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貴方に憑いていきたくて

 布団の中で身じろぎをする。

 ただでさえ寒い二月、しかも安普請の長屋とくれば冬の朝は殊更寒い。

 朝が来たから起きるというただそれだけの事が、億劫で億劫でたまらない時期だ。



 "エアコンなんかないしなあ"



 今更言っても仕方がない文句を胸に封じ込めつつ、一也はうっすらと目を開けた。

 現代風に言うなら、1DKの造りの部屋の景色が視野に飛び込んできた。手前は布団が敷かれている畳。まだ覚醒しない頭のまま、ゆるりと視線を土間に移す。

 そこに白い湯気が立っていることに気がついた。

 僅かに開けられた窓から朝の光が射し込み、その中に湯気が揺れる。

 いや、揺れているのは湯気だけではなかった。



「おはようでありんす、一也さん」



 人影が振り返る。そっと耳に届いた声に、はっとした。



「お味噌汁作っておいたなんし、ささ、召し上がって。冷めん内に」



「――おはよう」



 憮然とした面持ちで、一也は答えた。

 裾の長い着物を翻しながら、人影は艶然と笑った。

 こんな格好ながら炊事が出来るのは、普通に考えれば異常である。

 だが事情を知っていれば別になんてことは......いや、やはり異常だろう。



「時雨さん」



「やん、そんな時雨さんやなんて他人行儀な」



「いや、いいわ。何でもない」



 袖で顔を隠した人影――時雨に何か言おうかと思いつつ、結局適当な言葉が見つからなかった。

 浄霊祭が終わってから十日間が経過して尚、時雨は成仏することなく一也の傍にいる。

 本人の言によれば「憑いていくでありんす」状態だ。



 "おかしい、絶対におかしい。幽霊との共同生活を強いられて、しかもそれに慣れつつあるなんて。俺、適応能力あり過ぎ"



