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時に優しささえ辛かったとしても

 土谷史沖の死をもって、事実上神戦組の活動は終了した。

 十月三日に行われた無謀とも言える武装蜂起が、最後の組織的活動となった形である。

 後に神奈川県警が調べたところによれば、あの日港湾地区に集結した神戦組は総計二十八名に過ぎなかった。

 組員は延べ二百名はいると思われてはいたものの、戦闘に参加出来る者はその程度しかいなかったのか。それとも他の事情により、たったそれだけで事に及んだのか。



「事後調査はしたものの、結局はっきりせんのですわ。面目ない」



「全ての構成員を洗い出してみたものの、組の全体図を把握している者はいなかったです」



「そうですか。仕方ないな」



 金田と岩尾の報告に、ヘレナはそう答えるしかなかった。

 迷った末に、土谷が発した"導師"という人物の存在は口にせず、自分の中に秘めたままである。

 その為、土谷亡き後の神戦組が崩壊した点を確認すると、この事件の中核を成す部分は終わったも同然である。

 勿論、資金源や武器の確保経路の始末はあるものの、これらは神奈川県警に任せておけば済むことである。



「ところで、土谷の出自ですがちょっと分かったことがありましてな」



「お願いします」



 ヘレナの促しに、金田は報告書をめくる。

 県警の署内の一室である。ぱらぱらと、紐で綴じられた紙が軽い音を立てた。



「奴の持っていた私物を洗ってみたんですが、ヘレナさんの立てた推測を裏付けるような物は特には無かったですな」



「残念」



「ええ。ただ、こんな物が土谷の鞄にしまわれていましてね」



 金田がそっと差し出した物を、ヘレナは両手で受け取る。油紙で包装された葉書大の軽い薄い物だった。破らぬよう注意して、その包装を解く。



「写真か。この中央の小さい子供が」



「幼少時代の土谷史沖なのだ、と思いますわ。面影がありますからな」



「函館で撮影された写真みたいですね、ほら後ろ」



 岩尾が指を指した先を見る。

 なるほど、写真の背景の奥の方に五稜郭らしき城が見えた。それを確認しつつ、ヘレナは古ぼけた写真全体を観察する。

 少年時代の土谷の隣に、一人の女性がいる。ごく素朴な着物姿ながら、隣の土谷を庇うようにその肩に置いた手が優しい。

 母親なのだろうか。写真にはその二人しか映っていない。



「土谷とその母親でしょうね。父親らしき人物が撮影したのか、あるいはもういなかったのか」



「北海道道警に連絡して足取り追ってみますが......期待薄でしょうな」



 岩尾と金田の言葉に頷きつつ、ヘレナはもう一度写真を見た。

 少年は六歳くらいだろうか。流石にまだ幼いものの、賢そうな面立ちは成人した土谷によく似ている。

 彼の所持品だったことから考えても、土谷の子供の頃の写真と考えて良さそうだった。



 土谷が神戦組を組織した理由については、もはや推測の域を出ない。

 その萌芽がこの写真の中にあるかどうかも、全く分からない。恐らく永遠の謎であろう。

 出された緑茶を口に含みつつ、ヘレナはそろりと自分の考えを言葉にする。



「将来警察に討たれることになるなんて、この子供は夢想だにしていなかったろうな」



 可哀想に、とは言わなかった。

 その短い言葉のどこか哀愁を帯びた響きに、金田と岩尾も口を閉じた。

 束の間、署内が静かになった。ヘレナは窓に目をやった。十月の陽射しは透明で、麦藁にも似た光を投げかけていた。




******




 その数日後、横浜は警察病院の一室で向き合う男女の姿があった。

 男は警察の物とおぼしき濃紺の制服を着ており、女は木製のベッドに横になっている。

 女の着用する白い寝間着は、男の服とは対照的だ。

 薬品臭い部屋の中、男は椅子に座って女と話している最中であった。



「結局、生き残ったのは私一人ね」



 女は少し顔を伏せている。僅かに茶がかった長い髪を一つに結っている為、その横顔がよく見える。

 元神戦組組員、寺川亜紀であった。小夜子に折られた肋骨の治療と共に、尋問されている次第である。



「うん。毛利先輩は切られて、中田は俺が撃った」



 椅子に座っていた男が答える。寺川の同級生、いや元同級生と称した方が的確だろうか、三嶋一也である。

 今日は銃は背負ってはいない。一見、入院患者を見舞いに来ただけにも見える。

 だが二人の間に漂うのは、緊張感であった。



 無理もない。

 同じサバゲー部に所属していたとはいえ、袂を別ち実弾を交わした仲である。

 むしろ、こうして一対一で話していることが奇跡であった。

