More far , more dangerous
「秩父って思ったより遠いんだね」
「そりゃそうですよー、普通は馬で丸二日かけて行きますからね」
「へー、じゃこれでも速い方なんだな」
小夜子と話しながら、一也はしっかりと前を見据える。
そもそも一也は秩父について詳しく知らない。
実家は同じ埼玉県にあるので、漠然と埼玉の西の方だとは分かる。分かるのだが、残念ながら秩父方面には足を運んだことが無い。
"埼玉県って結構広いもんなー。京浜東北線沿いなら分かるけどさ"
口には出せないのがもどかしいが、そういう意識なのだ。
東京との県境に近い典型的なベッドタウンにある実家からは、京浜東北線で東京駅まで一本だった。
通勤先や通学先が都心のど真ん中という住民も多く、東京に帰属しているという感じなのだ。
さいたま市や浦和市などにもアクセスは良い点も踏まえると、まあまあ悪くない立地と言える。
その反面、同じ埼玉県でも西側の所沢、入間、飯能、そしてその北側に位置する秩父といった地域には馴染みが薄い。
特に現在向かっている秩父など、山しかないイメージがある。アウトドアが好きならお勧めだが、正直辺鄙な場所であろう。
運転中の暇潰しも兼ねて、一也はその疑問を口にする。
「華族間の力関係とかもあったんでしょうけど、何で秩父だったんでしょうね? 東京から三十里も離れていて、おまけに山の中と来たら不便だろうに」
「流刑囚を囲う為にはあんま開けた場所よりも、田舎の方が良かったんちゃうの。都会のど真ん中に犯罪者置いときたくないやろ」
「んん、順四朗さんの言うことも分かるんですけど、それでも田舎過ぎますよねー。洒落たお買い物とかにも縁遠そうですし」
順四朗の意見に小夜子が反応する。
この間にも蒸気動力式自動車は力強く前進し、既に所沢を過ぎようとしていた。
畦道はやや広い街道になり、周りは荒れ地が目立ち始めている。
「逆に考えたらどうだ。九留島子爵にとって、どうしても秩父ではなくてはならない理由があったとな」
「ははあ、そう仰るということはヘレナさんは見当がついてるんでありんすか?」
「どうかな......ただ、確か秩父は砂鉄や砂金が取れたはずだ。機械工学には金属が不可欠だから、理由の一つとしては有り得るかもな」
時雨とヘレナの会話を聞きつつ、一也は運転に集中する。
速度は極力抑え走ること、約二時間と少し。途中、休憩も挟みつつなのでかなり遅い。
"現代だったら、秩父なんて高速使えば二、三時間だろ"と思うのだが、これほどゆっくりと進むには理由があった。
「ねー、ヘレナさん。今日は予定通り飯能で一泊ですよね?」
「ああ。無理して突っ込んでも仕方ないしな」
「助かるわあ。慣れてきたけど、やっぱりこの乗り物苦手やし」
皆が話す通り、どのみち今日は秩父には入らない。
その手前の飯能まで行き、そこで一泊。
自動車もそこに停めて、明日徒歩で秩父に踏み込むという予定なのである。
その為、ほどほどの時間に飯能に着きさえすれば良かった。
「時雨さんはこの辺りは初めて?」
「そうでおすなあ、来る機会もあらへんでありんしたし」
一也の背中にくっついたまま、時雨はきょろきょろと辺りを見回す。
少しずつ、少しずつ標高が上がってきているのだろう。道は上り坂が増えてきた。
視線を上げれば、その先にあるのは山の連なりだ。
やや左の方には、奥多摩の屋根と言われる雲取山がその存在感を示している。
それより手前、正面に見えるは伊豆ヶ岳か。飯能の奥、あるいは秩父の玄関口とも呼べる位置にある低山ということを一也は思い出す。
「山ばっかりっぽい」
「せやな。北に群馬、西に山梨、南は奥多摩やから平地は無いやろ。あって川沿いの盆地が精々や」
順四朗の返答を目の前の光景に重ねつつ、一也は少しだけ加速板を踏み込んだ。
点在する農家の横を通り過ぎ、四人の人間と一人の幽霊を乗せた自動車はただひたすらに前を目指す。
******
長めの昼休憩を挟んだこともあり、飯能に着いたのは結局午後二時頃であった。
そこそこ大きめの村があり、その外れに自動車を泊めることが出来た。座り心地は悪かったが、機関停止を起こさなかっただけでもましだ。
この見慣れぬ鉄の乗り物に村人達は目を丸くして驚いたが、一也達が東京から来たと知ると「遠くまでいらっしゃって」と丁寧に挨拶してくれた。人情味溢れる対応であった。
「さて、諸君。あそこに見える伊豆ヶ岳、そしてその奥の武甲山を抜ければ秩父な訳だ。この飯能を出れば、そこはもう九留島子爵の領地となる。ここまではいいな?」
ヘレナがそう確認したのは、村外れの旅籠に荷物を置いた後である。各々楽な服装に着替えてから、一度外に集まったのだ。
頷きつつ、一也はヘレナがゆっくりと振った手の先を見る。
