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VR   作者: 三宅 大和
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ヴァーチャル・リアリティ

夢も現実も生きるも死ぬもどうでもいい。

ただ、今を歩むだけ。

「待ってくれ。」 

昼下がり、学校の帰り道。気が付くとバスに乗ろうとした彼女を俺は引き止めていた。

 言わなきゃいけないことがある。たぶん今を逃せば一生後悔する。なんとなくそんな気がしていた。

彼女の片足は既にステップの上に乗り上げていた。間もなく二本目の足が着陸するという寸前だったが、なんとか間に合ったようだ。元いたアスファルトへと緊急着陸した。

ひとまずのところは安心だが、しかし、なんと言ったらいいものやら。衝動的だったもんだから、このあとのことは正直なにも考えていない。

 その時、バスの扉が大きめの溜息でもついたような音と共に閉まり。重たい身体を唸り声上げながら走らせていく。

「なに?」

ふと、彼女が目の前にいた。

 白いブラウスに紺色のベスト、灰色に白と紺の格子が入った飾り気のないプリーツスカートを身にまとった少女が気だるげな表情で立っている。しばらく彼女を見つめて、俺が抱いた言葉は、その、おかしな話なんだが・・・

「誰だ?」

切れ長の目、日本人にしては筋の通った鼻、肩甲骨の下くらいまで伸びた真っ直ぐなセミロングヘアー、さながら仕事のできる女という感じで多分だけど、俺の記憶にはこんな知人はいない・・・は?

「何言ってんのよあんた。」

まったく、その通りだよ。俺も今それを自分自身に言い聞かせているところだ。用があるから呼び止めたはずなのに、それでお前は誰だなんて普通あるか?

人違い・・・いや、それならもう少し早く気付いている。なんて言うんだろ、自分の意思とは裏腹に勝手に事が進んでいた、今の俺はそう感じているが、ついさっきまでの俺は自覚をもってやっていた、みたいなニュアンス。もしかして、これがいわゆる記憶喪失か?・・・えーっと、俺の名前は三上慎士。よし、ちゃんと覚えてる。

結局すべて謎のまま。だがそれもすぐにどうでもよくなる。

突然の衝突音・・・俺は一瞬にして我に帰った。だが、気付いた時には何もかもが手遅れだった。俺は目を見開いたまま、ただその光景を眺め佇むばかりだった。

なんの前触れもなく突っ込んできた一台のトラック。エンジン音もタイヤのスリップ音もクラクションの音も何もなく、ただ漫画のコマからコマに移動するかの如く、気づいたときにはすぐ横のブロック塀にめり込んでいた。少女の姿は・・・見つからなかった。

そこで目が覚めた・・・


『・・・ニュースのお時間です。昨日から、ヴァーチャル・リアリティ、通称VRを用いた仮想現実体験型アトラクションを楽しめるVRワールドが都内でオープン。初日の会場者数は三万人と、予想を遥かに超えるものとなりました。』

 二階の寝室から一階のリビングに降りると、テレビ画面にゴーグル型のゲーム機が映し出されているのが見えた。

「へぇ~、ついにゲームもここまで来たか・・・」

 と、茶碗片手に感心しているのは母。御年四十五歳であり、それはゲーム機の進化を初期からリアルタイムで見てきた故の感想なのであろう。

「母さんがあんたくらいの時は、白黒だったのよ。」

「あーね。」

 生返事をしながら長方形のテーブルの前にしゃがみこむ。

「いただきます。」

「はいどうぞ。」

しかしまったくその通りで、やっぱり現代技術の進歩は早い。二、三十年前モノクロドットだったゲームも、今やヴァーチャル・リアリティなどという壮大な名が付けられるようにまでなるのだから。

そう考えると、全身の感覚を支配するような、本当に現実と錯覚してしまうようなゲームが登場するのもそう遠い未来の話ではないような気がしてきた。とはいえ、そこまで行くとゲームも単なる娯楽ではなくなることだろう。第一、痛みを伴うゲームなんて誰がやるというのか。いや、案外今の戦争を知らない血に飢えた若者たちはそういう刺激を求めているかもしれない。まあ俺もその若者なんだけど・・・

ふと、今朝の夢を思い出す。

あのとき、バスに乗り込む彼女を俺が引き止めていなければ、彼女がトラックに轢かれることは無かったんだろうな。そんな風に、夢とはわかっていながらも、若干の罪悪感や後悔を抱いている自分がいる。現実と錯覚する非現実という点においては夢も仮想現実と同じようなものなのかもしれない。

そう思うと尚更やりたくなくなってきた。

「ごちそうさま。」

 食器を流しまで運び、ベランダから取り込んだばかりの制服に腕を通し・・・うわ、最悪、湿気ってんじゃん。とはいえ今からドライヤーで乾かすような時間もないので我慢する他ない。側に待機させてあった特筆すべきことは何一つないベーシックな黒のリュックサックだけを背負った俺は、別に当てにしているわけではないが、なんとなく星占いの結果だけを聞いて家を出た。

