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冬過ぎて、春来たりなば

 事件とは、言うまでもなく人が起こす物である。

 人と人との関係性を読み解くことが事件解決の手助けをもたらすこともあれば、一応の決着を見せた事件の真相は関係者を取り調べることで分かることもある。

 ならば、この高城清和という男は今回の件でどのような役割を担うのか。



「己は一応答えたで。お返しにこっちからも聞かせてもらおっか」



「どうぞ」



「高城さんにとって、九留島子爵に仕える意味って何なん。一応この五日間で妹さん共々分かる範囲で調べたけどな、全然その辺の情報が無かってん。遠い血縁かなと思ってんけど、それも違う」



「そうでしょうね。私達とご主人様は親族では無いので、その線からは何も分かりませんよ」



「ふうん、やっぱそうなんや。そしたら尚更なあ」



 順四朗は二本目の煙草に火を点けた。じっと燐寸(マッチ)が音を立てる。

 先程からの緊張感の高まりは、まだ止んではいない。その雰囲気を振り払うかのように。



「――何で、怪しい噂付き、しかも秩父なんちゅう辺鄙な場所に住む華族に仕えとるんかなあ。自分、独逸(ドイツ)語も話せるんやろ。そんな執事、なんぼでも東京で職見つけられるやろうに」



「大恩があの方にはある。それだけで理由としては十分だ。多少秩父が辺鄙であろうが、そんなものは関係ない」



「へえ、そうなんや。大恩言うても色々あるやろけど、細かい点は置いとくわ。追々分かるやろしな」



 右手の人指し指と中指に挟んだ煙草を軽く一振りすると、先端の火が舞い降りたばかりの夜を切り裂く。

 ふと頭に浮かんだ考えを、順四朗は清和にぶつけた。



「妹さんが病気か何か患って、それをどうにか出来るんが九留島子爵だけってのもありそうやなあ。どう、合ってる?」



「掠めているとだけ言っておきましょうか。割りといい線突いてますよ、これ以上答える気はありませんがね」



「へえ、さよか。ほなここで推理は終わりやな」



 清和の言う通り、順四朗のこの考えは真実を掠めていたのである。

 もし順四朗が美憂の能力を知っていれば、もう少し彼の推理は真相に近づいたであろう。

 だが残念なことに、この時点では順四朗のみならず、第三隊の誰もそれを知らなかった。



 順四朗が二本目の煙草を吸い終わる。それを待っていたかのように、清和が一、二歩後退しつつ口を開いた。



「そろそろ私もおいとましましょう。これ以上引き留めるのも申し訳ありませんしね」



「承知、じゃあこの辺でお開きやな」



「ですが、最後にいい物をお見せしますよ」



 更に数歩、順四朗から清和は距離を取る。

 その滑るような足取りも中々大したものであったが、順四朗の注意を引いた物は別にあった。

 外套と執事服に巧みに隠されていたのだろうか。気がつかぬ内に、清和の右手が西洋風の長剣の柄を握っている。

 鞘から抜かれきってはいないが、物騒なことに代わりは無い。



「廃刀令知らんゆうことないよな?」



「陸軍を通じて許可は頂いていますから、ご心配なく。ああ、ここで奥村警部補に斬りかかる気も無いので、そういう意味でもですよ」



「そら助かるわ」



 清和から殺気は感じていなかった為、順四朗はそれは心配していなかった。

 間合いも遠い。一息に斬りかかってこれる距離ではない。

 だが、あの体勢からどうするつもりか。

 順四朗が知る限り、長剣という物は重さに任せて叩き斬る武器である。

 鞘から抜いて振り回さねば、素振りすらままならぬだろう。

 五寸ばかり鞘から刃を覗かせた状態で、清和は動きを止めている。その真意を測りかねた。



 その刹那、鋭い擦過音が響く。

「ぜっ!」という気合いが清和の唇から放たれた。

 そして順四朗の目が捉える。

 清和が一気に長剣を抜き放ち、高々と振りかぶった姿を。

 瞬時に足元の石畳へと刃を突き立て、ざっくりと割ったその光景を。

 長剣の刃渡りは三尺近くはあろうか、その三分の一弱が地面に消えている(一尺=約30センチ)。



「びっくりしたわ、長剣で抜刀術なんか出来るんやな。初めて見たわ」



 順四朗の目は、まだ石畳に突き立てられたままの清和の長剣に注がれている。

 ちょっと信じられなかった。今の一撃は確かに石畳を引き裂き、その刃を沈ませた。

 しかも鞘から抜き放って、そこから加速させての一撃である。

 重量のある長剣では普通は無理だろう。遠心力に任せて振り回した訳では無いのだ。



「喜んでいただけたようで光栄です。私も少々剣は嗜むので、ついお見せしたくなりました」



「少々、ね。謙遜も過ぎれば嫌みやで」



 生半可な使い手ではないのは間違いない。

 刀と長剣、武器の違いこそあれども、同じ近接戦闘を得手とする者ならば、その技量の高さくらいは分かる。

 清和への評価を上方修正しつつ、軽口も忘れない。



