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クロスバレット ~黒の銃士、明治を征く~  作者: 足軽三郎
第一章 あるサバゲー青年の受難
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撃ち抜く者

 式神の伝えてくる警報が心の中で響く。それはうるさい物ではなく、むしろ静かに小夜子に伝わる物だ。

 例えるならば鈴虫の鳴き声がリィンリィンと秋の空気を震わせるような――それが体の芯を揺らすのである。



「村の西側です。山側の」



「ああ」



 先導する小夜子に続き、一也が駆ける。

 背中には悪魔祓いの魔銃とM4カービンの二挺を背負っていた。

 かなりの重量になるはずだが弱音も吐かずについてくる姿に、小夜子は少し驚いた。見た目より一也は屈強なのかもしれない。



「もう侵入してきているのかい」



「いえ、柵の辺りで止まっていますね。音鬼が働いてくれたみたいで」



 事前に小夜子が設置しておいた式神の一つ、音鬼。

 常人の目には不可視のそれは、三半規管を一時的に狂わせる高音を発する。

 人が耳にすれば蚊が耳元でブンブンする程度の不快感しかないが、聴力に優れる獣の耳であればより効果はある。



 足止めにはもってこいの術ではあるが、そうそう長い時間はもたない。それでも二人が駆けつけるまで野犬の侵入を妨害出来れば、今は十分であった。



 春の夜風が二人の頬を撫でる。それを振り払う勢いで、小夜子と一也は村の畦道をひた走った。







 配下の野犬共がウォンウォンと吠えている。

 自分も耳に不愉快な音が響いているが、意識を強く持てば何ほどのことは無い。静まれと浮き足立つ奴らに命じ、一声大きく吠えた。



 巨犬は先日の人間の事を思い出していた。

 よく分からないままに配下の野犬を銃で蹴散らした男、そして自分達が最近狙っている村の女の二人があの日いた。

 女が自分達の領域である山に踏み込んできたので、これ幸いとばかりに囲んで食い殺そうとしていたのだ。それをあの奇妙な銃を持つ男が台無しにしてくれた。



 二十匹からなる自分の配下がものの数秒で倒される。

 何やら不思議な術でも使うのかと思ったが、不思議なことに傷はつかなかった。

 野犬共が言うには、ただはぜるような痛みがあっただけらしい。なるほど、確かに手酷くやられたようではいてもかすり傷に等しい。



 "あの時は警戒して退いたが、どうということは無い"



 状況から巨犬はそう判断していた。

 あの男が自分たちを手加減する理由は無い。にもかかわらず、殺ろうと思えば殺れたのに実弾を撃たなかったのだ。これはつまり、あの銃には実弾を撃つ力が無いのだと巨犬は判断した。

 それならば過度に恐れることも無い。自分の毛皮ならば痛みすら感じずに弾くだろう。接近してしまえばこちらの物だ。



 ミシ、と音を立てて巨犬の四肢が地面を踏む。

 僅かに高くなった丘から村を見下ろす様は風格十分だ。どういう理由かは分からないが、狼を更に二回り巨大化したような体格をしている。それが異音に腰が引け気味の他の野犬の前に出た。



 ウオオオーンンン......



 ウオオオーンンン......



 太い咆哮が巨犬の顎から解き放たれた。ザワ、とそれを聞いた他の野犬が毛並みを逆立てる。

 自分たちの頭領が伝えた物は明らかだ。戦え、びびるな、人間共を襲えという明確な意志、そして指示――



 のそり、と獣の集団は前進する。

 気が高ぶってきたのか、先ほどまでの怯えや戸惑いの様子は無い。まだ頭の中に響く不快な音はあるが、巨犬の檄が彼らを叱咤していた。

 その様子に満足そうに巨犬は目を細め、村へと踏み出す。



 ――その足が止まった。



「そこまでだ、犬ころ共」



 聞こえてきた人間の声に犬歯を剥き出す。五寸釘かと見まごうような鋭い牙の間から、ヌ......と涎が糸を引いた。

 獲物だ。

 三日前、こちらを訳の分からない銃で追い払った男がいる。巨犬の前――凡そ二十間――約36メートル――の距離にそいつが銃を構えて立っていた。

 その横にいるのは、最初の獲物として襲っていた女ではないか。あの白い紙人形は今日はいないらしく、棒だけを手にしている。



 野生の動物は鼻が利く。これほどの近距離に来るまで気づかなかったのは奇妙であったが、遭遇した以上はそれを言っても始まらない。

 