「十二位・・・か。」

 別に気にしているわけではないが、九月のちょっと冷たい風と生乾きのカッターシャツのコラボレーションが予想外に寒かったこともあって、なんだかやるせなかった。


「そういやさあ、いつするの?」

「するって何を?」

「いや、だから告白。」

「またその話かよ・・・」

 平日の朝は最寄りの駅で幼馴染かつ同じ高校に通う東悠人と待ち合わせ。週一で訪れる悠人の遅刻を省けば毎朝のルーティンだ。

「ほんとそろそろ告ったほうがいいでしょ、あと半年で俺ら卒業なんだし・・・」

 このところはいつもこの話題になる。後押ししてくれるのはありがたいが、こっちにも考えがあってだな・・・

「だからそれはつまり、いま告白したってあと半年で卒業するわけで・・・」

「すぐ別れるって?」

「そういうことだ。」

「慎士。」

 不意に悠人が真面目なトーンになったので俺は少し身構えた。

「君の彼女に対する愛はその程度だったの?そうじゃなくても逃げるための口実だよ、それ。」

 痛いところを突いてきた。

「そ、そういうお前はどうなんだよ。お前だって彼女いないだろ。」

 結局苦し紛れにそう言って抵抗した俺だったが・・・

「いるよ。」

 その一言でとどめを刺された。

 てっきり聞き間違えたのかと、近い内に耳鼻科に診てもらわねばと思ったのだが、悠人の得意げな表情を見るにどうやらその必要はなさそうだった。

「いつから?」

「高一の春から。」

 驚愕の真実をさらっと言いやがった。

「嘘だろ・・・」

「嘘じゃないよ。」

 いや待て、こんな初耳があってたまるか。付き合って二年になるだと?どうして十三年来の親友であるところの俺にその情報が回ってきていない。

「他に知ってるやつは?」

「いないと思うよ。」

「だ、だよな~」

そうでないと困る、いや何が困るのかよくわからないが。

「っで、相手は誰なんだ、他校か?」

「ん~、本来言わないことにしてたんだけど・・・そうだね、条件を飲めば教えてあげるよ。」

「条件?まあ良いや、飲んでやる。」

「まず一つ目、誰にも言いふらさないこと。」

「それは確約できないな。」

「ちょ、おぉぉいっ!」

「わかった、言わない言わない。」

流石の俺も、親友が二年間隠してきた秘密を肴に他の友達と団欒しようなんて下劣な真似はしないさ。

「んまあ、じゃあ信用するけど・・・じゃあもう一つ。」

「まだあるのか?」

どうしてだろう、そこまで勿体ぶるならいっそ言わなければいいのに、むしろ悠人は俺に条件を提示するのを目的にしているかのように・・・

「今日中に告白すること。」

 俺が感じた違和感の正体はこれか。今日中に告白、流石にその条件は俺に多くを求めすぎではないか。そこまでして他人の馴れ初めを聞こうと思うほどの変態的執着心は俺にはない。と、いうことで。

「やっぱりいいわ。」

「月島菜々子。」

「おいっ、今いいって言っただろ!」

「えっ、『良いわ。』って言ったんじゃないの?」

「そのニュアンスでいくならオネエ口調で言ったことになるだろ。」

「あ~あ。二年間も隠していたのにとうとう言ってしまったよ。でもまあ、これで親友が前に進めるなら本望だけどね。」

 やっぱり狙いはそっちか。良い奴風なセリフを吐いても無駄だ。口元がヒクついているのが見え見えだ。

 だがさて、どうしよう。理由はともかく、こいつが俺の後押しをしてくれていることには変わりないわけだし、ここまでされて逃げるのも男が廃る・・・いや、そもそも男が廃るってなんだよそれ、ただのプライド高い不器用な奴が言うセリフじゃないか。

 俺が考えを巡らしていると、踏切の警鐘音がなんの遠慮もなく鳴り始めた。山間の狭いホームに録音された電車到着のアナウンスが反響する。

内心好都合だと思った。乗車に乗じて話を有耶無耶に、しかしそう考えたのも刹那。停車際、漸次正面に近づく扉の窓、そこに映った自分があまりに情けなく見えて、恥ずかしいとまで感じ、自分の姿が開く扉とともに消えていくのを見届けるや、無意識に心の中で呟いた。

 ダッサ・・・

 だから発車のブザーが鳴り、後ろで扉が閉まる音がした時、俺はもう一度そいつに振り返ろうとはせずに、むしろ嫌味のように言った。

「俺、今日あいつに告白するわ。」

「えっ、まじで。急にどうしたんだ、あんなに抵抗してたし、てっきり今日も有耶無耶にするものだと・・・」

 悠人の素っ頓狂な顔を少し見て、そこでようやく俺は後ろに向き直った。遠ざかって行く駅のホームと、そこに取り残された昨日までの俺に一瞥くれるために・・・

「慎士、何見てんのさ。忘れ物でもしたの?」

「いや、置いてきたんだ。」

「え、どういうことそれ?」

 もしさっき、こっちを選んでいなかったら、明日も明後日も明々後日も同じことを繰り返していた、きっともうこっちに来ることはできなかったような気がする。これが最後のチャンスだったんだと、なんの根拠も無いが今こっち側に来てなぜかそう思った。

「なあ悠人。」

「んっ、え?」

 さっきまでキョトンとしていた悠人は我に返ったみたいにビクつく。

「ありがとな。」

「えっ、慎士が俺に感謝!?」

 そして今度はあっけにとられたような表情をした。つくづく感情の起伏が激しいやつである。

「おかげ様であんたの親友は前に進めそうだからその礼を言っただけだ、何がおかしい?」

「あ、ああ、それはどういたしまして。」

 やっぱり、今の俺はちょっとおかしいみたいだ。なんとなく自分でもわかる。でも、人が変わる時って案外こんなものじゃないか?高校デビューって言葉があるみたいに、人は何かを堺に大きく変わるんだ。

「もしフラれたら慰めてくれ。」

「おう、膝枕しながらヨシヨシしてあげるよ。」

 男の膝枕なんて死んでも嫌だな。女になって出直してこい。あ、そういや・・・

「お前さっき、月島菜々子って言わなかったか?」

「うん、言ったね。」

「それって、もしかして二組の?」

「うん。」

「ま、まじか。」

そりゃあ他言無用になるわけだ。言えるわけないよな、だって二組の月島菜々子っていったら・・・



 キーンコーンカーンコーン ・・・

一時間目終了のチャイム。一時間弱の拘束から解放された勤勉な生徒も、一時間弱の仮眠をとっていた怠慢な生徒も、皆背伸びをしながら「ぬあぁ・・・」と唸った。それをはじめに教室内が徐々に騒がしくなり、一瞬にして休み時間の空気が完成。仲のいいもの同士で群れをなしたり、英語の単語帳を開いてなにやら諳んじたり、二度寝を始めたり、休み時間の過ごし方は三者三様ではあるが、個々人の行動パターンに関して言えばいつも同じだ。

そのわかりやすい例が俺の前の席でたむろしている男子三人組である。一日の最初の休み時間に関してだけ言えば、冒頭のセリフすら決まっている。

「俺、朝から月島さん拝めたから、今日は一日授業受けれそうだわ。」

 そらでた。毎朝恒例、アイドル目撃情報の共有。三年に上がってから今まで全く絶やすことなく行っているが、よくも飽きないものだ。あと、拝めなくても授業はちゃんと受けろ。