 自分自身に疑問を持ちつつも、ひとまずそれは置いておく。空腹には勝てない。

 何故か時雨は甲斐甲斐しく朝飯などを作ってくれ、しかもそんなに不味くはない。

 味覚の無いはずの幽霊が何故味おんちにならずに済むのかは謎だが、もはやその程度の事は気にかけている暇は無かった。



「あー、今日は豆腐の味噌汁か」



「そうでありんす!」



 微妙にどや顔の時雨に、少々呆れつつ「ありがとう」と声をかけた。

 そのまま水瓶に手を突っ込むと、切るような冷たさに目が覚める。顔を一拭いする、頭が働き始めた。

 ふいと時雨の方を見る。

 少々透き通っていること、そして膝から下が消えていることを除けば、生きた人間と大差無い姿だ。

 これくらい生前の姿に近ければ、味噌汁を作ることくらいは楽勝なのかもしれない。



「やあだ、一也さん、わっちの顔に何かついてるでありんすか?」



「いや、別に。ただ一言、君に言うことがあるなあと思って」



「何でありんしょ?」



「早く成仏してくんない?」



「酷いでありんすな!?」



 身も蓋も無い一也の言葉に、時雨は憤慨した。しかし一也には一也なりの言い分がある。



「酷くねえよ! 夜な夜な寝込みを襲われて、無理矢理布団に入りこまれそうになる俺の身にもなってくれよ! 味噌汁ごときで誤魔化されはしないぞ!」



「うふふ、一也さんってば初心(うぶ)なんだから......照れ隠しでありんすね」



「その謎の自信はどっから来るんだよ!? 抱き着かれた瞬間、意識が持っていかれそうになったぞ、絶対俺の生命力かなんか抜いてるだろ!」



「嫌やわあ、そんな人聞きの悪い。そんなことしやんよ」



 つん、と時雨は唇を尖らせた。それだけ見れば可愛くなくもない。だが問題なのは。



「ただちょっと寿命を頂こうかと思うただけやよ? けちけちしないで欲しいでありんす」



「今、凄い怖いこと言ったよな? 言ったよな?」



 毒づきつつも、一也は味噌汁を椀によそった。

 寿命を削るって何だ、死神の類いの行為か。

 花魁というのは死んだ後でも、男を骨抜きにする魔性の職業なのか。

「うああ、何で俺はあの時助けたりなんかしたんだあ」と自分を呪う。



「まさに運命の出会いでありんした」



「そうそう、って違うわ! そんな訳あるか!」



「一也さんは一人でぼけも突っ込みも出来るんでありんすね。わっちと二人で上方漫才しやん? 元警官と花魁の幽霊なんてきっと受けますえ」



「死んでもお断りだ」



 答えつつ、一也は味噌汁を啜った。くやしいことに旨かった。








「ヘレナさん、珈琲でありんすよ」



「ああ、悪いね。時雨さんは気が利くな」



「へ、ヘレナさん、珈琲のお代わりいかがですか! 美味しいですよ!」



「......一杯目も飲んでいないのに、二杯目が必要な人間はいないよ」



 八重洲にある第三隊の本拠地は、ヘレナの趣味を反映してか西洋風の一軒家である。

 だが昨年春以来、四人で切り回していたこの家にちょっとした変化が出ていた。

 ヘレナは時雨から珈琲カップを受け取りつつ、どんくさく機を逸した小夜子を軽く諭す。

 そう、あの浄霊祭以来、時雨はすんなりと第三隊に取り入っていたのである。



「う、うう、すいません、片付けます」



 半泣きになりながら、小夜子は不要になった珈琲カップを片付けようとする。

 ぽんこつ呪法士という酷い名札が付きそうである。

 見かねた一也が珈琲を貰おうとするが、その目の前にさっと視界を塞ぐ青白い手が現れた。



「一也さんも珈琲お好きでなんしょ? どうぞ、こちらに用意してありますえ」



「お、おう、悪い」



 時雨は微笑む。

 着物の裾で一也から小夜子への視線を切り、かつ手際よく淹れたての珈琲を一也に渡す。

 一分の隙も無く、それでいてごく自然な所作であった。

 背後で小夜子が歯噛みしているのだが、唯一人しかそれには気がついていない。



 "恐ろしい女やな。小夜ちゃん、全然負けとるやん"



