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切り交わすは言葉の刃、支えるはそれぞれの信念

 対峙する視線が一組。

 一つは言わずとしれた、この八重洲の一軒家を拠点にする第三隊の二人。もう一つは招かれざる客であり、不穏な噂が立つ陸軍所属の華族の男。

 ぶつかり合う視線は静かな熱を帯び、二月の寒気が僅かに混じる部屋の空気に異質な物を生じさせる。



「お仕事中に済みませんね、御令嬢(フロイライン)。中々埒があかないのでね」



「埒があくもなにも、私は話を直には聞いていないのですよ。そこの三嶋君から伝え聞いただけですからね、九留島朱鷺也 Burggraf(ブルグラーフ)



 ヘレナの返答に、九留島子爵は片眉を上げた。



「失礼ながら、ぶるぐらうふとは何のことでしょうな。独逸(ドイツ)語は苦手でしてね」



「解釈は色々ありますが、概ね城持ちの伯爵に与えられる爵位で間違いはありません。秩父に大きな屋敷があるとお聞きしましたので、さほど間違いでもないかと思いまして」



「ほう......光栄ですな。わざわざ調べていただいたとは。しかし、残念ながら城とはほど遠い古いだけの屋敷ですよ。せっかくですが、爵位の価値に負けそうだ」



「そうでしょうか。陸軍に地位ある貴君が、本当に地方に引っ込んでいるだけなのかどうか――いや、Verzeihung(ごめんなさい)、少々ふざけすぎたようだ」



 軽く頭を下げ、ヘレナは言葉の矛を引いた。

 だが九留島子爵の顔がつぅ、と僅かに引き締まったことに、一也は気がついた。

 ヘレナの発言から、多少なりとも自分のことを調べていたことを察したらしい。



「歳を取っても勉強はしておくべきですな。一つ賢くなりましたよ」



「謙遜も行きすぎれば、嫌みになると思いますがね。さて、そろそろ前座は終わりにしましょう」



 毒にも薬にもならない会話を断ち切り、ヘレナが先手を打つ。

 彼女からすれば、この突然の来訪を歓迎する義務は無かった。それがどうしても態度に出る。

 傍らに立つ一也はというと、とりあえず対話はヘレナに任せていた。それより自分の背中に隠れた時雨の方が気になる。

 花魁の幽霊が何やら怯えた様子であることには、当然ヘレナも気がついている。



「端的に聞きます。何用ですか」



 穏やかさを声から脱ぎ捨て、魔女は切り込む。



「ふふ、お若い方はせっかちでいけませんな。しかし、単刀直入は私も嫌いではない。良いでしょう、さっさと済めばそれに越したことはない」



 じわ、と圧力を視線に込めて、九留島子爵が応じた。その灰色がかった瞳が時雨の方に動く。



「浄霊祭の折りにもお願いしたことですよ。そこの黒の銃士殿の背中に庇われている幽霊を、私が頂戴出来ないかという――ただ、それだけだ」



「またそれですか。それは三嶋君がはっきりお断りしたと思いますがね」



「ええ、十日前はね。しかし実際に幽霊と暮らしてみていかがですか。中々に大変でしょう? 早くいなくなってほしいというのが本音ではないかと......違いますか」



 九留島子爵の言葉はヘレナに対しての物ではあるが、同時に一也にも向けられてた。

 言いよどむ一也の肩に僅かにかかる物がある。振り返るまでもない、時雨の手だった。



 "震えている?"