 念の為、順四朗と小夜子が廊下に待機しているが、それでも万が一が無いとは言えない。

 だが、一也がこの形で寺川に会うことを望んだのだ。



「......中西先輩は俺と()った末、海に落ちた。遺体はまだ確認されていない」



「そう、なんだ。じゃあ、もしかしたら生きているかもしれないね」



 寺川の言葉に、一也は無言で首を振る。

 陸地から近いとはいえ、あの辺りの海流は時として激しくなることがあるらしい。そこに落ちてから、既に十日以上が経過している。

 まだ遺体が上がらないからといって、生存している可能性は限りなく零に等しかった。



 一也の表情から察したか、寺川の表情が暗くなった。その白い手はやり場の無い感情をシーツもろとも握り締め、小さく震えている。

 怒り、情けなさ、悲しみ、そしてこれから自分を待ち受けている刑罰への恐怖――それらが体内で逃げ場を求めてさ迷っているように、一也には見えた。



「何だろうな、俺達。何も悪いことはしていないのに、明治時代なんか来ちゃってさ」



「......うん」



「昔見た映画でさ。あったじゃん、科学者が車改造したタイムマシンで時空移動するやつ。あんなのあったら、助けに来て欲しいよな」



「......そうね、ほんとに」



 言っても仕方の無いことと分かりつつ、一也は寺川に話しかけた。

 何か話さずにはいられなかった。

 あの後、中田正の遺体を回収し、可能な限り丁寧に葬ったことも、横浜が一望できる丘に墓を立てたことも、寺川に包み隠さずに話した。

 後ろめたくは無かったが、どこか自分の喉に込み上げる感情を圧し殺して話すのは――辛かった。



「中西先輩から聞いたよ。神戦組に入らざるを得なかった理由」



 気がつけば、そんなことまで話していた。

 はっと恥じらうような表情を浮かべて、寺川が一也を見る。

 二人の視線が交錯した。



「......俺、こんなこと言うべきじゃないかもしれないけど、でも、寺川や毛利先輩が体売るような真似しなくて済んだのは、ほっとしてる」



 その反面で、土谷の思想に共感し凶行に走ったのはやはり許しがたい事実ではあったが、それとは別に言ってあげたい一言だった。



「――ずるいよ、三嶋君は」



 寺川はたまらず両手で顔を覆う。声がくぐもり、嗚咽が混じる。



「そんな優しい事言われても、もう私は、私達は戻れないんだよ、あの頃には! 私はもう犯罪者だし、三嶋君は警察官なんでしょ、だったらもう――」



「――ごめん」



 ただ一言、それだけを発し、一也はおずおずと両手を伸ばした。少し躊躇ったその手は、寺川の両の肩を包む。泣き声が小さくなった。



「寺川、罪は罪だ。償ってこい、なんて偉そうだけどさ。俺、待ってるから」



 それは彼の精一杯の勇気で、告白にすらならない告白。

 こうなる前に言っていたら、もしかしたら違う形で言えたかもしれない精一杯を、一也は口にする。



「それで、出所したら一緒に元に戻れる方法探そうぜ。お前が嫌じゃなかったら」



 守れるかどうかも分からぬ約束を、一也は必死で語る。

 細い肩を震わせた美しい犯罪者は、ゆっくりと顔を上げた。

 こんな場面じゃ無ければな、と一也の心の片隅が囁く。



「だから、頑張れよ」



「うん――」




******




 病室の扉を後ろ手に閉め、一也は大きく息を吐いた。

 待っているなどと軽々しく言うべきではなかったのかもしれないが、あのまま放っておくことは出来なかった。

 勝負がついた今、寺川を責める気持ちよりは同情が強かったのだ。



「終わりました?」



「まあ、何とかね」



 廊下で待っていた小夜子に答えつつ、一也は一度振り返る。

 木製の扉と壁に遮られ、寺川の姿は見えない。

 まだ処置は決まっていないが、恐らく重刑だろう。どこの刑務所、あるいは監獄に入るかはまだ決まっていないが、そうそう簡単には出てこれるとは思えなかった。

 現実的に、さっきの会話が最後の会話になるかもしれない。



「一也ん、何か言い残したことあったらまだ言えるで。ほんまはこれ以上の面会はあかんけど、見逃したる」



 こちらも待っていた順四朗が、肩を回しながら立ち上がる。

 数秒悩んだ挙げ句、一也は首を横に振った。

 切りが無いと思った為だ。それに、これ以上小夜子と順四朗の好意には甘えられなかった。



「いえ、いいんです。寺川亜紀は友人だった。今は......二人とも立場が違うから」



 そう言いながらも、横浜の茶店で話した彼女の顔を思い出す。

 あの時無理にでも神戦組を辞めさせていれば、どうなっていただろうか。

 あるいは、もう少しましな運命が開けたかもしれないが――過去には戻れない。



 "そう、三嶋君はそういう立場の人なんだね"



