第三隊 対 火之禍津 弐
人の上半身を模した白い紙片。小夜子が操る式神を簡潔に表現するならば、こうなる。
呪法士である小夜子の命令に従い、一定までの距離ならば自在に操ることが可能だ。
小夜子が式神に与えた命令は、至極簡単だった。即ち、敵の抹殺のみ。
不規則な動きを取りながら、五体の式神がその両腕をぴんと伸ばす。
「硬化か!」
その変化と小夜子の狙いを見抜き、九留島子爵は対応する。
元が紙であるため、いくら硬化させても切れ味という点では知れている。
だが、小夜子の狙いは関節部分だろう。鋼の板金で装甲されている火之禍津だが、肩、肘、膝といった箇所はその構造上、どうしても装甲が無く剥き出しである。
もっとも剥き出しになっている箇所でさえ、機体の各箇所を繋ぐ銅製の捩糸である。
仮に上手くそこを攻撃されても、容易に切断されることはない。
"それでも狙うしかないんですよね!"
"万に一つの可能性すら許さん!"
互いの思考が交錯したのは一瞬に過ぎない。
小夜子の五体の式神は火之禍津を包囲して、そのまま躍りかかった。
だが流石に大きさが違い過ぎた。ただ単に振り回しただけの火之禍津の左腕に巻き込まれ、いきなり式神二体が破壊された。
元が紙であるため、やはり防御力は乏しい。
「くっ、だけどその隙に!」
元より犠牲は覚悟の上だ。火之禍津の剛腕の更に内、そこに残った式神三体を滑り込ませた。
だが相手の反応も速い、返す左腕に一体が巻き込まれる。
文字通り粉微塵に粉砕された式神が、ぱらぱらと散った。
残り二体、届くか。
"下、左膝!"
横の動きから急転、縦に落とした。
硬化させた紙の刃が二振り振るわれる。
火之禍津の左膝の裏、捩糸が剥き出しになった箇所を狙った一撃は......呆気なくかわされた。
いや、かわしたという程、綺麗な動きではない。
巨大な機体が身じろぎしただけで、式神の刃の軌跡から外れたのだ。鋼の装甲が簡単に紙の刃を弾き返した。
「狙いは良かったが――」
大口径ガトリングガン六門をそのまま打突武器とし、火之禍津が無慈悲な一撃を叩き込む。
「――そうそう簡単には当たる物ではないよ」
叩き落とした。踏みにじった。残った二体の式神はまとめて地面に落とされ、機体の巨大な左足の下敷きである。
引き裂かれた式神はもはや紙切れに過ぎず、ただ黒い土に汚れるしかなかった。
小夜子の顔が青ざめる。
それに満足感を覚えつつ、この時既に九留島子爵は火之禍津を次の動作に動かしていた。
紅藤小夜子が左からならば、必然的に次の攻撃は。
「右からだということは、阿呆でも分かる!」
無造作に右腕を持ち上げた。
その手に取り付けられた巨大な盾が、まるで壁のように立ちはだかる。誰に対してなど知れたこと。
「推して参らせてもらうで、呪法補助式抜刀術"影爪"!」
踏み込みも鋭く、奥村順四朗の必殺の一刀が唸りを上げた。
ヘレナには分が悪いと言われ、自分自身でも内心はその通りだろうと認めている。
認めてしまっている。
しかし、奥村順四朗は素直ではなかった。
自分の唯一の武器、あるいは技術が敵わないことを素直に認めるには、彼もまだ若かった。
"そら、真っ向から砲火浴びせられたら別やけどな。諦め悪いんが己の長所やねん"
目の前に立ちはだかる盾は、まるで二階立ての家屋か。あるいは壁か。
避けようが無いと分かった時点で、順四朗の中から迷いは消えていた。
一度納刀してから狂桜の鍔を左手の親指で押し出し、右手で一気に愛刀を鞘から引き抜く。
そのまま身を捻りながらの一刀一閃を繰り出した。
キィンと澄んだ音に続いて、右腕に鈍い衝撃が走る。
切り裂くにはあまりに重量も大きさも硬さもありすぎたか。"影爪"を放ってしても、残すは横に刻んだ引っ掻き傷のような細い一筋のみ。
しかし、まだ諦めはしない。
跳ぶ、やや斜めになった盾の傾斜を利用して靴底を引っ掛け、更に一蹴りした。
盾を打ち破れないならば、それをかわせば済む話だ。
跳躍しながら鞘に収めた愛刀を引き付け、火之禍津の盾を飛び越える。
「抜刀術空戦型"影爪弐式"や!」
「な、んだとっ!?」
もしこれが地上であれば、順四朗の空中からの一撃は届いたかもしれない。
跳躍からの"影爪"という滅多に使わぬ一刀とはいえ、その斬撃の鋭さも十分であった。
だが、跳躍という余分な動作が僅かに技の発動を遅らせる。
そして火之禍津の性能、そして操縦する九留島子爵の反応はそれを見逃しはしなかった。
思いきり操縦桿を引き付け、九留島子爵は火之禍津をのけ反らせた。
間合いを外され、順四朗の一撃は僅かに機体の頭部を掠めたに過ぎない。
