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秩父に潜む闇

 九留島子爵を調べんと勢い込んだはいいものの、自分達だけが気勢を上げてもどうにもならぬ。

 取っ掛かりとしてヘレナが名を挙げた伊澤博士の予定が空いたのは、一也らが動き出してから四日後であった。

 その間通常業務に励んでいたため無駄ではなかったものの、じりじりしていたのも確かである。



「ほおぉ。警視庁の中いうんは、こないな部屋になってるんでおすか。わっちが想像していたのと大分違うでありんすなあ」



「時雨さん、ここを普通の部屋だと思わない方がいいよ。かなり異質だからさ」



「一也さんの言う通りですよ。ここが普通の警視庁の一室だなんて、成仏してから他の霊に話さないで下さいね。私達が同類だと思われたくないですから」



 物珍しそうにきょろきょろと顔を左右に振る時雨に対し、一也と小夜子がすかさず注意する。

 考えてみれば酷い言い方ではあるが、部屋の主は怒る様子はまるでない。

 さもあらん、うず高く積み上げられた古臭い書物の山、その間から覗く硝子管を組み合わせた得体の知れない実験器具を見れば、ここが普通の警察官が使う部屋ではないのは明らかだ。

 そしてここで働く男達も普通の服装ではない。皆、薄汚れた長い白衣を纏い、紺色の制服はその下から僅かに覗くだけであった。



「うむ、時雨君が見ても分かるだろう。私を筆頭に優秀な科学者が使う部屋なのだからな、普通の警視庁の一室のわけがあるまい」



「威張れた話じゃないでしょ、伊澤博士。仮にも警視なんだから、もうちょっと小綺麗にしたらどうなんですか? やだっ、戸棚に蜘蛛の巣張ってるし」



 部屋の主――伊澤博士が何故か胸を張って答えるので、紅藤小夜子は注意せずにはいられなかった。

 元来綺麗好きなのだ。それにしてもと思うのは、伊澤博士の警察官らしからぬ姿である。

 今は部屋の灯りの百目蝋燭の光を丸眼鏡に反射させ、書物の隙間から顔を出している。

 これが警視庁でも上位の階級にあたる警視の一人とは誰も思うまい。



「君は何か勘違いしているな、紅藤君。いいかね、私は警視である前に研究者なのだ。研究者が警視をたまたまやっているだけなのだ。だからこの部屋が普通の警察官の部屋らしからぬのは、当たり前なのだよ。分かるかね、小っさい呪法士?」



「むー、一度ならず二度までもぉ......今度言ったら許しませんよ、仏の顔も三度までですからね!」



「だろうな、だから二度目までは遠慮せずに言ったのだよ。何か悪いかね――っと、待て待て話せば分かる! その式神を仕舞いたまえ!?」



「どうどう、小夜子さん落ち着いて。えーと、そろそろ本題いいですか、伊澤博士。警視らしからぬ汚い部屋のことは脇に置いてですね」



「君も一々細かいな、三嶋君」



 飄々と場を収めつつ毒を吐くことも忘れない一也に対し、伊澤博士も苦笑いである。

 それに対して「口八丁な環境で鍛えられてるんで」とにやりと返す一也も一也ではある。

 だが、確かに本題を切り出す頃合いだ。



「お聞きしたいことですが、先日お伝えした通りです。九留島朱鷺也子爵についての怪しい噂、あるいは犯罪の可能性があると思わせる過去の情報について何かご存知ないでしょうか」