 そのやり取りを、奥村順四朗は一人蚊帳の外から見ていた。

 所詮、戯れに過ぎない為注意しようとは思わない。

 だが、あんまり小夜子がへこむようならば後で一声かけてやろうか。その程度の事はしてもいいだろう。



「なんちゅうか、第三隊も賑やかになったわ」



 呟きつつ、煙草を喫いに外へ出る。

 それに歩調を合わせるように、小夜子が付いてきたことに気がついた。「どしたん?」と聞くと、小夜子は順四朗の袖を掴んだ。



「ううう、順四朗さあーん! 私、悔しいですううー!」



「そんなこと言うても知らんがな」



 順四朗の顔がげんなりとなる。

 気持ちは分かるが、三角関係に巻き込まれるのは勘弁だ。

 しかし小夜子を放置するのも、それはそれで事態を悪化させはしないか。

 僅かの間迷った末に順四朗が採った行動は、短い一服の後、そのまま小夜子を巡回に連れ出すということだった。







 主に夜間に遠出する定期巡回とは違い、昼間に近場を回る巡回もある。

 何処に行くかはその日によって違い、ある意味適当に決めることもある。

 場当たり的と見るか、柔軟と見るかは人それぞれだろう。



「言うとくけど、己は聞くだけしか出来へんで。あんま人の恋路に踏み込みたくないねん」



「分かってますよ、そんなこと」



 申し訳無さそうに目を伏せながら、小夜子は順四朗の少し先を歩く。

 気分がくさくさする分だけ仕事に熱が入るのか、巡回中の動きがきびきびしている。

 二人が行っているのは、街路樹や庭木の見回りだ。

 植物に取り憑く性質の悪い霊がいるため、それらを見て回っている。

 順四朗がやると狂桜で伐採してしまいがちな為、小夜子が地味に若水をかけて祝詞(のりと)を唱えることが多い。

 順四朗はその間、無防備な小夜子の周囲を警戒するという分担である。



「何だかなあ、私、一也さんにどう思われているんでしょう」



 ぱしゃり、と硝子(ギヤマン)の瓶から、小夜子が若水を撒く。

 木の根元に零れた水は、二月の寒さもありいかにも寒々しい。短く祝詞(のりと)を唱えてそこに織り込みつつ、そっと指で触れる。黒く砕けた土が小夜子の白い指を汚した。



「どうって言われてもやな。一也んの一番近い異性なんちゃうの」



「ほんとにそう思います?」



「言うたらあれやけど、一也ん、あんまり友達いないっぽいやん。あいつと話してても、同年代の友達の話とか聞いたことないもん」



「それはそうなんですよね。一也さん、別に人当たり悪くないのに何でかなあと思うことあります」



 とは言うものの、小夜子にとってそれは二の次の話だ。

 今問題にしなければならないのは、自分こと紅藤小夜子が三嶋一也にとってどのような重要性を持つのかである。



「小夜ちゃん、一也んに自分の気持ち伝えたりとかせえへんの」



「んなっ!?」



 順四朗のいきなりの発言に、小夜子は変な声をあげてしまった。すれ違った通行人にくすりと笑われ、二重に恥ずかしい。



「そ、そんなこと出来たら――出来ないですよお。女の人の方からなんてはしたないですし」



「ふうん、そうやなあ。そうかもしれんなあ」



 順四朗は頷く。鞘ごと差し出した狂桜で木の枝を払うと、染み着いていた軽度の邪気が霧散した。喋りながらも仕事には手を抜かない。

 順四朗には小夜子の気持ちを察することは出来ない。

 別の人間の気持ちを理解することは難しい。

 しかも二人の間には、男と女の違い及び十歳という年齢の違いがある。

 近い立場ならば自分に重ねて想像することは出来るのだが、残念ながら自分の立場を小夜子に重ねることは出来なかった。



「私、嫌な女の子ですか? 一也さんの気持ちばっかり伺って、順四朗さんにこんな風に迷惑かけて、それに」



「それに?」



「ヘレナさんには珈琲一つ淹れてあげられないし......」



 一方、小夜子は小夜子で自己嫌悪の沼の中にどっぷりとはまっていた。

 幼少の頃から村で唯一の呪法士として背負い込むことが多かったせいか、小夜子は一度悩み始めると抱え込むことが多い。

 そもそも頼れる立場の人間が周りにいなかったから、そうせざるを得なかったという事もある。



「そない自分を責めんでええやろ。あんな、花魁ゆうのは男に夢見させる為の職業やねんで。時雨はな、幽霊になってもその根性引きずっとんねん。そりゃ気遣いで敵う訳ないやん」



「うっ、そうはっきり言われちゃうと刺さりますよお」



「状況は客観的に見なあかんやろ。だけど所詮そんだけや。あの子は成仏するまでの短い間、一也んに尽くすしか出来んやろ。それくらい貸したるくらいの余裕持った方が、心に優しいで」



