温泉 箱根 何故か陸軍 四
まただ。
式神を通じて入ってくる連絡を聞き取り、紅藤小夜子は驚きを禁じ得なかった。
「分かりました、速やかに森の外に出てください。どの方向でもいいから真っ直ぐ歩いて」と通信を飛ばすと、周りの兵士に今しがたの連絡内容を伝える。
「陸軍、また一人撃墜されました。これで三人目です。残りは、角谷少佐含め三人となりました」
おお、と周囲がどよめく。
模擬戦開始から四十五分、ここまで聞こえてきたのは陸軍遊撃部隊の撃墜の連絡だけだ。
最初の一人の時は、将校達もさもあらんと悠長に構えていた。
しかし、今はその顔がひきつっている。
「ば、馬鹿な! 何かの間違いだろう、たった一人の警察官に三人もなど!」
「模擬戦とはいえ、何たる失態か! 何をやっておるのか、角谷はっ!?」
狼狽え過ぎだと笑うのは簡単である。しかし、六対一という数の差から、彼等は勝負にならないと思っていたのだ。
別に三嶋一也を見くびっていた訳ではない。
横浜の件が大袈裟としても、かなり腕の立つ銃士だろうと想定はしていた。
それでも、一対一で陸軍兵士と五分がやっとだろうと思っていたのだが。
「ヘレナ特務警視」
「何か?」
将校の一人の呼び掛けに、ヘレナは顔を向けた。
余談ではあるが、特務警視というのは、警察内においてヘレナしか就いていない階級である。
独逸からの客人という、些か特殊な事情を鑑みて設置された階級であった。
「貴官の部下の三嶋巡査は、一体どんな魔法なり呪法なりを使ったのですか。こうまで一方的に陸軍を圧倒するなど――」
「彼は呪法は大したことはない。狙撃眼と鉄甲だけですよ、使えるのはね」
「なっ、しかしそれでは何故!?」
「それは己等も実際よう分からんねん。けど推測は出来るわ」
面倒そうなヘレナの様子を察して、順四朗が代わる。
「推測?」
「そ、推測や。一也んの実力、全部は知らんからね。ま、多分真っ向から陸軍の兵士六人とぶつかったら、そりゃ第三隊の銃士も負けますわ」
「ならばどうしてなのですかな、奥村警部補」
「そんなもん、個別撃破しかあらへんやろ。遮蔽物多い森を活かしてのな。具体的にどうやっとんのかは知らんで?」
いけしゃあしゃあとのたまい、順四朗は「ほな、様子見ましょっか」と将校のそれ以上の追撃をかわす。その間に、ヘレナは小夜子の側に寄っていた。
「小夜子君、式神で三嶋君に伝言頼めるか」
「ええ、でもなるべく短い言葉でお願いしますね」
「分かった。よくやった、もっとやれ。これだけでいい」
「うわあ、ヘレナさんらしいですねえ。分かりました、一也さんに伝えておきます」
「ああ、頼む」
短い会話を終える。
森から吹き付けた風が、ヘレナの金色の髪を揺らした。
鬱陶しそうにそれを払いながら、ヘレナは誰ともなしに呟く。
「勝って帰ってきたら、頭くらい撫でてやろうか。いや、誰かさんが怒るかな」
悪戯っぽく笑みを含んだ視線は、式神に語りかける小夜子の方を向いていた。
******
「っ、くしゅん、あっぶねえ......」
同時刻、一也はグローブで口許を抑えていた。
誰かが自分の噂でもしているのだろうか、急に鼻がむずむずしたのである。
くしゃみ一つで自分の位置を特定されるかは不明だが、いらぬリスクは背負いたくは無かった。
"やれやれ、やっと三人目か。あと半分どうにか片付けないといけないな"
一也は大樹の枝葉に身を隠す。
そっと覗くと、先程自分に撃たれた兵士の後ろ姿が見えた。模擬弾に撃たれ一瞬よろめいたが、特に負傷はしていないようだった。
どこから撃たれたのかもよく分からなかったのか、不審そうに辺りを見回している。
その姿に一也はほくそ笑んだ。
"残念だったな、またおいで"
兵士の姿は一也の視界の斜め下にある。
そう、一也が身を潜めているのは樹の上であった。手頃な欅の大樹を見つけ、その幹に体を預けながら監視していたという訳だ。
足音を立てないように気を払い過ぎていたのか、これまで倒した三人は頭上には無警戒だった。
無理もない、これほど枯れ葉が積もっていては。