「でやな、この散歩小路(プロムナアド)、一応公共物やねん。公共物破損の罪状で罰金の対象やねんけど」



「申し訳ありませんが、今は持ち合わせがなく。後日取り立てに来ていただけませんか」



「しゃあない、貸しにしといたるわ。ほな、利息付きで取り立てに行くからよろしゅう」



「承知しました。秩父でお待ちしておりますよ」



 銀糸の刺繍を施した外套を翻し、執事はその場を立ち去った。

 見送りながら、順四朗は清和の斬撃の跡にもう一度視線を移す。

 重い長剣で力任せに破壊するならば、何度かは見たことはある。

 だが、こうも見事に斬り込めるものなのか。

 身体に秘めた発条(バネ)と剣術の技量が共に高くなければ、とてもなし得ない技である。



「こらちょっと、気合い入れなあかんみたいやね」



 ぽつりと呟き、順四朗は肩を竦めた。粉雪降りゆく冬の夜、忍び寄る寒さはけして季節の為だけではないらしい。




******




 この日を境に九留島子爵、そして高城兄妹は帝都より姿を消した。

 そして第三隊の四人の仕事も対象が明確になったことで、着実に進行していった。

 伊澤博士から寄せられた情報そして資料を基にして、本庁に提出する書類を仕上げていく。

 過去に九留島子爵に接したことのある人間にも話を聞き、その会話内容も写しに取り書類に添付していった。

 その間、ヘレナは同時進行で本庁のお偉方に話を通していった。言い換えるならば、根回しである。



「私だって本当は嫌さ、こんな面倒くさいことはな」



 そうぼやきつつも、これが地味に効くことは知っている。

 特に今回の件は陸軍も絡むのである。異なる組織間の軋轢を回避する為には、多少の苦労と手間は惜しまない。

 警察というのも一筋縄ではいかない組織なのだな、と痛感するが、これは必要経費のようなものだろう。



「全く自ら望んだとはいえ、私も働き者だよな」



「とは言いつつも嬉しそうですよね、ヘレナさん」



 行儀悪く机の角に座るヘレナに、一也が声をかける。

 後は正式な捜査令状の発行を待つばかり、というだけの二月下旬のある日のことだった。第三隊の拠点で、二人は仕事中であった。



「嬉しいというかなあ、何だ、こう獲物を追い詰めていく感覚がたまらないというか、ぞくぞくくるんだよ。もうじきあの生意気な九留島子爵の鼻をへし折ってやれるかと思うと、そりゃやる気も出るさ」



 ひゅんと軽く宙に拳を繰り出しつつ、ヘレナはあっさりと答える。

 当たったら痛そうだなと思いつつ一也は「よっぽど腹に据えかねているんですね」と応じ、時雨は神妙に頷くばかりだ。



「何か、こう......ありがたいでありんす。わっちみたいな日陰者の為に、皆さんがこんなに親身になっていただいて。何と言っていいやら」



「いや、もうとうの昔に、時雨さんだけの話じゃなくなってるからさ。秩父で何が行われているのか、それを明らかにしないとな」



「ああ。時雨さんは今回の調査のきっかけになったに過ぎないよ。九留島子爵の横暴は、陸軍と警察が目を瞑ってきた結果だ。もし暴くとしたら、半分独立部隊の私達くらいしかいないだろう」



 一也の言葉をヘレナが引き継ぐ。

 何発目かの拳が鋭く宙を突き、同じ速度で引き戻された。

 その動きが突然止まる。その浮かぬ表情が、一也の方を向く。



「一点だけ不安があるとしたら、秩父までの移動手段かなあ。三嶋君、あれ使えそうか?」



「......現状、俺しかいないんだから仕方ないでしょう。腹は括りましたよ。本当は嫌ですが」



「......今日は順四朗と小夜子君が練習に行ってるが、実質君が頼りだからな。頼むぞ?」



 がっしとヘレナに両肩を掴まれ、真正面から見つめられる。

 凛とした美しさに打たれたかのように、自然と頷くしかなかった。

 だが、その決意もすぐに不安に掻き消される。



「隊長、あれ途中で爆発したりしないですかね? そんなところまで俺責任持てませんよ?」



「だ、大丈夫だろ! 一応、伊澤博士と谷警部が協力して製作したらしいしな! 二人の技術力を信用しようじゃないか!」



「わっちが生きてた江戸の頃には、あんなん想像も出来ませんえ。明治言うんは、偉い進歩したんおすなあ」



 時雨がほぅ、と息をついた丁度その時である。

 扉が開き、順四朗と小夜子がよろよろと入室してきた。寒さも少しはましになってきたのに、何故かどちらも青い顔であった。

「あ~、あかん、あんなん無理やろ~」と死にそうな顔で順四朗が呻けば、小夜子は「く、首が痛いです」と顔をしかめている。



「おかえり。その様子だと、上手くはいかなかったようだな」



 この上なく深刻な顔でヘレナが問うと、二人はそれ以上に真剣な顔で応じる。



「何であんなの作ったんでしょうね、あの二人。人が乗る物じゃないですよね」



「確かに馬やと餌やったり休憩とらなあかんかったり、何かと面倒やけどな。うう、でも主計部から出張の予算さえ引き出せたら、こんなことにはならんかったのに......」



