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重力の楔と黄泉路の獣

 燻るような、それでいて熱く燃え盛るような感情に突き動かされている。初めて行使する死鬼神の操作に気を使いつつ、対象の動向にも気を払わねばならない。

 存外疲れますね、と小夜子は胸中で思った。

 先程からじわじわと追い詰めてはいるのだが、相手に決定打を繰り出せないでいる。相手の銃撃という遠距離攻撃に牽制されているのが問題なのだ。

 いくら死鬼神が物理耐性が高いとはいえ、まったく効かないわけではない。

 撃たれれば一瞬だが動きが止まる。その隙に逃げられる。



 "先程からこの繰り返しですが――これ以上は付き合ってはいられません"



 物陰に隠れつつ、小夜子はこめかみに浮かんだ汗を拭った。

 寺川亜紀の動きが鈍っているのは確実だ。

 女にしては驚くほど身のこなしが素早く、また体力もあるようだが、死鬼神の圧力に晒され続けて無事な人間などいない。

 刈り取れる。

 また、刈り取らねばならない。

 今ここでだ。



 ヒタリヒタリと水に沈むような感覚――それが自分の肌を埋めていく。

 それもまた理由の一つだった。初めてでは無い。呪力の行使による消耗である。

 紙人形を使役する式神とは異なり、死鬼神は異なる狭間からの召喚術に近い。

 当然のことながら、呪力の消費量も多くなる。

 もし呪力を使い果たしたならば、死鬼神は制御から解き放たれる。その結果無作為に暴れ回り、術者たる小夜子にも牙を剥くだろう。それだけは避けたかった。



 視界の片隅で、死鬼神がその角を振り回すのが見えた。

 濃い焦げ茶色の切っ先が惜しくも寺川を掠めた。右の二の腕の生地が割け、パッと赤い血が舞う。

 半ば感覚を死鬼神に同調させているため、寺川の表情も分かった。

 西洋人のように彫りの深い、それでいて女性らしい柔らかさを失っていない顔が美しい。

 称賛と嫉妬という相反する感情を抱きつつ、その顔が苦痛に歪むことに微かに喜びを覚えた。



 そんな自分に戸惑う。これは嫉妬か。



 死鬼神の更なる追撃、単純な体当たり。これもぎりぎりかわされた。

 時折寺川が妙な動きを見せるが、そのせいだろうか。

 不自然な加速、それに加えて人が見せるには余りに不自然な方向転換の二つを以て、彼女は死鬼神の猛攻をかわす。

 何か補助呪法のような物を行使しているのだろう。

 ならば、更にそれが負担になるはずだ。



 "貴女は敵なんです"



 人ならざる動きならば、死鬼神の方が上回る。

 半ば立ち上がっての右の前足の一振りは、見事に寺川の双並銃身式(ツインバレル)の小銃を弾き飛ばす。

 咄嗟の判断で防御したのは見事だが、その代償は大きかった。彼女の唯一の武器は遠くに放り出された。

 更に死鬼神の攻撃の余波で吹っ飛ばされ、手近な木箱に強かに背を打ち付けている。

 勝った、と小夜子が思ったのも無理は無かった。



 "一也さんの友達なんかじゃなくて、敵なんですから!"