 あの時の寺川の表情を思い出し、それを噛み締めた。

 そう、今の三嶋一也はサバゲー部の部員ではなく、警視庁特務課第三隊の一員である。魔銃とM4カービン改を武器に、何人も撃ち倒してきた男である。

 思い出に浸るには、少々血生臭いと言われても仕方なかった。



「行きましょう、ヘレナさんが待っているから」



「そやな、ああ、そうや。一也ん、すまんかった」



「え?」



 廊下を歩きながら、一也は順四朗に向き直った。

 珍しくしおらしい顔をしている。

 小夜子も訝しげに「え、何か一也さんに謝るようなことしたんですか」と訊ねた。



「しゃあないとはいえ、君の先輩な。切ってもうたやろ。一言謝っとこうかと思ってな」



「毛利先輩ですか」



「ん。己が危うく殺られるとこやったさかい、手加減の余裕は無かってん」



 毛利美咲の遺体は、一也も確認した。

 BDUごと腹部を切り裂かれた割りには、その遺体は綺麗に見えて何故か安心したのは覚えている。

 結局、サバゲー部の中で彼女とだけは、明治に来てから話す機会も無かったなと思いつつ、眠ったような死に顔を撫でた。



「いや、いいですよ。順四朗さんが相手なら悔いも無いだろうし」



 それは一也の本心であり、毛利への手向けの言葉であった。

 さよなら、と心の中で呟く。

 中田も毛利も、既にこの世にはおらず、そして恐らく中西もいない。何の運命の悪戯かと嘆きたくもなるが、顔は下げなかった。

 もし自分が情けない顔をしていれば、皆が気を使うだろう。

 同時にそれは、新米とはいえ、この明治において警察官という職についた自分の選択を汚すことになるだろう。

 私情もあろう、犯人の側に事情もあろう、だが、無実の市民が犠牲になった事実はやはり重い。



 "これで良かったんだよな"



 誇りを抱いていいよな、と自分に言い聞かせながら、一也は病院を出た。

 十月も半ばとなり、秋風は涼やかである。ふわりと飛ばされた落ち葉を見ながら、一也は小夜子と順四朗を振り返った。



「帰りましょうか、東京に」



「ですよね、長い間留守にしちゃってますもんね!」



「確かに帝都の酒が恋しいなあ。横浜も悪うないけど、生粋の江戸っ子やからな」



 小夜子が明るく答え、順四朗が惚ける。一也と小夜子は思わず顔を見合わせ、そして笑った。



「大阪生まれの~」



「大阪育ちが~」



「「よく言いますよねー!」」



「だよなあ、全くいい歳をして」



「うおっ、隊長、いつの間にいてん!? 全然気づかなかったわ!」



 不意に現れて口を挟んできたヘレナに、順四朗がギョッとする。「病院の塀にもたれて待ってたんだよ」と答えながら、ヘレナは親指を立てて三人を促した。

 その指先の向こう、銀杏並木も美しい坂道に黒塗りの馬車が停まっている。

 ポクリ、と馬の蹄が土を叩く音が聞こえた。



「金田警部と岩尾巡査が横浜駅まで送ってくれる。早く乗ろう」



「やったあ、楽ちんですね!」



「至れり尽くせりやん」



「ありがたいなあ」



 口々に感謝の言葉を口にしつつ、四人は馬車へと乗り込む。

 最後に乗り込んだ一也は、馬車の窓越しに外を見た。

 高くなった視点から見る横浜の道は遥かに続き、ゆっくりと海へと下っているようだった。

 銀杏の黄色い葉がはらはらと舞い落ち、海の青と重なってそして視界から消えていく。

 その風景の中を、黒い馬車はポクポクと進んでいった。




******




 暗いな、ここは何処だ。



 俺は助かったのか?



