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VR   作者: 三宅 大和
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アナログ

「さっきのゲーム凄かったな。」

午後四時。朝の十時から始まった紗綾との三回目のデートも後半戦に差し掛かっている。今からあと三時間ぐらいはどこかで時間を潰すとして、その後七時からは二日前から予約していたここらでは有名なレストランでディナー、その後は・・・いや、まだ早いか。というか、今日に限っては俺自身がそういう気分になれそうになかった。

「・・・慎士?」

振り向くと、切れ長の目が俺を覗いていた。セミロングの髪が風で揺れている。

「どうしたん、さっきから?変やで。」

 あの後じゃ仕方ないだろ。逆に同じ境遇でありながらどうもしていない紗綾の方がおかしいと俺的には思う。

「紗綾はなんともないん?」

 俺が低いトーンでそう尋ねると、紗綾は何一つ迷うような素振りは見せずにただ「うん。」と言ってみせた。

「そら、最中は信じ切ってたけど、今となってはただのゲームでしかないから。」

 流石は仕事の出来る女、切り替えも早い。それに引き換え俺は、ゲームの内容をいつまでも引きずって、現実と仮想の差別化が図れていない子どもみたいだ。でも思うんだ、俺の精神が子どもだというのは百歩譲っていいとしよう、ただ、それだけが原因だと言おうものなら俺は抗議する。あんなもの見せられたら大半のやつは引きずるに決まっているのだから・・・


 目が覚めた時、部屋はまだ真っ暗だった。昨日の晩早く寝すぎたかな?

 身体を起こそうとは試みるものの、やっぱり朝一番は身体が重い、まったく言うことを聞かない。いつも通り脳と筋肉が喧嘩をして脳が筋肉を従えるには二十分近く掛かった。やれやれと思いながらも、なんとか動くようになった身体を起き上がらせると、突然硬いものに頭をぶつけた。

 何だ、ここはいつものベッドの上じゃないのか?昨日、どこか行ってたんだっけ。思い出せない・・・

そこで自分が全身汗まみれなのに気が付いた。

そうか、あれは夢だったんだな。白河に告白した矢先に何者かにホームから突き落とされる俺、悲鳴をあげる白河、犯人に銃口を向ける月島。まあ、考えてみれば現実なわけがない。俺は安堵の溜息ををついた。大きく伸びをしようとしたが両側に壁があって阻まれた。たがらここはどこだよ。

どこから夢だったんだろうか。告白はもちろん夢で、月島がデンパだったのも・・・アレも多分夢だよな。ってことは、そもそも悠人が月島と二年前から付き合っていたというのも夢だ。やっぱそうだよな。その時点でおかしいとは思ってたんだ。ってことはなんだ、あの一日は全て俺の妄想が作り上げたものに過ぎなかったってわけか。とんでもなく長く色濃い夢だな。

まあいいや、とりあえずいま自分がどこに居るのか把握しなくてはならない。ここが俺の寝室でないのは分かった。ならここはどこなのか?悠人家・・・いや、形状からしてカプセルホテル・・・どっちにしても泊まった記憶はない。

微かに音がする。金属の擦れるような音。CDが回転する音に似ている。昨日ゲームつけっぱなしで寝たのか?いや、だとしてもここは俺の部屋じゃないはずなのだ。

 悩んでいても仕方ない、とりあえずこの場所から出ないと・・・ってコレそもそも出れるのか?そう思って上下左右押したり、取っ手があったから引っ張ってみたりするのだがピクリともしない。そして俺は最悪のケースを想像する。

 まさか、監禁?

 おいおい、せっかく悪夢から開放されたと思ったのに、起きたら真っ暗な部屋で監禁って・・・いや、もう騙されないぞ。コレ、目が覚めたと思っているけど実はまだ夢の中ってオチだろ。はい、気付いたってことはそろそろ覚めるはずだ・・・

 体感で五分経過。一向に覚める気配はない。

 ・・・もしかしてさっき夢だと思ってたのも現実で、俺が電車に轢かれたという事実も存在していて、その際かろうじて俺の息の根は止まってなかったっていうパターンもあるのか?

 もしそうだとして、仮に生きていたとしても俺の身体が無事だとは思えない。でも、そうだ、そこでこの壁の存在だ。いつぞや観た海外の映画でコレに似た話があったのを思い出す。

瀕死で延命装置に入れられていた軍人の主人公がある時列車の爆破に巻き込まれた男の脳とケーブルで繋がれ、男の記憶の中でだけ動き回れる身となり別のケーブルによって特殊捜査員と電子的なコンタクトを取りながら事件の黒幕を暴いていくことになるのだが、記憶の中で恋をしたりして、捜査が終われば死ぬことが確定しているとわかっているにもかかわらず生きる理由を見つけてしまうという切なく歯がゆい作品で、たしか『なんとかミニッツ』とか言うタイトルだったはずだ。何分かは忘れた。

考えていると、現代の技術からしてあり得ないとは思いつつも身震いがした。

結局これはどういう状況なんだ。未だに目が覚めないということで夢オチは期待できそうにない。とにかく何も起きないことには話が前に進まない。そう思った矢先、空気が抜けるような音と同時に天井だと思っていたものが横にずれて真っ白な光が射した。ここは天国か・・・

「始めに言っておきますが、ここは天国ではないですよ。」

 口にもしていない俺の疑問に誰かが答えた。まだ目が明るさに慣れてないのでそこにいるはずなのだが輪郭を捉えるだけで精一杯だった。声からするに男なのは分かる。

「まだ目が戻ってきてないようですね。無理もない、真っ暗なその中に比べてこの部屋は明る過ぎる。まったく、ここの設計を考えた人はお客様への配慮がなっていない。それでもデザイナーかって話ですよ。」

 ブツブツ文句をたれているが、まるで俺みたいな人間を何人も見てきたようだった。『お客様』という単語が出て来たしそれは間違いないのだろう。医者か?

そうしている間に靄が晴れてきた。男の顔はクソ明るいライトの逆光でまだはっきりしないが服装は百パーセント白衣だった、取り敢えず俺が始めに取った行動は手足の確認だった。腕をぐっと顔の前に突き出してスリラーみたいな格好になったところ、指一本欠けていない手が二本あった。ついで体を起こして足元を見ると、傷ひとつない足が二本生えていた。ただ気掛かりなのはどういうわけかその四肢全てに白い輪が一つずつはめられていて、そこから無数の、最初点滴用のチューブかと思ったがよく見るといわゆるテレビとかに挿すケーブルが伸びていた。

「変でしょ。目が覚めたら真っ白な部屋で、体中にチューブが繋がっているから病院かと思いきや、よく見ると繋がっているソレはチューブではなく電気コードで。今何処にいるのか、どういう経緯でここにいるのか、何がなんだか理解出来ていないことでしょう。」

 身体を起こしたことで男の顔も顕になっていた。予想通り、腹の立つ話し方に合った鬱陶しいくらいの営業スマイルがそこにはあった。

「お前は誰だ?何の目的でこんなことを・・・」

 あたりを見渡すと四方に真っ白な光沢のある床、壁、天井が広がり、これまた真っ白な、貝みたいな形状をした丁度人一人入りそうなカプセルが無数に置かれていた。きっと俺が今座っているのもそれと同じモノなのであろう。

「目的・・・ですか。まるで私があなたのことを誘拐でもしてきたような言い方ですね。」

「違うのか。」

 俺が真剣に問いただしているのに、男はヘラヘラしながら、まるで俺の反応を楽しんでいるようだった。

「そんなに睨まないでください。これからちゃんとお話しますから。」

 どうやら俺は、無意識に、生理現象の如く彼のことを睨んでいたようだ。それに対する困ったような反応もいかにもわざとらしく、やはり生理的に受け付けない。

「その様子では、今から私が説明する内容も、あなたは信用しないことでしょう。ですがどのみちこの後あなたはこの話を信じざるを得なくなりますのであらかじめお話ししておきます。」

よく分かっているじゃないか。こんな詐欺師のような不敵な笑みを浮かべた男の言うことを素直に信じるのは、まだ善悪の判断がつかない幼稚園年少くらいまでか、気の弱い御老人、あとは自暴自棄の奴くらいだ。

「とりあえず聞いてやる。」

信じる信じないは後にして、聞かない理由もない。とりあえず今は情報が必要だし。

「分かりました、それではお話しします。ではまず・・・」

そう言って男は、腕を突っ込んでいるイメージの強いポケットから手鏡を取り出し、俺の目の前へと突き出した。自分の姿を確認しろってことか。その意味を考えて不安な気持ちになった俺は、恐る恐るソレを受け取り、そのキラキラと光る盤を覗き込んだ。

 ・・・ん?