「いっけええええええ!」



 自分の気持ちを誤魔化しつつ、小夜子は死鬼神を(はし)らせた。




******




 この窮地に追い込まれながらも、寺川は諦めてはいなかった。

 ダメージは深い。銃を失った時、同時に右手のグローブも切り裂かれていた。

 お気に入りのサバゲー用のグローブはもうずたぼろで二度と使えそうもなく、それ以上に右手の甲がやられたせいか指が上手く動かない。



 どちらにせよ、この手ではもう銃は撃てないだろう。リハビリとかこの時代にあるのだろうか。

 いや、あったとしても自分がリハビリをしている姿など想像出来ない。罪を犯してきた自覚くらいはあるからだ。



 他にも痛い箇所はたくさんある。

 左腕も銃の反動で軋む。肩や背中は打撲したのか、じんじんと熱い。腕や足にも切り傷がある。

 こうなるのが実戦なんだな、と数秒の間に彼女は考えた。

 それは思考とも呼べないほど、短い時間に流れた事実の認識と言葉の羅列だった。



 追い込まれているのは、間違いなく自分だ。だが何の手も打たないまま、ここまでやられたわけでも無かった。

 寺川もただ逃げ回っていただけではない。

 あの何やら正体不明の獣、死鬼神とか言ったか、の弱点を探しまわりつつ、回避し続けていたのである。

 銃弾がまともに通じないと分かった時は、これまでかと絶望した。だが根気良く浴びせている内に、分かってきたこともある。



 "傷つかないわけじゃない。回復が異様に速いのよ"



 弾を防御しているというよりはむしろ、受けた上でそれを埋め合わせているような感じなのだ。

 なるほど、そう見れば当たった瞬間に動きを止めるのも頷ける。

 傷は与えているのだ。ただし、恐ろしいスピードでそれを回復させているだけで。

 よく見れば、傷痕らしき物がその剛毛の上に幾つもある。動きに衰えが無いため見逃しそうであったが、ダメージ自体は与えられる。



 軋む腕を前へ。

 力を使う為に。

 回避の為に重力操作をやむ無く使わされてきたせいで、膝や足首にも負担がかかっていたのだが、それ以外には呪力は使っていない。

 攻撃の為には一切使わなかったのは、全ては起死回生の一発に賭ける為である。



 "私は――生きたい。競争なんか嫌い、もうたくさん、そんなものが無い社会で生きたい"



 獣が吠えた。

 あの女の子の声が響いた気がする。

 来る、まっすぐに自分に向かって。

 もう避けられない。だから代わりに。



「迎え撃つわ。呪法"重力操作"最大展開」



 ガチガチと自分の歯が鳴った。

 目の血管が破裂しそうな気がする。

 相手が凄い速度でこちらに迫っているのに、それが見える。視える。今なら――捉えられる!



重力弾(グラビティバレット)!」



 寺川の叫びと共に、彼女の周囲の空間が歪んだ。

 比喩では無い、突如として砂漠のまっただ中に放り込まれたかの如く、空間が波うったのである。

 小石は弾け、地面には割れ目が走り、回りに転がっていた木箱の残骸が粉微塵になった。

 力が自分のかざした左手の前に集中するのが分かる。



 重力の変動を一定地域に及ぼす特殊な呪法、重力操作。

 その力の対象範囲を可能な限り絞り込めば、発生するのは超高密度の空間である。

 大袈裟な言い方をするならば、小型の疑似ブラックホールだ。

 通常の重力からかかる負荷と、この重力弾(グラビティバレット)の負荷の差額がそのまま破壊力となり、対象物を引き裂く。



 直径10センチ程の黒い真円となった重力弾(グラビティバレット)が、狙いを外すことなく標的たる死鬼神を撃ち抜いた。

 その巨体から迸る咆哮は、まさにこの世の物ではない。身の毛もよだつほどの恐ろしい叫びに、寺川は身を竦めたが――笑んだ。



「回復の暇すらない、超重力の畳み掛けるような攻撃よ。もたないわ」



 その言葉通りだった。

 無敵かと思われた死鬼神の体、それが壊れていく。その胸の辺りに刺さった重力弾(グラビティバレット)の傷口が塞がらず、むしろそれが体の組織を食い荒らす黒い病魔のようにみるみる内に拡がる。

