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鋼の咆哮が響く時

 山地を駆ける風が吹く。

 残雪の気配を残した風はまだ冷たく、思わず身震いする程だ。だが、本当の意味で身震いさせたのは風ではない。

 森を抜けて再び歩き始めた第三隊を立ち止まらせたのは、風に乗って聞こえてきた声であった。

 聞き覚えのある渋みのある声に、一也は神経を尖らせる。



「ようこそ、警視庁特務課第三隊の諸君。帝都東京からこのような辺鄙な場所まで、よくぞ来たものだ。感服するよ」



 間違いない、九留島子爵の声だ。近くにいるのか、いや、姿が見えない。

 それに声の響きが何処かおかしい。

 妙にキンキンと耳に響く。機械的な声という表現が頭に浮かぶが、時代にそぐわないと振り払う。

 疎らに生えた木々の間へと視線を走らせるが、声の主の姿は見当たらない。

 黙っているのも腹が立つのか、反応したのはヘレナであった。



「今更だが、改めてご挨拶させていただく。警視庁特務課第三隊の隊長、ヘレナ・アイゼンマイヤー特務警視だ。今日貴殿の領地に参ったのは他でもない。先日送った質問状の件だ」



「ほう、質問状かね。何だったかな......そうそう、私が流刑囚を故意に死地に追い込んでいるとの疑いの件であったか。思い出した、思い出したとも」



 相変わらず姿も見せぬまま、九留島子爵は声だけで答える。

 軽くからかうような調子が含まれているのが、妙に勘に障った。



「笑止千万な問いであったが故、黙殺させてもらっただけだ。何か問題があるのかな」



「あるとも。あの質問状は、正式に警視庁の手続きを経て送付された物だ。それを無視するということは、自分は疑いをかけられても仕方ないと自白しているに等しい。それ故――」



 ヘレナの声が一段低くなる。

 冷たい美声が含んだ圧力に軽く引きながら、一也は辺りを見回した。その目が木々の中のある一点を捉える。

 自分達から五間ほど離れた場所にある楡の木、その枝に仕掛けられた四角い箱のような物体だ(一間=約1.8メートル)。

 視界の中で引っ掛かった違和感はすぐに解けたが、代わりに驚愕が心の中を占めた。

 丸い透明なレンズらしき部品、更に箱の横に設置された筒のような部品がまず目に入った。

 二つを繋ぐ黒い電線のような物は木の枝をつたい、地面へと延びている。



 "まさか、あれは監視(セキュリティ)カメラか? 横の筒がマイク? 馬鹿な、明治時代にそんなもんあるはずが無いだろ!"



 混乱しかけた。

 だが、そう考えれば今の状況にも納得出来るのである。

 九留島子爵が自分の領地にカメラを仕掛け、こちらを発見したからこそ、彼の声には余裕があるのだ。

 恐らく秩父への山道を抜けてきた辺りから、自分達の姿は捕捉されていたのだろう。



 "あのカメラで姿を捉えられ、かつマイクで遠距離から話しかけられているのかよ。冗談だろ"



 自分でその考えを否定しようと試みるが、状況からの推測を否定出来ない。

 一也がその技術力に冷や汗を流している間にも、ヘレナと九留島子爵の会話はじりじりと激しさを増していた。



「――強制捜査に踏み切らせて頂いた次第だ。よもや嫌とは言うまいな、子爵殿。加えて貴殿には霊魂の私的横領、死後の安寧破壊の疑いもある。容赦は出来ないぞ」



「はて何のことやらさっぱりですな。曖昧模糊とした疑いだけで、私に言いがかりをつけるのか。それにこの秩父が私の私有地であることは承知のはず。土足で踏み込んでおいて、何をそんなに偉そうな口を利く」



