第三隊 対 神戦組 参
"俺が相手にしているのは誰なんだろうか。あれは本当に俺の知っている中田なのか"
神経を最大限に張り詰めて交戦するその最中、一也はそう思わずにいられない。
大小様々な木箱、ぽつんと置かれる簡易な倉庫を障害物にして、一也は戦っている。
誰と? 何を?
相手は大学の友人の中田正で、戦闘条件は本物の銃を使った――殺し合いだ。
サバゲー部内での試合なら、中田と敵対したことは何度でもある。
だが、それは所詮はトイガンとBB弾を用いた平和な物だ。撃たれたら「ヒット!」と申告し、速やかにフィールド外に退去する。撃った方もそれ以上は攻撃しない。ルールとマナーに基づいた、少々過激だけど安全な趣味。
たまに転んだりして怪我はしても、その程度の被害で済む。
非日常という程よい刺激を楽しむ時間に過ぎない。
いや、過ぎなかった。
だが――今は違う。
自分が持つ魔銃の引き金を引く度、トイガンには無い重い衝撃が指と腕に走る。
外れた弾丸は着弾の衝撃と共に火花と甲高い音を撒き散らし、どこかに消えていく。
とても目では追えない。もしこれがBB弾ならば弾道を視認することくらいは出来るのだが、それも到底不可能だ。
秒速で何メートルほどの弾速だろうかという刹那の思考、それは一瞬にして過ぎ去り、行動の優先権は身体が握る。
圧倒的な弾数を誇るガトリングガンに対し、こちらはフルオートで撃っても一度に六発だ。
真っ向から戦えばまるで相手にならないが、こうして障害物越しに狙うことでどうにか勝負になっている。
重く取り回しに難があるガトリングガンは、そもそも機敏さが要求される狙撃戦には向いていない。
動き出しの遅さと狙いの不安定さを、その連射力でカバーしている形である。
だが、それでも。
「うわっ!」
自分の隠れる大きめの木箱の角、それが吹き飛ぶ。
まとめて鉛弾を浴びせられたせいだ。巨人の指がちぎりとったかのように、頑丈な木材が壊され無惨な断面を晒す。
この破壊力を目にしつつも、退くことは許されない。
恐怖に打ち克って、相手を沈めなくてはならない。
それが三嶋一也のミッションだった。
"距離を取り、何とか遠距離狙撃で仕留める"
上手く立ち回り、何とかその状況に持っていく。
射程はこちらの方が長いというのは把握した。
ならば、引き離し、あえてこちらの姿を視認させた上で――いけるか?
セオリー通り、危険の少ない障害物に向かって右から乗り出す。
二発撃ち込む。牽制だ、当たることはあまり期待していない。
だから、ここからは走れ。
引き離せ。体力の続く限り。
******
「中田正です。高校まではラグビーやってました。ポジションはフランカーって言って......まあ、何というか体力必要なポジションやってました。よろしくお願いします」
「三嶋一也です。高二まで陸上で幅跳びしてました。サバイバルゲームは初めてですけど、よろしくお願いします」
立候大学サバイバルゲーム部の春は、同時に新入生勧誘活動の春でもある。
どこの部活もサークルも同じではあるが、この時期に新入生を確保するのは至上命題だ。
入学式から二週間が経過したこの日は、サバゲー部にとっては仮入部希望者が自己紹介する日であった。
正式な入部ではないものの、一度体験させてもらった上でここにいるのである。殆ど正部員と考えてもいい。
つまり、立て続けに自己紹介した二人の男子は貴重な新戦力という訳である。
「ようこそ、立候大学サバイバルゲーム部へ。二回生の中西だ。部長が今はいないので、俺が代わりに歓迎するよ」
「はーい、可愛い一回生諸君! あたし、中西と同じ二回生の毛利美咲。仲良く遊ぼうね!」
他に何人か部員がいる中、二人の男女が代表して挨拶をした。
小柄ながらただ者ならぬ雰囲気を醸し出す男は中西と名乗り、ショートカットが可愛らしい女が毛利と言うらしい。
