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いつもと同じ医務室に通された。いつもの部屋に、いつもの家具。ただ、二つだけ違うものがあった。
「どうも。サクヤ君、だね。新しく君の担当をする事になったミマキです」
そう言って、ミマキは手を出す。
これが、一つ目の違うもの。
「は、はい。よろしくお願いします」
反射的にその手を取った。
深緑の瞳に、同じ色の眼鏡。くたびれた色の髪は、肩まで伸びている。顔に笑顔を浮かべているが、それではカバーできない程の疲れた印象を受けた。
「健康面で何か気になる事はあるかな?」
「いえ、特には」
精神面では大いに問題あるが、健康面は驚くほど問題ない。
「そう。じゃあ投薬しようか」
言いながら、ミマキがベッドを指した。
一瞬、薬の成分を思い出す。頭を振り、気持ちが暴走するのを何とか抑えて、ぎこちなくベッドへと向かった。
「では、始めるよ」
投薬は首の後ろに注射をする事で行う。うつ伏せに転がった俺の背中に跨ったミマキが俺のうなじに手を当て、骨の位置を確かめながら小声で囁いた。
「ゴウから聞いてる。薬はポーチに入れるから、気づかないフリをしてくれ」
これが、二つ目の違うもの。
俺はゴウに運び屋を頼まれていた。
レジスタンスはID登録されてはいるものの、犯罪者扱いになっているらしい。犯罪者に定期的な投薬はされない。
とはいえ、管理する側は積極的に犯罪者を探したり殺したりはしていないのだ。
彼らは自分たちの権力に相当な自信があった。
放っておけば、薬が切れて死ぬ。
そんな奴らの為に時間を使うより、自分たちの研究を進める方が価値がある。
そう考えているらしい。
俺は黙って首を少し縦に振ると、うなじへチクリと痛みが走った。
「はい、終了。今月は検査無しだね。お疲れ様」
「ありがとうございました」
一礼し、部屋を出る。
ミマキは何事も無かったかのように、机に向かいながらひらひらと手を振った。
少し重たくなったポーチ気にしながら、自宅へと戻る。
自宅に着いてから、ポーチの中を確認すると、紙に巻かれてた薬とメモが入っていた。
薬を見て驚く。俺が投薬されている薬は真っ赤な色をしているが、この薬は透き通った無色の液体だ。ミマキは薬を間違えたのだろうか。
間違えていたとしても、俺には今更どうする事もできないが。
メモを見ると、これまた不可解な文字が並んでいた。
「九、BM、M=M。……なんだ、これ?」
メモを見ながら首を捻る。薬もメモも、ゴウに渡せば分かるだろう。
**********
しとしとと降る雨の中、俺はアジトへと向かっていた。
管理する側の人間が気づいていないとは言い切れない為、一週間空けてからアジトへ来て欲しいとゴウに言われていた。
雨は嫌いだ。いや、正確には嫌いになった。
一人で風車まで行き、レジスタンスのアジトへと向かう。
牢屋のような部屋へと着き、本棚の前ではたと気付いた。
「……あ、開け方が分からない」
前回はさらりとシイナが開けていたが、普通に動かそうとしても開かない。押しても引いても叩いても。
完全な誤算だ。
途方に暮れて、壊れかけている椅子に座った。誰かが来るのを待つしかない。
暗闇の中、時間を持て余した俺は、今の状況を振り返った。
ーー俺は、何をしているのだろう。
ミツキの事を知ろうとして、気付けば犯罪の片棒を担がされている。
今の生に、何か意味はあるのだろうか。俺はどうしたいのだろう。
結局、何をしたところでミツキは帰って来ない。今更何をしたって、遅いんだ。
≪私は、みんなに心躍る毎日を過ごしてほしい。この先生まれてくる、全ての人たちに幸せになってほしい≫
そう言って笑ったミツキが、何だかんだ近くに居るような気がする。
そうだ、ミツキが望んだ世界を見てみたい。俺はそう思ってーー。
「っんのやろー!」
大きな声と共に、体が急に地面へと叩きつけられた。
心臓が止まりそうな程に驚く。と同時に、何かがのし掛かってきた。
「なっ」
「お前、どうやってここまで来やがった!」
押し殺す様に出された怒りの滲む声に、息が詰まる。
「っ!?」
「言う気はないってか? 少しでも変な真似したら殺すからな」
背中に座っているのは、声からして女のようだ。脳をフル回転させて、状況を確認する。
ここを知っているという事は、相手がレジスタンスの一員であることは間違いない。ゴウかシイナが来る事を想定していたが、誤算だった。普通に考えてレジスタンスが二人だけなはずがない。
俺は間抜けにもうたた寝していたようだ。先程まで座っていた椅子が、足の折れた状態で目の前に転がっていた。
「ち、ちがっ…ぅ」
否定の言葉を口にしようとするが、埃っぽい地面に顔を押し当てられてるせいか、埃が喉に絡みつき上手く喋れない。
「とりあえず黙っとけ!」
ガツンと頭に衝撃が走って、俺の意識はそこで途絶えた。
**********
かちゃり、という音を耳がとらえて目を開ける。音の方を見ようと首を動かすと、後頭部に鈍い痛みが走った。
「いって……」
「あぁ、良かった。大丈夫?」
後頭部をさすりながら声の方見ると、シイナが安堵を浮かべて近寄ってきた。
「大丈夫、じゃないです」
「ごめんねぇ。うちのバカ女がーー」
シイナが最後まで言う前に、バタバタと慌ただしい足音が聞こえて何かが転がり入ってきた。
「すみませんでしたぁぁぁ!!」
足音の主は、入ってくるなり大声で叫びながら土下座した。縮こまって頭を下げるその姿は、さながら飼い主に怒られたチワワのようだ。
「……」
「ほら、怒ってるよ! あ~あ、マキナの力加減を知らない打撃で、もしかすると記憶を失くしちゃったのかも。それとも、脳に異常が……」
俺が呆気にとられて黙っていると、シイナがにやりとしてチワワに意地悪を言っていた。
「ひぃぃぃ! なんとお詫びしたら良いか!」
頭を床に叩きつけながら何度も謝る彼女に、若干引き気味で手を振る。
「いや、あの、正常です」
「ほらマキナ、彼はもう自分に異常がある事すら認識できないらしっ痛いーーー!」
シイナの頭にげんこつが落ちた。
なかなか良い当たりだったようで、シイナが頭を抱えてしゃがみ込む。
「いい加減にしろ、収拾がつかなくなる」
呆れ顔で現れたゴウにより、客から石を投げられそうな安っぽい茶番劇は終わったのだった。