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つらつらとつらつらと、その足は帝都を歩き

 藍色の絣の着物、下は同色の袴という格好に着替え、一也は外に出た。既に十一月でもあり、着物の上から薄手の灰色のインバネスコートを羽織っていた。

 ちなみにインバネスコートとは、袖の無い外套をまず着た上に、ケープを纏った形式のコートである。首の回りにくるりとケープが一週する為、最初見た時はてるてる坊主かと思ったものだ。



 インバネスコートで外気を遮断する為、シャツは着ていない。

 正直気温を考えるならば、いつものシャツと着物という格好で事足りる。

 わざわざインバネスコートを着たのは、降って沸いたような休日を楽しむ際のちょっとした茶目っ気である。



 "さて、行きますか"



 行く宛も無いままのそぞろ歩きも乙ではあるが、今日は一応は行きたい方面だけは決めている。

 神田から見てやや北西にあたる地域だ。御茶の水を第一目標にするか、と考えていたが、着替えながらその計画を微修正した。

 まずは不忍通りを目指し、そこを北に歩いてみることにしたのだ。平成の感覚で言うならば、上野駅から山手線内側に見える不忍池を目指して、神田から歩くイメージである。



 歩き出す。

 靴はサバゲーで使うコンバットブーツではない。白足袋に草履という足元は、軽量ではあるが幾分頼りなさはある。

 だが、走ったりしない限りは多分大丈夫だろう。

 恐らくブーツの靴底の張り替えなどは期待出来無い、ならば平時に磨り減らすのは得策では無かった。



 "どうせ時間はたっぷりあるさ。疲れたら人力車か、乗り合い馬車でも掴まえる"



 アスファルトの舗装などない路である。長屋とこじんまりした商店が組合わさり、町並みを形成している。

 現代ならば、家を出た勤め人はまずは最寄りの駅へと向かう。

 だが通勤電車などないこの時代だ、人の流れは様々である。洋装の者もちらほらいるが、まだまだ全体としては和装が多い。

 そんな明治の朝の風景を、一也はしっかりとした足取りで歩くのであった。



******



 空が広いなあ、と思う。

 別に比喩ではない。見上げても、電柱や電線がなく、また高い建物が無いため視界が広いのである。

 所々、色づいた柿の実の朱色が目につく。

 民家の庭先には柿の木が生えており、いたずら坊主がそれを取っては怒られる。そのような秋の風物詩が、まだ見受けられた。



 のどかだ。実にのどかな風景だ。

 現代でもありえない訳ではないが、それは自然の多い郊外や地方に限られた話である。しかもわざわざ果物など取らずとも、子供の好むお菓子はいくらでもスーパーやコンビニで売られている。

 そう考えると、滅多に見ることなど無いだろう。



 "だけれど、ここは東京の真っ只中な訳で"



 歩き始めてしばらく経過した。

 上野は不忍池の辺りである。不忍通りの名の由来となった池は、一也が知るより相当綺麗な水面を見せている。新聞紙の切れ端などは浮いてはいるが、その程度だ。

 歩きながら右手を見る。

 記憶の中では、不忍池の隣に上野動物園があった。

 ちょうど西園が不忍池を抱き抱えるような、そんな配置になっていたはずだ。



 "子供の時に行ったな。西園にはキリンや犀やカバがいて、ペンギンとかもいたよな"



 ふと、思い出が甦る。

 小学校の遠足で一度、家族で二度ほど上野動物園には訪れたことがあったはずだ。一也には三歳下の弟が一人いるが、兄弟二人で色んな動物を見ては歓声をあげたものだ。

 しかし今、自分の目の前に広がる風景は無論動物園ではない。

 まだ開拓されぬままの雑木林だ。木の密度がそこまで濃くは無いが、相当に広いのは一目で分かる。

 在りし日の思い出がその木々に塗り潰されたかのような錯覚に、一也は心なしか項垂れた。



 "思い出しちまうよなあ"



