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ある乙女ゲーマーの一生

 戦闘開始から凡そ一時間が経過した。

 当初、数の上から劣勢と見られていた第三隊は相手の数を削り、ほぼ五分と言えるところにまで持ち込んでいる。

 それでも戦闘範囲が広域に渡り、全体の状況把握は難しい。いきおい個々に分断された戦いにおいて、目の前の敵を倒すことに必死になる。



 特に奥村順四朗と毛利美咲の場合は、それが顕著であった。

 他の者達とは違い、この二人の戦いの場は港湾地区の最奥である。距離も離れており、局地戦と呼ぶに相応しい。

 だがここを制したならば、両陣営にとってその意味は大きかった。



 第三隊が制すれば、神戦組の後背を突くことが可能になる。

 仮に順四朗一人であっても、少なくとも不意打ちの可能性は上がるだろう。

 逆に神戦組に与する毛利美咲が勝利した場合、もはや後顧を省みることなく前線に集中出来る。

 毛利は知る由もないが、前線では一対一の戦いが複数組まれる形に移行しているのだ。

 たった一人が加勢しただけでも、戦いの流れを引き寄せ、それが雪崩式に他の一対一の戦いを手繰り寄せる――その可能性は高かった。



 もっとも、剣撃を響かせる二人はその意味を考える余裕はなく、ただただ互いの体力を削りあうしかない。じわじわと、だが確実に雌雄を決する時は近づいていた。




******




 投擲短剣(スローイングナイフ)を使い果たし、もはや突き放すことも出来ない。

「やっばー」と弱音を吐く毛利に対し、順四朗は容赦がなかった。



「おらああっ!」



「うっわ、待って待ってえ!」



 上段からの力強い一撃を何とか受け止めるも、毛利の小柄な体はその勢いに押された。

 体勢が崩れ、隙が生じる。

 だが何故か順四朗は踏み込まない。絶好の好機にもかかわらず、間合いを取った。

 明らかに優勢に立っていたにもかかわらず、奇妙なことにそれを捨てていた。



 毛利にとっては、思わぬ幸運のはずである。

 なのに彼女の顔は渋い。舌打ちを鳴らしながら、自分の左手に視線を落とす。



「あら、バレちゃったか」



 可愛らしく舌を出すが、その表情には余裕は無い。

 冷や汗が一滴、そのこめかみをつたう。



「気がついたんは半分は当てずっぽうやけどな。あのまま踏み込んだら、ズバッと殺ってたやろ、自分。あー、怖い怖い」



 軽口を叩きつつも、順四朗は本気でそう思っていた。その視線が毛利の左手に向く。

 彼女の武器である短剣(ナイフ)――いや長さから考えれば小剣と呼んだ方が適切か――は、右手に握られているのにである。



 そこには何も無いはずであった。投擲短剣(スローイングナイフ)を投げる為の空きを作るためである。

 だが、よくよく目を凝らせばうっすらと見えてくる物があった。

 黒と銀の中間色のような一筋の線である。全く見えないというほどではないが、意識して集中しない限りは分からない。それほどに、容易に背景に溶け込む。



「鋼糸か。なるほど、それが自分が大して音もさせずに、物置小屋に飛び上がれた秘密か。短剣(ナイフ)だけやなしに、そんな暗器まで使うとは、芸達者やな」



「くうー、気づかれる前に一発で仕留める気だったんだけどなあ。中々上手くいかないものね」



 順四朗の指摘は図星であった。

 視認が至難な程、鋭く細く研ぎ澄まされた鋼の糸、それが鋼糸である。

 扱いが難しく、またその性質上防御には使いがたいことからあまり一般的な武器ではない。だが袖や襟に隠して、ここぞという時に引き出して使える為、暗器として一定の需要はある、そのような武器であった。

