Play back my life
一也は困惑していた。
先程までの混濁していた意識は消えており、周りの様子を探るだけの余裕はある。
しかしいくら周りを見ても、彼の疑問は解けなかった。
即ち、今の彼の状態についてである。
"俺、確か火之禍津の主砲で殺られたんじゃなかったか。何でまだ、意識がある"
意識と呼ぶのが適当なのかも分からないが、とりあえず物を考えることは出来る。最低限の知覚はあるという気はする。
自分の胸を貫いた熱線の暴力的な高熱が、支えることも出来ずに倒れた体が、急速に暗くなってゆく視界が、それらがフラッシュバックしては消えた。
"なら、ここは死後の世界なのか"
身近に時雨がいたせいか、すぐにそれを思い付いた。
なるほど、妙に視界が薄暗いのも、それなら理解出来る。
視線を落とすと、自分の体が見えた。何も着ていないようだが、体全体が青白い光に包まれている。
多分、自分は魂だけの存在なのだろう。それも死にたての。
"嫌な表現だな、死にたてって。出来立てほやほやみたいだ"
こぽり、こぽり。一也が何か考える度に、周囲が軽い音を立てる。
泡のようだなと思っていると、不意に目の前が暗転した。声をあげようとしたが、その暇すらなかった。
******
何だろう。妙に煩い。小さなか細い声なのに、泣きわめく声が聞こえる。
それが自分の喉から出ているらしいと気がつくまで、しばらく時間がかかった。
何故自分が泣いているのか。それを理解したのは、耳に飛び込んできた声だった。
「良かったですね、元気な男の子ですよ! ほら、こんなに泣いて!」
「和子、よく頑張ったぞ! ほんとに頑張った、うん......うん!」
「――ふはっ、はあっ、はあっ......う、産んだの、産んだのね、私......あ、赤ちゃん、この子が私と哲矢さんの間の、赤ちゃんなんだね」
「いやあ、逆子でしたからどうなることかと思いましたが、何とか無事に生まれてくれて良かった。はは、何だ、私まで何だか涙が」
「先生駄目ですよ、ほら、ハンカチです」
周囲で声がする。ざわざわと騒がしかったが、それは不快な声ではなかった。
目は良く見えないが、何やら明るい。
仰向けになっているんだと気がついた瞬間、そろりと自分の体が動かされた。
布のような感触越しに、ふにゅと柔らかく暖かい物が伝わる。
分かる。これは分かる。
母親に抱かれたんだ。俺が産まれた時は随分と難産だったって、母さんから何回も聞いた事があったな。今まさにそれが終わったのか。
また声が聞こえた。
「じゃあ決めていた通り、名前は一也でいいな? うん、よし。三嶋一也と。おーい、今日からお前は三嶋一也って言うんだぞー」
「もう、哲矢さんたら......赤ちゃんなんだから、分からないって」
父さんの声、そして母さんの声がする。俺は母さんの胸に抱かれたまま、ふわあと一声上げて泣いた。
そうか、俺はこんな風にして産まれてきたのか。
ピンクがかったふにょふにょした頬に、父さんと母さんが顔を寄せている。
三嶋家の待望の長男が産まれたのだ。嬉しくない訳がない。それくらいは俺にも分かる。
急にピントが遠くなる。
赤ちゃんと同じ目線だった場所から、病室の隅に引いたような感じだ。
大人達が俺を覗きこんでいる。
声をかけたくなったが諦めた。
これは多分、死後の世界が見せる幻影だ。俺の魂に刻みこまれた記憶なのだろう。
赤ちゃんの俺と感覚を共有しているのか、やたらと触られているのが伝わる。それがくすぐったい。
"あんな小さかったのか、俺は"
体重は3,000グラムあるかないかの、ごく平均的なサイズの赤ちゃんだったと聞いていた。
けれども、大人になってから振り返ると赤ちゃんなんて皆小さい。
ふにゃりとした柔らかそうな指に、父さんが恐る恐る触れている。
「この子、大きくなるかしら?」
身長174センチまでは伸びるよ、母さん。
「体格なんてどうでもいいさ、元気でいてくれさえすれば。なあ、一也」
「ふわぁふわぁ、ああああー!」