 巨犬は二人の人間を睨み付けた。

 正直、自分だけで二人とも殺せるだろう。男の方はちょっと背は高いが、持っている銃に実は破壊力は無いのは確認済みだ。それに奴が撃ったとしても、その前の腕の動作と目線で射線を割り出し回避は出来る。念には念をいれておこう。

 女の方が変な術を使うのは、先日の遭遇を通して知っている。恐らくこの不快な音もあの女の仕業だろう。もう一つくらい罠が仕掛けてあるかもしれないが――



 ニタリ、と巨犬は笑った。



 自分の速度なら、十分それを突破して奴ら二人に攻撃を届かせられると踏んでいた。



 伊達にここ数年間、武蔵野の台地を生き抜いてきた訳ではない。自分を退治しに来た狩人を数人喰いちぎり、この腹へと入れてきた。

 多少の銃弾など――ましてや、弾数だけが取り柄の銃などでどうにか出来るものか。

 術の補助があったとしても、それを噛み破って喉元に牙を立ててやろう。



 青黒い夜の空気が人間と野犬の間を充たしている。吉祥寺村の郊外で人と獣のにらみ合いがぞわぞわと――昂り、たわみ、そして――弾けた。



 ゴ、と呼気を吐き出し、巨犬が駆けた。

 まともに銃撃を食らうのを避けるため、最初は右に一跳び、着地点から一気に左に切り返す。

 実弾では無いとはいえ、何か小細工をしかけてこないとは限らないのだ。幾多の危機をここまで乗り越えてきた獣の知恵である。



 男の銃口がさ迷う。自分の動きの速さについてこれていないのは明らか。ならばこのまま完全に狙いを振り切り、二人の首を狙える位置まで間合いを――



 ズムと鈍い感触があった。

 いきなりの衝撃に巨犬は目を見開く。地を力強く蹴り進んでいた四肢は泳ぎ、頭から首、前足が何やら松脂(まつやに)に突っ込んだかのように動きが重くなる。

 体が動かないわけではなく、何やら空気中に不可視の水が出現しまとわりついたかのような――



 ゴウ! と勢いをつけて、それを無理矢理押しきった。

 恐らくは女が術を用いたのだろう。自分の動きを止めて勝機を見いだそうとしたのは賢明だが、この程度の圧力では自分を拘束する鎖にはなり得ない。



 零になりかけた速度を再び加速し、いよいよ踊りかかろうとする巨犬は――



 ウルオオァアアア!?


 次の瞬間、予想もしない異常に咆哮を絞り出す羽目になった。




******




「やった!」



 小さく歓声をあげる小夜子の隣で一也は無言のまま銃を下ろした。二人で考えた作戦がここまでは見事にはまったのだ。



 まず、事前に小夜子が仕込んでおいた呪法"空壁"を以て、突進してくる巨犬の動きを止める。

 空気の質量を増して壁となす呪法である。完全とは言えないまでも突進の勢いを殺すくらいは出来ると踏んでのことだった。



 そこで動きが鈍ったところで、一也の出番である。

 彼が撃ったのは魔銃ではなく、使い馴れたM4カービンだ。弾もBB弾であるため、当たったところで殺傷力は無い。

 だが、ある工夫によってただのBB弾は立派な牽制用の兵器と化していた。



 "狙い通りだ"



 無言ではあったが、一也も心の中ではしてやったりと思っていた。

 彼が小夜子に頼んで用意してもらったのは、水で薄めた糊と唐辛子である。マガジンの中のBB弾をこれらに浸し出来上がるのは、真っ赤な唐辛子をまとったある意味凶器であった。

 当たればその衝撃でBB弾にまぶした唐辛子が飛び散り、それが標的の目、鼻、口を襲うという寸法だ。



 標的である巨犬の動きを、まずは小夜子の呪法で最低速度にまで落とし――そして意表を突く唐辛子弾で奪える限りの五感を阻害する。勿論これで作戦は終わりではない。むしろここまではお膳立てに過ぎなかった。