「俺なんか挨拶したらお辞儀してくれたぜ。可愛かったなぁ~。」

 そりゃ社交辞令だ。

 ちなみに月島が学園のアイドルとして崇拝されるようになったのは今年に始まったことではなく、実際入学から一ヶ月経った頃には学年の男子の半分が月島ファンになっていた気がする。男子界隈では『みんなの月島さん』と囁かれていたのでてっきり誰も手を出していないものだと思っていたし、彼らに関してはまだそうだと思いこんでいるだろうが、実は彼氏は二年前からすでにいて、その相手が東悠人だという驚愕的新事実を、俺は今朝、悠人本人から聞かされていた。この様子じゃ、付き合っていることをひた隠ししていたのは懸命な判断だったと言えよう。

「ずるいぞお前ら、俺は今日一度も見てないんだぞ。」

「お前は彼女いるじゃないか。」

「ほんとそれ。」

「何言ってるんだ、彼女とアイドルは別腹だろうが!」

 それこそ自分が何言ってるかわかっての発言なのだろうか・・・

「確かに、理想と現実は違うよね。」

 その理想を現実にしてしまった人を俺は知っている。もしそれを教えたら悠人はどうなるのだろうか。気にならないこともないが、実際にやるわけにはいかない。約束もあるし、なにより、俺はあいつの親友なのだ。

「今日も賑やかだね、あそこ。」

 ふと、すぐ隣で声がした。誰も言葉を返さないから多分俺宛の言葉だと思い振り向くと、ウェーブのかかった赤茶ボブヘアーの女子がボールペンと書類を持って立っていた。

「白河。」

「三上君は入ってこなくて良いの?」

その言い振りだと俺もあの一味みたいじゃないか。確かに普段はつるんでいるが、あの会話の時に限っては俺とあいつらとは赤の他人だ。

「俺、アイドルトークとかあんまり好きじゃないんだよ。」

「アイドルねえ・・・」

 白河は何故か少し思いつめるような顔をした。

「月島のことをアイドルと呼称するのは女子から見てどうなんだ?」

 白河は一瞬意外そうな顔をした。

「そうそれなんだけど、月島さんって女子の間でもアイドル化されてるから、それについてはみんな何も思わないっていうか、むしろ同感なんじゃないかな。でも・・・」

「友達いないのか?」

「デリカシー無いね。」

「すみません、反省します。」

 そういえば月島が特定の誰かと一緒にいるところって見たことがないような気がする。

「私はずっと友達になりたかったんだけど、月島さんって、なんというか自分からに人を拒絶しているような節があって・・・」

「あー、なんとなく分かる気がする。」

ただ、それならどうして悠人とは付き合っているのだろうか。こんなことなら電車の中で悠人に二人の馴れ初めとか聞いとけばよかった。朝の俺はそのことと告白のこととでぐちゃぐちゃになっていたので結局どっちも解決していないでいる。

視線を戻すと白河は又も意外そうな顔をしていた。

「どうしたんだ?」

「なんだかんだ、三上君も月島さんのこと見てるんだな・・・って。」

 なぜか微妙な空気になる。それに、気のせいかもしれないがさっきからクラスメイトたちの視線がここの一点に集まってきているように感じる。俺はとっさに話題を変えることにした。

「それ、文化祭関係か?」

 俺は白河が手に持っている紙切れを指して言った。

「・・・あっ、そうそうこれ。」

 白河もわざとらしく応じ、持っていた書類を俺の机に広げた。そこには『木材、ダンボール、布、ペンキ・・・』とおそらく白河の字で書かれた箇条書きの文があった。

「字、綺麗だな。」

「でしょ。一応中学まで習字習ってたから。・・・じゃなくて、買い出しのリスト!」

 ノリツッコミとは、ちょっと意外だ。

「まだ途中だから、もう少し増えると思うんだけど。放課後、買い出し付き合ってくれない?」

「喜んで!」

「えっ、これってそんなに喜ばしいこと?」

 周りの連中がクスクス笑っている。男子はともかく女子まで・・・

「い、いやその・・・文化祭の準備サボれるなぁ~って。」

「文化委員がなに言ってるの・・・」

「すみません。」

 気のせいか、さっきより周りがざわついている。いや、これは気のせいじゃないな。

「次、移動教室だし私はもう行くね。放課後よろしく。」

「ああ。」

 俺は教室から出ていくシャキッとした背中を見送りながら、同時にこのあと訪れるのであろう面倒事への対処法を考えていた。

 教室の扉が静かに閉められる。それが合図になった。

「デートか。」

「デートだな。」

「どう考えてもデートじゃん。」

月島ファンクラブの三人が俺を取り囲んでいた。

「聞いてなかったのか?文化祭の買い出しだって。」

 言っても無駄なのは分かっているが一応言っておく。

「デデンッ。男女が二人でお買い物、これ、なんと言う?」

 無視かよ。

「ピンポンッ。」

「藤野君どうぞっ。」

「デート!」

「正解!」

 俺に解答権は無いのか・・・

「真面目な話、お前、白河さんに告る気は無いのか?」

「それは・・・」

 実は今日中に告白しようと思っている、なんて言うわけない。こいつらのことだ俺たちの買い出しを尾行してくるに違いない。俺が言わない決意を固めた矢先、一番来てほしくないタイミングで一番来ちゃいけない男が教室のドアを開けた。

「おーい慎士。現文の教科書貸してくんない?」

「悠人!?」

 どうして今来るんだ・・・とにかく速やかに現代文の教科書だけ押し付けてすぐに追い出そう。そう考えて机の横に掛けてあったリュックサックのファスナーを思いっきり引っ張ると盛大に噛んだ。

「おっ、颯太、康平、遼太郎も、なに話してたの?」

 俺がファスナーをガチャガチャしている間に事態は最悪の方向へと着実に向かっていた。

「白河さんの話。」

 彼女とアイドルは別腹の颯太が俺を指さしながらそう答えた。俺は白河じゃねえよ、なんてのんきなツッコミを入れている場合じゃない。悠人が空気を読むか否か、後者だった場合に備えて俺は全精神を研ぎ澄ませる。悠人が口を開いた。