だが、それは一也からすれば格好の的である。
更に言えば、疑似戦争ゲームとしてのサバイバルゲームを経験した人間と、実戦しか知らない人間の差でもあった。
別に全てのサバゲーで、木登りを必要とされる訳ではない。
だがゲームならばこそ、柔軟な行動選択肢が許されるのがサバゲーである。
高所のアドバンテージをまずは得るということは、それほどおかしな手段ではない。
"これは土剥き出しのリアル戦場じゃない。あんたら陸軍が経験したことの無い、森の中の戦場だ"
合同演習を通してきた為、一也も兵士達の実力は把握している。
なるほど、体力はある。銃の扱いにも長けていた。
真正面から戦うのであれば、一也も苦戦は免れないだろう。
だが、決定的に異なる点があった。
一也の言い放った「場数の違いを見せてやる」という言葉、そこに全ては集約される。
皮肉なことに、軍隊がサバゲー経験者より戦場経験が少ないという現象が発生するのだ。
言うまでもなく、大規模な戦争など滅多に起こる物ではない。暴徒鎮圧や小規模な反乱などは所詮は陸軍の敵では無く、あっという間に終わってしまう。
今の帝国陸軍が経験した所謂戦争と呼べる規模の戦いと言えば、大きく分けて二つしかない。
明治十年に勃発した、西郷隆盛の起こした西南戦争。
そして言わずとしれた、鳥羽伏見の戦い、戊辰戦争から函館五稜郭に至る一連の倒幕に至った戦いである。
「だから場数では――」
周囲に注意を払いながら、一也が樹から滑り下りた。その目がゴーグルを通して木々を睨む。
「――俺が上だって言ったんだ。ましてやサバゲーならな」
ゲームとはいえ、毎週末トイガンを持ち出し戦場に立ってきた。
喉がひりひりするような緊張感と共に、雑草をかき分け、あるいは人工の障害物を縫いながら駆け抜けてきた。
実弾ならば当たれば終わり。
だがゲームだからこそ、経験を積み重ねられる。
当てる興奮も、当てられる恐怖も。
それこそ並の兵士の何倍も、何十倍もだ。
森の木々の影でどれほど視界が影響を受けるのか。
どう持てば、歩く時に銃が木の枝に引っ掛からずに済むのか。
どうやって身を潜めればいいのか。
待機した方がいいのか。進む方がいいのか。
あらゆる知識を瞬時に行動に反映させ、自分の体の動きを調節する。それは訓練だけでどうにかなる物ではない。
"ここまでは大人しく待機戦してやったが、本番はここからだ。残り三人、俺から出向く"
陸軍を率いる角谷少佐が、残り人数を把握していると仮定しよう。
一也の場所を特定出来ないながらも、警戒心を強めるのは間違いない。
自分を含めた三人を散開させて捕捉してくるか、あるいは固まって行動するのか。
それは分からないが、もはや待つだけでは飽き足りなかった。
"攻めて終わらせる"
残弾はまだまだある。
反転攻勢の決意も新たに、一也は身を低くして木々の間を縫うように進んだ。
折り重なる木々の向こうに、濃緑色の外套が見えた。
既に森の中まで小雪がちらちらと降ってきている。
うっすらとしか陽射しが届かない視界において、距離感が微妙になりそうだった。
"見つけた。だが、ここで安易に手を出していいのか"
一也の心が警報を鳴らす。
これが最後の一人であれば、先制攻撃で片をつけている。
だが、もしあの一人が囮であればどうなるか。
一也の射撃で一人片付けたとしても、その射線から一也の位置がばれる。そうなれば、残った二人とそのまま戦わなくてはならない。
最悪の場合、挟み撃ちされてゲームオーバーということだってあり得た。
勝負をかける時期じゃない。
そう自分に言い聞かせ、僅かに引き金にかけた指を緩めた。
相手を見つけたのはいいが、それがこちらを釣る為の罠ではないという保証は無かった。
優先すべきは敵の配置だ。残り二人はどこにいる。
"狙撃眼"
攻撃用呪法の使用は禁じられているが、それ以外の呪法は使用が許可されていた。
ならば狙撃眼は使える。
一気に拡張された視野はまるでスコープのようだ。影で見えづらい場所も、木々の隙間も通して視える。