「貸したるくらい――ですか」



 小夜子はしばし考える。

 順四朗の返事を噛み締めるようにして、通りの角を曲がった。

 皇居の外堀沿いに歩いてかなり経過する。旧武家屋敷の並ぶ街区が終った今、自分達が歩くのは市ヶ谷辺りか。その推測は無造作に立てられた看板で裏付けられた。

 なるほど、どおりで雑木林が目立ち始める訳だ。

 家もあるにはあるが、丁寧に整えられた庭などは無い。

 どちらかと言えば、野趣溢れる古木がどかんと植わっているような庭が多い。



「結構遠くまで来たわな。市ヶ谷辺りって軍部が使(つこ)うとるから、巡回も要らんやろ。ぐるっと回ったら帰るで」



「ですね、いい頃合いですから」



 順四朗に賛同を示しつつ、小夜子は右手を見る。

 緩い上り坂には、何本かの梅の木が白い花をつけていた。

 そちらに曲がった時、角から現れた何者かと鉢合わせた。

 不注意だったと思いつつ顔を上げると、相手は見覚えのある顔であった。



「おや、貴官ら確か箱根で」



 微かに漂う白梅の香りの下、男はカーキ色の軍帽を取る。

 癖のある髪が広がった。その目は小夜子と順四朗に等分に注がれている。



「ありゃ、奇遇やなあ。年末はどうも」



「角谷少佐でしたよね、こんにちは」



「巡回ですか。こんな場所までわざわざご苦労様です」



 皮肉っぽい笑みを唇の端に浮かべ、男――角谷瑞超少佐は軽く頭を下げた。

 箱根の時と同じ、暗緑色の外套に身を包んでいる。

 考えてみればここ市ヶ谷には、陸軍の駐屯地や演習場もある。

 陸軍に所属する角谷少佐がいても、別に不思議では無いということか。



「はい、日中の巡回でこの近くまで来ました。そろそろ戻ろうかとしていたところです」



「ほう、それはそれは。ところで三嶋巡査は今日はいらっしゃらないのですか」



 再び軍帽をかぶりつつ、角谷少佐が二人に問う。最初に答えたのは小夜子であった。



「ええ、かず、いえ、三嶋巡査は今は拠点でヘレナ隊長と内勤ですよ。会えなくて残念ですか?」



「模擬戦のやり直しでもしたいんやったら、また別の機会にしてや」



「いえいえ、それは別にいいのです。そうですか、ならすれ違うということも無さそうだなと思いましてね」



 角谷少佐の言葉に、小夜子は引っ掛かりを覚えた。

 すれ違う――誰が誰とだ。

 文脈から考えると、片方は一也を指しているはずだ。ならばもう片方は。



「あの、すれ違うって誰が三嶋巡査とすれ違うんですか。その人のことを角谷少佐はご存知みたいですけれど」



「教える義務は無い、と言うのも大人げないですね。九留島朱鷺也子爵と言えば、貴官ら分かりますか。あの方がついさっきまで小官を訪ねて来ていたんですよ」



「え、九留島子爵が?」



「へえ、お二人さん知り合いやったんか」



 小夜子と順四朗の反応を確認した上で、角谷少佐は外套を翻した。「立ち話も不粋です、良ければこちらで」と、坂の中腹の煉瓦造りの建物へと促す。

 どうやら陸軍の関連施設らしい。

 誘われるまま、小夜子と順四朗はそちらに足を向ける。だが何となくもやっとした感じが残る。



「もしかして九留島子爵、こちらを出てから八重洲に向かわれたのでしょうか」



 半ば確信しつつ、小夜子が問う。



「本人はそうおっしゃってましたね。場所はご存知ですかとお聞きしたら、既に調べたと言っていましたし」



「ふうん、何やろなあ。小夜ちゃん、己が思い当たるこというたら一つしかないねんけど」



「時雨さんのこと、でしょうか」



 小夜子の呟きのような返答は、先頭の角谷少佐の注意を惹いたらしい。

「へえ、何やら面白い事がありそうだ」と振り返らずに声をかけてきた。

 小夜子の返事を待たないまま、辿り着いた建物の扉を開ける。青銅製のドアノブが回り、扉はきぃと開いた。



「少々興味をそそられますね。お茶でも飲みながら話しますか」



「どうも。あんま愉快な話や無さそうな気もすんねんけどな」



 外套を脱ぎつつ、順四朗は返答した。

 まっすぐ帰るべきではとも思ったが、九留島子爵がまだ一也にまとわりつく理由――それを角谷少佐は知っているかもしれない。

 そう考えた為である。



 "それにヘレナ隊長おるなら、上手いこと相手してくれるやろ"