 形容し難い崩壊音を立てながら、その構造をバラバラにしながら、断末魔の叫びを上げながら、死を迎えていく。



 だが、それでも寺川亜紀にはもはや勝機は無かった。







 自分の視界を塞ぐ死鬼神の崩壊に、小夜子は動揺はした。

 だが、それは想定内だった。

 相手が何か狙っていると察知したのは単なる勘ではない。銃を失っても全く戦意を失わぬその目、それを死鬼神の視覚を通して見たからである。

 そこからの決断は速かった。



 死鬼神を失えば、どのみち小夜子には大した攻撃手段は無いのだ。

 ならば死鬼神の特攻に合わせて、自分も飛び込めばいい。ちょうどその体を盾として、影から這い寄るように。



「だから貴女は」



 黒々とした死鬼神の体はもはや無い。

 生き物かどうかも微妙なため、血も骨も消失してしまったようだ。

 だがその体が雲散霧消する時間を利用して、小夜子は前に飛び出す。



「この一撃をかわせない!」



 全力を使い果たしたのだろうか、それとも小夜子が突撃してくることまでは読めなかったのか。

 いずれにせよ、呆然とした様で目を見開く寺川に、小夜子は容赦しなかった。

 駆け抜けざま、棍で薙ぎ払う。脇腹に吸い込まれた渾身の一撃は、確かに相手の肋骨を破壊した。

 くぐもった呻き声をあげ、寺川が崩れ落ちる。

 一也と同じような防御服を着てたが、それで全て衝撃吸収出来るほど生易しい打撃ではなかった。



「が......は!」



 肺の奥から息を吐き出し、寺川が地面に這いつくばった。

 その膝を容赦なく棍で払い、完全に屈服させる。

 見下ろす小夜子、見上げる寺川。両者の視線が交錯し、やがて力無く寺川は項垂れた。噛み締めた唇に血が滲む。



「勝負あり、ですね」



 小夜子が棍を突き付けた。




******




 "おかしいな"



 "なんで私は、地面に顔を押し付けて悶絶しているのだろう"



 "何がいけなかったんだろう"



 寺川亜紀は自問する。

 敗北の屈辱をその身に刻みつけ、時折体を痙攣させながら。

 全力を注ぎ込んで重力弾(グラビティバレット)を放ち、力が抜けた状態で攻撃を受けたのだ。

 それまでのダメージの積み重ねで元々傷んでいた体は、それを耐えきるだけの余裕は無かった。



 へし折られた。肋骨も心も。



 競争なんか嫌だ、と世界に背を向けたこと自体がいけなかったのだろうか。

 土谷史沖が唱える共産主義めいた四民平等は、所詮は紛い物でしかなかったのだろうか。

 切磋琢磨して生きよというこの明治時代の潮流には、勝てなかったということか。



 "矛盾している"



 痛みに顔を歪めながら、寺川はようやく気がつく。

 自分が選んだ道自体は間違ってはいなかったとしても、その通し方が間違っていたのではと。

 真の四民平等を目指し、競争が無い社会を望むと言いながら、自分は自分の主義主張を押し通させる為に暴力を振るった。優劣を力で以て示そうとした。

 これは競争の一種だろう。正しいと信じる考えを、それと相反する方法で押し通そうとした。



「だから、かな」



「勝手に喋らないでください。傷に響きますから」



 ぽつりと零れた呟きに、紅藤小夜子が反応する。

 事件の貴重な関係者でもあることから、これ以上は傷付ける気も無いらしい。

 顔の左側でまとめた黒髪が印象的な、可愛らしい少女であった。



 この子に負けたのかと、寺川はぼんやりと考える。

 抵抗する力は、肉体にも精神にも残っていない。

 空っぽだった。空っぽのまま、自分の手首に縄がかけられたのを、黙って寺川は見ていた。



「呪法が使えるようなので、これでも完全に安心という訳では無いのですけどね。ひとまず捕縛完了とさせていただきます」



 小夜子の言葉が胸に響く。

 がらんと乾いた空洞の中に、ああ、終わったなという思いが千切れて舞った。



 "三嶋君はこんな私を見てどう思うだろう"