威力は半減し、空中で体勢も崩れている。
そこを狙って、火之禍津は右手を振り上げた。盾がそのまま鋼の壁となり、順四朗を突き上げる。
「がっ!?」
かろうじて刃で防いだ為に直撃は免れたものの、肩と膝がみちりと軋む。
高々と打ち上げられ、受け身も取れずに順四朗は地面に転がされた。肺から空気が吐き出され、全身を貫いた衝撃に気が遠くなる。
「置物と思われては心外だな。速くはないにせよ、けして鈍い動きはせぬように作っている」
九留島子爵は地面に這いつくばった順四朗を見下ろしつつ、真正面に向き直った。
火之禍津の構えもそれに倣わせる。
その視線の先にあるのは、警察官の濃紺の制服に身を包んだ一人の異国の女だ。
右手の指で空中に何やら複雑な模様を描きながら、こちらの動きを注視していた。
「貴様だけは油断できそうもないな、ヘレナ・アイゼンマイヤー」
九留島朱鷺也の声と共に、鋼の機体はぐんと膝をたわめた。背中の排気口からぼう、と白い蒸気が唸る。
「見くびるなよ、九留島朱鷺也。魔女の真髄を見せてやる」
魔力の残光で描いた空中魔方陣を右手に構えつつ、ヘレナは呼吸を整えた。
小夜子と順四朗が稼いだ時間のおかげで、次の一発への準備は万全だ。
今回の連携攻撃の本命は、あくまで三嶋一也の特殊弾ではある。
しかし、その前に沈められるなら、それに越したことはない。
火之禍津の駆動部が盛大に蒸気を噴き出した。その重厚極まりない鋼の機体を震わせ、そして唐突に加速する。
速い、それ以上に大きく重い。
まるで小城が突進してくるような迫力だった。
だが、その圧迫感を前にしてもヘレナは退かない。
"用意は整っている、吠え面かくなよ"
攻撃魔術をそのまま素でぶつけるよりも、数段威力を引き上げる技術がある。
複数の魔術師が詠唱を重ねる方法や、魔力を秘めた特定の品物と自分の魔術を同調させる方法などがあるが、自らの魔力で描いた魔方陣の使用は最も一般的な方法の一つであった。
準備にはある程度時間がかかるものの、熟練者が使えば同じ魔術でも倍以上の威力すら引き出せる。
ヘレナの魔方陣の技術はそこまでは到らないものの、今回はそれにより自らの術の級位を引き上げている。
火之禍津の鉄壁の防御を破り得る最高の一手は、既に準備されていた。
「打ち払え、撃ち落とせ、そして燃やし尽くすがいい、我が呼び出したるは魔女の鉄槌......!」
円の中に十字を内包したような魔方陣に右手を突っ込む。
体を駆け抜けた魔力は、熱を帯びた滝となる。
荒れ狂うその奔流を、詠唱の最後の一言でまとめ上げた。
「青之炎弾!」
魔方陣を中心として展開されるは、青く燃え上がる火炎の球だ。直径約一尺程度の炎球、それらがあっという間に十、二十、三十と増殖した。ヘレナの前面の空間全てを埋め尽くさんばかりである。
「行け!」
相当に火之禍津を引き付けてから、ヘレナは青之炎弾を解き放った。
炎球は次々に飛び、標的を燃やし尽くす、いや貫き燃やす炎弾となる。
鋼と炎が衝突し、銀色の金属に青い炎が照り返す。さしもの鋼の機体も、この攻撃に足を止めた。
「くっ、何発撃ち込むつもりだ!?」
九留島子爵が毒づいた。
青い炎弾が殺到してきた瞬間に、慌てて盾を構えたまでは良い。だが、盾の表面で連鎖爆発が発生したらしい。前進すらままならない。
しかも止めきれない炎弾の一部が、火之禍津の腕や足を掠めている。
大した被害ではないが、不快なことこの上ない。
しかし耐えきりさえすれば、こちらの物だ。
攻勢に立ったとはいえ、ヘレナの表情は渋かった。
とっておきまで繰り出しながら、殆ど有効打を与えていない。あの盾の防御力は予想以上だ。
「足が止まっただけとはな、だが」
全ての炎弾を撃ち終える。
爆発の余波を浴びながらも、火之禍津が屈しそうな気配は無い。青い火炎を振り払いながら、鋼の機体が再び咆哮を上げた。
ならば、二の手だ。
「天使之翼」
体が軽くなる。
本当に翼でも生えたかと言わんばかりだ。
間髪入れず前へ。加速度的に速度を引き上げ、反応した火之禍津の左腕の一撃を跳躍で回避。
自分の真下、大木のような機械の腕が通り過ぎる。
それを爪先で軽く触れて、ヘレナは横に跳んだ。
"狙うならば頭上からだ"
近くの木の幹を足掛かりとし、今度は上に跳ぶ。
いや、もはや飛翔ぶという方が近い。
火之禍津よりも更に上、高度は恐らく六間以上も稼いでからの方向転換――その右手に形成するのは、最も得意とする光剣に他ならない。
「闘光剣!」
落下しながら僅かに方向を斜めに変えた。
