頂上決戦
ヘレナは駆ける。
中西と寺川の構築した防衛線を抜け、ひたすら奥へと。
最高速度で以て駆ける彼女に追いすがる者はおらず、戦場の騒音は後方に置き去りになった。
そして目の前にはまた別の戦場が待ち受ける。
神戦組の揃いの法衣を着た二人の男に守護されるように立つ、一人の青年の姿が目に入った。
ゆるりとしたその立ち姿からは余裕が伺え、戦いの最中にも関わらずその顔には笑みが浮かんでいる。
確信――あれが神戦組組長の土谷史沖だと。だが、彼と勝負をつける前にやらねばならぬことがあるらしい。
「襲え、式神」
護衛の男の一人の声と共に、ヘレナの眼前に人型の白い物が浮かび上がった。小夜子がよく使う式神にそっくりである。
更に、もう一人の男がその後ろからヘレナに迫る。
こちらは槍の使い手らしい。
式神で動きを牽制した上で、尺に勝る槍がヘレナの間合い外から突き刺すという腹なのだろう。
だが、その敵の思惑にわざわざ乗るヘレナではなかった。
間合いを詰めながらもその唇は動き、攻撃魔術を紡ぎ出す。こんなところで時間を取るつもりはさらさらなかった。
「貫け、光槍雨」
何か魔術が来ると予想はしていたのだろうが、それで防げれば苦労はしない。
二人の男、そして一体の式神の周囲四方が眩い輝きに包まれる。
彼らが防御体勢を取る暇だけはあったが、それがさほど効果が無いことが実証されるまでに時間はかからなかった。
それが一本ならば回避も出来ただろう。
二本でも回避出来たかもしれない。
だが、上下左右から間断無く十本以上の槍が繰り出され、それでも無傷の者はそうはいない。
光槍雨、その名の通り、指定した攻撃対象空間を雨の如く光の槍で貫く魔術である。
光の槍が一閃し、獲物をその穂先に捉えた。数瞬、辺りは白く染め上げられ、そして元の姿に戻る。
後に残されたのは戦闘力を失った者達だけだ。
「命までは取っていない、安心していい」
呼び出された式神はあっさりと引き裂かれ、二人の男達はくぐもった呻き声をあげて倒れている。それらに一瞥すらくれず、ヘレナは眼前の敵を睨んだ。
「お見事、流石は"制裁"の異名の魔女殿」
「ご存知とは光栄だよ、神戦組組長殿」
前方からかけられた声に、ヘレナも軽く言葉を返す。互いの視線が激突した。
「中田君のガトリングガン、中西君と寺川君の二人の防衛線を抜けてきた君だ。この二人ではいかんともし難かった、というところかな」
「部下は捨て駒という訳か。四民平等、大いに結構なことだな」
「人聞きの悪い。大望を抱く我々には、犠牲という言葉は無いよ。ただあるのは勝利へ邁進する精神のみ。故にこの二人が倒れたのは必定」
淀み無く話しながら、土谷は彼の武器に手をかけた。
その動きに油断無く目を配りながら、ヘレナも光闘剣をその手に出現させる。
別に土谷に付き合って、接近戦を選んだ訳ではない。この間合いでは、攻撃魔術を唱えるより先に斬りかかられると判断したからである。
「神戦組組長たる僕の確実な勝利の為に、喜んでその身を挺した。それだけのことさ。犠牲どころかその精神の高潔さは、勝者と既に同意義だ」
「よく回る舌だが、私の耳は二つしかない。余分な言葉を聞く余裕は無い」
土谷が流暢に喋る姿とは対照的に、ヘレナは短く言い捨てた。
切り捨てるかのような語調に合わせ、光闘剣がその輝きを増す。
「神戦組組長、土谷史沖の投降の言葉か、あるいは」
「あるいは?」
面白がるように、土谷が聞く。
「断末魔の悲鳴だけで予約済みさ」
闘志を反映し、魔女の青緑色の瞳が煌めいた。
それを涼しい顔をしたまま、不遜な自信を黒い両眼に湛えた先導者が迎え撃つ。
猛々しくありながらもどこか象徴的な対峙、それは長く続くはずもない。
黒塗りの鞘から日本刀を抜き放ち、土谷が構える。
「いざ尋常に――」
ヘレナもまた闘光剣をゆるりと引いた。
「――勝負!」
