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温泉 箱根 何故か陸軍 参

 白い欠片が風に舞い、落ちていった。灰色の空を背景にして、それらは風に巻かれて箱根の森へと消えていくのだ。

 灰、緑、そして白の三色のコントラストを視界の端に沈めながら、一也は朝食のトーストに手を伸ばした。

 外国人客の多い富士屋ホテルらしく、基本的には朝食は洋食であった。控えめな縁取りのある白磁の皿上には、トーストの他に小さな目玉焼きが添えられている。その隣に置かれたジャムの壺も、また同じ造形(デザイン)であった。



「マイセンだな。懐かしい」



「え、何なん、独逸(ドイツ)の物なん、これ」



「うん、うちの実家にもある。向こうでは有名だよ。日本では中々見ないんだけどね」



 一也と同じように皿に目を留めたのは、ヘレナであった。順四朗の疑問に答えつつ、懐かしそうな顔になる。

「一流ホテルってこういう点にまで気を使いますよね」と一也は相槌を打ちながら、意識は窓の外へ向けていた。

 黒漆塗りの窓枠には磨き抜かれた硝子(ギヤマン)がはまり、外の風景を四角に切り取っている。



「積もるかもしれませんね」



 同じ卓、左隣に座った小夜子がぽつりと呟いた。

 牛酪(バター)の風味が利いたオムレツを切り分けながらではあるが、その顔はちょっと心配そうではあった。



「雪? そうですね、天気も良くはないし、積もりそうだ」



「大丈夫ですか。森の中を戦場とするだけでも結構危ないのに、雪で視界が悪くなったら迷子になりますよ」



「今更互いに退けない、それに小夜子さんの式神がある。居場所は把握出来るんですよね」



「ええ、まあ。簡単な会話も出来ますよ。よっぽど干渉されたりしない限りはですけど」



 小夜子の返事に頷く。

 合同演習五日目、つまり最終日の今日行うのは実戦演習である。

 一也と小夜子が話しているのは、一也と角谷少佐の間で決まった勝負のことであった。

 箱根山中を戦場にした、模擬弾を使っての互いを仕留める対人勝負。

 深く木々が密集して、森が形成されている場所が今回の演習用戦場だ。

 それに参加する者全員が、対象把握用の式神を貼り付ることを義務付けられた。



 一也と角谷を中心とする陸軍の勝負は、他の合同演習参加者の興味も引いている。

 首脳陣にとっては胃が痛くなるような出来事だったが、こうなってはもう仕方がない。この勝負を五日目の主要演習とし、ヘレナら他の参加者は見学となったのもある意味自然な流れであった。



「全く、最初聞いた時は嘘だろ、と思ったがな。まさか三嶋君がそう熱くなるとは」



「済みません、つい」



「そんな顔をするなよ、別に怒ってない」



 珈琲を啜りつつ、ヘレナは視線を窓に向けた。



「君がそこまで憤慨したなら、相手の態度も悪かったんだろう。障害物の多い戦場は得意分野なんだろ、存分にやってこい」



「はい!」



「正直、己はこのくそ寒い冬空の下、ようそんな勝負できるわなと感心すんねんけどな」



「とか言いつつ、順四朗さん、見学するだけでいいから幸運やなーって喜んでましたよね? 私、さっき見ちゃったんですから」



 小夜子の冷静な指摘に、目に見えて順四朗が狼狽えた。「そ、そんな訳あるかいな。可愛い後輩の応援が出来て、最高に決まっとるやろ」と主張するが、その目が泳いでいる。



 "いつも通りだ"



 一也の心に仄かに暖かい物が広がる。



 "いつも通りの皆で、この時代での俺の居場所だ"