「慎士、今日中にこく・・・」

「月島さんとは・・・」

「あああっ、そうだ慎士に聞きたいことあったんだった!」

「奇遇だなあ、俺もだ!」

 目配せし、俺達は逃げるように廊下へ飛び出して階段の踊り場まで行ったところでようやく足を止めた。

 先に口を開いたのは悠人。

「慎士、なんてこと言うんだ。俺の命がどうなってもいいってのか?」

 さすがに命までは取られないと思うが、言いたいことはよく分かる。というか分かっていたからこそ言ったんだ。

「悪い、お前が告白のことバラそうとしたもんだからつい。」

「えっ、颯太達にはまだ言ってないの?」

「言ってないっていうか言うつもりもない。あいつらのことだし告白の瞬間をこっそり覗き見しかねないだろ?」

「ああ、それはその通りかも。ごめん、空気読めなかったね。」

 分かってくれたならいいさ。それに、さっきので痛み分けだ。

「でもちょっと分が悪いな。」

 抜け目ないな。まあ、被害の差は歴然だろうし、ちょっとは考慮するか。

「どうだ、現代文の教科書を貸すというので手を打ってはもらえないだろうか。」

「じゃあそれでおあいこってことにしよう。」

 案外すんなりいった。いや、はじめからそっち目当てだったってことか。まんまとしてやられたぜ。

 俺は自分の教室へ向かい、ファスナーが駄目になったリュックから無理やり教科書を抜き取り、悠人に押し付けた。

「ありがとう、助かったよ。」

そう言って悠人が出ていくとほぼ同時に、二時間目開始のチャイムが鳴った。

俺は教室にひとり取り残され・・・

あれ、どうして俺ひとりなんだ?

間もなくして俺は自分の失態に気づく。二時間目は移動教室で、今からじゃどう頑張っても点呼には間に合わないという事実に。

「しまったな・・・」

 誰もいない教室に俺の声が虚しく鳴り響いた。


 人生初の生徒指導室である。とは言っても指導を受けるわけではなく、遅刻届けを書いてハンコを押してもらうだけだった。

 まさかこんなしょうもないことで皆勤賞を逃すことになるとは・・・

高校に入って遅刻したのは今日が初になる。だから当然、遅刻届けを書くのも今日が生まれて初めてだ。こんなことなら遅刻常習犯の悠人に書き方教わっておくんだった。

 クラス名前、遅刻した時刻までは書けたが、はて、遅刻理由の欄にはなんと書けばよいのだろう。

『友達と話していたら遅れた。』これではあまりにマヌケだ。まあ、本当なんだけど・・・

 『教室を間違えた。』高三になってもう半年だぞ。これも事実だが・・・

 おとなしく『自分の不注意でした。』くらいで手を打つか。

 ハガキほどもないわら半紙をひらつかせながら廊下に出ると、同じく遅刻した女子生徒と丁度入れ違いになった。

「あ、ごめん。」

「いえ、こちらこそ。」

 女子生徒は軽く会釈して生徒指導室に入っていった。

セミロングくらいのまっすぐな黒髪。人形のように整った顔。突然で気付かなかったが、俺はその人物を知っている。そもそもうちの生徒で彼女を知らない生徒はいないだろう。

見間違えようもない、それはわが校の生徒会長であり、アイドルであり、そしてどういうわけか、東悠人とお付き合いを初めて二年半になるらしい謎多き美女、月島菜々子だった。

それにしても、生徒会長を務める程の彼女が遅刻とは珍しい。手荷物の量から考えるに、今学校に着いたところか。きっと病院に寄っていたとかそういうまっとうな理由があったのだろう。

 なんて、人の心配をしている場合ではない、俺も珍しく遅刻をしている身なのだ。さっさと生物講義室に・・・

「あのっ、ちょっと待ってください。」

行こうとした俺を女の声が呼び止めた。俺の後を小走りに追ってきたのは、紛れも無く月島菜々子だった。しかし、彼女が俺を呼び止める理由ってなんだ。思えば彼女との接点は親友の彼女って言うことぐらいで、それも俺がそれを知っていることを彼女は知らないはずだ。いや、チャットかなんかで悠人が伝えた可能性もあるし、口封じ・・・とか。

色々考えたが結局俺の予想は全くあてにならなかった。なにせ第一声がこうだった。

「今この辺りに殺人鬼がいるので気をつけてください。」

これが初めて話す相手に対しての一言目であるだろうか?いや、普通はそうではない。結論から言うと彼女はまず普通ではなかった。

「身長は175センチ前後で深緑のキャップを被っている男を見たら直ぐに逃げてください。おそらく男はあなたを含むうちの生徒何名かを狙ってくるはずです。」

意味が分からない。今までアイドル的立ち位置にいたから気にもしなかったが、もしやこの子はデンパなのか?そう思うほど、彼女の発言には現実味が無かった。

「ごめん、ちょっと話についていけない、すると学校には遅れたのもそれが原因しているのか?」

 なんだこの演劇の読み合わせみたいなやり取りは・・・

「詳しくは説明できないんですけど、そんな感じです。」

 どういうことだ、忠告しに来たと思いきやその詳細については語れないって、それじゃ流石に信用のしようが無いだろう。

「納得のいく説明をしてくれ。」

「私、急ぐので・・・帰るときはくれぐれも気をつけてください。」

「あっ、おい・・・」

 俺の質問には答えず、それだけ言い残して彼女は走り去っていった。一体何だったんだ、不審者?俺たちを狙っている?どうして?疑問だけ押し付けられて少し不安にさせられて、結局なんの話しかさっぱりだった。やっぱりただの電波発言だったんじゃないか?