 鏡に写っているのは俺だった。もちろんそれが当たり前だし、そうであることに越したことはないのだが、その、今の流れなら包帯ぐるぐる巻だったり整形で誰かの顔になっていたりまではないにしろ、何かしら負傷の一つや二つはあると想像するだろう普通。あっ、もしやコレは何かあると思って何もなかったことで戸惑う俺の姿を横目で楽しんでやろうという男の企みなのか・・・と思って顔をあげると、どうしたわけか困った顔をしているのは男の方だった。

「あれ、何もお気付きにならないですか?」

「ああ、普通にいつも通りの俺がいた。」

「おかしい、ですね・・・」

 さっきまで全てお見通しみたいだった男がついにボロを出した。所詮この男も一人の人間だったということが知れて俺は内心ホッとしている。

 男はブツブツ言いながらそそくさとその場から去り、カタカタとパソンコンのキーボードを叩く音がほんの十秒ほど鳴ったあとで「ああ、なんだ、そういうことか。」などと笑い混じりの声を漏らしてから再び俺の前に早足で戻ってきた。

「何がどういうことだったんだ?」

「あなた、あちらでは早くに亡くなられたんですね。」

 いきなり意味不明な投げかけがなされた。俺が亡くなった?あちらってどちらだ?少し考えて思い浮かんだのは、

「あちらってのは、俺がさっきまで見ていた夢となにか関係があったするのか?」

「ほう、夢ですか・・・ちなみにあなたの言うその夢とやらの内容について伺ってもいいですか?」

 たいてい夢ってのは起きて少し経てば詳細なことは分からなくなるものなのだが、どうしたわけか今は昨日のことくらい鮮明に覚えている。俺は変な夢で目覚めるというところから始まり、何者かにホームから突き落とされるまでを五分くらいのダイジェスト版にてお送りした。

「なるほど、それで若くして亡くなったということですか。」

 だからその言い方はなんなんだ。結局夢だったんだろ?

 男は少し考えるような素振りをして、何を思ったのか、突然俺の顔スレスレまで迫って来て、こんなことを言い出した。

「あなたが見た夢はそれだけですか?」

「近い。」

「失礼。」

 半歩下がった男をよそに、俺は男の言ったセリフをどう解釈するべきかで悩んだ末、「進行上省いた部分もある。」と答えたのだが首を横に振られた。

「期間の方です。」

 そっちの方か。二択までは来ていた、でも、まさかそっちを言われるとは思わなかった。あれより前から夢だったというのか?でも、じゃあいったいどこから・・・

「私、この仕事をやっていて一番辛いのがこの工程なんです。」

コレを生業にしているのか。というかそもそもコレが何なのかが未だに明らかになっていない問題をどうにかしてほしい。で、一番辛い工程・・・工程ってなんだ?俺は今から加工でもされるのか?だとしたら確かに辛い、俺が。

「では・・・言いますね。」

俺に拒否権はなかった。その後彼が、桐谷隆二が放った言葉は、あまりに現実離れした、なんとも受け入れ難い事実だった・・・と、その頃感じていたのを覚えている。


やはりこういうものを見せられると人間のテクノロジーがいかに発達しているかを改めて実感させられる。

 手首足首からのびたコードの先には、おびただしく連なり並ぶ十数台のスーパーコンピュータ。そこから天井伝いに戻ってきたコードが行き着く先、薄型の液晶パネルに映っていたのは、オンラインゲームとかでよく見るキャラメイクのプレビューのような映像で、その顔は完全に俺だった。

「こりゃ気付かないわけや。」

 そう漏らしたのは俺の隣で一緒になって見ている白衣姿の隆二で、それはなんとなく馬鹿にしているような言い振りでもあった

「何が悪い?」

「いや、悪くはないし実際こういうプレイヤーも結構いるんやけどさあ、俺的にはやで、別人として生きられるというまたとない機会やっていうのになんで性別どころか顔のパーツまで一緒にしてまうかな・・・って。」

 プレイヤー、別人として生きる・・・

 ついさっきまでそんなことをやっていたと思うとゾッとする。

よくファンタジー物のテレビゲームなんかをやっていると、いつの間にか夢中になってその世界に入り込んでしまったような感覚に陥ることがある。とはいえそれは一時の現実逃避でしかなく、セーブポイントだのメニュー画面だのといった要素もあり、結局プレイヤーとしての意識を忘れてしまうほどではない。

 だがさっきのはどうだ。というかもう既にあれを『さっき』の一言で置き換えられてしまう時点で恐ろしい。確かにプレイ時間だけで言えば一時間半、一時間半前、『さっき』だ。しかしここで重要なのはあくまで体感的な時間の方であり、俺があの真っ白なポットに一時間半入って得た情報量はというと、ズバリ人の十八年に相当していた。

「コレが必要ない客とか居るん?」

 俺は先程から握りしめていたちょっと高級そうなUSBメモリを突き出して尋ねた。表面には整理番号と俺の氏名『四条慎士』が印字されている。

「ああ、極稀に。向こうで前世の記憶が・・・みたいな設定あったやろ?ああいうのはだいたいそれ。」

 設定、ねえ・・・

「まあ、大体の人は赤ん坊として生まれた時点で記憶無くすんやけど。」

 そのためのメモリースティック。まったく、一体どこの誰が人間の記憶をこんな小さな電子端末に保存するなんてぶっ飛んだ発想に行き着くどころか形にしてしまったのだろうか。十年前じゃ考えられなかっただろう。

「ちなみにおばけやUFOの正体って何やったん?」

「バグ。」

 どうしてだろう、現実だったら絶対通用しないはずの理屈なのに、今すごく納得している。

 ・・・あ、そうかあれは現実じゃないんやった。

 未だに整理がつかない。つい十分前までは中学来のダチだった隆二の顔も名前も忘れた『三上慎士、十八歳、高校生』だったところに、メモリースティックに保存されてある『四条慎士、二十五歳、編集者』の記憶を再ダウンロードさせられたことにより、実質四十三年分の記憶を保持したことになるのだが、しかしそれにより記憶が平行に存在する部分があるというわけのわからない状態が仕上がってしまった。

「そういえばお前、目覚めていきなり俺にタメ口やったやろ?記憶なかったんとちゃうん?記憶あるならまだしも、実質初対面の俺にタメ口やったのはこの仕事やって以来お前が初めてやわ。みんな俺のこと医者か神様と思って敬語つこうてくるのに。」

「いや、俺は目覚める前ホームで人に突き落とされて殺されてんねん。穏やかにいられるわけ無いやろ。」

「まあ確かにそうか。そうや、お前はそういう意味でもちょっと異例の客やってん。」

「そういう意味?」

「まあ、こっちも商売でやってるから、大金を払ってもらった以上、お客様には満足して帰ってもらわんとあかんやろ?」

 確かこの五感搭載型オンラインリアル人生ゲーム(正式名称は知らないが)の一回、三時間のプレイ料金は税込み一万六千円と、最新のテクノロジーを用いているだけあってやはり高い。

「だからうちでは、プレイヤーがコンピューターに他殺される、自然災害に巻き込まれて死亡するといった仕様を今のところ取り除いてる。」

「そんなこと出来んの?」

「何言ってんねん、ゲームやぞ、そもそも人が作ってんの。」

「ああ、そうやった。」

だが、それならどうして俺は死んだ?という疑問が浮き上がる。あれは明らかな他殺だ。確か隆二は『コンピューターによる他殺は無い。』、と言っていた。じゃあコンピューター以外はどうなんだ?

「あっ。」

「気付いたか、そういうことや。仕事上、俺たちにプレイヤーの行動まで制限する権限は無い。」

 つまり俺を殺ったのはどこかのプレイヤー。この大阪第二店舗に限らず、日本全国で約三十店舗、そのうちのどこかにあいつも居るってことか。

どういう感情になるのが正しいんだ、これ。

確かに告白を邪魔され、ホームから線路へ突き落とされて殺された。憎む理由としては十分過ぎる程であるのだが、でもそれは全てゲームの中の話なのだ。

よく、十八禁のオープンワールドゲームをプレイしている小学五年生くらいの子が、三十路近くの自称プロゲーマーおじさんにしつこくキルされてボイスチャットや掲示板で誹謗中傷しまくるというケースを見るが、ここで俺が怒るのはそれと同じことではないだろうか。