 小夜子と順四朗の顔には悲壮感すら漂う。しかも項垂れながら、ちらっちらっと二人は一也を見るのだ。

 その目は絶望の中で一縷の期待を込めた目である。

 そんな視線を無視出来るほど、一也は強靭な精神は持ち合わせていなかった。



「わ、分かりましたよ。やります、やってみせますから! だからそんな目で見ないで!」



 空元気と分かりつつ、もはやそう答えるしか無いではないか。横浜の時は汽車が使えたのにな、と嘆いても後の祭りだ。



「そうか、流石は三嶋君だな! 機械関係は任せたぞ!」



「一也さんさえいれば問題ないですよねー!」



「良かった、己も大船に乗ったつもりになれそうやな」



「一也さんて何でも出来るんでありんすな、尊敬するでありんす」



「ごめん、ほんと過剰な期待寄せるのだけは止めて。お願いだから」



 視線が刺さる、胃がしくしくと痛い。明治時代に飛ばされて以来、この時ほど一也が胃薬を求めた時はなかった。




******




 人の世の喧騒とは関係なく、時間は流れていく物だ。

 二月も終わり、三月となって数日が経過したある日、風は暖かさを微かに孕み始めていた。

 長い冬の終わりも近いらしい。

 道行く人の装いも幾分春らしき軽さを帯び、夜ともなれば月が初春の梅を照らす。猫も杓子もどこか気もそぞろになり出す、そんな時期である。



 しかし、ここは違う。

 縦横約三間余りの正方形の部屋、そこには窓すら無い。

 外の春めいた空気を感じる術も無いどころか、光すら微塵も無かった。

 重苦しい暗闇が空気を支配している。その為だろうか、空気自体が粘性を持った水のように感じられた。

 まるで世界から隔絶されたかのような部屋であり、空間だった。



 その闇の中、すぅと糸を引く光が生じる。

 部屋の床を斜めに走るその光は、空の色が結晶となったかのような青であった。

 二本、三本、四本と順に増えた光は直線を描いたかと思うと、鋭角に折れる。そしてまた直線を描く。中には曲線を描く線もある。

 しばしそれが続いた。



「Abschluss」



 暗闇の中、静かに女の声が響いた。

 完成という意味の独逸(ドイツ)語である。

 それと共に、光の線が止まる。

 真上から見れば、何本もの光が床に刻んだ幾何学模様が何なのか分かるだろう。

 そしてその中心に立つ者が誰であるかも。



 肩までかかる金色の髪が光に透けて見える。青緑色の眼もどこか透明度を増している。

 この奇妙な部屋に一人立つのは、ヘレナ・アイゼンマイヤーであった。

 着用しているのは白い長襦袢一枚らしく、足には何も履いていない。

 女性らしい優美な曲線は、長襦袢の薄手の布地を通してはっきりと見てとれる。

 扇情的とも言える姿であったが、ヘレナ本人の顔は性的な感情の欠片も映してはいなかった。

 感情よりは理性、衝動よりは抑圧が彼女の顔を彩っている。



 先程までは暗闇に閉ざされていた部屋の中だが、今は違う。

 複数の青い光が床に描いた軌跡を追えば、それがヘレナを中心として特定の図形を描いていることが分かる。

 


 まず部屋一杯に広がる大きな円が一つ、そしてその内側にはそれより径が小さい円が一つだ。

 言い方を変えるならば、ヘレナを円の中心点として二つの円形が描かれているとも言える。

 更に図形はそれだけでは無い。

 二つの円それぞれの中に、五つの角を持った星があった。俗に五芒星と呼ばれる星の形だ。

 時折明滅する二重の円と五芒星に囲まれ、ヘレナの白い長襦袢姿は幻想的な青色を帯びている。



 音はしない。そこには静寂しかない。強いて言えば、ヘレナの呼吸音くらいか。

 そもそも彼女がどれくらいの間、この暗闇の中にいたのか、何をしていたのか知る術も無い。

 だが見る人が見れば分かるだろう。この部屋に満ちた異様な圧力に。

 通常は魔力、あるいは呪力と呼ばれる物がその圧力の源だが、ヘレナを包むそれは相当な高濃度と化している。

 生半可な術者では、逆に惑わされかねない程である。



「――何の準備もしないままでは、今回は無理そうだからな」



 その圧力を全身に受けつつ、ヘレナ・アイゼンマイヤーはぽつりと一言呟いた。

 床に刻まれた図形は、清浄そのものの青い光を放ち続ける。

 それは彼女を鼓舞するように、あるいは彼女を守護するようにも見えた。

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