「ふむ。全く心当たりが無い訳ではないが、答える前に一つ問いたい」



 一也に対し、伊澤博士は居住まいを正した。丸眼鏡の奥の目が、真っ直ぐに一也を捉える。



「君達第三隊は、九留島子爵を潜在的な犯罪者として疑っている。それを確実に裏付ける為に、今こうして私から情報を引き出そうとしている。この理解で良いか?」



「違いありません。何故そう思っているかは、書面にしたためた通りです」



「死者の霊魂、あるいは死人そのものを兵器に利用すると彼から聞いたことが今回の口火か」



 考え込むような伊澤博士の様子に、一也は手応えを感じた。

 彼は何か知っている、そしてこちらを拒絶はしていない。

 話を上手く誘導すれば、口を開いてくれるだろう。



「ええ、それ自体は非合法とは言い切れない。遺族の了承を得ていれば、かろうじて認められるかもしれない。だけどぎりぎりの線であることに変わりはない」



「だから、他にも怪しいことをしていないか確認してみたいんですよ。その上で何も無ければ、これ以上追及しませんし。伊澤博士、よろしくお願い致します」



「わっちからもお頼みいたしたいでありんす。第三隊の方々は何の縁も所縁も無いわっちを、あの方から庇ってくれたでおす。その大恩ある第三隊の為に、わっちも頭くらい幾らでも下げてお願い致したいのでありんすよ」



 一也、小夜子、果ては時雨までもが一斉に頼み込むと、伊澤博士も観念したらしい。「そうさなあ、事情が事情であるからなあ」と半ば独り言のように答えつつ、三人に座るように勧める。



「わっちはこのままでいいでありんすよ」



「む、すまん。足が無いのであったな」



 素直に幽霊に謝る伊澤博士の顔は、一也の目には何時もよりも優しげに見えた。




******




「これだよ」



 伊澤博士がばさりと机の上に投げ出した紙の束に、三人の視線が集まる。

 話ではなくいきなり資料からというのも面食らったが、何よりその表紙が目を惹いた。

 堅苦しい筆跡を一也の目が追う。



「流刑囚死亡確認書、ですか」



「そうだ。この一枚につき一人、流刑地で死んだ囚人の死亡確認書にあたる。これが私が提供出来る君らの疑問への回答だ」



「読めば分かるってことですか」



 一也は一番上に積まれた確認書を手に取った。

 囚人の死亡確認書の存在自体は学んでいるが、実際目にするのは初めてである。

 だが一瞥するだけで、何故伊澤博士がこれを自分達に渡した理由が分かった。

 脇から覗きこんでいた小夜子と時雨も気がついたようである。



「これ、流刑地が秩父の三峯ってなってますよね」



「亡くなったんは比較的最近おすなあ。六年前、明治十五年の八月でありんすか」



「九留島子爵の領地で亡くなった流刑囚の死亡確認書ですか、そこにあるのは」



 一也の確信に近い問いは、伊澤博士の首肯により受け止められた。「数えてみたまえ」と促されるまま、全ての死亡確認書を一枚一枚指で押さえる。

 和紙のかさかさという軽い感触、乾ききった墨汁の色が妙に時代がかっているように思えた。

 全部で二十一枚あった。一枚につき一人分の死亡確認の為、二十一人の死亡確認書ということだ。



「九留島子爵が秩父に移封されたのが丁度十年前、明治十一年の春だ。維新後のごたごたがあったとはいえ、いかにも遅すぎる時期の移封でな。何が理由なのかと噂する者も多かったよ」



 並べられた死亡確認書を眺めつつ、伊澤博士が話し始める。



「色々な憶測が飛び交う中、一つ明らかになったことがある。彼の領地は単なる領地ではなく、重罪人の流刑地として与えられたということだ。陸軍に籍を持っている者としては異例の措置だな。言葉を変えるならば、屋外刑務所の監督官の地位を持つとも言える訳だよ」



「単なる華族では無いだろうとは思っていましたが、そういう事情があったんですか」



「うむ。実際は、陸軍内部の表沙汰に出来ぬ事情などもあったのかも知れないがね。とにもかくにも、九留島子爵はお飾りの地位に座るようなボンクラではないということさ」



 伊澤博士は一也の相槌に答えた。小夜子と時雨から質問が無いことを確認してから、丸眼鏡のブリッジをくいと持ち上げる。



「さて、ここで簡単な算学の問題を出そう」



「えっ、私、算学は苦手ですー!」



「うっ、わっちのような学の無い花魁に何てことを......!」



「二人とも落ち着けよ、すいません、算学ってつまりは算数ですよね?」



「む、おお、そうだな。近頃はそのようにも言うらしいな。三嶋君は中々学があるではないか。では本題だ。九留島子爵が秩父に移封されてからの十年間、彼の下へ送られた囚人は全部で七十人を数える。先程の死亡確認書の数と合わせて考えると、全体の何割が秩父で死んでいるかね」