「ちなみに、この店におる。」

 「それ以上は個人情報やから言われへん。」と付け加える隆二だったが、いや、それも言わない方が良いと思うぞ、俺は。

そんなこと知るとますますモヤモヤしてくるではないか。どうしよう、帰る前に一発ぶん殴ってやろうか。それぐらいなら許されるはず・・・

コンコンコン。

ふいに軽めの柔らかいノックが鳴り、病院の診察室にありそうな横開きのドアが開いて、隆二と同じ白衣を纏った女性がカルテを持って入ってきた。

「りゅうじっ・・・桐島さん、1205の樋口紗綾様がお目覚めになられました。」

 今、俺の存在に気付いて言い直したよな・・・ってか、そうだ、ここへは紗綾と来ていたんだった。

「わかりました。すぐ行きます。」

 隆二が応えると、女性スタッフは軽く会釈して扉を閉めた。

「彼女か?」

足音が遠ざかるのを待って尋ねると、隆二は少し考えるような素振りを見せた後、「候補の一人、かな?」と答えた。

「それよりさっきの名前、お前の彼女やんな?」

 他にどんな候補があるのか気になったが、あまり触れられたくないのかすぐに話題を変えられてしまった。

俺は仕方なく頷く。

「このあと彼女にもお前と同じように記憶の復元を行うから、ここ出て二つ隣にある控室で待ってろ。」

「いや、俺もここ居るわ。」

「ここ狭いねん、居られたら作業の邪魔や。」

 そう言われては去る他ない。

 保管されてあった荷物類を受け取り部屋を出た俺は、同じような部屋がずらっと並んだ病棟みたいな廊下の、一番端にあるプレイヤー休憩所に入った。

 部屋には誰もいなかった。焦げ茶のテーブルに、高級そうな黒い革のソファ、部屋の角に自動販売機と観葉植物が設置されてた閑静な部屋に、空調の音だけが虚しく響いている。

特にやることもなく、空いた手が落ち着かなかった俺は、意味もなくテーブル上に置かれた冊子を開いた。

『世界初、全身体感型ヴァーチャル・リアリティゲーム、「VRライフ」。一プレイ一万六千円(税込)。プレイ最高時間三時間。

 ルール: 生まれた瞬間(0歳)~死に際(最長百二十歳)までの人生を悔いなく過ごしましょう。

 終了条件: 死亡(寿命を迎える、病気、交通事故、他殺、自殺など)。

アバターカスタマイズについて: プレイスタート前に性別、顔、体型、体質など細かい設定が行えます。そのままの姿でプレイするもよし、性別も変えて全くの別人としてアナザーライフを過ごすもよし、コンプレックスだけを修正して理想の姿になるもよし。全てはあなたの思うまま。

オンライン通信について: 全国各地の店舗(それぞれ二十名)がオンラインで繋がります。また、プレイヤー同士のエンカウント率を上げるため、出生地はマップの一部分に集結させています。

・・・』

冊子をもとあった場所に返し、ソファーに仰け反った。血が登って頭がジーンとする。

俺が死んだのは十八歳で、プレイ時間は一時間半。二十歳だったとしても、三時間ってことは倍で四十歳。どう考えても最高齢の百二十歳と最高プレ時間の三時間が釣り合わない気がするのだが・・・

別にどうでもいいけど。

それにしても誰も来ないな。紗綾はもうすぐ記憶を取り戻してやってくるとして、二十人もいれば早死するやつがもう一人や二人いてもおかしくないはずだ。・・・とんでもないセリフだな。

ああ~、なんかぼーっとしてきた。

プレイヤー同士のエンカウント率が高くなるように一部分に集結していたと書いてあったけど、つまりそれは、あの時俺の周りにも少なくとも何人かはCPUでないプレイヤーが居たってことだ。殺人犯もその一人。

もしかしたら悠斗や颯太達もこっちに存在しているかもしれない。

白河だって・・・

まあ、居たとしても合うことは無いだろう。全国三十店舗ある中から見つけ出すのは至難の技だし、第一見た目も違っているかもしれないのだ。あまり高望みはしないでおこう。

紗綾、遅いな・・・

もう俺が目覚めてから一時間近くが経っている。今寝ている奴らのプレイ時間はだいたい二時間半になる。歳で言うなら、七、八十はいってるんじゃないだろうか?

 ちょっと喉が乾いた。

 席を立って角にある自動販売機の前まで移動する。ディスプレイには青地に白の文字で『つめたい』と書かれた札が三段全ての端から端までずらっと並んでいた。そうか、空調が整いすぎていたから気付かなかった、いや忘れていた。今は夏だ・・・

 チャラン、チャラン、チャラン・・・ピッ、ゴトンッ。

・・・プシュッー。

「グッグッグッ・・・はぁあー。」

 ガチャ。

「ん?」

隣のドアが開いた。

 コーラのペットボトルに口をつけたまま横目に見ると、女性が一人立っていた。紗綾ではない。大人びた彼女とは違いまだあどけなさの残る女性。どこかで会ったことがあるだろうか?正直俺は知らないのだが彼女の目はそう語っている。俺の顔を覗き込んだまま動かない。

「あの、つかぬ事をお聞きしますが、あなたのお名前は?」

 やっぱり俺のことを知ってるのか?とはいえほんとに見覚え無い、はずなんだが。

「四条です。」

「下の名前は?」

 ああ、そうか。これは名前じゃなくて名字だな。

「慎士。」

「あっ、やっぱり。慎二やんな。」

 いきなりタメ口になるのか。人のことは言えないけど・・・

 でも、そのぐらいの関係ってことか。じゃあ高校か中学の同級生・・・いや、こんな女子いた覚えがない。

「すいません、あなたは一体誰ですか?」

 俺が本当に分かっていないのを見て、女性はわざとらしく肩を落として少ししょんぼりした声音で言った。

「そうやんな・・・やっぱりこの姿じゃあ分からんよな。」

 なんだか申し訳なく思えてきたが、ともかくそろそろ正体を言ってもらえないだろうか。言ってくれないと思い出すものも思い出せない。

「この姿じゃってことは、もしかしてゲームの中で知り合った・・・」

もしかしてというか、もはやそれしか無いだろう。ゲームの中でも俺はこの姿をしていたから、俺が分からなくて向こうが分かるのもそれだと納得がいく。

だとしたら誰だ? 『三上慎士』の知り合いで、かつ下の名前で呼び捨てだった人間は・・・

もしかして、母親か?

いや、そうだとしたら今ものすごくややこしい状態になっているじゃないだろうか。見るに現実の彼女は俺より若そうなまである。年下の母、何だこれ。

「悠人。」

 ああ、悠人。すごく馴染み深い名前だ。

「あいつと何か関わりがあるんですか?」

「いや、だから・・・ウチやねん。」

 『ウチ』、というのは関西女子特有の一人称の方の『ウチ』だよな。『家来いよ。』の『ウチ』じゃなくて・・・いや、後者だと意味が成り立たなくなるからこの場合前者一択なのだが。

 で、何がウチなんだ? という愚問はよそう、ホントは最初からうすうす気付いていたんだ。ただなんとなく、納得がいかなかった。

「本当にお前、あの悠人なのか?」

 俺の幼馴染。気さくで誰とでもすぐ仲良くなれて、学園のアイドルともひっそりお付き合いをしていた男。その本当の姿が今目の前に居る若い姉ちゃんだと言われてもいまいちピンとこない。

「六十年くらい前・・・今となってはついさっきのことやけど、慎士が死んで、ウチらの学年は文化祭どころやなかった。」

 遠い昔のことを顧みるような、外見に似つかわない口調で彼女はそう切り出した。

 彼女いわく、俺を殺った犯人はその後すぐその場に居た駅員たちに取り押さえられ捕まったらしく、二人目の、つまり俺の隣に立っていた白河にまで被害が及ぶことはなかったそうだ。 

しかし、俺が電車に轢かれる瞬間を彼女は見てしまった。生身の人間が鉄の車輪に巻き込まれて血肉と化す瞬間なんて、想像しただけでも血の気が引けるだろう。ましてやそんな絵面をまともに見てしまった彼女がその場で気を失い、以降トラウマで家に引きこもるようになり学校にも顔を見せなくなることは当然と言えば当然であろう。

 それ以外の俺をよく知る人間も文化祭には参加することなく、高校三年は散々だったみたいだ。それでも高校卒業以降は徐々に立ち直りそれぞれの道へ歩み始めたらしいのでまだ良かったのだが、白河だけは、結局最期まで家から出て来なかったそうだ。

「ほんとに、悠人なんだな・・・」

「だから言ってるやん。」

 身近な人間にプレイヤーがいる、説明書にはそう書いてあったが、まさかこんな形で悠人と再開するとは・・・

 立ち話もなんだしということで先程からソファーに隣り合わせで座っているのだが、男同士の会話であるはずなのに隣から確かな女性を感じるというのは、いったいどういう気持で受け止めれば良いのだろうか。

「ちなみに悠人の・・・」

いや、確かに向こうの世界では悠人なのだが、現実の彼女を悠人と呼ぶのはなにか違う気がする。

「ちなみに、本名は?」

 本名という聞き方が正しいのか分からないが、それ以外に手頃な言い方も見つからないし良いだろう。

「西野悠。」

 なんと、『人』という字が取れただけで一気に女性らしい名前になった。これは分かりやすくて助かる。

「俺と悠以外には居らんのか?」

「ウチら以外はまだ・・・あっ。」

「なんや?」

「いや、ほら・・・」

 突然、悠がドアのある方へ指を指した。なんだか分からないまま振り向くと、ドア枠越しに誰か立っている。それも不機嫌なしかめっ面で。どうしてそんな顔をするんだ。俺がなにか悪いことしたか? 俺はただ、ゲームの中で知り合った友達と男同士仲良く・・・

