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温泉 箱根 何故か陸軍 伍

 雪が舞う。木々の間を抜けてきた白い粉雪が舞う。

 深閑とした空気を満たすは、その冬の代名詞とそれを横から貫く弾丸だった。

 模擬弾による演習の一環とは思えない激しい戦い、それを演出し又自ら参加しているのは二人の男。

 一人は警視庁特務課第三隊の銃士、三嶋一也。

 もう一人は陸軍遊撃部隊の筆頭、角谷瑞超少佐である。

 互いの愛銃から解き放たれる模擬弾が唸る。外れた、と分かった時には既に二人は次の行動を起こしていた。



「ちっ!」



 木々の隙間を縫いながら、一也が走る。

 ごわごわした樹皮を曝す木の間から、微かに角谷の姿が見えた。

 ぶら下がった蔦や被さるような楓の葉が視界を邪魔しているのに、角谷の視線は真っ直ぐにこちらを捉えているのが分かった。

 走る速度も相当な物だ。

 落ち葉で滑りやすいにもかかわらず、一也の全速力でも引き離せない。



 "こいつ、かなりやる。こういう場所での戦いに慣れてやがる"



 森の中での敵味方が入り交じった銃撃戦を、陸軍では想定しているのか。

 いや、恐らくそれは無い。

 多数の歩兵に銃を持たせて撃ち合うという発想が浸透したのは、まとまった数の鉄砲を輸入可能になった幕末になってからだ。

 しかもそれはある程度視野を確保して、敵味方を視認しやすい戦場での話である。

 障害物(バリ)を縫い、移動しながらのサバイバルゲームに近い状況下での銃撃戦など、この時期の帝国陸軍のレパートリーには無いはずである。



 だが、この男は違う。

 動きに迷いが無い。視線に迷いが無い。全く躊躇い無く、この状況下で一也と五分に張り合っている。

 間違いなく、サバイバルゲームに近い環境での戦いに慣れている。

 一也はそれを確信した。

 滑り込むように低くなった木の下を抜けながら、彼の顔には笑みが浮かぶ。



「嬉しくさせてくれるよな、角谷さんよ。まさかこの時代でさあ」



 左手を地につけ、それを軸にしての急激な方向転換。

 コンバットブーツの靴底が落ち葉ごと地を噛み、一也の体を斜め前へ押し出す。

 そのアクロバットな動きの中で、一也の視線は角谷の姿をしっかりと捉えていた。



「真っ当にサバゲーやれるなんて、全然っ思ってなかったんだからよお!」



 その不安定な体勢でも、一也はしっかりとM4カービン改を撃ち込んでいた。

 既に何発も何発もお互いを狙い、撃ち込みあっている。

 普段の一也なら間違いなく既に仕留めているはずだ。

 何回か狙撃眼も使用している。にもかかわらず勝敗がつかないのは、相手が自分と同レベルの存在だからだ。

 互いの狙撃と動きがハイレベルである為、被弾の可能性を考慮して回避しながらの不安定な射撃を強いられる為だ。



「はっ、やはりそうか、貴官も小官と同類ですか!」



 一也の攻撃を紙一重で避けながら、角谷も戦慄していた。

 さばげーとは何だと一瞬疑問に思ったが、すぐにそんな些事は忘れた。

 こいつならと合同演習時に目をつけ、わざと挑発してみたのだ。こうも上手く事が運んだのは嬉しい誤算であったが、もはやそんなことはどうでもよかった。

 いざこうして銃口を向けられると、戦慄と感嘆が同時に襲ってくる。それほどの相手だ。



「貴官、銃が撃ちたくて撃ちたくて仕方ないのでしょう! 日常に満たされながらも、戦場の匂いに惹かれて惹かれて仕方ないのでしょう! 銃把を握る瞬間が楽しくて楽しくて仕方ないのでしょう!?」