「あら、また泣いちゃったわ。ふふ、おいで、一也」
父さんと母さんに挟まれて、産まれたばかりの俺が泣いている。俺は――何とも言えない気分になり、目を閉じた。
次に目を開けた時には、風景が切り替わっていた。
少し大きくなった自分がいる。長袖Tシャツと七分丈の子供用カーゴパンツという活動的な服装だった。
「あの雑木林にさ、宝物があるんだって。皆で探しに行こうよ!」
覚えている。俺はこれを覚えている。
確か六歳の頃、友達を誘って行こうとしたんだ。家の近くの公園で、俺は何人かの友達に話しかけている。まだ甲高い幼年期の声だ。
「えー、でも怖いよ。あそこ、変な家あるじゃん」
「そうだよ。あの家、窓は閉めっぱなしで、人も住んでないみたいだよ。もっと楽しいことしよーよ」
同じ年頃の友人達が反対する。
背が高くて、ぼさぼさ髪の子があっくんだ。
反対に背が低くて、大人しそうな子はこうじくんに違いない。
あっくんは足が速くて、外遊びが得意だったよな。こうじくんは本を読むのが好きで、色んな本を貸してくれたっけ。
懐かしい。何も出来ず、ただ俺はこの情景を見ているだけなのに。だけど、とても懐かしい。
小さな俺が「何だ、じゃあ俺、弟と行ってみるよ。来い、次晴。兄ちゃんと宝探し行こう」
次晴――そうだ、俺の三歳下の弟だ。
「にーちゃ、つぐはるも行っていー?」と笑っている。
全く、この頃は俺の後をにーちゃ、にーちゃってとことこ着いて来てたのにな。
おい、小さい俺。その弟さ、あと五年もしたら超生意気になるから。気をつけろよ。
俺は俺に呼びかける。
じっと見ている内に、風景が少し変わった。
俺と次晴の二人が、そろそろと歩いている。
暗いな、そうか、雑木林の中だからか。
自分が歩いている訳でもないのに、二人の小さな靴が枯れ枝を折る感触が伝わる。
ぺき、ぺきと小さな音が、ズックの靴底で潰された。
「あっ、あれが変な家だな。よし、裏に回るぞ」
「にーちゃ、待ってー」
まだ三歳くらいだと、あまり走るのは得意じゃなかったか。
次晴がとてとてと必死に追っている。栗鼠のアップリケが付いたオーバーオールを着ているようだ。
ああ、そうか、あいつのお気に入りだったもんなあ。
「きっと宝物って家の裏庭にあるんだぜ。よーし、行くぞ」
「う、うん」
歩調を緩め、兄弟が目を輝かせている。実家から程近い雑木林であっても、あの頃の俺達にとっちゃ、凄い大冒険だったんだ。
そうだ、未知の世界ってのが子供の頃にはたくさんあった。けど、どう考えても浅はかだよな、俺。
こんな無邪気な時期もあったんだ。アルバム開いたら見つかるかもと思いつつ、俺は心の中で呟く。
なあ、小さな俺。なあ、小さな次晴。
その冒険さ、結局失敗に終わるってことを俺は知ってるけど。宝物なんて見つかりはしないんだけど。
でも、兄弟でああいう体験が出来るってのは、それ自体が宝物だったりするのかもな。
風景が切り替わる。俺の人生が紙芝居のように展開されていく。少しずつ、少しずつ、小さな俺が今の俺に近づいてくる。
小三の時、運動会の徒競走で一等になり、得意満面の笑顔を浮かべた俺がいた。
小六の時、修学旅行で夜中まで友達とゲームしていて、先生に見つかってこっぴどく怒られた事もあった。
中二の時、初めて好きな女の子が出来て、だけど声もかけられないままだった。あの子が今はどうしているのか、俺は知らない。
更に切り替わる。次に現れた風景に、俺は思わず声をあげそうになった。
リノリウムの冷たい床を、俺は歩いている。
三本の足――つまり、松葉杖と左足でだ。右足はギプスでがちがちに固められている。
その白い表面が、文字通り白々しい。
忘れる訳がない。高二の冬だ。年が明けて、そろそろ最後の大会に向けて練習していた頃だ。
風景の中の俺は、もう今とほとんど背丈は変わらない。だけど、その顔は何とも言えない感情で彩られている。
悲嘆、怒り、焦り、どちらにせよネガティブな感情には変わりは無い。