 冷や汗が吹き出た。

「ちょっとまってくれ紗綾。これは浮気とかそういうんやなくて・・・そうや、ゲームの中で知り合った友達で、ゲームの中ではこいつ男やってん。」

 慌てて弁解する俺。紗綾はと言うと、「それがどうしたんや。」と言わんばかりの鋭い目つきをしていた。

「ああっ、彼女さんですか。はじめまして、西野と言います。三上、じゃなくて、四条さんとはあちらの世界で、男友達として仲良くさせてもらいました。さっきはそれを思い出して話していただけですので。」

 間に割って入った悠がそう言い置いて出ていこうとした。

「じゃあな。」

 俺が別れの言葉を述べても、彼女は何も言うことなく軽く会釈だけして出ていった。

 なんとも言えない空気が漂っていた。

「座るか?」

「いい。」

「そうか。」

「ここに居る必要ないやろ、私らも出よ。」

 紗綾の言う通り、なにもここで話す必要もない。ここを出て、どこか喫茶店かにでも入ればいい。その方がデートっぽいし、今日はデートなのだ。

 俺は低反発のソファーに埋まった腰を引き上げ直立二足歩行でマイ・ファーストレディのもとへ歩み寄った。立ち上がった際、さっきまで空っぽだったポケットの中で紙切れが折れるような音がしたことは彼女には内緒にしておこう。

「お茶でもするか。」

「うん。」

 

なんば駅から御堂筋通りに徒歩十分ぐらいのところにある適当な喫茶店に入った俺と紗綾は、カフェオレとアメリカンコーヒーをテーブルの上に並べてもう二十分は同じ話題で盛り上がっている。言わずもがな、さっきのゲームについてである。

 お互い、普段からテレビゲームをやったりする方ではないのだが、俺の友人でそのプログラミングにも関わっていた桐谷隆二がやたらと勧めてくるものだから、デートコースがてら寄ってみたわけだ。

 しかし、それがまたよく出来ていて、話すことが尽きないのである。

「そう言えば、紗綾も結構早くに起きたよな。」

 俺が記憶を取り戻して、ちょうど身体検査が済んだ後だったから、プレイ時間にして言えば二時間弱ってところか。結構早死しているはずだ。

「四十二歳の時・・・大きな地震があって、倒れてきた電信柱かなんかの下敷きになって死んでもうたわ。」

「それは、災難やったな。」

「まあ、結局ゲームだったし良いんやけど。」

 どうしてそう、すっと切り替えられるんだ。俺なんて未だに後悔しているくらいだ。もっと早く告白していれば返事ぐらい聞けただろうに・・・と。

白河・・・思えば最期まで名前で呼ぶことはなかったな。

でも、もしかしたら彼女も、こっちの世界から来ていたプレイヤーかも知れないんだよな・・・

まあでも、仮にもう一度彼女に会えるとして、それでも俺が彼女に会いに行くことはないのだろう。

俺はアメリカンコーヒーに口をつけるクールビューティーガールを見やった。

「・・・なに?」

「なんでもない。」

「あっそ。」

 表向きにはそっけない態度を取るが、ホントは俺のことが好きで、すぐ嫉妬する。そういう面倒くさいところも含めて、俺も彼女のことを愛しているわけで、この現実世界で白河に会うのは俺的にも好ましくないのだ。

ゲームでのトラウマを現実でまで引きずってなければいいが・・・

コーヒーを飲み干した俺達は、その後二時間くらい街をぶらっとし、七時には予約していたレストランでディナーを頂いた。

本来ならそこでお開きにするつもりだったのだが、紗綾はまだ飲み足りなかったみたいで近くにあったバーに半ば強制的に連れられ再び乾杯した、ところまでは覚えているのだが・・・


なぜだ、どうして俺はシャワーを浴びてバスローブ一枚で二人がけベッドのヘリに腰掛けている?

 ミッドナイトの静寂に、跳ねるしぶきの音だけが聴こえてくる。

 どっちが誘ったんだ・・・俺か? 

駄目だ、全然覚えてない。

「酒は飲んでも飲まれるな。」子供の頃、大人達が自分の体験談を交えながら話しているのを真剣に聞くふりしながら、内心「そんなわけあるかいっ」とツッコミを入れていた俺だったが、今言いたい。

酒は飲んでも飲まれるな。

 酔ってる時、変なこと言わなかったかな?俺は忘れていても大酒飲みの紗綾は覚えているだろうから恐ろしい。例えば白河の話とか・・・と思ったところであることを思い出した。

昼間、ゲームが終わった後に休憩所で出会った女性、東悠人改め西野悠、おそらく彼女が入れたであろうポケットの中の紙切れ。正直、紗綾に知られて本当に困るのはこっちの方だ。丸文字で書かれた名前と電話番号なんかが記載されていたりでもしたら、今夜は逝くことになりそうだ。

慌ててズボンを探したが、どうしたわけか一向に見つからない。そもそも俺の身につけていた衣類全てがこの部屋には無いように思われた。

脱衣所か・・・

 もちろん今脱衣所に向かえばちょうどシャワールームから出てきた紗綾と鉢合わせ、なんて可能性もある。だからといって紗綾が戻ってくるのを待っていては、仮に紗綾が気を使って俺の衣服まで運んできてその際運悪くポケットから紙切れがこぼれ落ちるなんてことにも成りかねない。

 迷った挙げ句、俺は脱衣所への侵入を試みることにした。シャワーの音もあるので千鳥足になるほどではないが、やはりドアノブをひねるのには最新の注意を払った。

 えーっと、どれだ?

 傍らに水気を感じながら、そっちの方角は見ないように洗面所の下にあったカゴの前にしゃがみ込む。カゴは二つあり、予想通りその一つに俺の衣服が全て入っていた。一安心して隣のカゴに目が移る。

 これは・・・

 雑く畳まれたワイドパンツと白地Vネックの上に、きめ細かい花の刺繍が入った黒のパンツとブラジャーが乗っていた。

 そういやこれ、今朝からVネック腰に透けてたな・・・

 そんなことを思いながらブラジャーの方を何気なくつまみ上げていると、背後でシャワーの音が変化したことに気付いた。しぶきが直接床に当たるような音、磨りガラスの扉があるとわかりつつも反射的に振り向いた俺はそのまま凍りついた。

 今の今まですっかり忘れていた。扉が、なんてレベルじゃない、そっちの壁全部がスケスケのガラスだった。

 素っ裸の彼女と目が合う。彼女は特に局部を隠すような素振りもせず、ただそのまま黒い布を掴む俺の右手へと目線を移動させる。

眉をひそめた彼女が中指を立てて、口パクでこう言った。

し・ね。


結果的に死なずに済んだ俺だったが、ぐったりはしていた。紗綾はというと、やることやってさっさとまた風呂に入っていった。こればかりは男女でオーガズムのメカニズムに差があるから仕方ない。

ちょうど良い、この隙きに連絡先の方を片付けておこう。まだ見てもないのにあの紙切れが連絡先を記したものであると断定するのもどうかと思ったが、逆にそれ以外なにがあると言うのだ。

俺はさっき回収したズボンの中から二折になったメモ帳の紙を取り出し広げてみると、やっぱりというか、そこには女の子らしい角の取れた字で『にしの ゆう ○○○―○○○―○○○○』と書かれてあった。

ひらがななのは急いで書いたからであろう。それにしてもどのタイミングで書いたんだ?紗綾が入ってきてから慌てて書いたのだろうが・・・

とりあえず俺は、その電話番号をスマホの連絡先に追加して、用済みになった紙は、ズボンに直して後でひらっと出てくるのも怖いので、コンドームと一緒にティッシュに包んでゴミ箱に捨てた。

 証拠隠滅。

 それにしても、今日の紗綾はかなり積極的だった。紗綾とのセックスは今日が初めてで、普通なら男の俺がリードするべきなんだろうし、俺自身もそのつもりでいたのだが、すっかり主導権を奪われてしまっていた。聞けば酔った俺をこのラブホテルに誘ったのも彼女だったらしい。

 欲求不満だった・・・理由はそれだけではないんだろうな。 


 翌朝、目を覚ました俺はまず隣に人が居るのに驚いて、疲労感の残った重たい身体を無理やり起こし、それが他でもない紗綾であることに気付いてからようやく昨晩のことを思い出した。

 すやすやと寝息を立てている紗綾を起こさないようにそっとベッドから降り、昨日の服を着た。ポケットに入っていたスマホを取り出すと、意図せず画面が明るく光った。

 9:31 7月18日日曜日 

 洗面所で寝癖を直し、トイレを済ませて部屋に戻る。彼女のはだけた胸部が上下に動いているのを確認して、俺は静かに廊下へと向かった。

 九時半過ぎならもう起きているだろう。

 廊下に出た俺はスマホを取り出し、連絡先を開いた。名前も登録していない電話番号をタップする。予想通りというか、まるで俺がこのタイミングで掛けてくることを分かっていたかのように、三コール目には相手と繋がっていた。