遠ざかる足音だけが鳴り響く廊下に一人取り残され、しばらく考えたがむしろ謎は深まるばかりだったので、仕方ない、俺はまた生物講義室へと針路をとった。


「・・・えーつまりこれは、荘周が夢の中で胡蝶になっていたのか、胡蝶が夢の中で荘周になっていたのか定かでは無い、という意味です。」

 二時間目、三時間目は気づけば終わっていてあっという間に四時間目、漢文の授業。前回まで孟子、荀子、老子と中国思想を片っ端からやってきて今回は荘子というわけだ。今やっているのはその中の『胡蝶の夢』という話で、ざっくり言うと夢だと思っていたものが実は現実で現実だと思っているこの世界の方が実は夢かもしれない。という内容だ。

 例えば今朝見た夢・・・あれが現実で、ショックで気を失っている間見ている夢がこの世界、にわかには信じがたい話であるが、完全に否定することはできない。俺が白河に告白した途端目が覚めたりして・・・冗談じゃない。

 そうだ告白だ。今日中にすると言ったものの、すでに今日の半分が終わっているにもかかわらずまだ告白のプランすら考えていないのは流石にまずい気がする。やっぱりタイミングは放課後の買い出しの時がベストだよな。問題はどうやって切り出すかだ。恥ずかしながら俺は恋愛というものを生まれてこの方十八年一度もやってこなかったたちで、ドラマやアニメなんかでの告白シーンは割と観てきた方ではあるが実際それが現実でも通用するとは思えない。臭いセリフは現実だとチープに聴こえるだろうし、だからといって「付き合おう」なんて言葉をなんの前置きもなくいきなり発する度胸は俺にはなさそうだ。先駆者の助言を仰いでみるのもいいかもしれない。だとすれば颯汰はあてにならないし、悠人だな。

チャイムが鳴り起立、礼をクラス委員の合図で行うや否や、早歩きで廊下へ出、悠人のいる一つ隣の教室のドア前で待ち伏せた。しかし、授業が若干長引いたみたいで、これなら別にクラスの視線を集めてまで早歩きをする必要はなかったじゃないか、としょうもない後悔をしていると、俺が待ち伏せしていた後ろ側のドアがガラガラと音を立てて開き、中から人がどっと溢れ出た。彼らが向かう先は食堂だろう。その人の流れには悠人もいて、すぐに目が合った。

「どうした?」

「お前、誰かと昼飯食う約束してるか?」

「うん、してるね。」

 普段、俺は食堂に行くことはない。ありがたいことに母親が毎朝弁当を用意してくれているので、ホームルーム教室で月島ファンクラブの三人と一つの机を囲む、というはたから見れば非常にむさ苦しい昼休みを過ごしている。悠人は俺よりも人当たりがいい、昼飯を食うグループが一つや二つあってもおかしくはない。

「どうしたのさ。」

「いや、それならいいんだ。」

片手をひらつかせて迂回した俺を悠人は一言で引き止めた。

「恋のお悩み相談。」

 振り返ると図星だろ?と言わんばかりのニヤけ面が目に入った。お見通しかよ。

「それなら来なよ。」

「いや、でもそれ・・・」

 歓迎してくれるのは非常にありがたいことではあるが、周りに人が居ては話せないだろこういうのって。もはや公開処刑じゃないか。

「女性側の意見も聞けるよ。」

「なおのこと駄目だろそれ。てか、女子と飯食って大丈夫なのかお前?」

「じゃあ行こうか。」

 無視するな。

 悠人はどうしても俺を辱めたいらしい。結局抵抗を続けるのもそれはそれでしんどかったので、仕方なく、ほんと仕方なく俺は悠人について食堂まで・・・

「なあ、悠人。」

「なにさ?」

 流れ的に俺は食堂のど真ん中で自分の恋を赤裸々に語らされるものだと勝手に思ってそれなりの覚悟を決めてきたつもりだったのだが、

「食堂はこっちじゃないぞ。」

「そうだね。」

「そうだね?」

 分かっているならなぜ引き返さない。友達と約束してるんじゃなかったのか。どうしてこんな人気のない校門の方に針路をとっているんだ。

「別に高校のランチスポットは食堂に限らないでしょ。」

「だとしても屋上が開放されていないうちじゃ教室か踊り場のベンチくらいのものだろ。」

「よし着いた。」

 ・・・でどうして駐輪場裏なんていうコアなスポットに行き着くんだ。小学生の秘密基地かよ。

 ベンチもテーブルもない、床が幸いコンクリートになってはいるが、おそらくそこは校舎建造の際にたまたま残った余剰スペース、普通に考えれば人が寄り付く場所ではない。にもかかわらず、その奥の壁際には悠人の言った通り、女性らしき人影がちゃんとあった。

「ごめん、授業が長引いちまった。」

 悠人はその影に向かって呼びかけた。すると影はこちらに振り向き、正確には影だと思っていたのは彼女の後ろ髪で、正体はすぐに露わになった・・・

「あっ。」

「えっ?」

声を上げたのは俺とその女子生徒。俺は反射的に彼女に対して人差し指を向けていた。

「なになに?その『あのときの・・・』みたいなリアクション。」

 間に立っていた悠人も困惑するもんだからしばらく変な沈黙が続いた。とはいっても体感で五秒行くかいかないかくらいの間で、腕をおろした俺は緩んでいた口元を一度引き締め、鼻で軽く一呼吸した。

「悠人、お前が言ってた女性側の意見って・・・」

睨みつける俺に悠人はにこやかに頷いた。うわ、殴りてえ~。

「ってことは、どう考えても場違いだろ、俺。」

 彼氏彼女のランチタイムに彼氏の友達が加わって、この状況で誰が得をするというのだ。自慢か、自分の幸せぶりをひけらかしたいだけか?そうなら今直ぐにでも幸せの対義語について考えさせてやる。

と、思ったがどうやら悠人に対して軽蔑の眼差しを向けているのは俺だけではなかったみたいで、この状況下に納得のいっていないのは彼の彼女、月島菜々子も同じだったみたいだ。これはある意味修羅場なんじゃないか?

「二人ともちょっと落ち着いてよ。悪意はないんだ。これにもわけがあってとりあえず睨むのやめてもらえる?」

俺はあくまでも慌てふためく悠人が見苦しかったので目をそらした。

「で、なんだ?」

「話してる時はこっち見ようよ・・・いや、だから睨むんじゃなくて、ああ、わかったもう見なくていいや。」

さっきから睨んでいるつもりはなかったんだが、悪い、無意識だ。

「えーっとね、まずこいつは俺の親友、三上慎士。菜々子にはさっき言ったけど、こいつが俺たちの恋仲を知っちまった唯一の人間だ。」

おいおい、親友とか言って持ち上げた割に酷い言いようじゃないか、知っちまったって、お前が勝手に自慢したんだろ。彼女に本当のこと言ってやろうか?