 幽霊の手の感触である。自信はない。

 だが、確かに一也は時雨の手が、自分の肩に触れた青白い小さな手が震えているように思えた。

 その震えに後押しされるように口を開く。



「確かに面倒くさいですけど。けどね、一回預かるって決めた以上は最後まで面倒見る覚悟だ。途中で投げ出すような真似はしたくねえ」



「ほう、中々大した覚悟だ。しかしね、私も簡単に諦めたくはないのだ。私心ではなく、この日本という国の為に必要な願いなのだから」



「国の為って何を大袈裟な」



 降って沸いたような九留島子爵の言葉に、ヘレナは苦笑しかけた。

 その表情を凍らせたのは、九留島子爵が机の上に置いた金属塊である。

 着物の袖から取り出されたそれは、ゴトリと重い音を立てて燦々と煌めく。



「金の延べ棒――正気か?」



「正気だとも、ヘレナさん。あなた方には分からないだろうが、その幽霊は私にとってはこのくらいの金銭的価値はある。何ならもう二、三本は積んでもいいくらいだ」



「ずいぶんと懐に余裕があるようで結構なことだよ。だが、金で買われるというのは気分が良くないな」



 ヘレナから向けられた視線を受け、一也の決意が固まる。

 一瞬ではあるが、純金の輝きを見せられた瞬間は動揺した。

 自分の懐に入る分が幾らなのかは知らないが、あの金の大きさなら自分の年収に匹敵するかもしれない。

 だが、その誘惑に上回る物が確かに自分の中にもある。



「気に入らねえよ、九留島さんよ」



 きっぱりと断る。

 時雨の手から感じる震えが止んだ。

 振り返ると、彼女と目が合う。顔は似ていないのに、何故か寺川亜紀を思い出した。

 "そう、三嶋君はそういう立場の人なんだね"と言った時の寺川の顔だ。



「ヘレナ隊長も俺も、警察官なんだ。陸軍の偉いさんだか何か知らねえが、金で自分の責任を売るほど腐ってはねえんだよ」



 思い出さずにはいられない。

 自分があの時、無理にでも寺川を。

 いや、寺川だけではない。中西等全員を、どうにか神戦組から足を洗わせることが出来たならば。



「――あんたにどんな理由があるのかは知らない。だけど、それを言うなら俺達にも理由はある。日本国民の安全という唯一無二の理由がだ」



 あんな形で喪うことは無かったのではないか。

 あの状況下では無理だったとは言えるが、それでも一也が自分を責めたことは一度や二度では無かった。



「その責任感、軽く見ないでくれないか。あんたの発言は俺らに対する侮辱だ」



 この先ずっと後悔するかどうかは分からない。

 だがあの横浜の一件で、警察官の端くれとして対峙する形になり、自分はかっての仲間を手にかけている。

 ならば、尚更いい加減な態度でいる訳にはいかなかった。

 それが三嶋一也を支える矜持なのだから。抱えた悔恨の念を幾ばくかでも晴らす意地なのだから。



「一也さん、ありがとうでありんす」



「よく言った。そういうことだ、申し訳ないがその金は受け取れない。いや、受け取らないと言うべきかな。どちらにしてもお断りだよ」



 時雨とヘレナが加勢する。

 特にヘレナの一言は重い。一也のみならず、第三隊の長たる彼女の断言である。

 だが、それでも九留島朱鷺也は退かなかった。その冷ややかな視線一つ、反応はそれだけだった。



「若いな、実に若い。ふ、ふふふふっ、さても若さとはこれほどまでに真っ直ぐで、愚かしい物であったかな。よかろう、君らに物の道理という物を教えてやろうか」



 不遜な態度に劣らぬ不遜な台詞が吐かれた。鉄緑色の着物が室内に影を落とし、九留島子爵の顔は逆光に陰となる。



「九留島朱鷺也。今なら間に合う、さっさと出ていけ。これ以上貴方の礼儀をわきまえない要望に付き合う程、我々も暇じゃない」



「小事に過ぎんよ。よかろう、そこまで言うならば話してやるとしようか」



「おい!」



 流石に堪忍袋の尾が切れたか、ヘレナがかっとなった。

 だが、九留島子爵は全くそれを意に介していないようだった。その図々しいまでの豪胆さが、ただ不気味である。



「君らは戊辰戦争を知っておるか?」



「いや、だから帰って――」



「知っておるかと聞いているのだ、たわけが!」



 一也の制止を振り切り、九留島子爵は大喝した。

 一瞬に過ぎないが、その部屋の全員の動きが止まる程の語勢であった。

 時雨が「ひっ」と呻き、一也の背に隠れる。



「......知識としては知ってはおろう。伝聞としては知ってはおろう。だが真の意味であの血で血を洗う戦争を知っている者は、あの戦争を体験した者だけだ。自らの家族を同国の人間に沈められ、それでもこれが日本の為には必要な犠牲であったのだと」