そこそこ登り甲斐がありそうな山並みがそこにはあった。早春ということもあり、暗い緑色の山肌に所々残雪が見える。
「心しておいて欲しいが、恐らく彼は私達が今ここにいることを把握している。それは念頭に置いておけ」
「予想ではなく、今まさに俺達の状況を知っているってことですか」
一也の問いに対し、ヘレナが風に舞う髪を抑えつつ頷く。
「質問状を無視した段階で、私達が早晩秩父に来ることは容易に思い付く。日程もある程度は絞り込みが可能だ。高城兄妹は別としても、金を掴ませた協力者くらいは飯能かあるいはここまでの村に潜ませていただろうよ」
ありそうなことだ。
別に積極的に害を働く必要はなく、こんな風体の四人組が来たら教えてくれと頼むだけでいいのだ。
純粋な村人は小遣い欲しさに教えてくれるだろう。
だが、一つ疑問は残る。一也らの来訪をいかにして連絡するのか。
「私みたいに式神飛ばせたら楽ですけど、誰でも使える訳じゃないですしね」
「せやなあ、伝書鳩とか?」
「それでも可能かもしれませんが、合図一つでいいんですよね。俺なら狼煙か電報を使うかな」
「むう、分からんでありんすな」
ヘレナ以外の四人で考えるが、手がかりも無い状態ではこれが限界だった。
唯一分かったことは、かなり単純な手段でも、第三隊がここに来たという事実は伝達出来るということだ。
山一つ越えた向こうで、九留島子爵は確実に牙を研いでいる。
「過度に心配することも無いが、用心はしておくぞ。夜は交替で見張りを立てる。そうだな、時雨さんは寝る必要が無いから一晩中でも大丈夫か」
「承知したでありんす」
長い振り袖を合わせるようにしながら、時雨が頭を下げた。
村人の中には時雨の姿を見てびっくりする者もいるが、これは仕方が無い。
村の子供達が遠巻きに眺めているのは、興味はあるが話しかけるのも気が引けているのだろう。
可愛らしいものだ、と思わず頬を緩めた時であった。
「あの、もしやあんたがた秩父に行くんですかえ?」
不意にかけられた声に、一也は振り向いた。農夫らしき服装をした中年の男が立っている。
ヘレナらもそちらを向くと、気後れしたように視線をさ迷わせた。それを引き留めるように、一也は穏やかに答える。
「はい、どうしても外せない用事がありまして。明日こちらを発つつもりですが」
「悪いことは言わん、止めといた方がええぞ。あそこ行くんは危ない」
男の妙に真剣な様子が気になる。
一瞬、九留島子爵の忍び込ませた間諜かと疑ったが、真正面から罠を仕掛けるようなことも無いと判断した。
「ええと、土砂崩れでもあったんですか? 道が塞がって通れないとか」
「そうじゃねえべ。お前さんら知らんか。あの秩父に続く山道な、猩々が出るんよ。下手に踏み込もうもんなら、大怪我負うのが関の山だ」
「猩々?」
「猿の妖怪ですよ、一也さん」
一也の怪訝な顔に気がつき、小夜子が助け船を出す。
そのまま男との会話を引き取ることにしたらしく、ぺこりと頭を下げた。
「ご助言いただき有り難うございます。その猩々のことですが、もう少し詳しく教えていただけないでしょうか。なにぶん、私達はこの辺りの地域について疎くて」
「それは勿論構わねえよ」
小夜子の丁寧な態度に、男も気をよくしたらしい。
一也らが警察官であることは知らないのだから、恐らく旅の者と勘違いしているのだろう。
とりあえず小夜子に会話の主導権を渡し、一也は下がった。
「何や雲行きが怪しくなってきたな。猩々やて」
「私は見たことがないが、どんな妖怪なんだ?」
「悪賢くて狂暴になった猿やな。これだけ聞いたら、大したことなさそうやけどな」
男から情報を引き出そうとする小夜子から少し離れながら、順四朗がヘレナに答える。一也と時雨もその話に耳を傾けた。
「大抵群れ作って動いとんねん。棒切れ振り回したり、獲物の様子伺って襲うくらいの知恵は回るらしいで」
「思わぬ障害でありんすなあ。まさか秩父に入る前に、妖怪なんて」
「ああ、動物って群れで動きますよね。野生の習性かな」
そういえば、と一也が思い出したのは、小夜子と共に戦った野犬の群れである。
あの時も一際巨大な首領格の野犬が群れを率いていた。
野生動物を甘く見てはいけないのは、あの時の経験で学習済みである。
「仕方ない、とりあえず小夜子君が話し終えるまで待つか。細かい点はそれからだ、一時解散」
それだけ告げると、ヘレナはさっさと旅籠に戻っていく。
一也らは後に残された形となった。何となく手持ち無沙汰になったので決まりが悪い。
「どっちみち引き返す訳にはいかないしなあ」と呟きながら、一也は遠く山の方へと視線を向ける。
山の木々の陰影は濃く、何かが潜んでいても可笑しくはなさそうに見えた。
村の外れにある旅籠は、このような田舎には珍しく瓦葺きの屋根が施された立派な家屋である。