空気が圧縮されたかのように歪み、そしてそれは唐突に弾ける。
******
一合、まずは斬り結ぶ。
間合いを制したのは、体格に優れる土谷であった。鈍い銀色の刃をしならせ、上から一刀を見舞う。
ヘレナはそれを受け止める。光の粒が散り、二人の間を儚く散った。
重い、とヘレナは素直に驚くも、そのまま受け止めはしない。
巧みに左に力を流し、土谷の体勢を崩そうと試みる。だが敵もさる者、それをむしろ利用してヘレナの動きについてきた。
刀と剣が離れない。体重の軽いヘレナを土谷が押し込む。
堅実なという表現がぴったりくる。ただ一合をもってして、ヘレナはそのような感想を抱いた。
力を空回りさせて体勢を崩すのは常套手段ではあるが、それも下手な敵であればだ。この男には通用しそうもない。
静かな、しかし熱く始まった死合いは、あっという間に激しさを増していく。
ヘレナに吹き飛ばされた二人の男はとうに姿を消し、ただ土谷とヘレナが時を刻むのみ。
"切り崩させてもらうよ"
"やってみろ"
武器越しに交わした視線だけで、二人は語った。
「ちっ、らああああ!」とその端正な顔からは想像も出来ない気迫を発し、土谷はコオトを翻しながら全力で押した。
だがヘレナも負けてはいない。単純な腕力、男女差からくる筋力や体格の差を彼女は別の手段で埋める。即ち、体に刻み込まれた戦闘経験だ。
押し込まれた瞬間、そのまま舞った。
ただ上方にではなく、後転しながらである。しかも後転しつつ、長革靴の爪先で顎を狙うしたたかさであった。
これを土谷が刀の柄で返す間に、くるりと反転したヘレナが今度は逆に攻める。
左からの横薙ぎ、それが受け止められたならば、見越していたかの如く切り返す。
逆に右から、そしてまた左と目まぐるしく闘光剣が土谷に迫った。
この火の出るような連撃を、土谷が冷静に捌く。
回避すれば態勢を乱すと判断したのか、ここは守りに徹したようだ。
攻めに転じたヘレナの速さ、その攻撃の鋭さに辟易するも全てを受け止めている。
「全く驚いたよ、まさかこの僕を守りに徹させるとはね」
その言葉とは裏腹に、土谷が冷たい笑みを口の端に浮かべれば、ヘレナは剣で以て応じる。
無言、だがそれ故に雄弁と言える剛剣一閃、これにはたまらず土谷も刀を押された。峰の部分が肩に落ち、その表情が歪む。
「おしゃべりな男は嫌いでね」
「それは残念だな。ならばここより先は――」
風が――鳴った、と思う。
瞬き一つの間に、目の前の男の雰囲気が変わった、と思う。
ヘレナの頭の中に警報が鳴り響く。
「――本気で行かせていただく!」
カッと燃えるような呼気を吐き出し、土谷が刀を振るった。
剣閃そのものは単純な打ち落とし、だがその鋭さは今までと段違いにして速い。
その一刀は何とか止めるも、続く連撃は僅かヘレナを捉えた。
大した傷ではない。ほんの一筋、腹の辺りの服が裂けた程度である。制服の下に着こんだシャツの白い布地も破れてはいるが、血はたらりと垂れた程度だ。
だがその程度の負傷であっても、相手が勝るという印象を抱くには十分。
"こいつ、いつの間に持ち変えた"
更にヘレナを驚かせたのは、土谷が刀を握る手だ。最初は右手で握り、随所では両手持ちにしていたはずだ。だが今、土谷は左手一本で日本刀を振るっている。
世の中には両利きという人間もいるので、それだけならそこまで驚くほどでは無いかもしれぬ。
だが、左手だけで振るった攻撃の方が鋭いのは理解出来なかった。
実は左利きで今まで隠していた可能性もあるにはあるが、いくらなんでも無茶だろう。
微かに血の滲んだ腹部を抑えつつ、距離を取った。
土谷はそれを敢えて追わない。一旦二人の間合いが離れる。
しかし秋の爽やかな空気に似合わない血と汗と、そして何より二人の放つ殺気の濃度は薄まらない。
「今まで本気を隠していたとはな。私も舐められたものだ」