 一也の口から答えがぱっと出なかったのは、計算が出来なかったからではない。

 小学生レベルの割り算である、出来て当たり前だ。

 出題内容自体がむしろ驚きであった。

 答えより先に「本当にですか」という疑問が飛び出す。



「うむ、私が保証しよう。それで答えは」



「......三割。嘘だろ、刑務所内で受刑者の三割が死ぬなんて聞いたことないぞ」



「だが事実だ。そこに書いてある通り、死因は様々だが大別すると事故死、病死が主だな。流石に老衰は無かった」



 淡々と告げる口調が逆に怖い。

 一也の横に立ちながら、小夜子は恐る恐る死亡確認書をめくる。まるで一枚一枚に死んだ囚人の怨念が染み付いており、それを恐れているかのようだった。



「刑務所って規則正しすぎるまでの生活に、美味しくは無いまでもそれなりの食事が出るって習いましたよ。囚人同士の喧嘩なども厳罰対象になるからご法度ですよね......なのに十人に三人も刑期途中で亡くなるんですか」



「はあ、そう聞くとおかしいでありんすなあ。わっちの生前は、罪人の管理はもうちょっと出鱈目でありんしたけれども、それでもそないぽんぽん死ぬことはなかったでおすよ」



「だよな。あれ、ちょっと待ってください、これ確かに死因が事故死や病死になっているけど、何で事故や病気になったのかは分かっているんですか? 検死は?」



 時雨に続いて、一也が疑問を呈する。不審な点だらけであるのは間違いない。



「そこだな、一番の怪しい部分は。検死はな、行われていないのだよ。遺体も東京に送り返されていない。現地で死亡確認書が九留島子爵の名でしたためられて、それが送付されてきて終わりだ。年に二回、東京から査察が入るから囚人の人数が誤魔化されているということは無いが......怪しいには怪しいだろう」



「秩父から東京まで相当距離があるからですか。けれど一度も第三者の立ち会いが死亡確認に無いのはおかしい。極端な話、九留島子爵が囚人の一人を殺害して事故死と偽っても――誰にも分からないと?」



「ああ。三嶋君の言う通りだ、流刑囚は重罪人だからな。陸軍の方からも牽制が入っていることもあって、黙認されているのが実情なのだよ。死んでもまあ仕方ないと流され、秩父で何が行われているのかは闇の中だ」



 ぞく、と一也の背に震えが走る。

 それでは、九留島子爵は流刑囚を意のままに実験台として扱えるということではないか。

 いくら重罪人とはいっても、人命を弄ぶような真似は当然法に触れる。いや、それ以前に嫌悪感が先に立ちはしないか。

 連続殺人犯(シリアルキラー)という単語が脳裏に浮かぶ。



「そんな出鱈目な管理のまま、十年も放置していたんですか」



 一也の小さな非難に対し、伊澤博士はすぐに答えることはしなかった。ぱらり、と彼がつまみ上げた一枚の死亡確認書が机上に落ちる。



「元を辿れば、陸軍も九留島子爵を扱いかねていたという事情もあったのだろう。研究者の割には実践派であったしな、軍務省に直に掛け合うこともしばしばだったと聞いておる。私も彼と関わりあうのはそれほどは好かん。話は面白いがね」



「やっぱり伊澤博士、九留島子爵の事ご存知なんですね」



「維新後の数年間だが、陸軍と警察の間で合同研究所が設けられていてな。私より四つ歳は上だったか。この上なく優秀ではあったが、どこかしら極論に走る部分が人を選ぶ――そんな男だよ」