旅籠の主人によれば、一昔前にこの辺りで幅を利かせていた豪農の家だったらしい。
「ペリイいうんが黒船率いて来た時に、これからは海外の時代だと叫んで村を出ていったらしいですな」とは旅籠の主人から聞いた事情である。
「時代の流れやねえ」
「機を見るにつけ敏な方だったんおすな」
順四朗と時雨の雑談を聞きつつ、一也は囲炉裏の火にあたる。
午後一杯を休息に充て、小夜子が得てきた猩々についての情報を吟味している内に、夕食も済ませてしまった次第である。
岩魚の塩焼きと山菜を中心とした食事は中々に野趣溢れる物であったが、残念ながらそれを存分に楽しむような心境でも無かった。
明日、どうやって秩父に踏み込むかということを思うと、能天気にはなれないのが普通であろう。
順四朗と時雨の雑談も、実のところ重い空気を意図的に緩和しようという部分があった。
小夜子が注いでくれた茶を飲みつつ、一也は考える。
降って沸いたような猩々という妖怪のせいで、当初予定していた行動は変更された。
その影響をもろに被るのが自分なのだ。当然プレッシャーもある。
「数十匹もいたら、自動車で突破するしかないよな」
「山の中で猩々に囲まれたら危ないですからね。あ、大丈夫ですよ、一也さん。山道はそれなりに広いって、あの村の人言ってましたしね」
「いや、そうだけどさ、あの車で行けるかと思うとなあ」
そうなのだ。
当初の考えでは、悪路を懸念して自動車は飯能に置いて、山間部の道を徒歩で抜けるつもりだった。だが、猩々について小夜子が集めてきた情報を吟味した結果、その予定は変更された。
数匹程度ならともかく、山に巣食う猩々は数十匹ほどもいるらしい。
一々相手にしていたらきりが無い、というヘレナの判断により、秩父まで一気に蒸気動力式自動車を駆って乗り込むことにしたのである。
山道とは言っても、行商人が通ることもあり比較的に道は広いらしい。それも考慮した結果のヘレナの判断である。
否とは言えない、だが不安は当然ある。
「大丈夫ですよ、だって一也さんですから!」
「えっ、何その無茶な理由。理由になってない気がする」
「今までだって、一也さん無理だと思われてきたことをやってきたじゃないですか。入手したばかりの魔銃使って、私の村を守ってくれたり。それに比べたら、全然問題ないです」
やけにきっぱりと言い切る小夜子の言葉が、少し一也の心を軽くする。「そうだな、何とかしてみせる」と答えたところに、ヘレナが口を挟んできた。
「猩々共が現れたのはここ一年くらい、小夜子君はそう聞いてきたんだよな」
「はい、そうですね。あの後、別の人からもお話聞いたんですけど、その人も同じこと言ってましたよ」
「ふーん、そうか。九留島子爵が全くこの一年間、外部と交流が無いというわけでは無いから......」
小夜子に確認を取った上で、ヘレナには推察することがあるようだ。一也はそれを先回りして、口に出す。
「九留島子爵が秩父から出たりする時、猩々から襲われたりしないのかってことですよね。何か魔除けみたいな物があるのか」
「あるいは、両者に協力関係らしき物があるかもってことやな。隊長が考えてるん、そういうことやろ?」
順四朗も同じ考えに至ったらしい。先を越されたヘレナは、苦笑しつつも嬉しそうであった。
「その通り。あとはあるとしたら、猩々が怖がって九留島子爵には近寄ろうともしないだけかもしれないね。力の差を見せつけられて観念した結果、ある程度言うことは聞くのか」
パリッといい音をさせて煎餅をかじりつつ、ヘレナは次の言葉を継いだ。
ちなみに赤いどてらをパジャマの上から羽織るという、何とも和洋折衷な服装である。
「お互い会わないようにしているのか。ま、今の私達が考えても分からないがな」
「ただ、気にはなりんすな。九留島子爵と猩々が協力関係にありんしたら、わっちらがここに来たことも猩々に知らせてるかもしれないんね」
「んー、時雨さんの心配も分かりますけど、蹴散らして進んじゃえば一緒ですよ?」
「小夜子さんは顔に似合わず、豪快でありんす」
小さく笑い、時雨が壁の側へと退く。
それを合図としたかのように、各々が寝る準備を始めた。
この旅籠は男部屋と女部屋の二つしか無く、しかも第三隊の他に客はいない。だからこそ、このように囲炉裏の周りで歓談出来たのだ。
「――何かいいですね、こういうのって。皆で旅行してるみたいで」
ふと一也が漏らした言葉に、小夜子が笑う。
「一也さんの方が、私なんかよりよっぽど肝が座ってますよね」
「ま、そう思えるくらいなら明日も乗り切れるさ。おやすみ」
「ほな、不寝番は己からやるわ。いい夢見るんやで」
そうヘレナに答える順四朗の背中に感謝しつつ、一也は囲炉裏の火を消した。
宵闇の中に仄かに灰の匂いが漂い、今日という日を締めくくった。