 小夜子に促されて立ち上がりながら、ふとそんなことを考える。



 "ほんのちょっとだけ――好きだったんだけどなあ"



 だが、そんなことを思っても。

 サバゲー部で笑いあっていた日々を想っても。

 それが報われることは無いと――ただ強く自覚して。



「歩けますか」



 虚ろに頷く。

 ついてこいということなのか、小夜子に軽く肩を叩かれた。

 理想を追い求める組織の重要人物から罪人へと転落したことを噛み締めつつ、寺川はよろよろと一歩踏み出した。

 その両の手を無様に縄で括られたまま、痛む脇腹をかばうようにして。




******




 ガガガガガガッと弾が連続で跳ねる音は遠くで、そしてまるで何かが粉砕されるような音は近くで。

 耳がおかしくなりそうだ、と一也は思った。いや、実はもうおかしくなっているのかもしれない。それが表面化していないため、自覚しないだけで。



 "M4カービン改じゃやっぱり抑えきれないか!"



 交戦当初こそ、連射力をフルに生かし中西を牽制出来ていた。

 だが、いくら普通のBB弾よりはましとはいえ、質量において鉛より軽い御影石製の弾では威力に劣る。

 弾速においても、きちんとライフリングの施された魔銃から放たれるより遅い。

 それを見抜かれた今、中西に攻勢に立たれていた。

 少しくらいは撃たれることを覚悟の上なのか、今までよりもリスクを取って踏み込んでくる。始末が悪い。



 また一発、相手から撃たれた。

 障害物に身を隠していたため当たりはしないが、思いの外、中西が使う回転式拳銃(リボルバー)の破壊力は高い。

 自分の後方で何かが派手にぶっ壊れる。

 確かめる暇は無い、代わりにM4カービン改を乱射する。当たれば儲け物くらいの気持ちだ。

 もし、中西を自由に動かせてしまえば、その時は自分の敗北に直結する。それくらいの覚悟が必要な相手であった。



 "二十戦して二十敗か"



 掃射する。

 空になったマガジンを放り投げ、惜しみ無く前面へと弾をばらまいた。

 正確な狙撃よりは、むしろ量で制圧する戦い方であった。

 もう替えのマガジンは無い。

 つまり今撃ち込んでいる分を使い果たしたならば、M4カービン改は弾切れだ。



 それでもいい。惜しみ無く戦力をつぎ込まない限り、勝てる見込みは無い。

 現にこれだけまとめてばらまいても、焦ることなく障害物(バリ)に身を隠されている。撃つならどうぞと言わんばかりの様子でだ。



 指が引き金を引き続ける。

 あと数秒もしない内に、マガジンは空になる。

 だが、ここまでよくもった方だ。

 これで倒せるなんて思っていない。釘付けに出来れば、M4カービン改は十分その役目を果たしたと言える。



 軽い音が手元から聞こえた。狙っていた辺りから響いていた跳ねるような音が消えた。

 意味するところは明白、弾切れだ。素早くM4カービン改を置き、肩にかけた魔銃にスイッチする。

 中西はまだ姿を見せない。

 銃身(バレル)は既にクールダウンされている、これならば魔銃も使えるだろう。

 武器交換の隙を狙われるのを恐れていたが、無駄と知りつつ掃射した甲斐はあったようだ。



 "ここからが本当の勝負だ"



 負けて負けて負け続けた相手を前にして。格の差だとはっきり宣告されて、それでも尚――勝たねばならない。

 勝ちたくてならない。自分が相手にしているのは。



 僅かに見えた敵影目掛けて、挨拶代わりの一発を撃ち込む。

 外れ、だが伝わったはずだ。

 もはや当たったら只では済まない武器を手にしていると。



「もう先輩でも何でもねえんだ。勝たせてもらうぜ!」



 火を噴くような戦意と共に、三嶋一也は二発目を叩き込んだ。

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