『はいもしもし、西野です。』

 三時間前には起きていたんだろうなと思わせるクリアで溌剌とした応答だった。

「四条です。」

 思わず他人行儀になってしまったが、そもそも現実では昨日が初対面だったわけだし間違ってはいないはずだ。

「四条・・・ああっ、慎二っ!」

 だがしかし、どうやら向こうはオフ会で初めて顔合わせしたゲーム仲間にもこれまで通りのフランクなノリで話すタイプみたいなので俺も彼女に合わせることにした。

「今日の午後、空いてるか?」

わけも言わず唐突に聞いた俺だったが、悠もはじめからそのつもりで俺に連絡先を教えていたわけで、予定を思い出すような間もなくこういった。

「空けてあんで。」

 それから、正確な時間と集合場所云々を伝えた俺は、スマホをポケットへ戻し何食わぬ顔で部屋に戻った。

別に浮気をしているつもりはないんだが、なんだろうこの背徳感・・・

「おはよう、どこ行ってたの?」

 部屋に戻ると、髪も服も乱れた彼女が眠たそうな半開きの目で出迎えてくれた。

「おはよう。ちょっと電話してた。」

「ふ~ん。」

 誰と? とか突き詰めて聞いて来なくてよかった。っていうかさっきから考え方が浮気男みたいになっている。

俺と悠斗あらため悠はあくまでも男同士的な交友関係で・・・ってのもいかにも言い訳っぽいが、だからって男女の友情は成立するという意見には俺も反対なので、悠を女友達だとは言いたくない。

いやあ、悠となら大丈夫だと思うんだよな、結局根拠は無いがそうだと思いたい。

まあ、何であろうとそれを言って紗綾が納得することは無いだろうからコソコソすることに変わりない。

「どっかで朝食だけ食べて、今日はお開きにするか。」

「うん。髪直してくるからちょっと待ってな。」

 女子の「髪直してくる。」がちょっとで済むはずないのは明らかで、その上メイクや着替えなどいろいろあって、結局俺たちがホテルの外に出たのは十時半を過ぎたぐらいだった。

 最初はモーニングのつもりだったのだが、時間も中途半端だったので、紗綾と相談した結果ランチも兼ねたけっこうガッツリめの食事をして今週のデートはお開きとなった。

 紗綾はまだ眠たいみたいでゆっくり休むために家に帰るみたいだ。俺はというと、俺も俺で服を着替えたり明日の仕事の準備も済ませておきたいのもあるので、またここには戻ってくるのだが一度家に帰ることにした。


 待ち合わせはまた難波。チェーン店のカフェにしたのは彼女と友人の間に一線を引いているという自分なりのアピールなのだが、認識する人間がいない時点でただの自己満足である。

 集合時間は三時。っで、今は二時十分。ちょうど良い、こんなこともあろうと思って俺はノートパソコンを充電マックスで持ってきていた。

 店内に入り先にアイスコーヒーを一杯注文して四人がけのテーブル席に座った。

パソコンを起動させコーヒーを飲みながら立ち上がりの完了を待つ。

 今朝、家に戻ってパソコンを確認してみると自分が担当しているライトノベル作家から新巻の原稿が送られて来ていた。本当は明日からの平日の勤務時間にチェックをすれば良いのだが、俺も文章を読むのが好きで編集者になった身、暇があったら趣味感覚で赤を入れるのだ。

 と、いっても本当に赤のボールペンで書き込んだりはしない。俺はワープロのアイコンをダブルクリックし、共有フォルダーから新着のドキュメントを選択した。

 早いこと一回目の訂正を終わらせて明後日には表紙のイラストを頼まないと。シリーズものの続編だからイラストレーターは固定でいけるが、まあ、早いに越したことはない。

 そうこうやっていると三十分もすぐに経過し、集合時間より十五分早く約束の相手がやってきた。

「やあ、慎二。待たせたね。」

 悠人のモノマネみたいな口調で悠がパソコンに夢中になっている俺の肩を叩いた。どちらかと言うと御本人登場的な嬉しさを感じた。

「よう悠人・・・じゃなくて、悠だったな。」

 俺の向かいに座った悠の手には既にコーヒーカップが備わっていた。注文してから来たらしい。なぜ真夏の昼間にカップから湯気が上がっているのかは疑問でしかなかったが、まあそれはこの際いい。それよりも俺は今、向かいに座っているのが悠だけではないことに驚愕している。

「ひやまななこ、ウチの大学の友達。」

 状況を飲み込めない俺を見た悠が丁寧とは言い難いさっぱりとした紹介をしてくれた。

「あっ、火山噴火の『火山』に菜の花の『菜』に繰り返しの意味の・・・あれなんて言うんやろう。まあ後はだいたい想像できるやろ。」

悠の言う繰り返しとはおそらく『々』のことだろう。いや、そういう話じゃなくて、俺が知りたいのはどうしてお前一人じゃなくその、火山菜々子なるお友達を連れてきたのかという理由の方だ。 

 悠と違い、さっきからアイスコーヒーのストローに口をつけたまま何も言わないメガネ美少女は、火山と言うより休火山と言った方がしっくりくる。子供時代はさぞ自分の苗字を恨んだことであろう。小中学校ではその手のイジメは多かったからな。

「で、なんでその火山さんを連れてくる必要があるんや?ゲームの話をしに来たんやろ?お前一人でええやん。」

「だからこそやんっ。」

 得意げに胸を張る悠、その胸がまたデカイ。比べるのもどうかと思ったが紗綾よりツーカップは大きいと見た。これがあの悠人の正体・・・複雑だ。

「なにジロジロ見とんねん。」

「あっ、すまん、つい。」

「なにが『つい。』や、アホが・・・」 

「えっ?」

「なんでもないっ。」

 そこまでキレることないだろ。あと、さっきから周囲の視線が痛い。見るなこっちを。火山さんは相変わらずの無口だし、どうしたものか・・・

「それで、彼女の正体は?」

 なんとなくだが、今の流れからするに、彼女もまた、あのゲームのプレイヤーで、俺にも接点のある人間なのだろう。

「そこまで分かっててまだ誰か分からんの?」

 悠は呆れたように「じゃあもう大ヒント。」と言って無抵抗な彼女からメガネを取り上げ自分の顔に装着した。

最初俺は、メガネの悠を見つめながら、何がしたいんだ? と思っていたのだが、すぐに見るべきはそっちじゃないことに気付かされた。

 菜々子・・・どこかで聞いた名だと思ってはいたが、どうして今まで確信に行き着かなかったのかが今となっては不思議でならない。

 メガネを外した彼女は、アイドル顔負けの超絶美少女だった。改めて見ると男どもがこぞって女神のように拝み倒していたのにも納得だ。

 全国の男性プレイヤーよ、喜べ。

我らが学園のアイドル月島菜々子は、やや色気づいた大学のマドンナ火山菜々子としてこの世に現存していた。

「お久しぶりです。」

一瞬、悠が言ったのかと思ったが、そんなわけもなく、周りを見ても他に誰もいないので、やはりというかそれは火山の口からでた言葉で間違いなかった。

「うふふ、向こうの世界と何も変わらないですね。」

 火山が身を乗り出して俺の顔を覗き込んで言った。

てっきり永遠無口な人なのかと思っていたが、案外喋るじゃないか。さてはギリギリまで俺に正体を悟られないようにする為の演技か・・・

「上手いこといったな。」

「うんっ。」

どうやらそうらしい。

俺の目の前には中の良い女子大生が二人、それを再確認した時にふと気がついたのだが、

「そういや、二人って恋人同士やったよな。ゲームで。」

数ある高校の数いる生徒の中で好きになった相手がたまたま現実での友達だというのは一体どのくらいの確率なのだろうか。まさしく運命の相手だ。

「ほんまそれよ。」

 悠が人差し指を俺に向けて賛同の意を述べた。大人を指差すんじゃありません。

「なあ菜々子、エージェントでも悠人の正体がウチやって分からんもんなん?」

 エージェント? なんだそのかっこいい役職名は。だいたい二人とも大学生なんじゃ・・・

「警備する範囲しか聞かされへんかった。まあ、えこひいきしたらあかんしね。」 

「そっか~、じゃあ運命やな。」

 あっさりと結論を出してホットコーヒーをすするように飲み始める。彼女だけがこの中で一人汗だくだった。なんでそれ選んだ?