「いや、それなりに本気だったよ。ただ、ここからは特に上乗せしなくては勝てないと判断しただけのこと」
答えつつ、土谷は刀をゆっくりと垂らす。
切っ先がヘレナの血で僅かに赤い。
それを目で追いながら、彼はヘレナを見据えた。
「この愛刀、和泉守兼定だけでは足りなかったようだ」
「兼定? それは確か......新撰組副長の」
「よくご存知で。いかにも、新撰組を鉄の規律で束ねた鬼の副長こと、土方歳三の愛刀だよ」
一点の揺るぎすらもなく、土谷は断言する。
ヘレナにとっては信じがたい話ではあった。
幕末を駆け抜けた新撰組の末路も、土方歳三の名も知ってはいたが、目の前の男が持つ武器がその遺品であるはずがない――いや。一つの仮定が浮かび上がる。
「北の地、函館は五稜郭にて土方歳三は戦死したと聞く」
「本当によく知っているね」
「我々の調査では、君は北海道の出らしいな。陳腐な仮説を立てるなら、土方歳三が現地の娘との間にもうけた子供がいたとして」
時流れ、その子供は自分の出自を知る。
落城した五稜郭から逃れた母の口からそれを聞き、子供はその小さな拳を握ったのかもしれない。
自分の父親を殺して新時代を開いた明治政府への復讐の願いを、父の遺品に誓ったのかもしれない。
故に、彼の名前は土谷史沖。
鬼の副長であった父の名字から一文字を。
そして新撰組最強との噂高きあの一番隊組長、沖田総司から一文字を――彼は自分の名前に与えたのではなかろうか。
壬生の狼の遺志を自分に刻む為に。
「さてね、正解か不正解かを知るのは僕一人さ」
「答える気は無いか、それも結構」
ヘレナの推測に首を振り、土谷は左片手上段に構える。
ヘレナもそれに応じた。もとよりこんな仮定には意味が無い。舞台の脚本よりは舞台自体が重要だ。
「僕の素性については、当たらずも遠からずとだけ答えておくよ。さて、お喋りはお仕舞いだ。ヘレナ嬢、君を連れていかねばならないからね」
「は?」
戦いの最中に何を言うか、とヘレナは眉をしかめた。気が触れたか、この男。
「細かくは言わない。導師からは生きてさえいればいい、とだけ言われているしね」
だが、土谷の眼は本気だと告げていた。
「元々、もっとゆっくり神戦組の武装蜂起は立ち上げるつもりではあったが――あの方が言うのではね」
「まだ裏がありそうだが――与太話はたくさんだ」
めんどくさくなり、ヘレナはそう吐き捨てた。
いつのまにか、彼女の闘光剣が赤い輝きに包まれている。
純粋な光だけではなく、灼熱の核を内包するかのように剣が彩りを変えていた。
それにほぼ時を同じくして、土谷にも異変が生じる。
「もう少し遊ぶつもりだったが、仕方がない。まだ貴女に上があるならば、こちらも応えねばならないな。出番だ、魔獣"邪馬魚苦"!」
その左腕がいきなり膨れた。
土谷の纏うコオトが内側から裂け、そこからブクリと肉が盛り上がる。だがその色は、人ならばあり得ない濃緑色である。沼地に生える苔にも似た、湿気を漂わせた色だ。
ヘレナが驚く間にも、土谷の変化は続く。
膨れあがった左腕の皮膚が伸び、それは皮膜と化した。
ぐるりと土谷の体全体を包みあげ、見る間に形態を変える。
彼が着ていた白い着流しも黒い袴も、その濃緑に染まった皮膜の中に隠れた。
土谷の体全体が濃緑色の皮の風呂敷に包まれてしまった、と言った方が適切だろうか。
不気味としか言うしかない。
突然の変化を前に、ヘレナは息を呑む。何か、とんでもないことが起きる。そんな嫌な予感が背骨を走った。
それでも攻撃呪法の詠唱を開始していたのは、彼女の手際よさ故である。
奇妙な物が奇妙な存在感を持ち、そこにある。
それは楕円形。ちょうど人間一人分の大きさの。見る人によっては、巨大な卵と言うであろう、端的に言うならそのような形をしていた。
ならば、もしそれを卵と言うならば、その中にあるのは何か。
名状し難い叫び声が響く。
目の前の物体からだ、と気がつくが、ヘレナは動かない。