 ――いくら何でも、いきなり実戦で実弾を確実に当てられるなんて思っちゃいないさ。



 一也はM4を放り出した。

 間髪入れずに持ってきたもう一挺の銃――Daemon Busterこと魔銃"悪魔祓い"を構える。

 セレクターは単発発射にしている。試し撃ちしてみたところ、銃撃の反動が大きかったため六発撃ち尽くすセミオートは使い辛いだろうと判断したためだ。



 フロントサイトとリアサイトを結んだ直線の延長線上――弾丸が行き着く先には標的である巨犬がいた。唐辛子で視界と恐らく鼻をやられたのだろう、ギャンギャンと見苦しく吠えている。

 のたうち回るように跳ねるため狙いは定め辛いが、そこまでは望めない。他の野犬共が小夜子の"空壁"に動きを封じられている今がチャンスなのだ。



 グリップを握る右手には力を籠めすぎず。左手はバレルをしっかりと支える。安定性を高める為にストックを肩で支え――自分と銃を一体化させたと感じた瞬間、一也は引き金を引いた。



 カチッという硬質の金属音に僅かに遅れて薬莢が放出される。

 肩と手に伝わる反動を上手く銃身を跳ね上げて逃がしつつ――放たれた弾丸の行方は。



 ボッ! と何かを爆発させるような形容し難い音が響き、同時に巨犬の左肩から真っ赤な鮮血が舞った。

 出来れば脳天を撃ち抜きたかったが、あれほど不規則に暴れる標的相手ならば当てられただけ満足とすべきか。だが。



「っ! 一也さん!」



「分かってる!」



 小夜子の叫び声に答えつつ、一也はもう一度狙いを定めた。

 "空壁"で残りの野犬共の動きを止めているが、そろそろその限界時間が過ぎようとしているのだ。

 その前に何としてでも、あのでかい奴を仕留めねばこちらの負けだ。



 一也が二発目をぶちこもうとしたその瞬間だった。狙撃手(スナイパー)の視界からいきなり巨犬がかき消えた。

 夜の闇のせいで姿を見失ったわけではない。いまだ唐辛子のせいで目を痛めつつも、巨犬が前方――二人の方へと一気に間合いを詰めたのだ。

 肩、つまりは左前足の付け根を撃たれた分だけ速度は落ちているはずだが、にもかかわらず傷の痛みを怒りで押し殺しての突進に一也の銃口がぶれる。



 咆哮が暗闇を裂く。

 四間――約7.2メートルの間合いにまで詰めた巨犬が唐突に跳ねた。自分をはめて手傷さえ負わせた一也目掛けて。

 人間とはまるで違う動きに一也の反応が遅れる。

 開かれた巨大な顎が地獄の門のように見え、恐怖で固まりかける。



「せいっ!」



 だが巨犬の復讐の牙は、勢いよく突き出された棒の一閃によって防がれた。

 小夜子である。一般的に棍と呼ばれる頑丈な棒の突きは、空中で巨犬の首を捉えその方向を反らした。

 ビキビキと腕に響く反動に小夜子は顔を歪めた。自分の数倍は目方がある獣の体だ。勢いを反らすだけでも大概辛い。



 だがこの一撃が一也の動きを取り戻す時間を与えた。

 口から呻き声を漏らしつつ、地に着くや否や巨犬はこちらに向き直る。それに対応するだけの冷静さが戻っていた。



 距離――至近。

 撃てる弾丸――時間的に一発だけ。

 両手では間に合わない、片手――シングルハンドでのスタンディングショットしかない。



 一瞬で状況を把握する。片手でロングレンジのライフルを使うなど、普段の一也なら絶対にしない撃ち方だ。10キロ近いと思われる魔銃を片手で振り回すのはきつい。下手すれば肘がいかれかねない。



 だがそんなことを考えるより速く、一也は躊躇なく狙いを定めていた。

 状況把握から照準を合わせるまでの頭脳と神経の連動は、これまでの彼の限界を軽く上回る。

 命の危機が迫った実感が迷いを捨てさせ、一也の肉体をより迅速に機能させていた。



 着地した巨犬が振り向く。小夜子の棍の一撃では大したダメージになってはいない。一也との間合いは僅か二間――約3.6メートル。一度の跳躍で牙が届く間合いだが。



 一也が引き金を引く方が速かった。

 銀色の閃光と化した弾丸は見事に巨犬の脳天を射抜いた。体格に見合った堅い頭蓋骨ではあったが、流石にライフルクラスの銃弾はどうしようもなかったようだ。

 ギ......という鈍い声と共にその巨体が揺らぐ。



 "妙に静かだ"



