5話 天使と悪魔
結局、その日はブライブを出すことができないままだった。言ってることの理解はできた、ただイメージと感覚が湧かなかった。
窓に映る自分を透かして外見ると、星空の下に人間が作った橙色の星々が規則正しく煌めいている。その光は王都中心部から外に行けば行くほど黒とのグラデーションが濃くなっている。このまま一時間ほど物思いに耽っていたい、そう思っていると、ふと初めてブライブを出したときの記憶が思い出された。
「あの時、誰かの声が・・・」
そうだあの時、あの一瞬だけ、知らない声が聞こえてそれで、こう腹にパーンと。
「うおっ!?」
何気なく刺された右のほうの腹を拳で叩くと、青の蛍光色の三角形が飛び散って出てきた。あの時と同じ感覚、<ブライブ>だ。ただ、他の箇所を叩いてみても何も起こらない。反応してブライブを出せるのは刺されたこの箇所だけだ。実戦を考えるなら、ここからだけ出ても意味はないし、出てもすぐにボロボロになって壊れてしまう。こんな欠陥品はあってもなくても変わりはしない。
「って、いつからこんなに好戦的になったんだ俺は。」
叩きすぎて腹は軽く赤みがかっていた。さすがに疲れた。シャワーでも浴びたい気分だが、体がぐったりとして動けない。今日はリアも転校初日で疲労が溜まっているだろうから、朝から気分が変わっていることを願おう。
「・・・寝よ。」
ーーー
昨日は転校初日だったから正門から入ったが、推薦クラスは裏門からの方が近いと言われたので、今日はそっちから入った。結果、段違いに早くてすぐに教室に着いた。
「おはよう、カナリアさん。」
昨日と同じ席で日向ぼっこをする亀みたいに、ぼーっと外を眺めている彼女の横に座る。無視されるのは昨日からで、昨日は午前中ずっと隣の席だったが、初対面以外喋ることは無く、ついには訓練に向かってしまった。
「アイリ君、アイリ君。」
肩をポンポンと叩かれ、落としていた視線を右に移す。幅約1mの通路の先で、声の主は首を傾けて俺を見ていた。
「エレノアさん・・・だっけ。」
わざとらしく悩んだが、名前をまだ覚えていない訳ではない。むしろこの教室の住民の中で、一番印象に残っているのは彼女だ。肩ほどに伸ばした黒い髪に、吸い込まれそうに綺麗な瞳、白い肌も。天使が現世に降りてきても、彼女には勝てない、そんな気さえする。
「なに?」
「・・・」
彼女は天使の笑顔でこっちを見ているだけだった。ただ、訴えているように胸の前で教室の前の方を指差しているので正直にその方向を向いた。
「あ、リアさん。」
そう言うことね、とエレノアさんに礼を言い階段を4段ほど降りてリアの方へ小走りに向かう。教室のドアを開けて、そこにもたれ掛かっていた彼女はクラスの人の視線を気にせずにこっちを見ていた。
「ごめん、気付かなくて。ここ異常に遠かったでしょ。」
「いや、そうでもないけど。」
彼女は「何言ってんだこいつ」の目で俺を見て、それよりこれ、と言って左手を出してきた。
「あぁ、弁当。忘れてたんだ。」
ありがとう、と言って弁当を取ろうと右手を伸ばす。ほんのわずか体重が傾いたその瞬間、彼女はその右手を引っ張り、胸ぐらを掴む。恐怖しか感じない。
「おい」
「は、はいっ。」
リアさんは少しお怒りのようだ。
「昨日、待ってたのに来なかったよね。」
「いや、それは・・・」
昨日はしょうがない、ブライブ作り過ぎて疲れていたんだ。なんて一般生に言ったら厳罰が下るだろうし、どうしようか。考えているとさらにぐわっと掴まれた、俺の耳と彼女の唇が触れそうになる。
「・・・覚えてろよ。」
彼女はただ一言そう言って俺を離し教室から出て行った。右手はいつの間にか弁当を持たされている。彼女と一対一で闘って勝てるビジョンが見えない、怖い。
「今の誰?」
ちょうど教室に入ってきたカスパーの声に弱る。正直に妹と言ってしまうと、えらく情けない感じが拭えない。
「先輩だよ。前の学校一緒で仲も良かったから『調子どう?』って心配してくれて。」
どちらかといえば後輩だけど。
「心配で胸ぐら掴むって、かなりヤバイ奴だろ。」
「ま、まぁそうだね。」
ヤバイ奴に変わりはないので否定はしない。ただ、自分の変わりにリアに良くない印象をもたれるのはちょっと申し訳なく思う。
ーーー
昼過ぎ、日が一番昇っている時間だが教室には影が落ち暗くなっている。薄暗い中に二人、個別訓練が行われていた。
「ほら、ここ叩くと出るんすよ。」
パンッパンッと拳で自分の腹を殴り、それを見せる。わかった、わかったから、と言って俺の腕を両手で掴み、少し誇らしげに腹を殴り続けていた俺を止める。
「でも凄いねアイリ、あとはお腹を叩かずに他の場所で出せるようになるだけだよ!」
「なかなか厳しいよ、それ。」
ま、私は1週間でできたけどね、と彼女は黒板に臨んだ。そして昨日と同じ図を描き、教室の机群に振り向く。コンマ5秒後に髪の甘い匂いが頰をこする。
「魔力です、魔力の流れなのです!」
それは昨日聞いた。
「アイリは想像力が足りないんだね。」
「何故そのようなことが言えるのでしょうか。」
とは言っても、想像力の欠如は自他共に認める俺の特徴だ。頭を働かすことより口を動かす方が楽なので、いつも人に聞いてばかりだった。
「お姉さんが優しく教えてあげましょう。とりあえずもう一回出してみて。」
俺はまた腹を殴り、ブライブを出した。昨日よりは少し長くもっただろうか、それでも2秒以内に崩れてしまう。
「ほら、ここから。」
腹の真ん中よりも少し右、腹直筋と腹斜筋のちょうど間くらいに彼女の人差指の先が触れた。俺が腰を引くのにも気に留めず、指先は鳩尾の下を歩き、大胸筋の輪郭をつたっていく。
「左手、上げて。」
「は、はいっ。」
指先は脇の上まで行き、上げた左腕を通ってようやく掌まで到達した。
「ここまで。今の指の動きに合わせて、筋肉に力を入れるのを想像して。」
できるかな、と馬鹿にしてニッと笑う。想像力に乏しい俺でもそれくらいはできるさ。視界をとざし深く暗い集中に入る。
白い人、透けている。真っ暗な世界で、何を怖がっているんだろうか、腰が抜けて立てていない。俺が手を貸そうと歩み寄るが、後ずさって逃げていく。おい、待てよ。俺は気づいたら彼を追って走っていた。待ってくれ。その一瞬だった、俺の伸ばした左手が、左手だけが、追いつけたような、そんな感じがした。
「目、開けてみて。」
光が瞼の間を縫って目に届く。思わずもう一度目を閉じてしまいたいくなるが、細目で左手に視線を向ける。




