5
≪サクヤへ
サクヤがこの手紙を読んでいるということは、私は既に死んでいるのでしょう。この手紙は、投薬をやめてから半年くらいで書いています。
サクヤは人の死を知らないから、どんな感情が生まれたか、今の私には分からないけど……私はとても幸せです。
サクヤと最後の時間を楽しく過ごせて、本当に幸せです。
何から説明したらいいか分からないから、最初から話すね。
私は管理する側になって、最初は雑用をしていたの。でも、どんどん研究で成果を上げて、かなり高い地位を掴む事ができたんだ。サクヤは知らないだろうけど、結構偉かったんだよ?≫
偉そうに胸を張って鼻を膨らませながら言うミツキを想像して、ふっと笑みをこぼす。そういえばミツキは自分の仕事について一切話さなかった。
≪だけど、上に登れぼ登るほど、この世界の醜さを思い知らされる事になったんだ。そんな時に、盗みに入ったレジスタンスの人たちと出会った。彼らは私の知っているレジスタンスとは違い、全てを知った上で、世界の在り方を変えようとしてたんだ。
私が出来ない事を、彼らはしようとしていた。だから、私も彼らと共に生きようと思ったの。
ーー次のページに、私が実際に行っていたおぞましい罪を書きます≫
手紙から顔を上げる。ゴウとシイナは静かに俺を見守っていた。手紙を見るに、彼らがミツキの言うレジスタンスだろう。
一番下の行に書かれたその文章をもう一度見る。
ミツキ自身が言う、おぞましい罪とは一体何なのか。果たしてそれを受け止める覚悟が俺にあるのか。
一つ、深呼吸をし、ページをめくった。
びっしりと埋まっていると思っていたそのページは、簡潔に一言しか書かれていなかった。
≪私は、たくさんの人を、とても無残な方法で殺し続けてました≫
目を疑う。
ミツキが、殺しを?
そんな事、するはずがない。
「どうした?」
手紙を見て硬直した俺に、ゴウが不思議そうに言った。
「いや、あの、ちょっと良く分からなくて……」
震える手で二枚目の手紙を二人に見せる。
「あぁ、なるほど」
そう言って何度も頷くゴウを呆然と見た。なにが"なるほど"なのか。
ミツキの事を全て知っているかのように納得しているゴウに、ふつふつと怒りが湧いてきた。
「な、なんだよ! 何がなるほどなんだよ!」
ゴウが目を伏せる。
「その先があるはずだ。ちゃんと最後まで読んでくれ」
言われなくても最後まで読むに決まっている。腹の虫が収まらないまま、だが、言い合っても仕方がないので三枚目に視線を落とす。
≪これは本当の事。レジスタンスの人たちも知っているし、同じ仕事をしてた人たちもいる。
私たちは、人口の何倍もの命を犠牲にして生きているんだ。
毎月の投薬で使用されている薬。あれは、人を殺して作っています。そして、私もあれを作っていました≫
怒りが、急速に萎んでいく。人の命を犠牲にして、人の命を延ばしている?