 角谷は叫んだ。

 ウィンチェスターの撃鉄が落ち、模擬弾が吐き出される。

 当たれという思いと、まだ当たってくれるなという思いが角谷の中でぶつかりあった。



「はっ、言われるまでもねえな」



 一也もまた負けてはいない。

 角谷の攻撃を右に回避し、そのままスライドしながら次弾を狙う。

 高揚しているなあと自覚する。

 その高揚が自分の動きを加速させていることも、自覚していた。

 その目まぐるしく動く視界の中で、角谷の姿をしっかりと捉えた。



 お互い申し合わせたように、距離を離す。

 木々の中に身を潜めながら、視線は相手から離さない。

 森の中だ。一瞬目を離した隙に、相手が視界から消えてしまえば捕捉出来なくなる。

 そのまま背後を取られてしまえば勝敗は決する。



 僅かに息が切れていた。

 角谷と遭遇してから撃ち合うこと、約五分といったところか。

 一対一の撃ち合いとしては短くは無い。当たれば終わりなのだ。下手したら数秒で決着が着いても、おかしくはなかった。

 いつのまにか、マガジンが空になりかけていたことに気がつく。それを交換しながら、一也は相手の様子を伺った。



 角谷が着込む暗緑色の外套がちらりと見えた。

 トリックかと一瞬疑う。わざと外套だけ脱いで残し、本人はその隙に死角に回り込むという技があるからだ。

 木立からふらりと揺れたウィンチェスターの黒い銃身(バレル)が見えたため、ただの取り越し苦労と分かりはしたが神経がすり減る。



「模擬弾使っての撃ち合いにこうも慣れてるなんて、あんた只者じゃないよな。アメリカで学んで来たのか?」



 一也が問う。素直に答えてくれるかは分からなかったが、角谷の返答は早かった。



「ええ、あちらで学ばせていただきました。愉しかったですよ、亜米利加(アメリカ)の演習は。刀に長らく頼ってきた日本とは違い、銃の扱いを知っている」



「そうかい、そいつは良かったな。俺もいつかは行きたいもんだ」



 現代に戻れたらの話だけど、と心の中で付け加えながらの一也の返答に、角谷は笑ったようだった。

 合同演習の時とは違い、どこかはじけた笑い声で。



「お好きにどうぞ、と言いたいところですが貴官を行かせたくはありませんね。亜米利加(アメリカ)などに行かせてしまえば――」



 角谷の笑い声が途絶えた。

 その時、一也が嫌な予感を抱いたのは勘としか言いようが無い。思わず、無理な体勢からM4を射撃する。

 大きく外れた模擬弾を見送りながら、角谷が再び笑った。



「――小官よりも上手になってしまうでしょうからねえ。まあ、貴官を止める権利も力も小官にはありませんがね」



「違いねえよな。俺にそんな機会が来ないよう祈るのが関の山ってとこだろう」



 一見すれば仲の良い掛け合いに過ぎない。

 しかしその一方で、両者は次に飛び出す瞬間を見計らっていた。

 相手よりも早く一発でいいから命中させる。極めて単純な勝利条件を満たす為に。



 "弾はまだある。疲労は酷くは無い。狙撃眼も何回かは使えるはずだ"



 先程の嫌な予感を振り切りつつ、短い膠着状態の間に、一也は自分の余力をチェックした。



 今回は鉄甲は必要ないが、狙撃眼は有効だ。

 この森の中で射線を確保するのは辛いが、なるべく距離を取って狙撃の正確性で勝負という手はオプションとして有効だろう。相手を見失わない範囲で間合いを開くか。

 そう一也が考えた時、角谷が先に動いた。いや、正確に言えば一也には動いた瞬間は見えていなかったのだが、感じたのである。



 気配が妙だ。

 自分を包む空気が、いやにどんよりと重く感じた。

 寒さによる物かと思ったが、そうではないらしい。

 普通に手足は動かせるものの、奇妙な圧迫感がある。瞼の辺りに特にそう感じた。

 思わぬ事態だったが、もし有り得るとするならば。



「角谷、何か仕掛けやがったか」



 木陰からの一也の荒々しい問いに、角谷は素直に答える。

 軍帽を斜にかぶり、そこから右目だけを覗かせながら。

 その目が妖しく深い紫色に輝いていることに、一也は気がついた。



「ええ。貴官が先程から体勢の割りには上手く狙うのでね。恐らく狙撃眼でも使っているのか、と推測したのですよ。確証は得られませんでしたが、どうやら当たりでしたかね」



「......まさか、この感覚」



「封呪眼。小官が唯一使える呪法です。眼に関する呪法を封じるだけの極めて特殊な呪法ですが......貴官には有効でしたね」



 不味い。

 いつ角谷がこちらの狙撃眼に気がついたのかは分からない。発動させた時に、無意識に漏れる呪力を感じたのかもしれない。

 その感覚と射撃の正確さから、狙撃眼の使用を読み取ったのだとしたら、見事な洞察力である。

 更にそれを封じる呪法まで使われ、封じ手を打たれた。

 無理矢理拘束を外せるのかどうかは分からないが、それに集中する暇は与えてくれはしないだろう。



「ちっ、地味に効果的な呪法使いやがって」



 覚悟を決める。

 これで自分には狙撃眼による長距離狙撃は無くなった。

 動体視力の強化も使えない為、近距離から中距離での乱射戦でのアドバンテージも失ったことになる。

 武器が一つ消えた。

 