「だから、二人で釘を刺しておこうってか?」

「そうじゃないって、釘なら既に刺し合ったじゃんか。」

「あーたしかに。」

一時間目のあとに交わしたやつか。

「じゃあその件はもう解決済だろ。」

「うん、だから今回は一方的なお願いなんだけど、慎二の告白が成功した暁には、白河さんに菜々子とも仲良くしてくれるように頼んで欲しいんだよね。」

「それは一向に構わないが・・・」

俺が頼むまでもなく、白河ならそうするであろう。

「ちょっと悠人、私はいいって言ったじゃない。」

反対したのは当人の月島だった。自分から距離を取っている、という白河の見解はどうやら当たっていたみたいだ。あと俺は敬語を使う優等生チックな月島しか見たことないので、タメ口で怒る彼女は凄く新鮮だった。

「でも、菜々子がいつも独りでいるの、俺見てられなくてさ。」

「だからいいって。」

「いやでも、やっぱりさ・・・」

あの、俺はもう帰っていいか?

そこまで心配するんだ、目の前でカップルがイチャイチャしてるのを見せられている独り身である俺のメンタル面を少しくらい心配してくれてもいいんじゃないか?

俺が億劫な目で彼らのやり取りを眺めていると、悠人のねちっこい心配にいよいよ鬱陶しくなってきたのであろう月島が、悠人には聴こえない程度ではあるが確かにため息を一つ吐き、一瞬にして色気のある顔を構築して甘えた口調で言った。

「私には悠人がいるから。」

背筋がゾクっとしたね。絵に描いた優等生かと思えば朝の電波発言、そして今の女を武器にした行動。時と場合に合わせて色んなキャラを演じる、学園の男女両方から愛される学園のアイドル月島は、案外うちの学校で一番タチの悪い女かもしれない。月島ファンクラブの連中が急に哀れに思えてきた。

「そう・・・っか。」

思惑通り丸め込まれた悠人を見てさらに心配になる。こういうことをどこぞの他の男に対してもやっているんじゃないか、という最悪のケースを考えてしまった。気をつけろよ、親友。

「で、話はまとまったか?」

彼らのやりとりに関して色々言いたいこともあったが、この調子だと弁当箱を開くこともなく昼休みが終わってしまう可能性も考えられるので、さっと切り上げることにした。

「俺たちの方はとりあえず置いておいて、とりあえず慎士の悩みを聞くよ。」

悠人は隣にぴったりくっついた月島の耳元に、「それくらいならいいよね?」と囁いた。なんだそれ、内容丸聞こえだし、普通に喋れよ。

「それだけなら、まあ。」

てなわけで、ようやく俺は自分の要件を話せるようになったのだが・・・なんだろう、今こいつらに相談したら負けな気がしてきた。というかそもそも、よく考えたら、いや、よく考えなくてもどうして悠人なんかを相手に恋愛相談なぞせねばならないんだ。三十分前の俺はいったいどんな思考回路をしていたんだ。

「ってことだから慎士、話していいぞ・・・」

「悪い、俺やっぱり一人で考えるわ。」

「えっ?」

鳩が豆鉄砲を食ったような顔、という言葉はこういう顔を言うんだろうな。でもその反応は正常だし、正解だ。なんてったって、昼飯を誘ってまで相談事をしたがっていた奴が急な手のひら返しでなにも話さず帰ると言うのだから。

「急にどうしたのさ?アドバイスが欲しいんじゃなかったの?」

「いや、やっぱりこういうのって、自分で考えて、悩んで、自分の言葉とかやり方で伝えなきゃ意味ない気がしてさ。それになりより・・・」

「なにより、なんだよ?」

「お前ら見てると相談する気失せたわ。」

「うわっ、辛辣。」

悠人は苦笑いしたのち、少し間を空けてから改まった口調で言葉を続けた。

「最後の一言は聞かなかったことにして、その判断は懸命だと思うよ。成長したじゃん。」

かくして俺は、先駆者の助言を授かるチャンスを気取った発言で払いのけ、この身一つでぶつかることを決断したわけだが、結局良い案が思いつくわけでもなくただただ振り出しに戻っただけだった。やっぱり相談するべきだったかな、と思うことも何度もあったが、あんなこと言った手前、おめおめと引き返すわけにもいかず・・・


気付いたら六時間目、ロングホームルーム。先週からこの時間は文化祭準備の時間となっていて、文化委員たる俺と白河は教壇に並んで司会を務めなければならなかった。と言っても基本的に前で話すのは白河だった。

「先週のロングホームルームでうちの出し物は・・・日本庭園風カフェ?」

白河は、その教室でやるにはやや無理がありそうなコンセプト名に確証を持てなかったのか、隣でクラスメイトの顔色を伺いながら突っ立っているだけの俺にクエスチョンマークを投げかけてきた。

「・・・うん。」

生暖かい視線を感じながら、躊躇いつつも、ここで何も言わないのも不自然だったので小声で頷いた俺は、やはりというか結局視線の温度が上がるのを感じていた。隣に立っている彼女も多分気付いてはいるが、そこはやはりしっかり者で定評のある白河だ。何食わぬ顔で、あくまでも文化祭委員の一人としての責任を全うした。

「日本庭園風カフェに決まり、外装の構想もだいたいまとまってきたので、今日からは本格的に制作していきましょう。」

 さっきから生暖かい視線を照射していた連中も、それが彼女にとっては効力のないものだと悟ったのか、ただただ賛同の意を口にするのであった。

 俺は何を気にしていたのだろう。

「段ボールは多目的ホールにある分は自由に使って良いそうです。それと、これから文化委員で買い出しに行くので何か必要なものがあれば言ってください。電話してもらってもいいです。」

それで委員からの報告は終わり、皆各々の持ち場について制作が始まった。結局、俺はこの間重要事項を黒板に記す程度の雑用に徹しただけで、白河自信が望んで多くを請け負っていたとはいえ、俺は若干の不甲斐なさを感じざるを得なかった。

「よ~う慎士。」

 教壇から降りるや必需品の確認に向かった白河、取り残された俺はいつの間にか男三人に取り囲まれていた。どうせまた「イチャイチャしやがってこのヤロー」的な、嫉妬と見せかけた、実際はただからかって反応を楽しみたいだけなのがバレバレな発言が飛んでくるのだろう。