 草履を履いた足がまた一つ、土が踏み固められただけの路を進む。

 自動車も通らない為、道幅も狭い。凡そ三間といったところか(約5.4メートル)。

 自動車ならば、一台ずつがすれ違うのがやっとであろう。

 もっとも、時折人力車や馬車が行く以外は乗り物らしき乗り物も通らない。



 そのまま進む。

 雑木林の脇を過ぎれば、上野界隈は終わりを告げる。

 より民家の割合が多くなったように思えた。ふと目にした看板に目をやると、谷中と書いてある。

 なるほど、一也から見て左手が登り坂となっている。急勾配でこそないが、坂の上から見ればこちらは谷の底にあたるというわけだ。



 "ここまでで約4キロは歩いたってとこか"



 よく歩くようになったなあ、と思う。

 今日の第一目的地までは、あとどれくらいだろうか。

 頭の中で展開した地図によれば、間違いなく半分以上は歩いてはいる。

 タイムスリップ前であれば、連続して一時間以上歩くなど余程の事が無ければ無かった。だが、電車も地下鉄も無いならば、必然自分の足を使う割合は増える。



 平成ならば、自分の足の下には都営地下鉄千代田線が走っているだろう。

 いつ頃走り始めたのかは知らないが、少なくとも昭和の中頃までは無かった気がする。

 つまり、あと七十年か八十年は待たなくてはならない。



 長い。余りに長い時間である。

 歴史を知っている一也にすれば、文明開化を迎えたとはいえ、帝都東京が本格的な交通網を整えるまでの時間は重みすら感じる長さであった。



 "人間一人の人生に匹敵する長さが、この路の変化には必要だったんだ"



 踏みしめる。谷中を歩く。

 とある民家の横を通過した折りに、どこかからか猫の鳴く声がした。にゃあーという細い鳴き声だ。

 それを耳に受けて、ふと視線を動かす。

 数人の子供達が遊んでいるのが見えた。端が擦りきれた質素な着物姿だが、どの子も元気そうである。



「次、俺が鬼な!」



「そしたら十数えろよ。俺らその間に逃げるから!」



「うん!」



 元気の良いやり取りが、狭い路に響く。

 こちらに向けて走ってくる少年達を認め、一也はすっと横に避けた。背の低い板塀をインバネスコートが掠める。「ありがと、兄ちゃん!」と少年の一人が礼を言う。



「子供ってのは元気だな」



 一也は小さく微笑んだ。またどこかから猫の声が聴こえた。




******




 谷中を抜けてすぐ、十字路に出た。

 十字路に立つ小さな木の柱を見てみる。

 標識なのだろうか、小さな板が取り付けてある。半ば風化してはいるが、矢印が書かれており左手の坂の方を指している。

 矢印の先にはやはり文字が書いてあり、一也はそれを声に出して読んだ。



「団子坂か。そうか、この坂を上れば本郷通りか」



 十字路を左に折れながら、一也はついと視線を上げた。

 密集した住宅街を縫うように、登り坂が続いている。

 これがあの有名な団子坂らしい。家の庭木が作る木陰が、坂の高低差の為か妙に圧迫感があった。その木陰の中に滑り込むように、一也は坂を上り始めた。

 頭の中にある文章が浮かぶ。

 江戸川乱歩の"D坂の殺人事件"という小説の書き出しだ。小学生の頃に読んだ折りに、妙に心に残る文章だなと思った。

 乱歩の作品独特のどこか妖しく引き込むような魅力と相まって、D坂という地名は一也の記憶の片隅に残っていた。



 "D坂が団子坂と知ったのはいつだっけか"