「公的な任務で動く以上、貴様の戯言など一顧だに値しないのさ」



 ヘレナの口調に言い捨てるような調子が混じる。九留島子爵の反論を待たず、畳み掛ける。



「更に言わせてもらえば、警視庁としての使命以上に私には貴様を捕らえる義務がある。それに従うまでの事だ」



「ほう、興味深いね、御令嬢(フロイライン)。良ければ教えてくれないか」



「いいさ、たっぷりと聞かせてやるよ。獄中か、あるいは地獄でな。どちらにするかは自分で決めろ」



 下草を蹴散らしながら、ヘレナが数歩前に進む。

 どうやら問答は終わったらしい。後方から従いながら、一也は遠くに視点を合わせた。

 岩と大木に囲まれるような位置に、洋館らしき建物が見える。

 恐らくはあれが九留島子爵の屋敷か。ここからは四町ほどありそうだが、秩父までの道程を考えれば遠くはない(一町=約109メートル)。

 あと少しで対象に辿り着くのだから。



「あんなん言うとるけど、そもそも最初から衝突前提なんやろ」



「様式美に従ったに過ぎんさ。さて、そろそろお出ましになってもいい頃合いだが」



「それにしても、姿も見せずに器用ですよね。結界か何か張ってたんでしょうか」



 小夜子の言葉に、はっとした。

 順四朗もヘレナも恐らく小夜子と同じ考えなのだろう。

 呪法あるいは魔術の類いで、九留島子爵は自分達を見張り、姿も見せずに会話が出来たと。

 あのカメラらしき機械に気がついたのは、どうやら一也だけのようである。



 "説明の時間は無いか。諦めよう"



 選択肢の一つを捨てた。

 九留島朱鷺也の技術力が想像を遥かに上回ったとすれば、彼が揃えている装備もこちらの想定を超えるのは間違いない。

 それをヘレナらに伝えたかったが、上手く説明出来る自信は無い。

 カメラとは何だ、マイクとは何だと全て一から説明しなければいけないのだ。

 それに何故そんなことが分かるのかと聞かれれば、自分が未来から来たことまで話さなくてはならないかもしれない。

 事態はややこしくなるだけだろう。



 "この土壇場でそんな余裕あるか"



 だから一也は沈黙を選ぶしかなかった。

 別の見方をするならば、この時点で三嶋一也だけが九留島子爵の力を正しく想定していたとも言える。

 だからだろうか。技術の粋を集めたその脅威を前にして、一也だけが正しくその意味を理解出来たのは。




******




 大地が、揺れた。草木が、(なび)いた。風が、吠えた。



 天を突き上げるような、黒い黒い咆哮が三峯山の山肌を駆け抜けた。

 自然豊かな風景とは正反対の、人工的な荒々しい重低音が耳に響く。

 ドッドッドッと唸るような、うねるような振動がヘレナの、順四朗の、小夜子の、そして一也の足底へと伝わった。

 一也のポケットの中の時雨も、異常を感じたのか身を縮める。



「何でありんすか、これは」



「決まってるだろ、敵だよ」



 低く鋭く叱咤しながら、一也は魔銃のセーフティを外した。

 屋敷まであと三町少しの距離まで迫ったところでのこの音と振動だ。間違いない、来る。



「来るぞ、散れ!」



 ヘレナの指示が飛び、全員が散開する。所々に岩や木があり、身を隠す場所には事欠かない。

 一也もまた手頃な木陰に身を潜めた。

 心臓が鳴る。脈拍が速くなる。

 自分は知っている。この音、この振動は血の通った生き物に出せる物ではない。

 ブルドーザーやトラックといった重機のみが生み出せる、金属が強大なエネルギーによって軋む音であり、動作する時の振動だ。



 "落ち着け、この中でそんなもんが分かるのは俺だけだ。俺が冷静にならないと、皆が死ぬかもしれないんだぞ"



 視線を足元に落とす。数秒だけ目を閉じる。

 神経はグリップを握った右手に。グローブ越しの固い感触が、ざわつく心を鎮めてくれた。

 左手でゴーグルをかけ直し、そっと木陰から様子を伺った。

 いた。まだ結構距離はあるが、こちらに向かってくる巨大な影が見えた。

 