「おい、さっきから俺一人置きざりにしてなんの話してるんや。エージェントだの警備だの、火山さんも悠と同じ大学の生徒なんじゃないんか?」

 俺がそう問い詰めると悠は片手で『待って』の合図をだし、しばらく掛けて口に入ったコーヒーを飲み込むと、『はぁ~』と温そうな息を吐いた。

 いや、別にお前が答える必要は無いんだが?火山の方を見ると、目が合った彼女に上品な笑顔で会釈された。

「菜々子は私と違ってVR科の生徒でな、その勉強も兼ねてシェルゲームズで職業体験しててん。」

 VR科・・・って、今はそんな科もあるのか。時代だなあ。

「昨日のゲームセンターそんな名前やったんか。」

「知らんかったん?ゲーム機の形状が貝殻に見えるってことからそうなったみたいやで。」

 確かにそれは思った。

 ふと、拳銃を持った月島が死に際に現れたのを思い出した。銃を向けたのも殺人鬼がどうのこうのという忠告を俺にしたのも彼女に与えられた仕事、任務だった。まさしくエージェントだ。

「それじゃあ、悠は?」

「ウチは友達が職業体験しているところに遊びに行ったただの客。ちなみにウチはゲーム学部でもプログラム科の方。」

 他にどの方があるのか知らないが、とにかく彼女たちはゲームクリエイターの卵みたいだ。ゲームか・・・一度は考えた道だが、なんせ俺、絵が描けないからなあ、だからといって今からプログラム言語を覚えようとも思えないからやっぱり無理だ。

「ごめん、ちょっとトイレ行ってくるわ。」

 ふと、そう言って悠が席を立った。

「うん。」

「ああ。」

 悠が店の奥の方に消えていったことで、当たり前だが俺と火山が二人きりになった。火山は再びストローに口をつけてコーヒーを吸い始めた。目が合わない。何か話すべきだろうかと思って記憶の引き出しをあさっていると、ちょうどいい話題が見つかったので話すことにした。

「あ、そうだ。俺の友達にシェル、ゲームズ、やっけ? 昨日の店舗に勤めてるやつが居るんやけど。紹介しようか?」

 火山がぱっと顔を上げた。やはり興味はあるみたいだ。

そりゃあ、わざわざVR学科なんてピンポイントな科を選択するぐらいだ、きっと彼女も卒業後にはVR関係の仕事に就きたいと思っていることであろう。そういう時、何かしらのコネがあるに越したことはないということを考えたりもするであろう。

「桐島隆二っていう男なんやけど・・・」

「ああっ、あのカッコいい人!?」

「・・・うん、まあ。」

カッコいい人・・・か。うん、確かにまあ顔の作りは精巧というか一目惚れされる分には仕方ないとは思うが、あいつはやめておいたほうがいい気がする。下手をすると何番目の愛人とか言われることになるやもしれん。確証がない以上俺がそこへ口を挟むわけにもいかないが・・・

それより、俺は今、火山菜々子の男に対する食付きの良さに少々驚いている。月島菜々子は男どころか人間というものを避けているような性格の持ち主だったというのに・・・やはりあれかな、仕事中は遊んではいけない、みたいな真面目さが原因していたのかな。

「とりあえずあいつの連絡先送るわ。俺からも言っとく。」

「ありがとうございます。」

さて、隆二にはなんと説明しよう。VRのことを知りたがっている勉強熱心な大学生が居る。お前のことが気になってる娘が居る。どちらも間違ってはいないんだけど・・・

先にお互いの連絡先を交換した後、隆二の連絡先を送った。

その間、俺は一つ気にかかっていたことがあったので聞いてみた。

「火山さん、というか月島さんって俺が電車ではねられる瞬間拳銃みたいなもので俺を突き落とした犯人を狙っていましたよね。」

「見えてましたか・・・あの時は守れなくてごめんなさい。あなたが狙われているのは事前に分かっていて、犯人が動き出したと同時に私も出撃したんですが・・・」

 あの後、白河が巻き添えをくらわなかったのは駅員のおかげだと悠は言っていたが、多分本当は月島菜々子によって犯人は取り押さえられ、後から駆けつけた駅員は倒れた犯人を連行しただけだったのだろう。

「大変な仕事だな。つまりその仕事って実質三時間勤務だけど体感的には百二十年勤務ってことやもんな・・・」

 職業体験で一度だけだったから良かったものの、それを生業にしている人間はその百二十日を何百、何千回とやることになると考えるととても精神が保ちそうにない。俺なら間違いなく病む。

「ああ、四条さんは少し勘違いをしています。」

 俺の感嘆を遮るように彼女は言った。何が勘違いなんだ?

「私たち研究生の役目はプレイヤーに紛れて警備や監視をすることで間違いないのです。でも、必ずしも三時間の勤務時間をヴァーチャル世界で過ごさなければならないわけではありません。私のようなエージェントと呼ばれる仕事をしているのはあの一店舗だけでも五人いますし、おそらく三十店舗近くある全てにおいてそれくらいの人数は居るでしょうから・・・百五十人くらいでシフトを組んでいると想像してもらうと分かり易いかと思います。」

 分からん。

「じゃあ、火山菜々子がシフト外の間は月島菜々子も存在しないことになるんとちゃうん?」

 月島菜々子は生徒会長であり、学校にはほぼ毎日来ていたはずだ。それにいなくなったとなれば真っ先に悠人が気付くだろう。

「月島菜々子はずっと存在していましたよ。ただし、普段はCPUとしてですが。」

 どういうことだ。それだとCPUが操作している時と火山が操作している時とで人格が変わって違和感を覚えるはずだ・・・

「そうか。言われてみると生徒指導室で会った月島菜々子は、普段の印象からは想像できないキャラクターでびっくりした記憶があるわ。あれが火山さんやんな?」

「はい、そうです。でもその時に限らず、実を言うと私は高校以降はずっとヴァーチャルにいたんですけどね。」

 なんとまあ。真面目というか、物好きというか、驚くほど献身的な人だなあ、と俺が関心していると、「と、いうのも・・・」と火山が訳あり気に独白を始めた。その時の火山はまさしく火山で、今にも煙を吹きそうなほど頬を真っ赤に染めていた。

「私、その、悠ちゃんが好きだったの・・・」

 店内のBGMにかき消されそうな細々とした声音が言った。

「えっと、それは東悠人じゃなくて、さっきまでここにいた西野悠が、ってこと?」

「はい・・・ああでも、レズってわけではないんですよっ。基本的に男の人が好きだし。」

 レズでもバイでも別にどっちでもいいのだが、それを聞いて俺が抱いたのは悠が好きで、ゲームの中で唯一心を開いた相手が偶然にも同一人物の悠人だったという一連の流れへの違和感だった。

 つまり俺はこう言いたい。

「火山さん、ひょっとして東悠人の正体が西野悠だってことゲームが始まってすぐ分かってたんやない?」

 聞きながら、伏目がちにはにかんでいた火山を見て確信を得ることが出来た。

「やっぱそうやんな。プレイヤーを守るためにはまず数いる人間の中で誰がプレイヤーなんかを分かっとらんと話にならんもんな。」

 バツの悪そうな顔で小刻みに頷く火山。やがて降参するような素振りでこう言った。

「そうです。あれはゲームの中でみなさんが小学五年生になった頃だったと思います。その頃から私達の潜伏も始まり、それからは随時、現場監督の桐谷さんからプレイヤーとそのアバターのリストが電脳世界にいる私達エージェントに送られて来るようになりました。」

 あいつ、もう現場監督にまでなっていたのか。

「リストを見て、私は悠ちゃんが東悠人という男の子になっていることに気付きました。」

「それで悠人と同じ高校に入学したと。」

「いいえ。あの高校に通いだしたのは私の意思ではなく、上の指示出した。そもそも全国にいるプレイヤー六百人が通うことになった高校は四校でちなみに学年のズレも最大で三年。掛けて十二だから、つまり私があの高校のあの学年になる確率は十二分の一、私と悠人があの高校で同級生になる確率はいっても百四十四分の一なのでただ運が良かったんだと思います。」