「くっそ、よりによってこんな時に」
松葉杖を突きながら、俺が悪態をついている。
何故こんなことになったのか、俺は勿論覚えている。
陸上部で走り幅跳びを専門にしていたんだけど、ある日の練習で膝を捻ったんだ。
着地した場所に、悪戯なのか何なのか、石ころが転がっていた。
練習前に整備はするんだけど、そこで見落とされたのか。
「気持ちを前向きにしてって言われても、どうやってやれっつうんだよ......」
医者にかけられた言葉にさえ、俺は噛みついている。
病院の廊下を、慣れない松葉杖でどうにかこうにか歩きながら。
何とかエレベーターまでたどり着き、よろよろしながら出口へ向かう俺が見えた。
過去のことなのに、何故か胸が痛む。
"俺、結局出られなかったんだよな"
場面は少し進んでいた。ベッドに寝転びながら、俺は陸上の雑誌を読んでいる。けれども、すぐにそれを床に叩きつけた。
「畜生......このままじゃ間に合わない」と呻き、枕に顔を押し付ける。
「一也、ご飯出来たわよー」
「いらない」
母さんが呼びに来たのに、俺は無愛想に答えただけだ。
落ち込んでいる俺にどう接するべきか、母さんは迷っているみたいだった。しばし立ちすくんだ後、放っておくことにしたらしい。
「じゃあ、ラップして置いておくから。先にいただくわね」
「......うん」
俺は視線も合わせない。
実際、部活も出来ないので腹が減っていないというのは、あったと思う。
だけれど、親に対してあの態度はちょっと無かったな。今なら反省出来るんだけど。
自分の中の痛い記憶を見せられて、ちょっとへこんだ。そしてまだ続きがあった。
「なあ、一也、予選には間に合うんだろ。最後の大会なんだし、部の皆で頑張ろうって言ってたじゃん」
ごめん。
「大丈夫だよ、三嶋君ならきっと治るよ! こんな膝の怪我なんかに負ける訳ないじゃん!」
ごめん。
「先輩、無理しちゃ駄目です。私も出来る限り、サポートしますから。ここまで練習してきたんです、神様だって見放したりなんかしませんよ」
ごめん。
「お前、出るんだろ? ちゃんと治してくるんだろ? 負けたまんまじゃ格好つかないから、最後くらいはお前に勝ちたいんだよな」
ごめん。
部活の皆や他校の陸上部の奴らに、あれだけ励まされたのに。
結局俺は、最後の大会に出られなかった。ギプスが取れたのは、大会の三日前だ。それ以前に大会への出場登録すら出来なかった。
「――スタンド観戦で締め括りなんだよな」
ついこないだの事だ。はっきり覚えている。忘れたくても忘れられない。
ぽつんと一人スタンドで応援する俺を、俺は見詰めていた。
風景が切り替わる。
立候大学に入学し、サバゲー部に入った俺がいた。初めてM4カービンを触った時の興奮は、今でもはっきり覚えている。
中田や寺川の姿を見て、懐かしさと共に動揺を覚えた。
中西先輩や毛利先輩の姿を見て、嬉しい反面苦々しさを感じた。
"もう半年も前になるのか"
トイガンでBB弾を撃ち合う遊びではなく、本物の銃で実弾を撃ち合ったのは。狂気の沙汰としか言いようがない。
後悔は多分、ずっと心のしこりとなって残り続けるだろう。そんな気がする。
不意に風景が変わった。大学の構内から、全く別の場所へと。
赤を基調とした着物姿の少女がいる。神妙な顔のその子は、サイドテールをリボンでまとめていた。
「力を貸して欲しいんです。あの銃が玩具だなんて私には信じられないですけど、でも」
小夜子さんだ。吉祥寺村の自宅で、俺に必死で頼み込んでいた時の。
「でも?」
そうだ、俺は一度は断って。
「仮にそうだったとしても、三嶋さんは銃を使える技術はあるんですよね?」
「......紅藤さん。その問いに答える前に聞かせて欲しいんだけど」
「もし俺にあの野犬を退治する手伝いをして欲しいなら、それは無理ですよ」
この時、小夜子さんが見せた顔はとても悲しそうだった。
そりゃそうだろうな。必死で助けを求めていたのに、勇気を振り絞って俺に頼んだのに、あっさり断られたんだから。