「イチャイチャすんなよ〜」

「見せつけんなよ〜」

「公私混同するなよ〜」

まるで単細胞生物だ。他にパターンは無いのか。それと、公私混同はしていない。勝手に捏造するなアホ。

「お前らは何か必要なものあるか?内装係だろ?」

下手に反応すると喜ぶので、俺はここへきて委員会という立場を盾にした。多少の罪悪感はある。

だが、やはりというか効果は絶大だった。三人は揃ってつまらなそうな顔をすると、これ以上は何を言っても無駄だと悟ったのだろう、「班長の川田から白河さんに伝えてある。」と、事務的な返事をした。

ここまでは思惑通りだったのだが、そこへ白河が来たのは誤算だった。

「買い物リスト完成したから、今から出ようと思ってるんだけど・・・えーっと、どうかした?」

いま俺はどんな表情で彼女を見つめているのだろうか。多分あんまり良い印象は受けないだろう。背後で男どものクスクス笑い、とにかく今は変な空気にされる前に速やかにこの場を去りたかった。

「いや、なんでもない。買い出しだな、じゃあ今から行くか。」

「話は済んだの?」

 白河が後ろの三馬鹿に目をやると、三馬鹿は一語一句違えることなく、まるでリハーサルでもしていたかのような見事なユニゾンを披露してくれた。

「「「お構いなく!」」」

 告白することを知らなくてもこれだからな、仮に言っていたならどうなっていたのだろう・・・多分言わなくて正解だったと思う。でも、こんな気の使われ方をされるのもこれが最後になるだろう。別に成功を確証しているわけではなく、付き合うことになってもフラれても、きっとこういう気の使われ方はされなくなる、良くも悪くも変わってしまう。踏み出した以上、現状維持はない。でも、俺が選んだのはそういう道、日々変わっていく道を俺は求めた。だから名残惜しくても進まなきゃならない。別にこれでコイツラと会えなくなるわけじゃない、俺が進んだ場所には、一歩進んだコイツラがいる。悠人が俺に秘密を打ち明ける前とその後とで俺の悠人に対する対応が変わったように、一人の踏み出す一歩が変化させるのはそいつ一人のステータスだけではなく、周囲の人間をも巻き込んで変化させていく。どんな些細なことでも、世界全体が些細ながら変化していく、それが人生。たとえ今のゲームがどれだけ進化したって、いくらマルチエンディングのものであれ再現不可能な現実。

「じゃあ、いってくるわ。」

「「「行ってらっしゃい~。」」」

 俺が『言ってくる。』と言ったことには気付くはずもなく、いつも通りの面白そうな顔した彼らに見送られ、俺は教室の扉を開けた。


 学校を出て、いつも登下校の時にお世話になっている学校最寄りの駅に向かう最中、今更になってとある疑問が浮上した。

「なあ、同じ文化委員としてこんなこと聞くのもどうかと思うけど・・・これ今、どこに向かってるんだ?」

「ほんとどうかと思うよ。」

「スンマセン。」

文化祭の買い出しを文化員二人で行くということを聞かされたのが今朝、買い物リストの作成だって白河一人でやってたし・・・マジで俺なんにもやってない。今だってどこへ向かってるか分からなかったというポンコツ具合だ。

「俺も委員なのに、結局いつも白河に任せきりで、なんと言ったらいいか・・・ほんとゴメン。」

そう言って彼女の顔色を伺うと、苦しそうな表情で小刻みに震えていたので一瞬焦ったが、すぐにそれが笑いを堪える表情だとわかった。堪えかねた彼女が「ブフッ!」と弾丸のような息を吐く。

「ごめん、全然怒ってないよ。大丈夫、別にあてにはしてなかったから。」

それはそれで虚しくなるが、どのみちサボってた俺に反論する資格はない。それとなにより、意地悪な表情も可愛かった。

「隣駅のホームセンター。」

「えっ?」

「だから今向かってるところ。」

「あ、あそこか・・・」

まあ、確かにあそこならなんでもあるな。でも、本音を言うと少し残念ではある。もう少し遠出するものだと勝手に思い込んでいた。

いつもの三階建の駅の階段を上がり、通学定期で改札を通りエスカレーターで三階にあるプラットホームに着いた。

「電車もうちょっと待ちそうだね。」

 時刻表を確認した白河が言った。見れば次の電車が来るのは十分後で、タイミングの悪いことにあと一分早く着いていれば前の電車に乗れたといった具合だった。

 参ったな。

 ということはだ、今から十分間、俺はこの場に突っ立っていなければならない、白河と二人きりで。男友達ならまだしも女子、それも意中の。ここへ来るまでの道のりでは歩くという動作が前提にあったので喋らない時間があっても持っていたが、今はそうではない。今この場で喋らないということ、それは紛れもない沈黙を意味する。多分今の俺にはその沈黙に耐えれられるだけのメンタルはない。とはいえざっと話すべきことは道中で済ませてしまった。こういう時、他愛のない世間話をポンポン思いつくやつが羨ましい。しばらく待ったが白河から話す気配はない。ということは今はオレのターンというわけだ。何か話すこと・・・世間話ね~・・・んん~・・・

その時突然、ズボンのポケットから電子音が漏れ出した。誰かから電話だ。

「あ、私そこの自販機で飲み物買ってくる。」

 気を使ってくれた白河に礼を言い、スマホを取り出すと、画面には『悠人』と表示されていた。なんのようだか知らないが、ちょうど今、救いの手を求めていたところなので好都合だ。

「もしもし。どうかしたか?」

『どこまだいった?』

 どこまで?

「いま隣駅のホームセンターに向かうべく最寄り駅のプラットホームにいる。」

『そうじゃなくて、そんな情報はどうでも良くて、そうだな・・・キスまではいったか?』

 ああ、そっちの。

「告白していきなりキスとか、そんなフランス映画じゃあるまいし・・・」

『俺はそうだったけどね。』

 それはお前とあの電波少女がおかしいだけだ。そうだと信じたい。そっちが正解なら、俺にはそれをやってのける自身はない。何より・・・

「告白もまだなんだけどな。」

『はあぁ!?』

 うるさい。

『どう考えても今が好機じゃん。これ逃したらほんとにもうないと思うよ。』

「だよな・・・分かってんだけど、でも、どう切り出していいものか・・・」

『昼休みの時の威勢はどこ行ったんだ。』

思えばどうしてあんな態度を取ったのだろうか。半分ただの見栄だったような気がする。

『・・・はあ、なんかアドバイスいる?』

でも残りの半分には確かに自分の意思があった。自分の言葉で、自分のタイミングで伝えたいという純粋な感情が。

『お〜い。』

「いや、やっぱりいい。」

やっぱり自分で言わなければ意味が無い。いや、自分で言いたい。

『そうかい。まあ、頑張れよ。』

「ああ。」

『・・・あっ、そうだ。』

まだ何かあるのか?