 「厳密な確率ではありませんが。」と後で付け加えるように言ったが、まあ可能性にしては確かに無くもない。

 四校、三学年って・・・

いくらプレイヤー同士のエンカウント率を上げるためとはいえ、一箇所に集中しすぎだろ。

「で、火山さんから告白したんか?」

「いいえ、悠と同じ高校の同級生になれた私でしたが、それでも最初は仕事だからって言う理由で誰とも仲良くならないようにしていました。もちろん悠人とも。」

「ということはやっぱり悠人から・・・」

 そんな偶然あるのかよ。

「私も驚きました。最初は断ろうかとも思ったのですが、もう運命としか思えなかったんです。で、結局・・・」

 そりゃ思うわな。俺だって自分の好きな人が自分に告白してきたら運命の相手だと思っちまう。

「でも、火山さんが好きなんは悠なんやろ? 事実上同一人物やけど、悠の記憶を持たない悠人と付き合っても恋が実ったとは言えないんやないか?」

 まあ多少性格は引き継いでいるようだったけど。

「良いんです。少なくとも今の悠の中には私と付き合っていたという悠人の記憶がありますから。」

 なるほどね。確かにそういう考え方もあるな。

「幸せやったか?」

 どうしてそんなことを聞いたんだろうな。ただ、なんとなく確認しておきたかった俺がいる。

 火山も突然のド直球な質問に少し戸惑った様子だったが、やがてコクリと頷いて言った。

「はい、幸せでした。結婚もして、子どもも授かって、孫の顔を拝んで同じ墓に入るまで、私達は仲睦まじく暮らせました。」

「結婚したんや。」

「はい。・・・あの時、あなたが亡くなったのを知って悠人ずっと引きずっていました。でも、彼には前を向いていてほしかったから・・・」

 申し訳なさそうに俺の顔色を見ながらそう呟いた。

ゲームだからもうどうでもいいと思う心も正直今の俺にはあった。でも、俺の死は俺だけのものではないのだな。俺の死はいろんな人の心に穴を空けていた。昨日ゲームセンターの休憩場で再開した悠も何十年も掛けて立ち直った後だからあれだけライトに接してきたが、当時は相当キツかったのだろう。

正直、俺はこの世界にいる犯人の招待にたまたま出会ったとして、そいつに対して素直に恨むことはしないだろう。でも、俺を思って傷ついた人たちには少なくとも謝ってほしい。そう思った。

「このこと、悠には内緒にしていてくださいね。」

不意にテーブルに身を乗り出した火山が片手を口に添えてヒソヒソと言った。

「いいのか? 気持ちを伝えんくて・・・」

「良いんです。悠に対する未練はゲームで晴らしましたから。」

 そんなのでいいのか、と再び思った俺だが、人には人の考え方があってそれに他人が口出しするのもどうかと思ったのでそれ以上は何も言わない事にした。

「ただいま~・・・何をコソコソ話しとんの?」

 突如帰って来た悠が言った。いや、予期しなかったのは俺だけで、向かいに座る女はとっくに気がついていたのだろう。ヒソヒソ話して来たのもそうだし、何より今、全く動じている様子もなくいつも通りのトーンで応答していた。

「昨日のゲームセンターに居た現場監督の人おるやん。」

「・・・ああっ! あの桐谷とかいう笑顔のキモい男っ!」

 悠、お前の言っていることは何一つ間違っちゃいない。でもな、今どうして火山があの男の名前をだしたのかちょっとは察しろ。隆二はともかく火山が可哀想だ。

「まあ、菜々子は面食いやからなぁ~。」

 気を使うどころか畳み掛ける悠。まあでも、これはこれで本音を言い合えているということだから、上辺だけの関係ではないという証拠か。

「ちゃんと中身も見てるって! ただ、見た目が綺麗なのが最低条件なだけ。」

 それをこの世では面食いと言うのであろう。

 ああ、そういうことか。隆二みたいな中性的な顔が好みなら逆にボーイッシュな女であるところの悠が恋愛対象になってしまうのにも納得がいく。

 しばらくして、ごねる火山をあしらった悠が、今度は俺の方に呆れたような表情を向けた。

「で、慎士とあの男が知り合いなわけだ。」

「残念ながら。」

 流石、勘が良いのは現実でも同じか。空気が読めないのも相変わらずのようだが・・・

「ええっ!? 残念って・・・あなたが私に勧めたんじゃないですかっ!」

「俺は仕事のことを思って話したんや。恋のキューピットを引き受けた覚えはない。」

「そんなぁ~・・・」

それからは、俺が死んだ後のあちらの世界での面白エピソードを二人が披露してくれたり、それより内容の薄い昨日までの二十年ちょっとの現実世界での思い出を語ったりと、かなり混乱した会話で二杯目のコーヒーも空にしたところで時刻は六時。

「そろそろお開きにするか。」

「ええ、もう帰んの?」

「明日仕事早いし、それに昨日の晩はちゃんと寝れてないねん。」

「ああっ、例の彼女さんとお楽しみだったんですね?」

「火山さん、知ってたん?」

「えっ、あ、まあ・・・」

 何か言おうとした火山だったが、隣に座る悠をちらっと確認して軽く会釈しながら「ねえ。」と理解を仰ぐように言った。

何が「ねえ。」なのかは、まあだいたい予想はついているのだが、俺は特に何かを言うわけでもなく「なんやっ、なんやっ?」と騒ぎ立てる悠を無視して席を立つことを選んだ。


「紗綾のアバター名を知ってたりするか?」

 帰り際、悠の目を盗んでこっそり聞いてみた。

「ごめんなさい。彼女は私の観察対象ではなかったんです。」

「・・・そっか。」

多分嘘だ。

別にこれと言って客観的に証明できるものを持ち合わせているわけではないが、その時の彼女は明らかに何かを知っている顔をしていた。

 だからといって無理に聞くつもりもない。職場には公にしてはいけない情報の一つや二つあって当然なのを俺は知っている。

「そっかあ、慎士はもう社会人なんやなあ・・・」

 ふと、悠が夕日に黄昏れるようにそんなことを言った。

「そうや。ガキはさっさと帰って寝ろ。」

「懐かしいな・・・社会人。」

 それを聞いて俺はようやく気付いてしまった。


この二人、精神的に俺の三倍くらい生きている大先輩だった・・・


大先輩二人と別れたあと、そのまま自宅に直行しても良かったのだが、せっかく難波という大都会まで繰り出してきたわけだし少し寄り道して帰ろうと思い、でも地上は六時過ぎでも蒸し暑かったので直ぐに地下街に逃げ込んだ俺は『なんばCITY』にある大型の本屋へ、偵察も兼ねて行くことにした。

着くとまず、扉のない店の入り口からはみ出すように並べられた三、四台のテーブルにそれぞれ違うタイトルの本がびっしりと敷き詰め積み上げられている光景が目に入る。『何々賞受賞』というゴシック体の文字がいたるところに書かれてあった。

いつか自分の書いた本があそこに並べられることを願って一生懸命に創作活動に励んでいた頃が俺にもある。

いや、本当は今でも少し夢見てる。

高校、大学と文学の勉強をやってきて文書の体裁や表現方法という技術的な部分は最低限心得ているのだが、俺には面白いストーリーを考える想像力が欠けていた。

あくまで主観的な見解なのでそれだけが理由だとはっきり言うことは出来ないが、高校二年から年に一度応募していた文庫主催の新人賞には一度の佳作を除いてことごとく漏れていた。そして気が付けば大学四回生、学生の間に小説家としての地位を獲得できなかった俺は生きるための就職を余儀なくされ、今の会社で編集という立場を取ることになった。

しかしまあ、今の立ち位置もこれはこれで悪くない。面白いストーリーを書く人の隣で仕事をすれば俺自信の発想力も鍛えられるし、今まで培ってきた文法スキルだって『校正』の工程で十分に発揮することが出来る。

ちなみに俺がライトノベルの部署に入ったのは、ストーリー性を重要視する作家が多く、今の俺にとって学ぶことも多ければ校正のやりがいも大きかったからだ。

 どこか懐かしさを感じる本の匂いを堪能しながら店内奥の方へと突き進んでいくとひときわ異彩を放つ一角にたどり着いた。一瞬、隣りにある別の店なのではと思わせる、いたるところに『アニメ化!!』の文字が踊るカラフルな空間。そこで漫画と隣合わせに陳列されているライトノベル群の中に、俺の編集したものも並べられていた。それも、ありがたいことに背表紙ではなく表紙が見える配置で『好評に付き続巻!!』というポップが添えられていた。

 好評だったことも、おかげさまで続巻が決まったことも当然俺は知っているのだが、こうして現場に来てみると改めてグッと来るものがある。

 原稿もイラストも、製本前のデータで全て手元にあるのだが、なんとなく嬉しくなって購入してしまった。

 そんな時だった。ズボンの左ポケットが震えだしたのは・・・

 取り出したスマホが表示していたのは『隆二』の二文字。

「もしもし。」

「・・・慎二、今から少し会えるか?」

 事は一刻を争う、彼の声音がそう告げているのが分かった。 


 七時五十分、隆二の指示で俺がたどり着いた場所は本日二度目となるシェルゲームズ難波店だった。しかも今回は営業時間外につき正面入り口が閉まっているという理由で裏口から来てほしいとのことだった。

 裏口ってどこだよ。と思いつつも、とりあえず正面から見た真裏にあるのだろうということで路地裏に入ると、鉄の扉にもたれかかる隆二の姿があった。目が合うと、何も言わずに扉を開けて目配せで入るように言ってきた。俺も何一つためらうことなく隆二の後について行った。

