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そのメイド、高城美憂

 美憂の挑発的な発言に先に反応したのは、小夜子であった。

 ずず、と山菜蕎麦のつゆを一口啜るも、その表情は明らかに怒っている。



「凄い自信ですね。もう手の内を隠しても無駄みたいですから言っちゃいますけど、私達が秩父に行くということは九留島子爵が逮捕される可能性が高いということなんですよ」



 一度言葉を切り、小夜子は蕎麦を二、三本啜る。美憂と視線を合わせると、彼女もきつねうどんを啜っていた。

 肩まで伸びた髪はふわりと自然に流れ、メイド服とも相まって非常に可愛らしい。それ故に逆に腹が立つ。



「――何様のつもりですか、貴女」



「うふふ、そう怖い顔をしないで下さい。可愛らしいお顔が台無しですわ、紅藤さん」



「よく言いますね。警視庁特務課第三隊を前にして、それだけふざけた台詞を吐ける人なんて初めてですよ」



「ごめんなさいね、田舎者なので警視庁の威光もよくは知らないの。けれども、そちらもご存知ないみたいですね。ですから教えてあげましょう」



 左耳にかかった髪を指で払いつつ、美憂は小夜子と一也を見た。一也が何か言いかけた機先を制し、言い放つ。



「陸軍の鬼才こと九留島朱鷺也子爵を敵に回すということが、どれほど危険なことか。今ならまだ間に合いますよ。私達に関わることは止めて、頭を下げてはいかがですの? そこの花魁の幽霊を渡していただければ、ご主人様への失礼は無かったことにしてさしあげます」



「大した自信だとだけ言っておくさ。そっちこそ分かってないんじゃないのか。自分らで言うのもあれだけど、俺達も並みじゃないつもりだよ」



 海老天を箸で二つに割りつつ、一也が答える。

 かちんとは来たが、それだけだ。怒れば相手が調子に乗るだけ、そう心得ていた。

 怒る代わりに、深くつゆの中に海老天を沈める。

「ふうん」とだけ美憂は呟く。

 その場の短い沈黙を破ったのは、時雨であった。おずおずと開いた口からは、か細い声しか出てこない。



「一つお聞きしたいんおすが、あの子爵様は本当に幽霊を集めているんでありんすか」



「ええ。詳しくは教えてさしあげられませんけど、とてもとても重要な研究の為にですわ。なので、ぜひとも貴女には来ていただきたいんですの」



「嫌でありんすよ。わっちも散々現世に縛られ、ようやく心満たされて成仏出来そうなのに。何やら意味不明の研究に使われたくはないでありんす」



「ふふ、その台詞、ご主人様の力を前にしても言えますかしら?」



 先に告げた通り、本気の勧誘ではなかったらしい。

 ちょうど食後の甘味が運ばれてきたこともあり、彼女はすぐに白玉だんごに取り掛かる。

「いい度胸ですよね」と渋い顔をしつつ、小夜子も自分のお汁粉に匙を入れた。

 小豆の黒みを帯びた紫色がとろりと揺らぎ、甘い匂いが漂う。

 一部西洋の慣習が取り入れられているらしく、一也のくずきりに添えられているのもフォークである。



「視てみぬ振りさえすればいいのに」



「冗談。それをやったら、警察官の意義が無くなるね」



 くずきりに黒蜜をかけつつ、一也は美憂に答えた。自分の右隣に座るメイドは、小馬鹿にするかのように目を細める。



「長い物には巻かれろ、という諺がありますが、ご存知ありませんこと? 第三隊といっても、たかが四名に過ぎないじゃないですか。大人しく帝都の治安を守っているのが分相応ではないですか。無駄に仕事を抱えて、痛い目を見ようとするなんて理解し難いです」



「かもな。多分それが大人の考えなんだと思うよ」



 一也の反応は美憂の意表を突いたらしい。まさか肯定されるとは思っていなかったのだろう。



「だったら何故。理屈に合わないとは思わないのですか、三嶋さん?」



「警察官てのはさ、正義の味方なんだよ。正義ってのが何なのか、俺も自分ではっきり分かっている訳じゃあないんだけどさ」



 だが、だからこそ中途半端に節を曲げてはいけない。

 それは良くない。一度自分で決めたことならば――貫き通せ。



「少なくとも、相手次第で態度や方針をころころ変えて、視てみぬ振りするのは正義の味方がすることじゃないだろ。警察官は公僕だ、正しいと思うならそれを遂行する義務がある。俺があんたに言えるのは、そういうことだよ」



「ご立派ですわね、けれど大人の考えとは言いかねます」



「損得勘定だけで動く賢さが大人の証と言うんなら、俺は子供のままでいい。九留島子爵にも、そう伝えて下さい」



 一也と美憂の視線がぶつかり、その短い拮抗はすぐに終わった。

 最後に残った白玉だんごを匙ですくい、美憂はそのつるりとした喉ごしを楽しんだ。

 そして小夜子の方を向く。



「そんなに物欲しそうな顔しても、もうお仕舞いですよ。いくらお汁粉に白玉だんごが合いそうとは言えども、これは私のでざあとなのです。残念でしたね」



「お気遣いは不要です。人様の食べ物を欲しがるほど、意地汚くありませんから。その代わりと言っては何ですが、一つ教えてもらえませんか?」



「聞いてみないことには何ともですけれど、とりあえずどうぞ」



 卓を挟んで、紅藤小夜子と高城美憂が睨み合う。

 小夜子は日本人形のような長い黒髪をサイドテールに結い、それをリボンで纏めている。紺色の制服姿は機能美を醸し出す。

 片や、美憂は僅かな癖毛を肩まで伸ばし、着ている服は丈の長い黒いメイド服だ。何とも名状し難い美少女二人の対比であった。

 だが二人の間に漂う剣呑な雰囲気は、そんな外見をあっさりと裏切る。



「何故、貴女は九留島子爵に仕えているんですか。もし私達の調査結果が正しければ、彼がやっていることはその意図は置いておくとしても間違いなく犯罪行為ですよ。もし今回逃れたとしても、また近い将来に司法の手が回らないとも限らないのに」



