休みの日は何処へ行こうか
むわっとした熱気、それに伴う活気のある騒音が一也を包む。
高く設けられた屋根からこぼれた陽光により、屋内は暗くは無い。
時折、人の動きにより屋内の空気が揺れる。この兵器課独特の、鍛冶場を思わせる雰囲気を、一也は嫌いではなかった。
真剣に技術の粋を傾ける場でありながら、どこか子供じみた好奇心もそそられるからであろうか。
そんな毒にも薬にもならぬことを考えつつ、一也はただ黙って立っていた。
彼の視線は、目の前の男、兵器課責任者の谷警部とそのごつい手の中の二挺の銃に注がれている。
「むう、かなり使ったのう」
「やっぱり預けた方がいいですか、谷警部?」
谷の唸るような声に、一也は思わず呻く。
ずんぐりむっくりとした体を丸めたまま、谷は顔を上げた。
無骨だが人の良さそうな顔に、少し困ったような表情を浮かべている。
「見りゃ大体分かるが、相当撃ったんじゃろ。強度が弱い部品が歪んどるみたいじゃな。突っ込んだ検査してから、調整か、必要なら修理した方がええわ」
「そうですか......仕方ないな、お願いします」
観念して、一也は頭を下げた。神戦組との戦いで、これまでに無い程撃ちまくったのである。こうなることを予想していなかった訳では無いが、いざ修理に出すとなると覚悟がいる。
「ちゃあんと直しておくから、安心しな。見えんところに、火薬の煤やら埃やら溜まっとるかもしれんしな。銃は丁寧に扱わんと怖いぞ」
「いえ、それは理解しているんです。ただ、俺の場合、それが無いと」
「ん、おお、丸腰か。なるほど」
一也の曖昧な様子に、谷も気がついたらしい。
なるほど、魔銃とM4カービン改の二挺が無ければ、一也は実質的な武器が無い。
大規模な銃撃戦などそうそう無いが、不安になるのも無理は無かった。「兵器課から拳銃貸したろう、それで我慢しんさい」と約束してやる。
「済みません。うーん、銃士という特性的に仕方ないんですけど、銃が無いと俺ってただの人ですね」
「そう嘆くもんでもなかろう。横浜では大活躍したらしいし、骨休めと思って儂らに預けとき」
「ありがとうございます」
一也は素直に頭を下げた。
谷の言う通り、無理に銃を使い続ければ、暴発や故障の可能性は高くなる。
それに何より、一也自身が少し休憩が必要であった。
"撃てなくは無い。撃てなくは無いけれども、今はちょっと"
右手を軽く握る。握力が少し落ちている気がする。それに何より、気持ちが乗らない。
"敢えて撃ちたくは無いかな"
元サバゲー部の面々の顔が、脳裏に焼き付いている。
横浜から戻ってから数日、一也は心のどこかが麻痺してしまったような......そんな空虚さを感じていた。
一礼して兵器課を出る。警視庁本庁を傍目で見ながら、大通りへと出る。
秋も深まるこの季節、木々がその色を緑から赤や黄へと変えつつある。その美しさを認めつつも、港町での記憶に感傷的にならずにいられない一也であった。
******
「ただ今戻りました」
「あっ、お帰りなさーい、一也さん」
第三隊の拠点に戻った一也を出迎えたのは、小夜子の暖かい声であった。
ふと見ると、小夜子と順四朗しかいない。「隊長は?」と聞くと、本庁に行ったとのことである。
「入れ違いになったのかな」
「出たん、ついさっきやからな。しゃあないわ。で、一也ん、銃はやっぱ預かり?」
「ええ、酷使したので谷警部に勧められて」
「えっ、じゃあ一也さん丸腰じゃないですか。怖くないですか?」
一也と順四朗の会話に、小夜子が割って入る。
しばらく留守にしていたにも関わらず、さほど忙しくないのは幸運だった。
留守中、最低限の見回りだけは、特務課の他の隊に依頼したのが効いたのだろう。
横浜に行く前に積み上げられていた荷物も、今は綺麗に片付けられている。本庁の人間が持っていったらしい。
「一応、これ貸してもらったんだけど」
腰から小振りな拳銃を抜いて見せる。
それを目にした小夜子と順四朗は、眉を潜めた。いかにも頼り無さげに映るらしい。
「普通の拳銃なんですけど、いつもがいつもですもんねー。何だか頼りない感じ」
「月とすっぽんやな。ま、修理の間だけやし我慢我慢」
「あ、そうですよ。いっそ、この機会にお休みしちゃえばいいんじゃないですか?」