 順四朗の言う通り、糸という特性を生かして物体に巻き付け、移動の補助にも使えるのも特徴であった。



「あんた結構な使い手やわ。ほめたる」



「あら、どーも。感謝しちゃうわ」



「けどな、暗器ってのはこっそり使うから意味あんねん」



 一段低くなった順四朗の構えに、毛利の警戒心が高まった。

 正直に言えば、相当追い込まれている。

 わざとやられた振りをして、視界外からの鋼糸による一撃などという危なっかしい仕掛をしたのも、もはや正攻法では勝てないと悟ったからであった。



「そうねえ、手品の種ってばれたら案外つまんないもんねえ」



 だが、それで諦めるほど、毛利美咲という女は簡単ではなかった。



「せやろうな。けど窮鼠猫を噛むって諺あるやん。あんた、まさに追い詰められた鼠やさかい、きっちり仕留めるで」



 そして奥村順四朗という男は、真剣勝負においてけして油断はしない男でおった。



「油断のゆの字も無いんだ、女の子に手加減て知らないの? 野暮ねー」



「知らんがな、そんな命がけの粋なんぞ。格好つけの江戸っ子ならいざ知らず、生粋の大坂生まれやからな!」



 静から動への切り替えは、まさに一瞬。

 これまでで最速と呼べる踏み込みで、順四朗が迫る。

 それを左手を振るい、毛利が鋼糸で迎撃する。

 空に弧を描き、不可視の一閃が順四朗に迫った。

 速い、そして鋭い。長さ二間半――約4.5メートル――まで届く鋼糸である。刀一本しか持たない順四朗では、どうしても先手をうたれてしまう。

 それでいて尚、剣士は吠えた。



「案外な、読みやすいねん!」



 下から上へ狂桜(くるいざくら)が閃いた。

 鉄すらも両断する日本刀は、容易に鋼糸を弾き返す。

 いかに糸自体が見え難くとも、軌道自体は使い手の腕の振り通りである。順四朗ほどの剣の使い手であれば、読めなくはない。

 弾かれた鋼糸は勢いを失い地に落ちかける、とみるや毛利の手首が翻り、二度三度と順四朗に襲いかかった。

 時間差をつけられ、軌道が変わる。

 だが、それすらも順四朗の体には届かない。



「万全の状態やったらともかくな」



 体力の消耗から、相手の攻撃に鋭さが欠けている。

 それはもはや演技ではない、確信した。ならば、次で仕留められるか――いや!



 ほぼ勘だけで、順四朗は体を反転させた。右足を軸に、左足を引くように。その回避した空間を何かが薙ぐ。

 相手が地を削るように走らせた靴底、そこから放たれた一撃と見破った瞬間には間合いを一挙に詰めていた。

「あっ」と呆気にとられたような毛利の顔が見えた。



 回避の体勢そのままに、順四朗が右半身の構えで寄せる。

 その間に刀は一度鞘へと戻った。

 そこから放たれるは、順四朗の唯一にして絶対の技に他ならない。

 唯一これだけを不器用に磨き続けた男の生きざまが、鞘から迸る。



「呪法補助式抜刀術"影爪"」



 腰の捻りが、そして腕の振りが加速して生み出した一撃を前にして。



 "ここまでね"



 毛利は諦めるしかなかった。








「危なかったわ、最後の一撃。まさか靴底に鋼糸仕込んどるとは思わんかった」



 膝から崩れた相手に狂桜(くるいざくら)を突きつけ、順四朗は左手で頭を掻いた。

 今思い返しても身震いするが、毛利は右足の靴底に鋼糸を隠し持っていたのである。

 地面を蹴った際の反動で蓋を開け、蹴りの勢いのまま鋼糸で攻撃を仕掛ける――まさに暗器に相応しい変則的な使い方であった。



「......は、ずしちゃっ、たら、意味ないでしょ」



「せやな。おっと、喋らん方がええで。傷が開くさかい」



「......いい」



 順四朗の"影爪"に、胴を横に切り裂かれたのだ。

 毛利の傷は深い。内臓まで刃は届いたのだろう、力なく手をあてがっても指の間から血は流れ続ける。

 どうみても致命傷だ。

 切られた傷が熱い。

 流れ出る血と共に、毛利は自分の命が削られていくのを認めざるを得なかった。体はどう足掻いても動かない。



 "あーあ、こんなはずじゃあなかったのになあ"



 意識が遠退く。呼吸が細い。

 勝手に自分の頭の中に、映像が流れ始めた。

 ぼやりと現実の視野が歪み、代わりに頭の中のそれと入れ替わる――ああ、走馬灯ってやつかな、とうっすらと思う。



 闇の中、ぽかんと白い空間があった。そこに毛利が見たのは幻だろうか。小さな手が、ぷにぷにした柔らかそうなほっぺたの生き物。

 ああ、そうかと納得する。

 あのピンクのベビー服を着た赤ん坊は、生まれたばかりの自分だろう。まだ若い両親に抱かれ、ふにゃふにゃした手を伸ばしている。

 掴もうとしているのは、そうだ、ぬいぐるみだ。

 白い兎と黒い兎のペアの、今は亡くなった祖母がくれた、とても大事にしていた物だった。押し入れの片隅にまだあったはずだ。



 場面が切り替わる。

 十歳くらいになった毛利が、何やら台所で奮闘している。セーターを着ているから、恐らく冬なのだろう。髪は今より長かったんだな、と毛利は懐かしく思う。

 昔の自分が口の端に付く茶色い汚れを拭いては舐めて、小鍋の中の茶色いドロリとした液体をすくっては舐めている。

「馬鹿、あたし」と呟いた――気がする。

 バレンタインのチョコ、無くなっちゃうじゃない。綺麗にラッピングして、明日好きな男の子にあげるんじゃなかったの? 