「ああ、中々良い質問ですわね。理由、ですか。一言で言うなら、私と兄様にとっては命の恩人なのです。だからご主人様が何をされようとも、信じてついていく覚悟は出来ています」



「命の恩人?」



「ええ。私と兄様は孤児なのです。少し長い話になりますけど、話してさしあげましょうか......私達の生まれた高城家は元は幕府に仕える武家でした。しかしご承知の通り、幕府崩壊の後ほとんどの武家は没落していきました。中には明治の世を上手く渡る機会を得た者もおりましたが、残念なことにうちの両親にはそんな才覚は無かった」



 淡々とした口調で感情を込めぬように、美憂は話していた。

 だがその唇が僅かに震えていることに、小夜子も、そして一也も気がついた。

 抑えきれぬ心の揺れはそこに止まらず、美憂の眼光を鋭く変える。

 店内を照らす提灯のぼうとした明かりを通しても、その鋭さは緩まない。



「十三年前のこのような寒い冬の朝、両親は死にました。父は最後くらいは武士らしくとでも思ったのか、切腹しての自死でした。母もその横で喉を短刀で掻き切って、倒れ伏しておりました。いくら時が経過しても、あの光景が頭の中から離れないのです。庭に積もった雪の中、血まみれになりながら二人で惨めに亡くなった両親の姿が」



 文字通り血を吐くような苦労を重ねてきた美憂の両親は、その人生の最後も同じような結末を迎えた。

 忘れるものか。忘れてはならない。



「そういうことか。その後、九留島子爵は何の拍子か、君とお兄さんの身元を引き受けた。だから命の恩人として仕えているという訳か」



「ええ、三嶋さんの推測通りです。行く宛も無く、帝都の貧民街をふらふらとしていたあの頃......もしご主人様が私達を拾って下さらなければ、兄様も私も早晩死んでいたでしょうね」



 何故、九留島子爵が孤児となった高城兄妹を引き受ける気になったのか。

 その理由は一也には分からない。ただの気まぐれだったのか、あるいは自分の手駒に成りうる腹心の部下が欲しかったのか。

 だがそんな一也の迷いなど知る由もなく、美憂の告白が続く。



「兄様はご主人様の剣、そして私はご主人様の盾です。元より一度は捨てた命、今は亡き父母に代わり育てていただいた大恩の為とあらば、全身全霊を以てお守りする覚悟はとうに出来ております。貴方達の正義がいかほどの物かは知りませんが、もしご主人様を手にかけようというならば――」



 不意に美憂が席を立った。

 外套を掴んだ手は、そのまま伝票をかっさらう。

 腰を浮かせかけた一也と小夜子の二人の動きを、強い眼光一つで制圧した。

 店の窓に粉雪が触れるさらさらとした音が、何故かやけに大きく響く。



「――遺言状の用意をしてきてくださいね。では、そろそろ私はこれで。お勘定はこちらでお持ちします」



「待ってくれ、高城美憂」



「何か?」



 メイド服の裾を翻し、美憂は振り返った。

 小夜子と時雨の二人を制し、一也がその前に立つ。

 広いとはいえぬ店内に、何とも表現し難い緊張感が走った。



「君の言い分は分かった。共感は出来ないけど、理解は出来る」



「そうですか、それは嬉しいですね。私達、お友達になれそう」



 まるで嬉しくなさそうな棒読みで、美憂は呟く。



「だが、だからといって俺達は君らを見過ごせない。それとこれとは別問題だからな」



 美憂の言葉を受け止めて、それでも一也は小揺るぎもしなかった。

 ここでもし心が揺れたならば、自分はそこまでの人間ということになってしまう。それを知っていたからだ。

 十三年前といえば、美憂のみならず兄の清和もまだ小さかったはずだ。

 幼い兄妹がどれ程苦労したのか、それを想像するのは難しくは無いが――だが、それでも。



「良い目ですね、銃士殿。そこの花魁の幽霊に好かれるのも分かる気がしますわ」



「お世辞は結構だよ」



「本心ですのに。ふふ、女性の誉め言葉は素直に受け止めた方が可愛げがありましてよ」



 四人分の勘定を済ませ、美憂はくるりと背中を向けた。

 夕暮れはとうに終わり、日はとっぷりと暮れている。

 いつのまにか店先に吊るされていた提灯が、彼女の白い横顔に深い陰影を刻んでいた。



「次に会うときは秩父になりそうだが、その時はよろしく」



 一也は静かに戦意を込めて。



「一応奢っていただいたお礼は言いますけれど、手加減は出来ませんからね」



 小夜子はすっくと背筋を伸ばし。



「他人の魂をどうこうなど、人の道に反するでありんすよ。御両親が悲しむでありんす」



 時雨は悲しげに呟くのみ。三人それぞれが想いを秘めて、この奇妙な宴を締め括る。



「ではごきげんよう、第三隊の方々。再会を楽しみにしております」



 そして朗らかな別れの挨拶一つ、メイド服の少女は静かに降る雪の中へ消えていった。

 残された革長靴(ブウツ)の足跡は、頼りない程に小さかった。

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