 九留島子爵の指がめき、と音を立てた。

 行き場の無い感情が、彼の体の中で暴れまわっているようだった。

 一也もヘレナも口を開けない。数多の実戦を潜り抜けてきた彼等にして、九留島子爵の気迫は物理的な質量を伴うと錯覚しそうな濃さを感じる程である。

 紳士然とした華族としての振る舞いは、むしろ仮面であったのか。



「それを自分に納得させるまで、どれほどの努力を必要としたかを語っても仕方が無いがな。だが、これだけは言わせてもらおうぞ。日本を憂い、大志を抱く資格ある者はけして薩長の者のみならず。私のように無理矢理にそれに巻き込まれ理解せざるを得なかった者にも、その資格はある」



「――なるほど、それが貴方の背骨を支える物か」



 九留島の一喝にも似た長口上に、ヘレナが真っ先に反応した。この辺りは経験の差だろうか。



「そちらにも退けぬ理由はあり、その為に哀れにも現世に未練を残した幽霊を欲するというわけか」



「いかにも。私の行っている軍事研究は、必ず日本の為になる。清や露西亜(ロシア)ら、東洋の覇権を狙う列強に抗いうる為の軍事技術の発展――それ無くして日本に明日は無い。その為に、そこの幽霊のような良質の霊魂が必要なのだよ」



「つまり、軍事研究の為に時雨さんの霊魂を抽出して使い倒すと。貴方はそう言いたいのか」



「物の言い方には気を付けていただきたい、ヘレナさん。私の編み上げてきた機械工学の技術に」



 九留島子爵の語りは止まらなかった。鉄緑色の着物の右袖が上がり、時雨を指差す。それだけの動作が酷く不吉な物に見えた。



「......江戸の頃より脈々と積み上げられてきた、死人の魂を操る秘術を組み込む。ならば、何が出来るか。産み出される兵器は並の物では無い、西洋の軍事技術にも真っ向から対抗しうる魂持つ兵器となろう! これをもってして国防の礎と成す事、それこそが真の日本国民の為ということなのだ!」



「死者はどうでもいいってわけかい、ずいぶんと乱暴な理屈だよな。俺らがそんなもん認めると思ってるのか」



「認めるさ。小を犠牲にして、大を生かす。実に美しい論理だろう。三嶋巡査、君は知らぬかもしれないがな。いざ戦争となったら、死体の単位が変わるのだぞ。一人、二人ではなく、十人、百人、千人単位でな。それをただ一人の幽霊の犠牲で減らせるならば、やる価値は十二分にあろう」



 一也の反論を封じ込み、九留島子爵は凄惨な笑みを浮かべた。

 論理に裏打ちされた狂気が、この男を動かしている。

 だが、一也には彼を論破するだけの言葉が浮かんでこない。

「正気の沙汰じゃねえな」と言い放つも、それでは九留島子爵が引き下がらないことは承知していた。



「寄越したまえ、三嶋巡査。その幽霊には残念ながら心おきなく成仏する権利は無い。その代わり、私が存分に活用してやる。数多の未来ある日本国民の命を救う為の礎となるのだ。むしろ喜んでほしいくらいだ」



「そうか、何があっても聞かぬ気か。三嶋君、時雨さん。下がっていろ」



「え、ヘレナさん――」



 戸惑いつつ、時雨を伴い一也が下がる。

 剣ならぬ舌峰を切り結ぶ為、ヘレナ・アイゼンマイヤーは九留島朱鷺也の前に立った。

 いつしか日は陰ってきており、室内が急速に暗くなる。



「私から問わせてもらおう、九留島朱鷺也。わざわざ私達に明かすということは、これは日本陸軍の総意なのか」



「そう考えてもらって結構。尤も公には発表されてはおらんがね」



「そうだろうな。死人の墓暴きとも取れる処遇を認めては、世間の猛反発を食う。私達にそれをわざわざ明かしたのは、混乱が起きることが予想される為、口外はしないだろうという読みか」