 一目で認識出来る巨大さだ。

 そしてただ大きいだけではなく、息苦しさすら感じさせる圧迫感がある。

 自分が予感した重機というフレーズが当てはまるというよりは、それすら飛び越えたスケールの何かが迫っていた。

 全体のフォルムはかろうじて人型と言える。

 だが、その二足歩行形の脚部は太いものの、やや短い。そのためずんぐりとした印象を受けた。

 人で言えば足の爪の部分と踵の部分に、前後に何本か金属の鉤爪が張り出している。

 その爪一本一本が大型の包丁程の大きさがあった。それがしっかりと地面を噛んでいる。



 "これは......"



 その頑丈そうな脚部に支えられているのが、ごつい胴体であり、そのすぐ上に取り付けられた頭部らしき箇所であった。

 胴体の太さは一間以上もありそうで、まるで岩盤である。

 頭部は人のそれを模した訳ではなく、黒みを帯びた丸い球体がそのまま上半身になっているような感じだ。



 "何なんだ、一体!?"



 圧倒される。

 地表から頭部の頂上までは、目算で三間以上はあるだろうか。横幅と重量感も相まって、それは動く小さな砦にさえ見えた。

 関節はともかくとして、体の表面は金属板で覆われている。見るからに防御力は高そうだった。

 それがずんずんとこちらに歩いてくる。傍若無人とさえ言える無造作な動作だった。



 ざわりと自分の肌が粟立つのを、一也は止められなかった。

 邪馬魚苦(ジャバウオック)と戦った時さえ、これ程のプレッシャーは無かった。

 だが、鋼鉄の機械が一歩その重い足を大地に踏み出す度に、恐怖感がいやでも増していく。

 けれども今更逃げられる訳も無い。

 分散して隠れたヘレナらも、恐らく自分と同じように凍りついているだろう。



 "落ち着け、相手を観察しろ。どんな相手でも弱点はあるはずだ"