『菜々子がそっちに行った。』

「・・・えっ、なぜ?」

『なんかよく分からないんだけど、「二人が危ない。」とかなんとか言って飛び出して行ったんだ。まあ、出会った時からちょくちょく変なこと言う子だったから今回もなんでもないと思うんだけど・・・』

「なるほど・・・」

どうやら彼女はデンパ少女で間違いなかったみたいだ。とすると彼女が言っているのは例の殺人鬼ってことか。信じているわけではないが、その単語を聞いただけで身構えてしまうのも事実である。

『そういえば白河さんは?一緒なんだよな?』

「ああ、今待たせてる。」

『だよな。ゴメン、もう切るよ。まあ頑張ってくれ。』

「どうも。」

 音声が途絶える。暗くなったスマホに映る自分を見ながら、ふっと短い息を吐いた。

「もう終わった?」

 背後から唐突な声。俺は内心ビクッとしながら、何食わぬ顔を装った。

「ああ、待たせてゴメン。友達からだった。」

 一体いつからそこにいたんだ。それだけが気になって仕方ない。もしかして会話の内容聞こえてたか?

「三上君。」

「んっ?」

「電車来るまで、まだ五分くらいあるんだけど・・・」

 やっぱり気付いてる・・・か。その証拠に彼女の表情は次の言葉を促すようだった。次の言葉が何なのか、それぐらいは俺にだって察しが付く。ここまでされてはとぼけるわけにもいかない。俺はさっきから握ったままだったスマホをブレザーのポケットへ仕舞った。どのみち学校に戻るまでにはするつもりだったんだ、それに遠出でもないみたいだから、悠人が言ったようにこれを逃せば他にいいタイミングもなさそうだ。それを思えば電車が俺たちの到着直前に発車したのも一種の後押しのように思えた。・・・まあ、そんなわけないか。

 ともかく俺は彼女の正面に立った。まったく、告白でさえ俺は白河にリードされるのか。不甲斐な過ぎる。それでも言わなければならない。ここで変なプライドのために先延ばしにするのはもっとダサい。俺は覚悟を決める。

「俺・・・実はっていうか、まあもうバレてるんだろうけど・・・俺、ずっと白河のことが好きだった。」

「うん、知ってた。」

「だから、その・・・俺と付き合ってくれないか?」

 空虚なプラットホームに俺の声だけが小さく響いた。

とうとう言ってしまった。依然として白河の顔に驚きの感情は宿っていない。宣言通り全部知ってたという顔だ。俺は言うべきことを言った。後は返事を聞くだけだ。俺は固唾を呑んでその時を待った。そうしてようやく白河が口を開いた。

「・・・くふっ。」

 しかし返ってきたのはまさかの笑い声だった。てっきり、返事はイエスかノーだけだかと思っていたのだが、まさかのラフで来るとは・・・

「あっ、ごめん。別に変な意味じゃないからね。ただ単純に長かったから。もう、朝からあれだけ振っといてどれだけ待たすのよ。」

 それを聞いてホッとする。なんだ、そういう理由か・・・

 俺は改めて聞く。

「悪かった。それで、返事を聞かせてもらっても良いか?」

「・・・うん。」

 彼女も真剣な顔になった。スゥーっと生きを吐く音がする。

「私も、三上君のことが―」

 俺が聞き取れたのはそこまでだった。

 俺を不意に襲ったのは謎の浮遊感。気持ちが上がっているから、そういうわけではなさそうだ。なぜなら、その時俺の体は実際に宙を浮いていたのだ。

 頭がぼーっとしてくる。まるで風呂から上がってすぐに起こる立ちくらみのような感覚、それのちょっと強いバージョン。視界が夏のアスファルトのように歪んで見える。眼の前には、驚いた目で何やら叫ぶ白河の姿があった。そしてその隣にはさっきまではいなかった誰かがいる。男か?そいつはこっちに向かって手を突き出すような格好で立っている。

 なんだ、コレは。

カンカンカンカン・・・と、甲高い鐘の音が俺に迫る何かを警告するように鳴り響いている。なのに、それ以外は時間が止まったみたいに何もかも静止して動かない。俺自身も、手足を動かそうとしたが、動かない、どういうわけか動かせない、もちろん声も出ない。なのに、脳だけがやたらと働く。

ついには思い出したいことから思い出したくないことまで、今までの記憶が次々に現れてきた。まるで走馬灯のように・・・と考えたところでなんとなく今の状況が見えてきた。

いや、本当はもっと前から分かっていた。でも、それに納得したくなかった、目をそむけていたかったのに、ここへ来て諦観というものを知ってしまった。

踏切の警戒音、叫ぶ白河、俺を突き落とした男、そして俺は今、線路の上に浮いている。もう理解出来た。これを表すのにもってこいの漢字がある。

―死―

そう、どうやら俺は今から死ぬみたいなのだ。なぜそんなことになったのかは分からない。ただ、そうなるしかないのだ。

一人見落としていた。俺を突き落とした男の奥、まるでそいつを追いかけるような体勢の、月島の姿がそこにはあった。しかも何だあれ、拳銃、みたいな何かを男に向けている。

やや疑問は残っているが、もう正直どうでもいい。解けようと解けなかろうと死んだら全部同じことだ。俺の滞空時間もどうやら永遠ではないみたいだ。さっきからだんだん意識が薄れ始めている。良かった、この様子だと轢かれる瞬間は味わわずに済みそうだ。それだけが救いだ。

あ~あ、最後に返事くらいは聞きたかったな・・・

 俺は一つ悔いを残したままゆっくりと目を閉じた。

 

そこで目が覚めた・・・


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