視界が縦に逆流する中で、両手で握った闘光剣で切り裂く。
鋼を貫いた感触があった。僅かに、本当にごく僅かではあるが、相手の巨大な左腕に亀裂が入った。
「やった!」と小夜子の歓声が聞こえたが、応じる余裕はヘレナにはない。
「中々やりおるな。まさかこの火之禍津に傷をつけるとは。予想以上によくやる」
「よく言う、こちらがこれだけ必死になっているのに」
機体から響いてくる九留島子爵の声に答えつつ、ヘレナは改めて相手の脅威を実感していた。
確かに初めて損傷らしい損傷はつけたが、あんなのは人で言えば掠り傷だ。
せめて片腕の機能を奪えればと思ったが、まるで足りない。
"くそ、やはり三嶋君が頼みの綱か"
それでさえ、通じるかどうかも分からない。
小夜子は式神を全て失い、順四朗はかなり体力を奪われた。ヘレナ自身は無傷ではあるが、奥の手は既に晒している。
しかも、相手は主力武器であるガトリングガンを封印しているのである。
もし全開でこられたならと想像すると、生きた心地がしなかった。
ウウゥンと音を立てて、機体がヘレナの方を向く。
攻め手を失った小夜子と順四朗は、とりあえず無視することにしたらしい。
搭乗している九留島子爵の悦に入った顔が脳裏に浮かび、心の中で切り裂いた。
「さて、あの銃士の攻撃がまだではあるが、そろそろこちらも本気を出そうか」
いきなり響いてきた声は、死の予感を運んできた。
ヘレナの視線が火之禍津の左手に吸い寄せられる。
ゆっくりと、だが確実にそれは回転数を上げていた。
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「距離、二町と八間......足すことの三尺半でありんす」
「了解」
一也は息を整える。斜面の一角に陣取りながら、慎重に標的との間合いを見計らっていた。
射撃姿勢を安定させる為、背中は木にもたれさせている。
その手に握られているのは、呪法内蔵式弾丸をセットした魔銃であった。
"まさか時雨さんが狙撃眼のサポートが出来るとはな。ありがたいぜ"
作戦の要として、一也は遠距離狙撃を担うことになった。
作戦自体は単純だ。まずヘレナら三人が粘る間に、一也は距離を稼ぐ。そして遠距離狙撃で、どうにかして呪法内蔵式の弾丸を命中させる。
その為、真っ先に火之禍津から離れたのである。
狙撃自体は距離が近い方が当然当てやすいのだが、いつ九留島子爵が本気を出すか分からない。また、攻撃の振動や余波で体勢を崩すことも有り得る。
そのため、結構な間合いを取っている。
手頃な場所を発見しそこに陣取ってから、狙撃眼を使ったという次第だ。
「二発目も撃つんでありんしょ。わっちが今の狙撃姿勢を覚えておくんで、一也さんは撃つことだけに集中するでありんすよ」
「助かるよ」
幸運だったのは、時雨の助力が得られた点だ。
狙撃眼で火之禍津との距離を測った時に、彼女の方から言い出してくれたのである。
どうやら幽霊という存在は、呪力と通じる部分があるらしい。
一也が捉えた距離感覚は、時雨によって明確に数字化され伝えられている。
"自分の感覚だけで当ててきたが、客観的な距離が分かると安心するな"
内心で感謝する。実利もあるが、どちらかと言えば時雨のサポートは心理的な安定が大きい。
単独行動による遠距離狙撃という、味方からも敵からも切り離された状況下での活動だ。
一也のみならず全ての狙撃手が、自分自身との戦いを強いられる。
この姿勢でいいのか。射線の確保は十分か。確実に届く距離なのか。風の影響は考えているか。
そして何よりも、引き金を自分で引く決断を下せるのか。
無我夢中で戦う接近戦とは異なり、遠距離狙撃は狙撃の技術以前に心を制御する必要がある。
時雨のもたらす距離の情報は、一也が負った責任感を幾ばくか和らげてくれていた。
"畜生、それにしても好き放題暴れてくれやがる"
小夜子の式神が破壊される場面も、順四朗が吹っ飛ばされる場面も、狙撃眼を通して確認している。
ちりちりと心が苛立ち、指先が揺れそうになる。
駄目だ、落ち着け。冷静になれ。
「ああ、ヘレナさんの攻撃まで効かないでありんす......」
「やるぞ」
時雨の声が決断させた。
距離、二町五間と六尺半だ。先程より少し近い。
姿勢良し、視界良好、標的を完全に狙撃眼でロックオンした。
右手人指し指が、反撃の引き金を迷いなく引く。
弾底を赤く塗られたこの特殊弾ならば、呪法による付与効果がある。九留島の兵器なんかに負けてたまるか。
「喰らっとけ、灼熱弾」
熱風、それに続いて真紅の弾道が見えた。