 小夜子に答える伊澤博士の表情はどこか暗い。

 それを察した一也はもう一歩だけ踏み込む。"まだ伊澤博士から引き出せる情報はある"と思わせる、そんな表情であったからだ。



「博士と九留島子爵は個人的な交流があったんでしょうか。今の話をお聞きする限り、どことなく含みが感じられました」



「多少はあった。苦手ではあったが嫌いではなかったからな。何度かは飲みに出掛けたこともある」



 一也が問うと、伊澤博士は懐かしそうな、だが同時に痛ましそうな顔で答えた。



「子爵とはいえ、所詮は負けた幕府方に味方した身だ。あのどこか攻撃的な性格は、周囲に対して意地を張っていた部分もあったのだろう。ああ、いや、それ以前に――ご家族を失ったことが彼を変えてしまったのかもしれんな」



「子爵のご家族は戊辰戦争で亡くなられたとお聞きしましたが、そのことですか」



「うむ、おお、思い出したよ。今のような冬の時節だったな。私と子爵で仕事帰りに場末の屋台で飲んだことがあったんだ。木枯らしが時折吹く中、おでんを突っつきながらああでもない、こうでもないとな。だらだらと飲み続けたことがあった」



 一也に話している内に、記憶が手繰り寄せられたらしい。すらすらと伊澤博士は話し続ける。



「四本程も燗の日本酒を空けた頃だったな、九留島子爵がぼそりと言ったのだ。"伊澤君、家族なんてね、持たぬ方がいいよ"と。何故ですと聞き返すとな、視線を卓の上に据えたまま、あの男がこう言ったんだ。"いざ先立たれると、この上なく悲しい。この上なく寂しい。それが堪らぬ。自分は命を賭けて戦ったが妻も子供も守れず、おめおめとこうして生き恥を曝して生き永らえている。それを分かち合う相手もおらぬ"と」



 その話を聞いた三人の顔に僅かに動揺が走る。

 傲岸不遜を絵に描いたような九留島朱鷺也と、屋台で孤独を吐き出す男の背中が重ねられないからであった。

 それでも伊澤博士の話に耳を傾けずにはいられない。



「また一口酒を飲み下してな。"君は何の為に研究をしているのだ"と聞かれたのだよ。私が学究の為にと答えると、聞いているのか聞いていないのか分からぬ様子でね。"そうか。私は――私は、私のように戦争で家族を亡くして、寂しい記憶だけを頼りに生きなくてはならない日本人を、少しでも減らす為に研究をしている。分かるか、伊澤君......勝たなくては、何が何でも勝たなくては、一人で泣く夜を過ごさねばならない人間が増えるばかりなのだぞ。それを防ぐためならば法律だろうが倫理だろうが、そんなものは踏み越えて踏み破って"と。そして最後に――」



 私が日本を戦争に勝てるように変えてやる......変えねばならんのだ。



「そう言い切ってから、屋台に突っ伏してしまったよ」



「――だからあんな事を」



 先日九留島子爵が一也らに告げた言葉が甦る。

 過去の消えぬ痛みと刻み込まれた慟哭に裏打ちされたまま、九留島朱鷺也という男は自ら望んで狂っていったのかもしれない。

 静かに、孤独に、時代という名の波に自分自身を飲み込ませながら。



「一也さん」



 小夜子に袖を引かれ、ふと我に帰った。覗き込む少女の瞳には迷いが見てとれた。

 その小夜子の向こうには、時雨の心配そうな半ば透けた顔が見える。

「とりあえず戻ろう、今までの話をヘレナさんに報告しなくては」と答えつつも、一也はそっと唇を噛み締めた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 同じ正義を志していてもそこに至るまで何を重んじるか、どうアプローチしていくかで敵対するんだから人間て難しいなと思いました。それを書き分けられる作者様の技量にも拍手です
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