 支えてくれる物など何もない自分を、笑顔で接してくれる仲間がいるのだ。



「勝ってきます、期待して待っていて下さい」



 断言して、一也は軽く握った右拳を突き出した。

 意図を察し、ヘレナが、小夜子が、順四朗が同じように握った拳を軽くぶつける。



 明治二十年十二月三十一日、大晦日の朝。三嶋一也がたった一人で挑む模擬戦の開幕が、一時間後に迫っていた。








 自分の部屋に戻った後、一也は装備を整え始めた。

 銃は当然M4カービン改である。殺傷力が高過ぎる魔銃は留守番だ。観衆となる小夜子に預けることになっていた。

 使う弾丸は合同演習で使った物と同じ、即ち木をにかわで包んだ弾丸である。

 通常の38口径、つまり直径9mmよりやや小さい。だがこれでもまともに当たれば、昏倒しかねないだけの威力はあるだろう。



 これをマガジンに装填する。

 一也の銃の連射性能ならば、この模擬弾でもフルオートで秒間10発は撃てる。

 だが、今回の模擬戦では単発(シングル)モードしか使えないことになっていた。

 ある程度弾をばらまいての面制圧は、今回使えない。その意味では横浜の時より条件は悪い。



 "構わない、単発(シングル)でも勝つ"



 銃の性能で負けた、などと言わせないようにしてやる。装備を整えながら、歯を軋らせた。

 そこで将校からの指示を思い出して、一つだけ通常の御影石製の弾丸を詰めたマガジンもポケットに入れる。

 模擬戦で使う森は完全に安全とは言えないからだ。低位霊や妖化した野生の獣がいる可能性があるため、最低限の対抗手段だけは揃えて挑めという。何とも物騒である。



 部屋には一也しかいない。

 気候も考慮して、装備を調整していく。

 雪が首もとに忍び込まないように、襟巻きをぐるりと巻いた。なびかぬよう、漆黒に染めたBDUの襟に留める。ネックウォーマーの代わりにはなるだろう。

 体が冷えないように、七輪で熱した石を布で包む。これを腰の方に回す。

 どの程度長期戦になるか分からないが、寒気で体力は奪われたくは無い。



 足元もそうだ。

 一度包帯をバンテージのように巻き、その上から靴下を履いている。

 包帯を巻いたのは、気温対策と足首のサポーターの両方を兼ねていた。ふとしたはずみに、木の根や窪みに足をとられれば、捻挫か骨折のリスクがある。それを減らす知恵であった。

 ミリタリーパンツとコンバットブーツで下半身を固めた。

 愛用のインバネスコートを羽織る。

 部屋にあった姿見で、外見をチェックする。

 冬季野外戦仕様にきっちりと仕上げたつもりだ。それでも見落とした点は無いか。



 "模擬弾使うなら、死ぬことは無い。余計な心配はしないで済むな"



 最後に愛用のゴーグルを布で軽く磨く。

 曇り止めがあればいいのだが、残念ながらそんな便利な物は無い。

 それでも準備において、陸軍の連中に劣っているつもりは無かった。既にこの時点で始まっているのだ。



 全てを出し切る、そのような戦いの為のハードウェアが装備である。

 ならばソフトウェアは何なのか。

 分かりきった自問を一つ、それを胸の内に秘めて部屋を出た。






 分厚い絨毯が敷かれた館内を出る。その途端に、冬の空気に包まれた。

 細かい雪に歓声を上げながら、外国人の子供達がホテルの玄関先で遊んでいる。

 宿泊客なのだろう。富士屋ホテルが外国人向けに建てられたという事実を、一也は思い出した。

 側をそっと通り過ぎようとした時、不意に声をかけられる。



「Woo! Where are you going in such a style(わあ! そんな格好でどこに行こうとしているの)? You look like a military soldier(まるで軍隊の兵士みたい)!」



「Right、I 'm going to battle in which no one die(そうだよ、誰も死なない戦いに行くところさ)」



 答えながら、一也が軽く手を振ってやると笑顔を返してくれた。

 意図は通じたのだろう、と思いたい。

 そう、これは誰も死なない戦いだ。まさにサバイバルゲームそのものだ。



 粉雪舞う中を歩きながら、自分自身の心に答えてみる。

 戦いの為のソフトウェアが何か。それは戦う技術と、それを支える戦意だろう。

 ならば、今の自分にそれはあるのか。

 トイガンを初めて握った時から今までの自分が全てだ。

 ゴーグル越しに見てきたフィールド、撃ち、そして撃たれてきた経験が全てだ。

 それが答えだ。



 グローブ越しに触った銃身(バレル)は冷たく、それが逆に戦意を掻き立てる。一也の心に火が入りつつあった。




******




「はい、じゃあ皆さんに式神ちゃんを配りまーす。これで私の方から皆さんの大体の位置が把握出来て、かつ皆さんと短い会話が出来ますからね。撃たれたり、迷子になった人は速やかに申告してください」