 また数歩、相手が近づく。

 顔の横から張り出した肩が見える、そこから両腕が突き出している。

 右腕に装備されるは、体全体をカバーしそうなやや縦長の六角形の盾。

 左腕には何も無いと思いきや、腕自体が火器と化していることに気がついた。

 愕然とする。「大口径ガトリングガンか!? あんなもんまで!」という呟きが、震えを帯びて自分の肺から吐き出された。

 横浜の戦いで中田正が使っていた携行型ガトリングガンと形は同じ、だがサイズがまるで違う。

 同心円状に並んだ一つ一つの銃口は、口径何ミリあるのか。自分の魔銃がまるで玩具に思える。



 何と表現すべきなのだろう。これは機械の枠にすら入らないのではないか。

 相手が迫る、残された僅かな時間で一也は必死に頭を働かせる。

 戦車に匹敵するであろう装甲、そして二足歩行による機動力をあの機械は兼ね備えている。

 流石に燃費は――そもそも何を燃料に動いているのか不明だが――悪いだろうが、容易に逃走出来そうな相手ではない。

 右手の盾、左手の大口径ガトリングガンだけが武装なのか......止めだ。



 うだうだ考えるだけ、無駄だ。



 あんな常軌を逸した化け物に自分の限られた常識を駆使して考えても、無駄だ。



 幸いまだ多少は距離がある。ならば先手必勝がセオリーだろう。ヘレナの指示を待つ暇は無い、独断で行動に移る。



 恐怖を闘志で塗り潰した。

 血が出るほど強く唇を噛み締め、痛みで萎えた心を蹴っ飛ばす。

 相手が強いのは見ただけで分かる、それに対しどう対応するかだ。

 思考が加速する。動作がそれに同調し、本能が殺れと叫んだ。

 木陰から右半身を覗かせる。

 距離、目測で一町と少しか。約120メートル、これなら確実に命中(あて)られるだろう。

 狙撃眼すら必要ないと判断した瞬間、一也は魔銃の引き金を躊躇なく引いていた。

 フルオートで吐き出された六連の弾丸が、銃身(バレル)内で螺旋状に回転をかけられ真っ直ぐに吐き出される。



 銃床(ストック)を支えていた一也の右肩に、重い衝撃がかかる。敵に命中したらしい、甲高い金属音が弾け、響き、歪む。

 どこか一ヶ所でも撃ち抜いてくれれば儲け物だ、と無言で叫びながら、空になったマガジンを捨てた――と同時に次のマガジンをセットする。

 巨大な機械兵器は戸惑うように足を止めている。自分の異様さに震えているだけとでも思ったのだろうか。

 だったらおあいにく様だ。



「砕けろおおおおっ!」



 Demon busterなどという大層な銘があるならば、あの鉄の悪魔を貫いてくれ。

 二度目のフルオート射撃を敢行しながら、獰猛な雄叫びを放つ。

 黒みがかった銀色の表面の数ヵ所に、火花が散った。

 小さな橙色の閃光とそれに伴う音が舞う。だが相手は小揺るぎすらしない。

 背中に排気口でもあるのか、ブシュウと白い煙を盛大に排出したのが唯一の反応だ。盾を構えることすらしていない。

 当たるに任せたまま、一也の銃撃を凌いだのである。



「名乗りもあげずに先制攻撃か。戦いの作法がなっていないのではないかね」



「九留島......!」



 いきなり聞こえてきた九留島子爵の声に、緊張が走る。

 方向から考えて間違いない、あの機械からだ。あの中に操縦士として本人が乗っているのか。

 そんな一也の考えを読み取ったかのように、鋼の機械から再び声が響いた。機械を通しているせいか、妙にくぐもった耳障りな声である。



「もっとも、これを見て失神しないだけでも大した物だよ。君の闘志には敬意を表する、三嶋一也君。だがこの機体を貫くには、少々攻撃が軽かったようだ」



 ブシュオオゥンと九留島子爵が乗る機械、いや本人の言葉通りならば機体が吠えた。

 それは動物的な雄叫びでなく、蒸気が背中から放出される音だとは気がついたが、それでも一也には咆哮にしか聞こえない。

 戦慄という言葉すら軽く思える。



「そうか、こいつを開発する為に、あんた秩父にこもってたのか」



 砂金や砂鉄など金属が採掘出来る土壌が秩父にはある。

 金属が採掘出来るならば、それを錬成する為の鍛冶場もあるはずだ。

 加えて周囲四方は広い山間部。試験稼働にはお誂え向きと言える。

 この人為的な化け物が生まれる要素は、確かにここにあったのだ。



 "だが、有人式の戦闘ロボットなんて......何をどうやったら、そんな発想に辿り着く。何をどうやったら、それを可能にする技術が有り得る"



 駄目だ。思考が回らない。

 自分の想像の域を遥かに越えている。

 動きを止めた一也に宣告するように、容赦なく九留島子爵の声が降り注いだ。



「せっかくの御披露目だ。自己紹介といかせていただこう。二足歩行式戦術兵器、その名も火之禍津(ヒノマガツ)と言う。開発番号(ロオルアウトナンバア)(ゼロ)――今後の日本の戦を支え、全ての戦史を塗り替える革命の先駆けとなる機体だ。光栄に思え、第三隊。貴様らはこの機体の最初の目撃者であり」



 声が途絶えた。

 火之禍津(ヒノマガツ)と呼ばれた機体が左手を持ち上げる。

 金属で覆われたごつい腕が動き、その先端の大口径ガトリングガンが回転を始めた。

 キュラララという独特な回転音に気がつき、一也が反射的に身を沈める。



「最初の犠牲者となるのであるからな!」



 感に堪えぬと言わんばかりの九留島子爵の叫びが轟いた。

 それと同時に、鋼の機体はそのごつい左手から最初の攻撃を浴びせかける。

 口径20ミリはあろうかという重弾が、大口径ガトリングガンから放たれ、撒き散らされた。

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