三回生は授業のせいか、今日はまだ来ていないらしかった。
「中田君はいいガタイをしているな。別に面接じゃ無いんだが、何故サバゲーに興味を持ったか聞いてもいいか」
「ん、非日常の空間って匂いがきっかけっすかね。アウトドア好きだし、楽しそうかなと思って」
「うん、いいねえ、男の子って感じで」
中西と毛利の二人に挟まれる形で、まずは中田が答える。
身長は180センチを越え、そしてそれ以上に身体に厚みがあった。
元々ラグビーをしていたというのも頷ける。隣に立つ一也が際立って細く見える。
「ラグビーやってたんだ、凄いな」と何となく一也が声をかけると、中田は「おう。ま、県予選三回戦止まりってレベルだったけどな」と笑った。
気持ちのいい笑顔であった。
「三嶋君は?」
「はい。陸上で幅跳びしてました。高校二年の冬まででしたけど」
「道理でバネがありそうな動きをしていた訳だ。途中で退部したのか?」
中西の問いに、どう答えたものか迷う。だがそれも一瞬だった。
「膝を痛めて、リハビリせざるを得なかったんです。治ったのは三年の引退試合が終わった後で――だから実質二年の冬まで」
「――そうか、済まないな、余計なことを聞いた」
中西の謝罪に軽く頭を振る。
所詮、過去のことである。それに、何となく陸上に興味が持てなくなっていた矢先の怪我であった。
リハビリに時間がかかったのは本当だったが、怪我にかこつけて幅跳びから離れたと言えなくもない。
不完全燃焼と言うよりは、燃やすべき情熱がいつの間にか消えていた。
それが一也の高校生活であった。
「サバゲーは全然やったことは無かったですが、トイガン持たせてもらえて楽しかったので。それに」
「それに?」
「ヒットした時、ちょっと感動しちゃったんで。もっとやりたいなと思いました」
一也の言葉に中西が納得したように頷く。
「君は筋がいい。初めてのサバゲーで当てるのは、結構レアだからな」と中西が誉めたのと、毛利が「えっ、三嶋君て初陣で脱童貞したの!?」と目を丸くしたのは同時であった。
「だ、脱童貞って何ですか!?」
「昔って合戦とかで初めて人斬ったらそう言ったらしいじゃん。えー、何、何かいやらしー意味に捉えちゃったのかなー、三嶋くーん?」
「よせ、毛利、赤くなってるだろ。あんまり一回生からかって遊ぶなよ」
そんな実に和気藹々とした時間が流れる中、部室のドアが控え目にノックされた。
手の空いている部員がドアを開けると、軽くお辞儀をした人影が立っていた。
逆光の中、その頭が上がる。
「あの、サバイバルゲーム部の部室はこちらですか?」
綺麗なソプラノが響く。
ジーンズに白いカットソーという飾り気の無い服装ではあったが、それでもその人物のスタイルの良さは際立っていた。
思わずその場の男子達が浮き足立つ。
"あの子、確か体験入部の時にいたな"
ついこの間の記憶が、一也の脳裏に甦る。
そうだ、あの時は邪魔になるからと髪をポニーテールにしていたんだ。
今は普通に肩までかかるセミロングだけど、印象が結構違う。
「あの子も入部希望かな?」
「そうじゃね?」
一也と中田が小声で話す内に、その女の子はさっと部屋に踏み込んだ。背筋の伸びた凛とした姿勢が印象的である。
「寺川亜紀です。サバイバルゲーム部に入部を希望します。どうぞよろしくお願いいたします」
******
"何をこんな時に"
少しずつ少しずつ押し返す。
いかに中田が力があるとはいえ、あの重いガトリングガンをいつまでも振り回せる訳ではない。
魔銃とM4カービン改の二挺持ちとはいえ、それでも一也の方が体力的な負荷は軽い。
移動、そして攻撃。一歩ごとに、一発ごとに――中田を追い詰める。
さっきは誤差50センチで外れたが、今は誤差40センチまで詰めた。
動き出しの速さとスタミナの差が、ここに来てようやく形になってきた。
"俺は昔のことなんか思い出しちまってるんだよ!"