「早かったな。」

 中に入って扉が閉まりきると、ようやく隆二が口を開いた。後ろでガチャっと鍵が閉まるような音がする。セキュリティーは万全のようだ。

「急ぎの用事なんやろ?」

「ああ。」

 本当はすぐ近くの本屋に居たから、早くというかむしろのんびりやっていたのだが一応家から急いで来たことにしておく。

「っで、なんでこんな時間にこんな所に呼び出したんや?」

 地下に向かう薄暗い階段。非常出口のランプが唯一の照明で、俺たちの他に誰も居ないのか、物音一つしない場所にコン、コンという足音だけが反響しているのがいかにも不気味だった。

「ちょっとお前の力が必要になったんや。」

 そこからまだ言葉が続くのかと思って黙って待っていると、階段が終わり『B1』と書かれた扉が目の前に現れた。隆二がカードをスキャンしてパスワードを打ち込み、解除された扉を開くと今度は見覚えのある場所に出た。

 白い貝殻がたくさん並んだ真っ白な部屋。ただし今回は分厚い透明の板壁越しに見えている。今、俺達が立っているのは水族館のように中の様子を一望できる通路だった。しかし、俺があっちに居た時にはこんな通路は見えなかった。おそらくこの壁にはマジックミラーが使われているのだろう。どういう意図かは分からないが・・・

「一応聞いておくが、俺じゃなきゃ駄目なんか、それ?」

 俺はここの従業員でもなければ、特にVRの技術についての知識があるわけでもない。正直言って俺がこの場で役に立つことは何一つないだろうし、ましてそれが唯一無二であることなどないわけだ。

「ああ、百パーセントお前しかできないことだ。」

 何をもってそんなことが言える。お前は俺の何を知っているんだ。少なくとも俺自信はそんな俺を知らない。

 細長い廊下を端まで歩き、管制室と書かれた扉を今度はカードキーとパスワードの後に網膜スキャンという三段ロックを解除して中に入る。おそらくここからはアルバイトも入ることが許されない。ホイホイとついて来てしまったが大丈夫なのだろうか。面倒事はごめんだぞ。

「適当に座っててくれ。」

 それだけ言って隆二は何かを探しに奥の方へ消えていった。

適当に座れと言われてもな・・・

部屋の四辺に数十台の小型モニターがあり二台に一脚ずつの間隔で背もたれの浅い回転チェアが配置されている。従業員は誰一人居ない。俺は右手にある椅子の一つに腰掛け、クルッと回って入り口から見た左側を向いた。壁だと思っていた小型モニターの上にある黒い部分が実は映画館のスクリーンくらいの大型モニターだということに気付いく。こんな情景は海外ドラマのFBI拠点かロボットアニメの母艦くらいでしか見たことがない。なにせ現実で目の当たりするのは初めてだ。

こんな場所に呼んで、いったい何を言う気だよ。

だいたい企業秘密の塊みたいな部屋に部外者呼んだ隆二は、かなり違法なことをしているんじゃないだろうか。思えばここへ来るまで一度も従業員を見ていない。やはり法に触れることをやっているのか。だとしたら今ここに居る俺も同罪に当たるんじゃないか?

マジか・・・

今のうちに逃げ帰るべきかどうか悩んでいると、奴が帰って来た。手に持った書類をひらひらと見せびらかしながら。

「おまたせ。」

 あー、迷わずにさっと帰れば良かった。書類が出てきて楽に帰れるとは到底思えない。なんの契約書を書かせるつもりだ。『インサイダー取引はしません。』みたいなことを誓わされるのだろうか。それだけなら良いんだが、見たところ書類は三枚あるのだ。

「なんや、それ?」

 念の為聞いておく。

隣のちょっと離れた位置にある椅子を引っ張ってきた隆二が俺の真横に、肘掛け同士がぶつかるくらいの距離で腰を下ろした。

「まあ、読んでみたら分かるわ。」

 俺の反応に期待するような表情で書類を手渡す。つまり、良くも悪くもこのあと俺はこの書類の内容に驚いてしまうということだ。どちらにしても疲れるな。

 気乗りしない手で受け取ると、まっさきに目に入ったのはそこに添付された1枚の写真だった。おそらく身分を照明するために撮ったのであろう飾り気のない女性の写真。だが、どうしたわけか俺はその女性のことを知っているのだ。見覚えがあるとかそんなレベルじゃなく、俺は彼女のことを、特に高校時代の彼女のことを俺はよく知っている。最初は見間違いかとも思ったが、いい反応が見れたという隆二の満足げな表情を見てそれは確信へと変わった。

「これ・・・白河か?」

「お前がそう呼んでいた人や。本名はそこに書いてある。」

 鳥羽紬、二十四歳、女、生年月日・・・

 名前だけじゃない。その書類には彼女に関する情報、プライバシーの保護のために本来ならシュレッダーに掛けなければならないようなことがいろいろと書かれていた。罪悪感で目をそらす。隆二の顔を見た。

「俺にこれを見せてどうしたい?」

 彼女が姿形何一つ違わないまま実在しているのを知って、そりゃ嬉しかったし、叶わなかった恋をもう一度・・・とか一瞬思ったが、でもよく考えたら俺には紗綾というガールフレンドがいて、もしかしたら向こうにもボーイフレンドがいるかも知れない。いや、あの見た目ならいるに決まっている。

 いま彼女に会いに行くことは事をややこしくするだけで、お互いにとって利益はないのだ。

「次のページを見てくれ。」

 その時、さっきまで俺の反応を楽しみにニヤニヤしていた男とは思えない程、隆二の声や表情は真剣そのものだった。何だよ、気持ち悪いな・・・

 不信感を抱きながらも俺は隆二の言う通りにホッチキスで留められ書類を一枚めくろうとした。

「・・・」

 めくり切るか否かのタイミングで俺の手が止まった。

「おい、これって・・・」

 隆二が神妙な面持ちのまま頷く。

 ページをめくり切ってからもう一度そこに現れた文面を読み返す。そこにはこう書いてあった。


―診断情報 心的外傷後ストレス障害・・・駅のホームや踏切、電車の近くを通る際は注意を払ってください。移動に電車は使わないようにしてください。・・・―


「VRゲームの体験中に負った障害で間違いない。俺たちシェルゲームズの責任だ。」

 文章を読み切って衝撃で固まっていた俺に、隆二は付け加えるように言った。

 先日の悠の話を聞いてもしやと思ってはいたが、まさか実際にそうなるとは・・・今ものすごい悪寒がしている。たった三時間のゲームのせいでこれからの人生に障害が出るなんて、馬鹿げている。

さっき隆二は俺たち会社の責任だと言った。もちろんそうだとは思うが、なぜそれで俺が呼ばれるのだ。

「さっき、俺にしかできないことがあるとか言ってたよな。」

「ああ、書類を見て分かったと思うが、これは社運にも関わる大問題や。一刻も早く解決しやな、マスコミが来て今回の事件を報道でもされたらシェルゲームズ解体なんてことにもなりかねない。」

 結局会社の心配か・・・冷たい男だ。

「てかっ、何か打つ手があるのか? もしかして、プレイ終了後の俺達に記憶を再ダウンロードさせたみたいな感じで、今度は逆に要らない記憶を削除したりするのか?」

「残念だがそれはできない。第一できるものならとっくにやってる。」

それもそうか。それじゃあ俺を呼ぶ必要も無いわけだしな。

「じゃあどうすんねん。」

 これが確実な方法ってわけではないんやけど・・・という前置をして隆二は言った。

「鳥羽紬が現実でもフラッシュバックを起こすんは、未だに仮想と現実の区別がはっきりしていないからやと俺は思ってる。幸いお前はゲーム中もその格好だったし、お前が生きていることを目の当たりにすればあるいわ・・・という考えや。」

 なるほどな、そういう考えもあるにはある。だが・・・

「彼女が俺とあったら俺の死に際を思い出して余計症状が悪化するかもしれんぞ。」

「その可能性も充分あるのは分かってる。せやから俺的にはアフターケアまでお前に託したいんやけどな。」

「・・・それって、俺に彼女と付き合えと言っているんか?」

「あかんか?」

 よくそんな事を平然と言える。知らないならまだしも、この男は俺に現在彼女がいることを知った上で言っているのだから恐ろしい。

「あかんに決まってるやろ。何言うてんねん。」

 もちろん俺だって彼女の事を助けてやりたい。だがそうすることによって今一番大事に思っている女性が傷つくなら悔しいが躊躇うってものだ。

「会ってその日中になんとかしてやることは出来ないんか?」

「はあ、しゃあない。ホンマはこの手は使いたくなかったんやけど・・・」

 俺の提案など聞く素振りもなく、まるで最初から言うつもりだったような口調で、でも表向きには勿体ぶるような仕草で俺の手元にある書類を指さして、「最終手段や、三ページ目を見ろ。」とだけ言った。

 そこにどんな情報があろうと俺が紗綾を裏切ることはない。そう思いながらページをめくった俺は・・・人の決意とはこうもたやすく崩されるのだなとその時思った。

「なんやねん、これ・・・」

 まさにそれは最終手段。消して変わらないと踏んでいた俺の意志が覆った瞬間だった。


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