ぞわりと胃の辺りから恐怖が込み上げてきたが、それを理性で抑え込む。
呼吸と脈拍を意識して、恐怖の対象を睨み付けた。
「大したモノダ」
浮き世離れした光景に合わせるかのように、声が響く。
その未知なる皮の殻を持った卵の中から、声が響く。
土谷史沖の声か、とヘレナは思ったが、すぐに否定した。似てはいるが、あれは違う。人の声があのように。
「逃げずに待っているトハ、見上げたユウキダヨ」
気味の悪い唸り声を含んでいる訳が無い。ごろごろと何かを転がすような音が、不気味に響く声に混じる。
やがて、ゆっくりと皮の表面が開き始めた。見えなかった割れ目から左右へと、それはあたかも一対の翼が広がるかのように。
そしてそれはパサリと地に落ちた。
「さあて、と」
中から伸び上がる物がある。
ひゅうと息吹をあげながら、それは四肢を伸ばした。
いや、四肢以上にひょろ長い首とその先端の頭部が目立っている。
人ならざる姿、と認識した瞬間、ヘレナは詠唱を終えていた光槍雨を叩きつけた。
ただ一体の敵に降り注ぐ複数の光の槍は、まだ動きの鈍い敵を間違いなく捉えた。
「なっ」
だが、小揺るぎもしない。土谷、いやかって土谷だった物はその巨体を震わせ、煩そうに吠えただけである。
ヘレナは慄然とする。その圧倒的な強者の気配に、そして自分の呪文を寄せ付けない防御力に。
「く、くは......クハハハハハッ! スバラシイ! 導師、アナタガクレタ"邪馬魚苦"は見事に僕にナジンデイル!」
人の理性をかろうじて残した獣の声が、邪馬魚苦と名乗る怪物の口から漏れた。
ヘレナは見る。相手を認識する為に、そしてこの危機を乗り切る為に。おぞましい姿へと成り果てたかっての神戦組組長の姿を。
四足獣に大別されるのだろうか、太い二本の後ろ脚はしっかりと大地を踏ん張り、丸みを帯びた体を支えている。
前脚は長くは無い。ちょっと物を掴むには適している、という程度の長さくらいしか無く、人間の体を基準に考えると短い。四本の指がだらりと垂れ、それが時おり不規則に動く。
だが武器が無い訳ではない。
体の後方へと伸びた太い尻尾は、鰐のそれを思わせる。もっとも太さは丸太並みであり、戯れに動かしただけで軽く木箱が壊された。
背中から伸びた一対の大きな羽根は蝙蝠のようでもあり、先端には鍵爪が光る。
怪物が吠えた。
胴体の長さに匹敵する長い首をうねらせ、その先端にある頭部を高らかにもたげた。
全体としては爬虫類じみた容貌の中で、顔だけがどこか魚類に近い。
濃緑色の鱗に覆われた奇形の深海魚に似た顔、そこに虚ろに穿たれた二つの目は暗い硝子の光を放つ。
「さあ、"制裁"、ミセテクレヨ。欧州に名高いアイゼンマイヤー家の一員の力を! ソレコソが我が導師が望むが故に!」
怪物――邪馬魚苦が吠えた。
空洞めいたその口が開き、人の言葉を吐く様は不気味であり恐怖を誘う。
頭から尻尾まで凡そ全長三間――約5.4メートル――はあるその巨体は俊敏さも失ってはいなそうだ。
僅かな動作から、ヘレナはそう推察する。
"こいつ、私の出自を知っているのか"
目的は分からない、だが導師という言葉からもどうも黒幕がいるようだ。
もっともそれ以上は何も分からず、邪馬魚苦と化した土谷にも答える義理は無いだろう。
気にはなるが考えても仕方がない。それより今は――戦え。
「ジャバウォックか......思い出したよ、まさかこの極東で出くわすとは」
制服の下の皮膚が粟立つ。
血が熱い。これは恐怖か。それとも戦意か。
この稀なる怪物を前にして、様々な感情が渦を巻く。
それをヘレナは自覚する。彼女の青緑色の双眼が輝きを増し――煌々と燃え上がった。
「後悔させてやるさ、このヘレナ・アイゼンマイヤーを本気にさせたことを!」
「その威勢、何処までモツカ楽しみダ!」
魔女と怪物は同時に動き出し、真の死闘が幕を開けた。




