランス寄りのバルセロナで死者行方不明者が約数十万人と言われている状況で、戻ってきた僅かな人々は崩れ去ったサグラダ・ファミリアを茫然と見つめる他無かった。
そんな中、元サグラダ・ファミリアだった物を片付けるのはアメリカから派遣されてきた土木会社の社員である。
ショベルカーの先端に付いているバスケット部分で瓦礫を救い上げ、隣に止まっているダンプの荷台部分に入れていく。
レムリアの侵攻当時、このサグラダ・ファミリアは営業時間外だった為、中に人は居らず、確認する必要も無い為、優先的に行われていた。
「150年も掛けて造った建物が経った4年で瓦礫の山かよ・・・」
器用にコンクリートの山を救い上げている作業者の操縦士はコントロールスティックを操作する手を止める事無く、そう呟く。
だが、完成式典の時は大勢の人が集まり、数千発の花火が打ち上げられ、盛大に祝られたのは彼の記憶にも新しい。
そんな時、ダンプの運転手から無線で連絡が入った。
『ジョン、荷台が一杯になったからもう良いぞ。ご苦労様。』
「ほい、了解っと。じゃあ、少し休憩か・・・」
そう言って彼は隣に置いてあったミネラルウォーターのペットボトルに手を伸ばす。
ふと、周りを見渡すと、数ヶ月前まで赤い煉瓦の歴史的な建物は黒焦げになっており、一部の建物は瓦礫になっていた。
サグラダ・ファミリアの両脇にあった緑地も今や、瓦礫の処理を行う作業員の休憩所となっている。
ただ、唯一の救いはバルセロナ郊外にバルセロナエル・プラット国際空港が位置しており、ターミナルは瓦礫の山だが、3本ある滑走路はどれも奇跡的に無事で、支援物資を載せた輸送機が離着陸出来たのだ。
ただ、バルセロナ港は停泊していた巨大クルーズ船やコンテナ船などが撃沈され、港を塞いでおり、バルセロナと他の都市を結ぶ高速道路も判断されており、陸路では細い道を通るしか無かった。
「まぁ、まだここはマシか・・・」
そう、このバルセロナはイベリア半島北部のフランス寄りの都市、数十万人以上の死者・行方不明者は出ているが、一応NATO軍の制空権下の都市であった。
更に言えばスペインの首都であるマドリードも死者・行方不明者が約300万人ではあるが、首都である為、スペイン軍も最後まで死守し、まだマシだった。
これらの都市より酷かったのは、先ずポルトガルの首都リスボン、そしてイベリア半島南部や東部沿岸部にあった都市である。
具体的にはレムリア軍とNATO軍の戦車同士が実際に戦闘したスペイン南部のセビーリャ。
スペイン南東部のムルシアとバレンシアである。
ポルトガルの第2の都市ポルトは米仏の空母艦隊が大西洋側に展開していた為、ミサイルが数発飛来した程度で都市機能は無事だった。
現在はポルトガルの臨時政府がポルトに設置されている。
「こんなんで復興出来るのかよ。」
そう言いながらも彼は思った。
第二次世界大戦で、都市は瓦礫の山となったが、数十年で復興を遂げた国が幾つもある事を。
今はこんな瓦礫の山だが、数十年後には復興を遂げているんだろうなぁ、と思いながら、彼は再び作業に戻って行った。