余りにあっけらかんと小夜子が言うので、つい一也は苦笑してしまった。
そんな簡単に休めれば苦労はしない。
本格的な戦闘はきつくても、定期巡回や書類仕事は十分出来る。「無理だろ、それは」と答えつつ、自分の仕事の片付けに取りかかるのであった。
しかし、思わぬ形で小夜子の提言は現実化した。その日の夕方、本庁から戻ってきたヘレナが高らかに告げたのだ。
「皆、喜べ! 休みを手にいれたぞ! ついでに金一封もだ!」
はははは、と絵に描いたような高笑いと共に、ヘレナは椅子にどっかと座る。
言葉の意味より、彼女のいつに無い上機嫌に三人は目を丸くした。
「珈琲頼む、うんと濃い奴」と一也に頼みつつ、第三隊の隊長は微笑を浮かべた。本当に機嫌がいいらしい。
「どうぞ。で、あの隊長、お休みというのは?」
珈琲を差し出しつつ、控えめに一也が問う。
「私の耳がおかしくなったんじゃないですよね?」
小夜子が期待半分、疑念半分といった顔でそのサイドテールをいじった。
「金一封とか、ほんまやったらおいしいんやけど」
既にそわそわした感があるのは、順四朗であった。
「本当だとも。神戦組の件で、神奈川県警に多大なる貢献をしたからな。ついでにもう疲労で動けない、これ以上働いたら過労死だと訴えたら」
大袈裟に額に手を当てつつ、ヘレナが仰け反る。
確かに赴任業務中に休みは無かったが、彼女自身は恐ろしく元気なのである。
一也が見たところ、相当に演技を重ねたのだろう。にやり、と笑ったその口許が何よりの証拠であった。
「配慮する、と。他の隊から人を出させるから、一人二日ずつ休んでよし。ついでに金一封として十一月の給与が五円増加だ。いい小遣いだな」
「流石隊長や!」
涙を流さんばかりに順四朗が喜ぶ。
それを押し止めて、更にヘレナが言うにはまだ続きがあるらしい。詳細はまだ決まっていないが、年末に何かあるらしいのだ。
あと二ヶ月先か、と一也が考えていると、唐突にヘレナがびしっと指を突き付けてきた。
「三嶋君、君、明日と明後日休め。反論は無い」
「えっ、日にち選ぶ権利......」
「無い。もたもたしていたら、取り消されてしまうかもしれんぞ。早いとこ休め。銃も修理中なんだろ、谷警部から聞いたぞ」
本庁に足を運んだ時に、兵器課にも寄ったのだろう。確かに銃の修理を理由にされると、一也も強く主張は出来ない。
それに、日にちを選ぶも何もいつ休もうが似たような物だ。ならば悪い条件では無い。
小夜子が羨ましそうな顔で自分の方を見ているのが、少々気の毒ではあるが。
「いいなあー、一也さんお休みかあー。ねえねえ、ヘレナさん、私はいつですか?」
「私達三人は......そうだな、じゃんけんで公平に決めるか。おい、順四朗、来い」
ヘレナの呼びかけに対して、順四朗は反応しない。
視線を天井にやり、どこか夢うつつな表情である。
「休み......五円......でかい、でかいで、これは......」というあられもない呟きが、その口から漏れていた。
黙っていればそれなりに見られる顔なのだが、緩んだ今の顔では誰も凄腕の剣士とは思わないだろう。
それを見たヘレナが、呆れたように溜め息をつく。
「おい、しっかりしろ。お前が楽しみにしている休日の順番を決めるんだ。早くじゃんけんしよう」
「そうですよ、何を呆けてるんですか、順四朗さん! 取らぬ狸の皮算用、夢を夢で終わらせていいんですか、さくさく決めちゃいましょうよ!」
ヘレナに続き、小夜子が順四朗に喝を入れる。
容赦なく肩をがくがく揺すりながらである。
その勢いで、順四朗が思わず舌を噛んでもお構い無しだ。
「痛っ! ひ、酷いやん!?」
「舌なんか噛んでも死にはしませんよ、それより勝負勝負、お休み決める真剣勝負!」
「いやに気合い入ってるじゃないか、小夜子君......」
「観たいお芝居があるんですよ! 平日なら空いてるじゃないですか!」
今度は標的をヘレナに変え、小夜子が迫る。
顔と顔をぶつけそうな至近距離にヘレナが怯みながらも、次に放った一言は小夜子を直撃した。
「どうせ一人で観に行くんだろう、寂しいな」
「う、うわああああん、ヘレナさんの意地悪ううう! だ、だってお友達とお休みの予定合わないしいいい!」