 印象に残る地名の割りに、そのD坂の正式名称を積極的に知ろうとはしなかった。

 秘密のまま、東京の何処かにある不思議な場所のままにしておきたかった――そんな気持ちも少しあったからだろうか。

 何かの拍子で団子坂という地名を聞いた時にD坂のことだとすぐに分かったが、足を運ぶ程の暇もなく、そうかと思ったままにしていた。

 日常に紛れて消えかけていた思い出ではあったが、今日の休みを活かして来てみたという訳だ。

 幅凡そ二間半、小路という程では無いが、大きな通りには程遠い坂路である。それが曲がりくねりながら続いていた。



 "確か乱歩以外にも団子坂って本に出てきてたような"



 千駄木二丁目と三丁目の境目を、本郷通りから不忍通りへと下る坂路が団子坂である。

 今、一也はそれを逆に上りつつ、何の本に出てきたのだったかと記憶を探る。森鴎外だったか、夏目漱石だったか。それともその両方だったか。

 いずれにせよ、文学に何かと縁のある坂である。



 坂の途中で足を止める。

 うっすらと滲んだ汗を手拭いで拭いつつ、周囲の景色に視線をくれた。

 千駄木や根津といった今でいう文京区に属する地区は、江戸の頃から学者や文士が好んで住んでいるとは聞いたことがあった。

 明治時代になった後もその名残はあり、小説家や随筆家はこの辺りに家を持つことがステータスであるらしい。

 全部小夜子からの受け売りではあったが、こうして実際に歩くと頷ける。



 知の香りとでも言おうか。その地域全体が醸し出す雰囲気が育む、独特の空気がある。

 例えば路行く人の表情であったり、軒先に目立つ菊人形の白や黄や紫の花弁であったり、あるいは片手を懐に入れたまま、何やら難しそうな顔で歩くいかにも書生風の若い男の様子であったり、それらの積み重ねなのだろうと言う他は無い。



 そうしたとりとめのない思考をまとめつつ、一也はまた歩き始める。

 見上げれば紅葉の赤が空の青によく映えていた。

 もう少し登れば本郷通りに着くだろう。

 そこから今日の第一目的地は遠くは無いはずだった。




******




 第三隊の業務の為、帝都の大体の地域に一度は訪れたことはある。

 半年も勤務していれば、定期巡回の回数とてそれなりに増えるのだ。

 その為、明治の東京が自分の知る東京とはかなり違うことは、理解はしていた。



 だが仕事の時に通りすぎるだけの風景と、休日にゆっくりと歩いて眺めてみる風景はやはり見え方が違う。

 三嶋一也は、それを身をもって実感していた。



 "こうしてみると畑だらけなんだな"



 団子坂を上り終え、本郷通りを北へと歩いていた。そろそろ第一目的地の六義園が見えてくる頃には、周囲の風景がもはや町とは呼べなくなっていたのだ。

 それまでは曲がりなりにも二階建ての家屋も時折あった。

 だが本駒込から駒込辺りになると、平屋ばかりである。しかも密度が薄い。

 視界に占める家の割合は減少し、代わりに桑などを植えている畑が多くなった。

 人里離れたとまでは表現しないが、これがJR山手線の内側と言っても誰も信じないだろう。



 市街地としての東京は狭かったんだ、と実感しつつ左手前方を見る。

 そちらの方は、畑というよりはどでかい屋敷がちらほらと建っている。

 江戸時代の大名屋敷の名残とその庭である。それに隣接するように、小石川後楽園と並ぶ江戸の二大庭園が一つ、六義園の土塀が見えてきた。

「ようやく着いた」と呟きながら、一也は表情を緩める。

 思ったより時間はかかったが、それでも二時間もかかっていないだろう。

 風景を記憶に焼き付ける為の長い散歩だと思えば、いっそ風流であろう。それに六義園には個人的な思い出もある。



 六義園の歴史は古い。

 元禄八年、つまりは西暦1695年に、五代将軍・徳川綱吉に重用された柳沢吉保がその設計者である。

 彼は下屋敷として与えられた駒込の地をならし、庭園としてその敷地を整えた。現代においてその面積は、約88,000平米もある。一辺が約300メートル弱の正方形の庭をイメージすれば、その広さの実感が沸くだろうか。