 ほんと昔っからあたしって詰めが甘いんだから。



 その後も、カメラのシャッターを切るかのように、記憶の中から映像が引っ張り出されては消えていった。

 中学、高校の時に所属していたテニス部の思い出。

 定期試験前の恒例となっていた友人との勉強会。

 初めて買ってもらった携帯が嬉しくて、夢中に触っている内に夜中になってしまっていたこと。

 気になっていた男の子とデートした帰りに、自然と手を繋ぐことになって。

 帰宅してから、そんな自分にニヤニヤしてしまったこともあった。



 "あそこで道を踏み外さなかったら、こんなことには"



 大学生になってからだ、乙女ゲーという禁断の果実に手を伸ばしてしまったのは。

「面白いよ、美咲もやってみたら」と友人に勧められ、手を出したのがいけなかった。

 最初はまさにザ・青春と名付けたくなる爽やかな恋愛物だけやっていたが、徐々に泥々したテイストのゲームにもはまるようになってしまった。

 現実を超越した過激な設定と美麗なグラフィックのコンボは、じわじわと毛利の心を掴んで離さなくなった。



 "――ならなかったかもね"



 自分はこのままここで死んで。もう乙女ゲーも出来ないのだ。

 "背徳のトライアングル~義父と先生と義弟の間で"の三週目もクリア出来ないまま、終わってしまう。

 あれがクリアできたら、隠しキャラの義兄を攻略対象に出来るはずなのに。

 だが、その願いは果たせそうもない。



「何ぞ最後に言い残すことあるか」



 どこか、遠くから声がした気がする。

 喉を絞りあげ、掠れたような声で答えた。



「もう一度、乙女ゲー、や、りたかった、なあ」



 それが、毛利美咲の現世に残した最後の言葉であった。




******




「おとめげーって何やねん......」



 毛利の瞳から光が失われたことを確認しつつ、順四朗は首を傾げた。

 おとめ、は乙女という意味だろうというのは推察出来たが、げーというのがさっぱり分からない。

 遺言くらい聞いてやるかと似合わぬ優しさを出した結果、思わぬ謎に出くわしてしまった。



 "どうも妙な連中やなあ"



 同じ人間のはずなのに、何故にこうなのだろう。

 黒髪黒目の風貌と顔の造りから判断するに、日本人だとは思う。思うのだが、中身が違い過ぎる気がした。



 "一也ん、こいつらと友人やったて言うてるけど、どういうことしてたんやろ"



 息を大きく吐き出す。不可解だなとは思うが、今の順四朗にはどうしようもない。

 別に一也のことを疑っている訳ではない。どうにも自分では理解出来ないことが多すぎて、少々頭が疲れているだけだ。

 愛刀の血糊を拭い鞘に戻すと、やっと人心地が着いた気がした。



「来世ではもうちょいましな人生掴むんやな、毛利ちゃん」



 もはや動かぬ強敵に一瞥をくれる。

 歩きながらふと一服だけ喫いたくなり、寸燐(マッチ)を取りだし――そして止めた。仕事が終わるまではお預けと、自分で戒めたのだ。

 名残惜しそうに軽く顔をしかめた後、順四朗は再び戦場へと意識を向けた。後ろを振り向くことは無い。




******




 毛利美咲が命を落としたちょうどその時、寺川亜紀はまた別の相手と直面していた。

 もし毛利の死を知ったならば、動揺して隙を見せていたか。それとも激昂して力を振り絞っていたか。

 それは分からない。

 恐らく天上から覗きこむ神以外には、誰も知りようがないことである。



 彼女が分かることはただ一つ。

 自分の相手となったこの得体のしれない生物をどうにかしない限り、この場を切り抜けることは出来ないということである。



「追って、死鬼神! 少々の鉛弾なんか効かないはず!」



「くっ――舐めないでね!」



 紅藤小夜子といったか、あの若い女性警官は。

 紺色の制服に小柄な身を包む姿は、寺川の目には中学生くらいにしか見えない。

 だが侮れないのは百も承知である。彼女が操る死鬼神なる謎の獣に、さっきから押されっぱなしなのだから。それでも負けるわけにはいかない。



 何発も射撃した反動か、手が震える。

 だが重力操作で構えを補助し、またも弾丸を浴びせた。



「いい加減倒れなさいよ!」



「負けるもんですかっ!」



 小夜子も引く気は毛頭ない。

 あの世とこの世の境界線と繋がる死鬼神は、物理的な攻撃が効きづらい。その特性をいかし、強引に弾丸を呑み込ませる。巨大な顎が開いたと思った瞬間には、鉛弾がそれに捕らえられていた。

 ぶしゅう、と獣は不服そうな唸り声をあげる。獲物はこれじゃないとでも言うように。



 "私、勝たなきゃいけないんです"



 じわじわと呪力を消耗しつつも、小夜子はただまっすぐに寺川を見つめ。



 "こんなところで終われない"



 ゴーグルをかなぐり捨てて、寺川は最後の賭けに出る決意を固めた。

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