 男が真っ先に考えたのは、その二つであった。今まで自分は寝ていたらしい、と気がついたのはその後である。

 体を起こす。

 筵のような粗末な敷物が畳の上に敷かれ、そこに転がされていたようだ。

 どこかの民家だろうか、と考えたところで右肩の痛みに呻いた。それで思い出す。



 "三嶋に撃たれた傷だ。そうだ、俺はあの後、海に落ちて"



 男――中西廉の記憶はそこで途切れている。

 自分はあのまま死亡してしまい天国にでもいるのかと思ったが、恐らく違うだろう。天国の割には周囲の様子は貧相であるし、死んでから後も傷が残るなどたまったものではない。

 改めて自分の姿を見ると、上半身は裸である。

 下半身は着用していたサバゲー用のミリタリーパンツのままだ。変な同性愛者に悪戯などされてないだろうな、と不安になったが、下半身に違和感は無い。多分大丈夫だろう。



「お目覚めかね、坊や」



 背後からの突然の声に、弾かれたように振り返る。

 まるで気がつかなかったのは、自分の神経が寝起きで麻痺していたからか。

 だが、それを考慮したとしても、こうも易々と背後を取られるとは。



 強張った体を動かし、距離を開ける。

 声をかけてきた人物は、くぐもったような笑い声を発しただけだった。

 顔も性別も分からないのは、その人物が頭から布を被っていたからだ。

 西洋のお伽噺に出てくる魔法使いが着るあれは――何と言ったか。ああ、確かローブと言うんだったと気がついたところで、中西はようやく口を開いた。



「あなたが俺を助けたのか」



 半ば確信、半ば疑問の問い。

 状況から考えると、恐らくこの謎の人物が自分を助けてくれたのだろう。

 だが、ならば何の為に。

 そしてこの男か女かも分からぬ人物は何者なのか。

 疑問が渦を巻く。渦中の人物は両手を広げた。



「そうだよ。君の事は知っている、中西廉。回転式拳銃(リボルバー)二挺同時使用に加え、大した経験も無いのに三種の呪法を使う。中々の逸材だ......故に」



 深みのある声で、ローブの人物は喋る。

 その声に魅入られたように、中西は惹き付けられた。

 奇妙な磁力のような力が働いているかのようだ。



「故に?」



「私の下で働かせようと考えたのさ。土谷史沖は失敗したが、君なら十分に役に立ちそうだからな」



 だから助けた、という含みを持たせ、ローブの人物はそこで口を閉じた。

 少し余裕を取り戻し、中西はその全身をざっと眺める。

 身の丈は六尺三寸辺りか(約189センチ)、かなりの長身だ。

 声が低いことも合わせて考えると、恐らく男だろう。少し外国人らしき訛りがあるが、国籍までは分からない。



「あなた、土谷とは面識が?」



「ダー......失礼、ある、いや、あったかな。彼の素質を開花させたのは私だよ」



「......土谷は今どうなった?」



 中西の質問に、ローブの人物は答えなかった。頭から被ったフードの奥、その闇の底から妖しく双眼が輝く。

 無言にもかかわらず、そのプレッシャーに中西が怯んだ。

 意図するところは明白だ。質問より先に決断しろ、ということだろう。



 中西は頭を巡らせる。

 情報は限定されているが、土谷史沖はどうやら敗北したらしいことは分かった。

 つまり神戦組はもう無いのであろう。

 寺川らがどうなったかは気掛かりではあったが、この人物から無理に逃れることも出来そうにない。

 総合的に考えて、答えは一つしかなかった。



「分かった、あなたに従う。命を助けてくれた礼も言わずに済まなかった」



「素直でよろしい。まずは傷を治せ、肩の銃創軽くはないぞ」



 それだけ言い残し、ローブの人物は身を翻した。

 名前を聞く暇も無かった、と悔やんでも遅い。

 広くも無い部屋なのに、何故かその姿がかき消える。

 何らかの呪術魔術の類いかと思いつつ、中西は記憶の底に何か引っ掛かる物を覚えた。



 立候大学ではどの学部でも第二外国語を履修する。

 中西が履修したのはロシア語であったが、確かロシア語で"はい"、英語ならばYesの意味の単語が、ダーではなかったか。

 ならばあの人物はロシア人だろうか。

 他の単語の可能性もあったので、断言は出来ない。だが妙に気になった。



 右肩が疼く。止血されたそこに目をやりながら、中西は一度考えることを止めた。癪ではあったが、まずはこの傷を治さぬことにはどうにもならないのだから。

 次回からしばらく日常編となります。

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