 自分の視界の中で巨犬がぐらり、と倒れそうになっている。

 それを一也は冷静に見ていた。

 急に周りから音が消えたような、風すら止まったかのような、絶対的な無音が彼を包む。



 覚えがある。サバイバルゲームで集中の極限に達した時に訪れる感覚だ。

 完全に自分の体と精神が同調(シンクロ)し、時間の流れが不思議な程にゆっくりとなる――透徹したかのような感覚が一也を支配する。



 いや、一也がその感覚を支配する。



 重いはずの魔銃がふらつくことなく片手一本で支えられる。

 脳天を撃ち抜かれながらも、まだ崩れきらない巨犬への狙いを外さない。

 恐ろしい程に理性的で油断なく、一也は二撃、三撃目を狙っていた。



 凍りついていた時間が溶けた。



 魔銃が二度、火を噴いた。

 一発はだらりと下がった舌をぶち抜き喉に突き刺さる。もう一発はそのやや下方、胸のど真ん中を射ぬいた。

 あまりの衝撃に巨犬の体が後方へと弾け飛ぶ。夜目にも鮮やかな血が連なる滴となって、それが倒れる軌跡を彩った。



「――まだだ!」



 三発、間違いなく巨犬の急所に叩きこんだ。出血と光の失われた眼から判断して、旺盛な生命力を誇る獣でも流石に助かるまい。

 それでも勝利の余韻に浸ることなく、一也は魔銃を残りの野犬に向けた。



 小夜子がそれを察して後方に下がる。

 ぽたりと大きな汗がその白い額から落ちた。"空壁"の維持により精神力を蝕まれているのだ。

 二十匹の野犬を一度に防ぐだけの"空壁"を保つのもそろそろ限界という時だけに、この一也の支援がたまらなく嬉しい。



 戒めが解かれた途端、野犬共が襲いかかろうとする。

 自分達の頭領が倒されたことにびびる犬もいたが、約半分に当たる十匹は二人に殺到しようとし――それは全く叶わなかった。

 一也が撃ち込んだ残り二発の弾丸の内、一発は二匹まとめて即死させ、もう一発も一匹の頭蓋を粉々にしたのである。

 血煙をあげて吹き飛ぶ仲間の姿は、野犬の群れの足を止めるには十分だった。



 ガシャリ、と重い音が響き、魔銃のマガジンがスライドする。手元を見ることもなく、滑らかな手つきで一也は弾をこめた。

 六発の新たな弾丸が装填されるその瞬間は、間違いなく野犬にとって絶好の好機であったはずだが......何故か一匹足りとも間合いを詰めようともしなかった。いや、出来なかった。



 恐怖。一言で言うならばそれである。



 戦意喪失。状態を言うならばそれである。



 頭領である巨犬を失い、その怒りへ冷水をぶちまけるかのように追い撃ちの銃撃が浴びせられたのだ。

 次に殺されるのは自分達だ、と野犬が本能で感じたとしても無理は無かった。

 目の前に立つ男とその手に持つ銃にはとても敵わないと。



 一匹が逃げた。クルリと反転し、尻尾を巻いて逃げ出す。

 それを契機に二匹、三匹と次々に逃げ出していく。一目散に、恐怖の対象から全力で離れるために。



「やりましたね」



「ああ」



 逃げていく野犬の遠吠えが微かに聞こえる中、小夜子と一也はようやく緊張を解いた。

 微かな硝煙の名残が銃口から立ち上る。

 ゆらりと夜風に吹かれたそれが倒れた巨犬の死体を掠め、そして消えていく。

 疲れたようにその行方を目で追っていた一也に「大丈夫ですか?」と小夜子は声をかけた。



「ああ、うん。何ともないよ」



「......あんまり嬉しそうじゃないですね?」



 それには答えず、一也は放り投げたM4カービンを拾い上げた。二挺の銃を肩に担ぎ直し、自分が倒した巨犬の死体を見下ろす。

 黒々とした血だまりの中、それは恨むように目を見開いていた。黄色く濁った眼球に微かに月の光が反射する。



 初めて殺意を以て銃を撃ち、そして殺した――三嶋一也の心に残った物。



 それは後悔でもなく、そして歓喜でもなく。



 ただただ何かを完遂したという、重く大きな塊のような感情であった。

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