 ヘレナの考えは、九留島子爵の拍手で以て肯定された。

「感心感心。頭が回り、しかも美しい。警視庁は良い人材を欧州から招いたものだ」というからかいじみた声の響きに、ヘレナは顔をしかめる。

 はっきりした嫌悪感を吐き捨てることに、微塵の躊躇いも無かった。



「一つはっきり言わせてもらうよ、九留島子爵」



「何か。ようやく手放す気になったならば、大歓迎だが」



「逆だ。貴様の所業、二重の意味で目に余る。警視庁特務課第三隊の隊長としてだけではない、欧州の魔術権威たるグレゴリウス鉄旗教会の一員としてもな。死者の霊を弄ぶ邪悪な魔術、呪法の類いは教会の倫理規定に反する。故に――私は貴様を看過しえない」



「ほう、そうかそうか。失念していたよ、御令嬢(フロイライン)。欧州に冠たるあの鉄の旗の紋章を掲げる者は、厳格なる規定の下に魔術を行使するのであったな。しかし、君では私は捕らえられん。ここは欧州ではない。極東の小国たる日本だ。鉄旗教会の影響力は、未だ明治政府下のいかなる機関にも及んでおらん」



「影響力が無い――本当にそう思うか?」



 ヘレナの双眼が煌めいた。九留島子爵は片眉を上げる。気に入らないのだ、この魔女の不敵な顔が。



「国際刑法でも持ち出す気かね? ふん、馬鹿なことを。明確な証拠が無ければあれを用いての令状は出せんはずだ」



「その必要は無い。何故アイゼンマイヤー家が"制裁(ストラーフェ)"と呼ばれるか知らぬようだから、教えてやる」



「何?」



 すぐには答えず、ヘレナは自分の文机の棚を開けた。

 そこから取り出した白い何かを、思いきり九留島子爵の目の前の床に叩きつける。時雨と一也が声をあげる。



「これ、絹の白手袋でありんすよ」



独逸(ドイツ)の決闘の作法、つまりこれって」



「そういうことだ、三嶋君。私の生家たるアイゼンマイヤー家にはな、正道に背く魔術や呪法の行使者に対する捜査権が与えられている。これは国がどこであれ関係ない、国際刑法などに頼らずとも捜査令状の一つなど訳もなく発行可能だ。疑わしい可能性があれば、それだけでな」



「――ふ、ふはははっ! なるほど、制裁(ストラーフェ)とは良くも言った物だ、国を跨いだ裁きの使者ということか! 悪くない、悪くないぞ!」



 哄笑と称する他にない、狂気じみた笑い声が響く。

 笑いの主たる九留島朱鷺也の顔は、今や初老の男らしからぬぎらぎらした精気に満ちていた。

 ヘレナの正式な挑戦を受けて、まるで怯む様子が無い。一也はそこに薄気味悪さを感じた。



「今日のところは一先ず退こうか。だが忘れるなよ、第三隊。私の獲物を、引いては国家の大望を邪魔はさせん。浄霊祭、そして今日と二度貴様らは私の願いを拒絶した! 次は無いと思っておけよ!」



「それはこちらの台詞だ、首を洗って待ってろ。帝都だろうが秩父だろうが、逃げられはしないよ」



 翻るは鉄緑の着物、そして灰色の視線だった。

 九留島子爵のその暗い熱意を、ヘレナが受け止める。

 その横に一也が並ぶ。背中には時雨を庇ったままだ。



「ヘレナさん、一也さん......ほんまに、ほんまに感謝してもしきれず......申し訳ないでありんす」



「まだはえーよ」



 振り向かないまま、一也はただ前だけを睨んだ。

 九留島子爵の姿が玄関の扉の向こうに消え、来た時と同じように扉に取り付けた鈴が鳴った。

 その残響が消えるまで、一也はその場から動こうとはしなかった。

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