あまりにも常軌を逸脱しているのに、何故かストンと腹落ちしてしまった。
投薬で永らえている命というものが当たり前の世界。でも、どこかで感じていた。何かがおかしい、と。
ただ、それに目を向ける事をしなかった。だって、当たり前の事だから。
投薬の薬が何を原料にしているのか、どこで作っているのか、どうして安定供給が出来ているのか。
その答えが人の命。
≪この手紙は、私が一番信頼しているレジスタンスの人たちに預けています。
サクヤが今後、どんな選択をするか分からないけど、もし彼らと共に進むならーー。これを託します。
私がいなくても、サクヤなら大丈夫。
今までありがとう。大好きだったよ。
ミツキ≫
そう締めくくられた手紙に、視界が歪む。ポタッポタッと手紙に雫が落ちた。
悔しい。そして、悲しくて寂しくて怖くて辛い。
シイナがそっと背中を撫でてくれて、静かに言う。
「ミツキちゃんはね、今生きている人たちの為に自分を殺してたんだ。投薬をやめると、みんな死んでしまう。何も知らずに死んでしまうから。だから薬を作り続けた。僕も同じ仕事をしててたんだけど……恐怖に負けて逃げちゃった」
辛そうにそう告白するシイナに何も言えずに、ただただ下を向いた。
「今の状態じゃ俺たちの話を聞く気にもなれねぇだろ。シイナ、空き部屋に連れてってやれ」
ゴウが頭をかきながら立ち上がりシイナに言う。シイナは頷いて、静かに俺を部屋へと案内した。
真っ暗な部屋の中、ベッドに横たわる。この世界の理不尽を呪いながら。
なぜ、ミツキがそんな事をしなければならなかったのか。なぜ、世界はこんなにも歪んでいるのか。なぜ、俺は気付いてやれなかったのか。
ここは地下なので、日付の感覚が一切ない。ただ、何度も食事を出され、それに手をつけられない日が続いた。
ふわりふわりと意識が浮上しては、過去を悔やみ、意識を手放してはまた浮上して。
ぼーっとベッドでそんな時間を過ごしていたある日、ゴウが荒々しく部屋のドアを開けた。
「お前、いつまでそうしてる気だ!」
乱暴に布団をはがれ、胸ぐらを掴まれる。
「ミツキの事が好きだったんだろ? ミツキもお前の事が好きだったんだろ? こんな腐ってるお前を見たらミツキが悲しむだろ!」
唾を飛ばしながら大声で言うゴウから顔を背ける。
「ミツキは、もう、いない」
長い間言葉を発していなかったせいか、掠れた声が出た。
「いいか、お前が読んだ手紙が全てじゃねぇ。ミツキは、ミツキの魂は、生かされてるんだ!」
合わなかった焦点を、ゴウに向ける。
「ミツキが、なんだって?」
「ミツキはまだ生かされてる。いいか、奴らはミツキの命を弄んでるんだ」
力の入らない手で、ゴウの腕を掴む。
「どういう、事だ」
乱暴に俺の腕を払って胸ぐらを離すと立ち上がり、きつい視線を俺に向けてゴウが言った。
「話が聞きたきゃ、まずは飯を食って身なりを整えて広間に来い。今のお前みたいな役立たずに話す気はねぇ」
吐き捨て、ドアを出て行く。代わりにシイナが顔を出した。
「久しぶりのご飯だから、お粥だよ。ちゃんと食べてね? ご飯食べないと頭も回らないし、力も出ない。ミツキちゃんの為と思ってさ」
「ミツキの……」
言われるがまま、出された食事に初めて手をつける。ねっとりとしたノリの様なお粥だったが、その温かさと久々に味覚を刺激された舌のおかげで、すぐに食べ切ってしまった。
頭が少し冴えた気がする。
今の俺は、ミツキという単語に反応するだけの屍だ。ゴウの言い方は乱暴だったが、最もだった。
ミツキが居たら怒鳴られているだろう。
服を着替えて、広間へと向かう。
不機嫌そうなゴウに向かって頭を下げた。
「すみません。よく考えると、お二人に迷惑しかかけてませんでした」
「……少しはまともになったじゃねぇか」
頬づえをつきながら、ぶっきらぼうに言うゴウを見てシイナがにやける。
「あー見えて、すっごく心配してたんだよ」
「おまっ! 余計な事を言うな!」
掴みかかるゴウをひらりと躱してシイナが笑う。
「本当にすみませんでした」
もう一度、深々と頭を下げた。
「ま、まぁ、許してやるよ。とりあえず座れや」
ミツキの手紙を信じるならば、彼らは悪い人たちではなさそうだ。
ゆっくりとソファーに腰掛け、大きく深呼吸する。
ゴウの口ぶりを考えるに、手紙には書かれていない、残酷な事実がまだあるはずだ。
「話してください。全てを」
俺がハッキリと言うと、ゴウが真面目な顔で頷いた。
隣のシイナも笑顔を引っ込めて硬い表情を浮かべる。
「覚悟の決まったいい目だ。全て話してやろう」
そう言ってゴウは、話し始めた。