 この広大な庭園は維新後、三菱財閥の創設者たる岩崎弥太郎の資産となったものの、明治十三年からは一般民衆に公開されるようになっていた。



 一般公開された時に付け替えられたのか、まだ新しい木戸の前に立つ。

 拝観料二銭を門番に手渡し、一也は六義園へと足を踏み入れた。腕時計は持っていないが、恐らく朝の十時前か。朝露があらかた去り、その代わりに計算し尽くされた自然美が秋の陽射しを浴びている。掃き清められた砂利までもが、この六義園の一部である。



「ほう......やっぱり柳沢公の庭園は凄いものだなあ」



「観に来て良かったねえ、お父さん」



 男女二人連れの話し声、恐らく父娘なのであろう。幾分足がおぼつかぬ父親がぐるりと辺りを見回し、娘はその背に手を添えている。

 何気ない、だが優しい光景であった。

 父娘の頭上にかかる楓の葉が一枚落ち、緩やかにその深い赤が二人の背中を通り過ぎてゆく。



 ほう、と一也は息を吐いた。

 秋の柔らかな陽射しに映える、何とも優しい父娘の姿に心がほんのり熱を帯びる。

 父親の方を見る。

 まったく似ていないのに、何故か自分の父親を思い出してしまった。目許の深い皴が、強いて言えば似ているだろうか。



 "父さん、元気にしてるかな"



 とくん、と胸の奥で鳴る物がある。



 "母さんはどうだろう。やっぱ心配してるよなあ"



 ちくん、と胸の奥を刺す痛みがある。





 あれは自分が大学に受かった直後だった。

 本命にしていた立候大学に受かり、心安らかに春休みを過ごしていた時だ。

 金曜の夜に両親が急に「明日、家族一同で東京行こうか」と言い出したのだ。

 三嶋家の住所は東京との県境に近い埼玉の某市内である。別に東京くらいいつでも行ける、というか普段の行動範囲内だ。



「えー、わざわざ何でさ。そりゃまあ、明日暇だけど」



「珍しくね?」



 一也と弟は顔を見合わせた。

 三歳差の弟も丁度高校受験に合格し、確かに絵に描いたような暇な春休み中ではあった。

 だが、男の子とはこれくらいの年齢になると、両親と一緒に出掛けるのを嫌がる生き物である。

 どことなく気乗りのしない一也と弟ではあったが、妙に両親が乗り気な為、気がつけば首を縦に振っていた。





 "今なら分かるような気もする"



 少し暑い。インバネスコートのケープの前を外しつつ、一也は歩く。

 紫がった濃い桃色の萩の花が咲き、その隣には太い欅が立っている。紅葉した欅の葉のその向こうには、この庭園の中央を占める庭池が見えた。庭池に巧みに配置された中の島が、広々とした風景のアクセントとして利いている。



 前方に視線を移す。

 六義園の代名詞とも言われるしだれ桜のその前に、藤棚が据え付けられている。それを日除けとして座って欲しいということなのか、藤棚の下には赤い毛氈が広げられていた。

 すぐ近くに菓子や茶を用意する人がいるので、恐らく茶店も兼ねた休憩所なのだろう。

 朝から歩き詰めの一也も、そこで休むことにした。



「何か御入り用ですか、旦那」



 人の良さげな店主らしき男に声をかけられた。抹茶とみたらし団子を頼むと、すぐに持ってきてくれた。四銭払い、それを受け取る。

 拝観料より高いというよりは、拝観料二銭が安過ぎるのだろう。小腹と喉の乾きを癒しつつ、先程の追憶を追う。



 "うちの親は親なりに、思うところがあったんだろう"