 模擬戦参加者全員に、小夜子が式神を渡していく。

 事前にこの掌大の人型式神の使い方は連絡があった為、最終確認という感じだ。

 万が一合同演習で死者が出ては一大事の為、それを防止する措置であった。



 全体として規則は多くは無い。

 肩より上は撃たない。手足や胴体、どこに当たっても命中と判定する。

 その場合、撃たれた方はすぐに分かるような大声で「撃たれた」と自己申告すること。

 この声が式神を通じて小夜子に連絡され、残り人数が観客達にも分かるという次第であった。



「結構。この森は相当広いようだが、それでも通信は可能なのですか」



「ええ。昨日、索敵班が呪力の中継点を森の中に作りました。よほど遠くに行かない限りは大丈夫ですよ」



 小夜子の返答に、問いかけた角谷少佐も満足したようであった。

 今日はカーキ色の軍服の上に、濃緑色の外套を羽織っている。

 遊撃部隊の揃いの外套らしく、他の五人も同じ外套であった。

 あまり日光も射さない森の中ならば、保護色として十分機能するだろう。装備からしても、陸軍遊撃部隊の本気が伺えた。



 審判役を務める将校から、この模擬戦の戦場となる森の広さも聞かされた。

 縦横、凡そ三町とのことだ(一町=約109メートル)。森で視界が悪く、また場所によっては起伏や川があることを考慮してこの広さとなったのだ。

 しかし、一也の目に映る森は、それ以上に奥行きや深さを感じさせた。



 "数字上の距離はあてにならない。入ってすぐ、木々が視界を塞ぐし足場も悪い。索敵の技術(スキル)も重視されるな"



 一口にサバイバルゲームのフィールドといっても色々ではある。

 だが屋外であれば、縦150メートル×横100メートルもあれば十分といっていい。

 木々や人工の障害物が視界を狭める為、思ったより移動が慎重になること、また、ビジネス的にも、それ以上の土地をサバゲー用に確保するのは容易ではないこと。

 それらから、大体これくらいの面積のフィールドが戦場となる。



 自分の中のサバゲーフィールドの平均値と照らし合わせながら、一也は作戦を思案する。

 滅茶苦茶に歩き回っても、疲れてしまうだけだ。ならばそこをどうするか。

 自分の経験を活かしつつも、今回はそれを捻る必要がありそうだった。



「それでは三嶋一也巡査、角谷瑞超少佐、前へ。制限時間は二時間。この制限時間内に全滅した方が負けとする。両陣営に人数が残ったまま終了した場合、引き分けと見なす。予期せぬ危険が発生した場合、速やかに申告せよ」