一点集中で狙う場合以外でも使う機会がある。
中々汎用性の高い呪法であった。
人の姿は見えない。
だが、一也の目は森の中の異常を捉えた。
木の根元の辺りの叢が、やけに乱れているのだ。
よく見るとその近辺の落ち葉が、軽く踏み荒らされている。人が通った跡だ。
しかもその上に、落ち葉も雪も積もっていない。つい先程何者かが移動したのだろう。
二人目がその近くにいると判断して良さそうだった。
一人目からその叢の辺りまでの距離を測る。
目測ではあるが、狙撃眼で強化された視力ならばそれなりに信用出来る。
結構離れているようだ、約十から十二間というところか(一間は約1.8メートル)。
その間に何も無ければ、隠れている二人目のアシストが間に合うだろう。
だが立ち並ぶ木々が邪魔をする。
一也が躊躇う時間は短かった。
三人目がどこにいるのかは不明だが、全てリスククリア出来るような状況は中々無い。
二人目の位置がある程度確認出来て、かつそいつのアシストは困難ならば。
標的に見つからぬよう慎重に移動する。
少し角度をずらした後、二人目の移動跡があった叢が木々の裏に消えた。
その瞬間、一也の中から髪の毛一筋程の躊躇いが消えた。
右肩にストックを当てて、射線を一人目に合わせる。
フロントサイトとリアサイトを結んだ直線上、そこに標的を捉えた。
引き金、軽い反動、擦過音。
研ぎ澄ました集中力の引き起こした結果は、右足を撃たれて呆気にとられた様子の兵士だ。
「命中、撃たれた!」という彼の叫び声が森の中に響く。そこからの展開は速かった。
"存外反応がいい、しかも大体のこちらの位置がばれちまったか?"
命中を確認して、すぐに一也はその場に伏せた。
反撃が難しい位置とはいえ、隠れていた二人目の応射を警戒してのことだ。それでも明後日の方向に撃つだろう、と予想していたのだ。
この薄暗い冬の森の中、一人目の反応だけで敵がどこから撃ってきたのか――それをすぐに割り出すのは結構難しかったはずだ。
にもかかわらず、叢からの応射には躊躇いが無かった。
要した時間は短く、しかも狙いも悪くなかったのだ。
残響が耳に微かに残っているくらいだ、大きくは外していない。
"しゃがんでいなければ、もしかしたら当てられたか。少なくとも悪くない範囲まで迫られた。結構やるな"
跳ね起きる。
敵はおおまかながら、自分の居場所を絞りこんだと見るべきだ。
M4を抱えるようにして、体を森の中に滑り込ませた。
どの木とどの木の間なら通れるか。走りながら、あの応射の射線角度から敵の位置をざっくり割り出す。
敵も移動するだろうが、狙撃眼でこの辺りの地形は頭と眼に刷り込んだ。攻撃を予期しながらの鬼ごっこなら、負ける気はしない。
身を捻りながら後方を視認、いた。木々の陰に隠れるように、濃緑色の外套の端がちらついた。
向こうはこちらを分かっているのか。分からない。
だが、こちらもこの体勢から十分な射撃は無理か。
いや。構わず一発撃ち込んだ。これは外れた。こちらの位置も分かっただろう、だが積極果敢に攻める姿勢も伝わったか。
身を翻した敵兵士の姿はこちらも視認出来た。
あれは角谷じゃない。ならば奴はどこにいるのかという疑念が頭を掠めたが、すぐに振り払う。
まずは目の前の敵を倒さねばどうにもならないだろう。
電動アサルトライフルの性能をフル活用する。
排莢と装填の必要が無い為、射撃間の時間が短い。
フルオートによる圧倒的な連射性能は今回制限されているが、それでも普通の銃よりは上だった。
頭を低くしながら、一也は模擬弾を撃ち込んだ。
外れ、だが着弾先は敵が移動しかけたその先だ。
後追いではなく、先んじて動けているという自信が芽生える。
約十間先の木立の中、カーキ色の軍帽がこちらを向いたのが分かった。十八年式村田銃の銃口も、体の動きに合わせてきっちり一也を狙っている。
だが一也の運動能力と経験が上回った。相手から見て左に転がった。
そこならば、斜めになった長い枯れ草が相手の射線を邪魔すると分かっていたからである。