 あの日、三嶋家は東京に出掛けた。

 二人の合格報告にと、先ずは湯島天神に出向いた。その後、本郷通りに沿って移動して、この六義園に来たのである。

 まだ寒さが残る春先であり、桜の季節ではなかった。白梅が咲いていたのは覚えている。



 "子供が大きくなったら、段々離れていくからな。だから俺らが進学する前に、ちょっと一緒に出掛けたかったんだろう"



 あの時は分からなかった。

 今も確信があるわけでは無い。

 だが、きっとそうなんだろうという気はする。

 随分長い間、家族にも会っていない。こうして一人、あの時訪れた場所にいると、切々と込み上げてくる物がある。

 胸の内から零れそうなそれを、抹茶で飲み下した。



 "ほろ苦いな"



 自分がいる場所は――余りに遠い。

 厚手の茶碗を手の中で回しながら、いつか戻れるのかと考えてみる。最初四月であったから、既に半年以上経過している。タイムスリップの原因は未だ分からないどころか、手がかりすらもない。

 焦る気持ちが無いと言えば嘘になる。弱気にこそなっていないが、指針すらも立たないのは少々応えた。



 敢えて僅かな光明を見出だすならば、横浜の事件であろうか。

 病院で寺川から聞き出したところ、土谷史沖は中西らが未来から来たことを認識していたようだった。のみならず、神戦組に協力してくれたならば、見返りとして元の時代に帰る方法を探すと約束したと寺川は話した。

 土谷自身は具体的な方法を知らなかったようだが、時空移動(タイムスリップ)の概念自体は知っていたらしい。

 ここからは推測に頼らざるを得ないが、土谷は僅かながらも心当たりがあったのではなかろうか。

 寺川の話を聞く限り、やっていたことはともかく中西らには誠実だったという。



 "土谷がはったりかましていた可能性もあるが、性格を考えるとどうかな"



 はっきりとは知らなかった、だが全くの根拠ゼロでは無かったという位だろうか。

 土谷本人を捕縛出来ていれば話を聞く機会もあったが、こればかりは仕方がない。

 生きるか死ぬかの激戦だったのだ、殺らねばこちらが殺られていただろう。

 そう、あの奇妙なドラゴンめいた怪物にまで変身していたのだから。



 "そもそもあの怪物、何だったんだ"



 事件の事後処理の機会に、ヘレナから邪馬魚苦(ジャバウォック)という西洋の魔獣だと聞いた。

 日本の北海道出身の土谷が、何故そんな物と触れる機会があったのか。

 明確な証拠は無い。だが思考を飛躍させることは出来る。



 "仮にあれが変身だとして、土谷自身の力と考えるのは不自然か。もし誰かから授けられた力だとしたら?"



 西洋の魔獣を何らかの形で土谷と触れさせる。それをやった人間がいると仮定するのは、そこまで無理のある推測では無いように思える。

 その場合、誰かがいたのだ。

 神戦組に協力する誰かが。

 西洋の知識に精通しており、土谷の考えに共鳴していた誰かがいたのではないか。



 "そいつか? タイムスリップについて何か知っていそうなのは"



 だから土谷は中西らに約束出来たのか。

 一也の目が細まる。美しく整えられた庭園を見つつ、その視線は別の物に焦点を当てていた。

 まだ可能性に過ぎない。推測に過ぎない。

 しかし自分のその考えが頭から離れない。

 とりあえず、記憶の片隅にピンで留めておくことにする。具体的な情報や手がかりになりそうな事があれば、リンクして考えればいい。



 思考に沈んでいた一也の耳に、不意に高い鳥の鳴き声が聴こえてきた。

 鳶だろうか、ピーヒョロヒョロという笛のような声である。

 一つだけ残っていた団子を口にしてから、一也は立ち上がった。形よく整えられたツツジの植え込みや紅葉などを眺めつつ、ゆっくりと歩き始める。

 六義園を一周したら行こうと決めた。

 過去の思い出と現在の問題両方を胸の中に置いたまま。



 また一声、鳶が鳴いた。

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