けれども、最後には俺が承諾して、二人であの野犬を倒したんだ。魔銃を手に入れて、それを何とか使って。
危なかったけれど、あそこから俺にとっての明治時代が始まったんだ。
小夜子さんの姿が消え、順四朗さんに変わる。
優しそうな垂れ目を伏せて、煙草を吸っている。
紫煙と共にのんびりとした声が聞こえた。
「己ら第三隊ってさ、滅多に表に姿見せんやん? 結成されて半年ちょいやしさ。それでいて物騒な連中相手の特殊部隊みたいなもんやから」
横浜の時だ。金田さんと岩尾さんがやたらとびびってたから、何かと思ったんだよな。
「それは小さなことを必死で片付けてから言うてや、隊長! あと、小夜子ちゃんに順さん言われる筋合いないねん!」
「怒ると禿げますよ、順さん」
「禿げへんわ、あと一也んに順さん言われるんも好かんねんけど!?」
ああ、これは順四朗さんの昔話を聞いていた時だ。大丈夫です、本当に禿げるなんて思ってませんよ。
「あかんわ、胃がなんや、気持ち悪うなってきて――」
そうだ、乗り物酔いしやすい性質なんですよね。自動車はやっぱりきついですか。
俺は刀の事なんか全然分からないけど、順四朗さんがそれに誇りを持っているのは分かります。
いつも最前線で体張ってもらって、感謝してもしきれないですよ。
展開される記憶の中、順四朗さんの姿が動いている。やがてその姿が薄れていく時に、頭を下げた。
五秒ほど後に頭を上げると、そこには奥村順四朗警部補の姿は無かった。代わりに黄金色の髪も鮮やかな女性が映る。
「異国の人間が珍しいのかな、青年?」
そうだ。
最初にヘレナさんと会ったのは、神谷バアだった。あの時、小夜子さんが酔い潰れて、どうしようか困っていたんだ。
風景は忠実にその時を映している。ちょっと困ったような俺もいた。
「......いえ、失礼しました。ちょっと意外だっただけです」
「それは女一人で飲んでいるのがかな、それとも私が日本語を話せるのが?」
「後者ですね」
懐かしい。今思うと、こんな偶然みたいな出会いをきっかけにしていたんだ。俺達第三隊は。
「というわけだ。すまない、それは無いだろうと食ってかかりはしたんだが、もはや私の一存ではどうしようもなかった」
いや、あれはもう仕方ないでしょう。誰も年末休暇にあんなおまけが付いてくるなんて、分からないですよ。
「そうだろうな。死人の墓暴きとも取れる処遇を認めては、世間の猛反発を食う。私達にそれをわざわざ明かしたのは、混乱が起きることが予想される為、口外はしないだろうという読みか」
この時、本当に怒ってましたよね。ヘレナさんは信念の人だからかな。
俺と一つしか違わないのに、凄いなって思ってました。大したこと出来なくて、すいません。
見ているのが辛くなり、俺は目を伏せる。
風景が遠退く。俺が過ごした人生が遠退く。
幻の色彩は薄れていき、また深い海のような沈鬱さが俺を包んだ。
******
長い長い夢でも見ていたようだった。
一也は深いため息をつく。
人が一生を終える時、自分の人生が走馬灯のように流れると聞いたことがある。今見てきた映像がそうなのだろうか。
もしそうなら、本当に自分は死んだということなのだろう。
"もういいか"
未練は無くもない。だけど悔やんでもどうにもならない。目一杯頑張った結果がこれなのだ、じたばたしても仕方ない。
それに何故か酷く疲れた。
一也は自分の体を見る。やはり青く透き通っている。これが魂という物なのか。
とろん、と意識が微睡む。
ここが海なら、潮流が何処かに連れて行ってくれるだろう。
あの世まで波に揺られるのも悪くは無いな、と思った矢先――思いきり、肩を掴まれた。
「しっかりするでありんす、一也さん! そんなんやったら、あっという間に冥府行きやよ!」
「え、あ、あれ、時雨さん?」
潰し島田に髷を結い、ほんの少し気崩した着物姿も艶やかに。
けれどもその目は見たことも無いほど真剣に。
廓言葉が特徴的な花魁幽霊がそこにいた。