「これは酷いわ、己でもよう言わんで」
突っ伏す小夜子に、順四朗が痛ましそうな視線を投げ掛ける。不規則な休み故、友人縁故との都合がつかぬのは皆同じのはずではある。
ただ、前に何となくそんな話になった時に、順四朗は「どうにかしとんで」とだけ答えたことがあった。
これは年の功なのか、はたまた小夜子が不器用なのか、あるいは小夜子に友人が少ないのかと些かどころか、結構失礼なことを一也が考えている内に、三人は部屋の中央に集まった。
「いいか、私が音頭を取るからな。じゃんけんの古式伝統に則り、最初はぐーからだぞ?」
「何でヘレナさん、そんなことまで日本に染まっているんですか......独逸は日本文化の輸入でも企んでいるんですか」
「そんな訳ないだろう、小夜子君。純粋に私がきちんと学んだだけだ。確かにアイゼンマイヤー家は独逸の政界とも繋がりはあるが、それとは関係ない」
「隊長って何気にええとこのお嬢様やしな。そう言えば最初会った時は、物凄いお上品やったなあ」
恐らく、順四朗は何気なく口にしただけなのだろう。
だが、一也と小夜子にとっては興味を惹かれる情報であった。
二人同時に順四朗の方を向く。
「昔のヘレナさんて、そんなに今とは違ったんですか?」
「独逸から日本に来た二年半で一体何が......」
小夜子と一也の視線を浴びて、順四朗が口を開きかけたが、それはさっと伸びてきた白い手に塞がれた。
「おい、順四朗、余計なこと言うなよ言うなよ、絶対言うなよ!?」
「――ぷはっ、当たり前やん、言うわけないやん。めっちゃおどおどして、涙目で箸の使い方が分からないとか言ってたこととか、己が言うわけないやん」
「おま、くそ、この裏切り者がああ!」
「今とは別人じゃないですか!」
「やだ、その頃の話すっごく聞きたいですう!」
一也が素で突っ込み、小夜子は目をきらきらさせた。
そんな二人の様子を見れば、順四朗も悪い気はしない。
対照的に、ヘレナは顔を赤くしたり青くしたりしつつ「止めろ止めろ」とその場の流れを変えようとするのだが、それも儚い抵抗であった。
結局、順四朗がその頃のヘレナのことを全て話し終えたのは、それから一時間近くも後のことであった。
「の、呪ってやる! 呪ってやるからな、覚えていろ、お前ら!」と不穏な叫びを放ったのが誰かは言うまでもない。
休みの日程の事は、何故か後回しになっていた。
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目覚めると、そこは知らない天井だった――などというよくあるフレーズが浮かぶ事もなく、三嶋一也は目を覚ました。
秋も深まりつつあるこの季節、雨の日は多くない。その例に漏れず、今日もよく晴れているようであった。
布団からのろのろと這い出て、一つ大きな欠伸をする。
昨日決まった唐突な休日の朝である。普段のように忙しなく身仕度する必要は、何処にも無い。予定も何も決まっていないのだ。
とりあえず、顔を洗い朝食を取る。ぼんやりと何をしたいかを考えてみることにした。
"二日間かあ。足伸ばして、一泊二日で旅行でもいいけどなあ"
とはいえ、横浜でずっとホテル暮らしであったので、外泊はしばらくたくさんであった。
器用に生卵を片手で割りつつ、別の案に思考をシフトする。卵かけご飯に醤油を垂らしつつ、自分の知っている界隈を思い浮かべた。
職場近辺はある程度知っている。浅草も長屋のある神田からは近いし、神谷バアにもあれから何回か訪れた。どうせなら、あまり詳しくない場所が良い。
"このTKGって、卵も醤油も天然物なんだよなあ。オーガニックってやつか?もう食べ慣れたけど"
黄身の黄色、それに醤油の濃い茶色も鮮やかなTKGこと卵かけご飯のおかげか、頭が回り始めた。
銀座、浅草はパスしよう。
それならば、この長屋のある神田から西側はどうか。つまり、御茶の水、湯島、飯田橋辺りである。
仕事で訪れたことはあっても、ゆっくり回ったことは無い。
"あの辺りって、現代なら学生街か。明治にはどんな感じだったか見てみるか"
方針は決まった。
卵かけご飯の最後の一口を食べ終え、箸を置く。
「良い一日になりますように」と独り呟きつつ、柳行李から外出着を取り出すのであった。