 ふわりと森の中を風が吹いた。

 僅かに枯れ葉の上に積もり始めた雪が、削られるように散ってゆく。

 模擬戦開始から優に一時間以上が経過しているにもかかわらず、未だ二人の動きは落ちていない。

 気温を考えると、驚異的とさえ言える。



「やれやれ、遠距離から仕留めようなんて考えが甘かったってことか」



 三嶋一也は膝を曲げた。

 膝の発条(バネ)を溜めたと見て、角谷もそれに備える。

 彼が身を潜める幹からならば、一也がどこから現れようが撃ち抜ける位置である。

 一発では無理としても、二発目、三発目と追い込めば――そろそろ仕留められるだろう。



「来ますかね、ならば迎え撃つのみです」



 ひゅんと空を裂き、ウィンチェスターが引き上げられた。その銃口がこちらを狙っているのを感じつつ、一也も腹を括る。

 瞬発力に自信が無い訳では無い。元々高校では陸上部だったのだ。

 勝算はある。持てる技術を全部使えば、角谷の予想以上の動きが出来るのではないか。



 音が森に吸い込まれていく。



 カチリ、と角谷のウィンチェスターが微かに鳴る。



 一也が吐いた息が白く流れた。



 動いた。

 クラウチングスタートのような姿勢から、一也が一気に跳ねた。左手一本でM4カービン改を握ったままの急加速は、上手く木々の裏を取っている。

「速い、だが!」と角谷は片を付けるべく、引き金を絞った。

 一発目は一也の背後、つまりは遅れた。

 藪を掠めながら、更に一也は加速する。更に速度を上げて回り込もうとするが、角谷も慌ててはいない。

 ウィンチェスターの銃口が、しっかりと自分を捉えているのが見えた。



 木々が、藪が、上手く障害物(バリ)として一也の姿を隠してはいる。

 しかし、それも絶対では無い。角谷程の射撃の腕ならば、一也の速度と自分が確保した射線から十分当てられるだろう。まして距離が近くなれば尚更だ。

 一也もそれは承知の上で、間合いを詰めようとしている。

 完全に構えに入った角谷に対し、一也はM4を左手一本でグリップを保持して走っていた。

 どちらが先に撃てるかは子供でも分かる。



「ふ......狙撃眼を封じ込まれ、破れかぶれの特攻ですか。存外つまらなかったですね」



 射程内に捉えた、と角谷が確信したその瞬間、一也は思わぬ行動に出た。



 撃たれると思うよりも速く、一也の体が動いた。

 それは半ば無意識で取った行動であったが、意図は明確であった。角谷の意表を突き、少しでも撃たれる確率を下げる。その為には奇手が必要であった。

 一也が取った行動は跳躍であった。

 見定めた自分の頭上の一本の枝、それに思いきり跳躍(ジャンプ)して右手だけで掴み取る。

 逆上がりの要領で、今までの走りの勢いを殺さずに下半身を振り上げた。ここ半年で鍛え上げた腹筋と背筋が力強く働き、更に右腕の引き付けで体を持ち上げる。

 角谷にとっては予想外の行動だったのだろうか。自分の真下を模擬弾が通過したことを、耳だけで察知する。



 "ここからだ、行け!"



 体が回る。右手一本で掴んだ木の枝がしなり、視界に枯れ葉と雪が積もる地面が映る。逆上がりの勢いを殺さぬまま、そのまま一回転した。

 視界の正面に角谷を捉えた瞬間、左手のM4カービン改を撃ち込んだ。

 不十分な姿勢、無茶な動きは百も承知であったが、それでも躊躇いは無く。



「隙だらけなんだよ!」



 一也の放った模擬弾が、角谷のウィンチェスターを直撃した。

 弾かれた銃が空を舞い、どさりと地面に落ちる。

 数秒だけではあったが、角谷は呆然と立ち尽くしてしまった。何が起きたのか把握出来ず、自分の手に残る反動に顔をしかめる。

 その隙を突くように、一也が制圧しにかかる。

 一回転の勢いを殺さずに着地、そのまま突進して角谷の前へと滑り込んだ。

 一也のコンバットブーツの靴底が、落ち葉を踏み締める。



「勝負ありだ、角谷少佐」



 M4カービン改の銃口を突き付け、三嶋一也は小さく笑った。

 観念したように、角谷は両手を挙げた。その右目は通常の黒へと戻り、僅かに伏せられている。



「参りました。お見事です、三嶋巡査。小官の負けだ」



 冬の陽射しがふわりと箱根の森に落ちてくる。

 照らし出された勝者と敗者の顔は、どちらも清々しい表情(もの)だった。

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