 将校の言葉に両者が頷き、握手を交わした。軍帽を目深にかぶり直しながら、角谷がひっそりと手を引く。



「それではお互いに幸運を。お一人しかいないのです、精々頑張っていただきたい」



「ああ。そっちを倒すまでは退場しないつもりなんで、よろしく」



 陸軍と警察、異なる組織に属する者達が別れて散った。

 冬の冷たい空気の下、残るは観客となった者達のみである。

 実質的な休憩でもあり、それぞれ持参した敷物に座り始めた。

 これで酒でもあれば宴会である。しかし、そんな和やかな雰囲気の中でも固い表情の者はいた。



「うわあ、同時に七名の位置把握と通信とか出来るかなあ。自信無いですー」



「これもまた演習の一部です。頑張ってください、紅藤さん」



「俺らも支援しますからね。大丈夫、森の中なら捕捉出来ますよ」



 うう、と情けなさそうな顔の小夜子を励ますのは、陸軍の諜報部隊所属の兵士であった。

 式神を媒介とし、兵の動きを統轄するという試みを行うには、今回のような模擬戦は絶好の機会である。

 そういう意味では、一也と角谷の確執から生まれたこの試合も無駄では無い。

 小夜子と諜報部隊にとっても、技術を磨くいい機会となっていた。



「いやあ、それにしてもこれは流石にきついやろ」



「何がだ?」



 小夜子らから少し離れた位置で、順四朗はぽつりと呟いた。煙草に火を点けながら、ヘレナが問う。

 厚手の外套を着込んではいるが、顔や首にまといつく寒気は遮断しきれない。



「相手六人、しかも素人やないねんで。なんぼ一也んでもなあ」



「おまけに、あの角谷少佐がいるときてはな。普通に考えたら三嶋君が負けるよな」



 ふう、とヘレナが紫煙を吐き出す。

 その煙が流れる先に、一也らが入った森があった。

 約三町四方とはいっても、きっちり距離を測っている訳では無い。

 杉、樫、(くぬぎ)等が密集する森を借りての戦場は、広大な箱根山塊の一部に過ぎないのだ。



「その言い方やと、負けると思うてへんのやろ。実は己もそうやけど」



「勝てるとも思ってないがね。真っ向勝負ではなく、森を舞台にした戦いならば――勝機はあるさ」



「そう期待しよか。けど、今朝から急に降りだしたわな。あんまり積もらんとええけど」



 天を見上げた順四朗の眼に映るのは、灰色の空を舞う粉雪であった。

 まだ粒が小さい為、さほど積もりそうにもないが、それも時間の問題だろう。

 外気が低くなるにつれ、じわじわと雪は積もり始める物である。



「こう寒いと、おでんとかええよな」



「同感だ。じゃがいもだよな、辛子たっぷりで」



「え、昆布と竹輪に決まっとるやん。分かってへんなあ」



「MeinVorliebe(わたしのこのみだ)、放っておいてくれないか?」



 緊迫感が全く無い二人の視線の先で、森の木々が静かに佇んでいる。




******




 ザン、と足元の草が鳴る。羊歯(シダ)の葉を掻い潜りながら、視界を確保して動く。

 思ったよりも落ち葉が多い。冷えた落ち葉の匂いが、土の匂いと混ざっている。

 かさりという小さな音、視線を投げると、ドングリを手に持った栗鼠(リス)と目が合った。

 茶色の小さな栗鼠(リス)は一瞬身を硬直させてから、驚いたように逃げ出した。無論、追うような真似はしない。



 "この感覚、久し振りだ"



 一也にとっては、懐かしい感覚である。

 BDUに身を包み、M4カービン改を手に進む度に思い出すのは、サバゲー部での活動であった。

 ここまで深い森を戦場(フィールド)にして活動したことは無かったが、それでも森は森である。

 自然の木々を遮蔽物としながら、相手を狙う。見つからないように移動する。

 普段の都会生活では味わうことの無い自然の空気を全身で感じつつ、神経を張り巡らせる。

 それが森を戦場(フィールド)にした時のサバゲーであった。



 場所も時代も異なるが、それでもやはり思い起こさずにはいられない。

 懐かしさと嬉しさ、郷愁がブレンドされた感情を噛み締めながら、慎重に移動した。

 森に踏み込んでから移動した歩数を数えていたが、八十歩目で足を止めた。

 振り返ると、木立が視界を覆う。手近な幹に体をもたせかけ辺りの様子を伺うも、人の気配は無い。多少の音ならば枝葉が吸収してしまう。

 敵の姿をどれだけ早く察知出来るか。それがこの状況下では勝負の鍵だろう。



 "どう来る、角谷少佐。相手はたったの一人だ。消極的な戦法は面子にかけても取らないし、取れないよな"



 そこにこそ隙が出来る。

 サバゲー経験にプラスして、ある程度陸軍陣営の行動が限定されることが一也にとってのアドバンテージだ。

 冷え冷えとした森の中、方針を決定することに時間はかからなかった。

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