そして転がりながらも、M4カービン改の銃口を向ける。
枯れ草に視界を邪魔されたのか、相手の銃弾は虚しく外れた。
ほぼ同時に撃ち込んだ一也の銃弾は、対照的に相手の腹辺りに命中していた。
外套と軍服の上からであり、衝撃は大したことは無かったはずだ。
それでも撃たれた兵士はがっくりと膝を着いた。
「命中、命中だ!」
「何だ、あんただったのか。軍帽で見えなかったよ」
一也が声をかけたのは、演習時に角谷の事を教えてくれた兵士だったからである。
人の良さそうな顔のその男は、両手を上に挙げて表情を緩めた。文字通り降参の仕草だ。
まだ角谷少佐が残っている為、気は抜けない。
だが見知った顔を前にして、一也は少々ほっとした。半身を木に隠すと、男が横に数歩ずれた。軍靴の底で霜柱が砕け散る。
「参った、大した腕だ。半信半疑などと言って済まなかったね」
「構わないですよ」
一也の返事は短い。その短さ自体が答えと分かり、男はすぐにその場を去った。
ここまで倒してきたのは五人、残るは角谷少佐ただ一人。
恐らくこの模擬戦における最強の相手だろう。彼はどこに潜んでいるのか。
今の一也の戦いを見ていたのか。あるいは、この森の離れた場所にいて気がつかなかったのか。
油断なく視線を左右に配りながら、一也は意識的に息を吐いた。
緊張も行きすぎると、体を強張らせる。
ましてこう寒ければ尚更だ。それを防ぐ為の工夫だった。
小夜子から渡された式神からは、特に何の連絡も無い。
異常は無い証拠だ。
そうすると、一也と角谷の一騎討ちを以てこの模擬戦も終了となる。
「佇んでいても仕方ないな」と呟き、一也はそうっと木陰から身を乗り出した。
コンバットブーツに包まれた足を引き戻したのは、その直後だった。
一瞬前まで自分の足があった空間が、音に引き裂かれる。
銃撃と認識した。首筋が総毛立つ。
可能な限り速く木陰に身を潜めるや否や、二射目が幹に命中したことが分かった。
無論、模擬弾で抉られるようなか細い幹ではない。
だが、この狙いの正確さは相当な物だ。
「おや、流石にこの距離からでは一発とはいきませんか。小官もまだまだですね」
来た。
ほんの目の端で、一也はその声の主を捉えた。
木が複雑に絡み合う森の中、奇跡的に三十間近くも真っ直ぐに見通せる空間があった。
この隙間を通したというのかと驚くよりも先に、銃を下ろした男を認識する。
枝葉と雪に音を呑み込まれているのに、その男の声が不思議と響いた。
「三嶋巡査、見事に五人を撃ち倒しましたね。貴官の評判は実力に裏打ちされた物でした、まずは謝罪しましょう」
物憂げな視線、長い睫毛、そして軽やかに翻したその右手に握る銃。
角谷瑞超少佐は笑う。まるで舞台に上がった役者のように。
一歩力強く進み、再び口を開いた。
「だが最後に勝つのは、小官だ。逃れられると思わないでください、このウィンチェスターから!」
"銃を替えてやがるのか!?"
規則を破っている訳では無い。
演習用の模擬弾さえ使えば、銃は替えても構わなかった。だが、銃の交換など余程の物好きでなくては行わない。
陸軍は皆、十八年式村田銃と一也は予想、いや、正確に言えば決めつけていたのだ。
角谷が亜米利加へ行ったことがある、という事実を思い出す。それか、奴が銃を持ち替えた理由は。
「ウィンチェスターっていえば、確かアメリカで西武開拓時代に使われていた代物だろ。よくそんな銃持ってるな!」
「はははは、相手が博識だと使い甲斐がありますねえ。そう、小官の本気は――」
角谷がまたもや構える。
右手一本で握られたウィンチェスターは、まるでライフルの銃身を誇る拳銃だ。
追い立てられると悟り、一也も木陰から飛び出した。
動きを封じられたままじり貧になるのはまずい。
愛用のM4カービン改が持ち主の闘志に応えるかの如く、その電動モーターを唸らせる。
「――ここからです。さあ、愉しませてくださいよ、黒の銃士!」
「勝負どころか、受けてやるぜ!」
銃口越しの視線を交わし、三嶋一也はM4の引き金を容赦なく引き絞った。