 一也だけならともかく、第三隊隊長のヘレナ・アイゼンマイヤーが同席している場だ。

 九留島子爵が陸軍の影の実力者であっても、あまり強引な事は言うまい。そういう読みもあった。




******




 時雨にまとわりつかれてはいるものの、日中は別に邪魔されている訳ではない。

 自分の立場を心得ているのか、一也の行動を妨げないような立ち位置をわきまえているかのようだった。

 一言で表現するなら、時雨は空気が読めるのだ。存在感をその場の空気に溶け込ませる、そうしたさりげない気遣いが出来ていた。



「そもそも幽霊だから存在感があっても困るんだけどな。やっぱりお座敷に上がる経験があると、お客の気持ちを察したりもするのか?」



「流石ヘレナさんは読みも鋭いでありんすな。その通りでありんすよ。お客さんによって、柔らかい対応が好みか、凛とした対応が好みか。しかも、同じお客さんでも一回目と二回目では、ちょっと雰囲気変えることもありんす」



「そうか、それは何故」



 ヘレナの質問は短い。

 いい加減に聞いているのではなく、長い言葉を余り好まない為だ。

 長くなればなるほど何を言いたいのか分からなくなると以前ヘレナが話したことを、一也は思い出した。



「吉原の女は飽きられたら終わりでありんすよ。多彩な夢を殿方に与えてこそ。それがわっちらの存在価値でありんす」



「大変なんだな。おい、三嶋君聞いてるか。時雨さんは生前大変努力されていたらしいぞ、君も頑張れよ」



「は、はあ。いや、あの俺も結構頑張っていると思うんですけど」



「うふふ、それはもう一也さんたら夜になったら離してくれんと......わっちを満足させる為に努力してやん」



「嘘つけ、はっ倒すぞ!?」



 茶々を入れる時雨に、間髪入れず突っ込む。ひゅるりと足無き体を宙に舞わせて、時雨はヘレナの背後に隠れた。



「おお、怖いでありんすなあ。現世にさ迷う可哀想な霊の一人に、ほんのちょっとの優しさくらい与えてくれてもええんとちゃいますやろか。それとも警視庁の方ってそんな心の狭い方ばっかりなんえ?」



「だとさ。ま、修行と思って心を平静にするんだな」



「隊長、そう言いつつ顔が笑ってますよね!?」



「三嶋君がいいようにいじられているんだ。笑わずにいられるか」



 にべもないヘレナの言葉に、一也は絶句した。

 どうやら味方はいないようだ。

 鏡を見たならば、自分は白眼を剥いているのではなかろうか。いや、白眼の状態だと瞳が瞼の裏にあるから、そもそも鏡を見ることが出来ないのか。

 駄目だ、アホみたいな事しか考えられない。



「早く、早く成仏させないと俺の頭がアホな子になってしまう......!」



「あー、阿呆な子ほど可愛いって言うでありんすし、いいと思いますえ」



「それ、意味違うから! 子育てだから!」



「こらこら、あまり大きな声をあげるな。ご近所迷惑になるだろう」



 最後にはヘレナに注意される始末である。

 何かばれないように成仏させる方法は無いのかと、一也の脳裏に危険な考えがよぎった時だった。

 カランコロンと軽快な音が室内に響いた。



「訪問客か。本庁からかな」



「俺出ますよ」



 ヘレナを制し、一也は玄関の扉を開けた。

 昼休みが丁度終わりを告げた頃だ。

 この時間帯は、定期的に本庁からの連絡がある。

 てっきりそれだと思っていたのだが、意外な人物がそこにいた。



「業務時間内に失礼するよ、黒の銃士殿。そして並びにヘレナ隊長もね」



「貴方は――」



 鉄緑色の角袖外套を同色の着物の上に羽織り、その訪問者は灰色の視線を一也に浴びせる。堅い質量を感じさせる視線だった。



「顔を忘れた訳ではなかろう、たかだか十日間程度で」



 男――九留島朱鷺也は微笑んだ。それもまた、視線同様堅く冷えた笑いであった。

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