身体は動く。
だけど心は重い。
罪の無い一般市民まで巻き込んだテロリストと、同級生の友人の姿がどうしても重ならなくて――重ねられなくて、一也は苦しんでいた。
それでも指は引き金を求めて半ば自動で動く。
目は次の障害物を探す。鍛えあげられた脚力は、未だに低い姿勢を保ち続ける。
心は......迷いを捨てたはずの心だけが。
"もう昔には戻れないって分かっているんだ、分かっているはずなんだ"
ヘレナも言っていたはずだ。
過去が理由で捜査中に迷うようなことがあれば、それが命取りになるかもしれないと。
実際、こちらも大概きつい状況だ。
小夜子から借りた式神二体はもはや紙屑同然だし、呪法"鉄甲"も四度の使用を余儀なくされている。
能動的な防御手段はほぼ使い果たしたと言っていい。
だがガトリングガンの圧倒的な弾数を考えれば、これでも被害は少ない方だ。
むしろよく耐えていると称賛される出来である。
ここまで耐え抜いたのは何の為だ。
勝つ為じゃないのか。
私事は捨てろ。私心は捨てろ。撃つべき相手に集中するんだ。
戦場の中では、ちょっとした集中力の欠如が命取りになるんだってことは。
「嫌というほど叩きこまれてきたろうが!」
自分に活を入れ、五度目の"鉄甲"を発動させる。
かわしきれなかった弾丸が左腕を襲い、肩ごと引きちぎりそうな痛みが走った。
呻き声をあげつつ次の障害物に飛び込む。
隠れる寸前に一発撃ち込んだのは、せめてもの意地だった。
息を整え汗を拭う。
中田の位置は把握出来ている。
自分との間合いは既に一町以上離れているが、距離を詰める気が無いのか。
ガトリングガンの射程を勘違いしているのか、あるいは――もはや詰めきるだけのスタミナが残っていないのか。
勝負を賭けるタイミングを測りつつ、一也は更に間合いを外す。
ちらと見えた中田の姿、視界に入る木箱の位置から距離と方角を正確に読み取る。
散々逃げ回されたおかげなのか、それで十分正確な間合いは掴めた。
いける、こちらの唯一の勝ちパターンまで持っていける。
「ちっ、ちょろちょろちょろちょろとさっきから――」
かなり遠くに三嶋一也の姿を認め、中田は吐き出すように呟いた。
息が荒い。追い回されている一也も大概だろうが、ガトリングガンを抱えたまま追うこちらもきつい。
火力で吹き飛ばせば容易と踏んだのは浅はかだったか。いや、そんなことを気にしても仕方が無い。
「くっ、また隠れやがるしよ」
そうだ、今はとにかく相手を仕留めることだけを考えろ。一也だって疲労しているはずだ。
ガトリングガンの連射性能を最大にして薙ぎ払えば、今後こそ逃げきれる訳が無い。
いや、逃がしてたまるものか。
六つの銃身を束ねた異形の重火器が持ち上がる。
それを支える左腕は痺れかけ、ハンドルを回す右腕も重い。
それでも諦めるか。諦めてたまるか。
この場を切り抜けさえすれば、戻れるんだ。自分がいるべき場所に戻れるのならば――
「――誰だろうと吹っ飛ばしてやらあ!」
「そうかよ」
聞こえるはずのない声、それが中田をびくりとさせた。
殺気だ、だからただの幻聴だと納得させつつ方角を特定。
そうか、左だ。
体を回す。いや、回そうとする。
だが疲労した身体は重く、ガトリングガンを上手く取り回せない。頭だけが先に動き、身体は棒立ちになった。
「一也」
遥か遠く。予想していたより遥かに遠く。
その銃口はピタリと一分のずれもない。
お手本のような射撃姿勢で自分を狙っているのは、見間違えるはずもない友人の姿だった。
「終わりだ、中田」
温存していた呪力を注ぎ込む。
発動させた呪法"狙撃眼"の力で、一也の視界がクリアになった。
距離凡そ一町と半分、約160メートルだ。
近くは無い、だが、静止した標的相手ならばそれでも十分であった。
屍妖魚の時とは違う。
迷いは切り捨て、火薬に替えた。張り詰めた理性が姿勢を支え、闘志が弾に乗り移る。
フルオートで叩きこむ。
重い衝撃が手に伝わり、感覚的にはほぼ同時に中田が吹き飛んだ。
狙撃眼で捉え続けたせいか、自分のほんの目の前で倒れたようにも思えた。
首や胸の辺りを直撃したらしい。鮮血が舞い、見慣れた大きな体が不格好に捻れて倒れた。
「おい」
思わず声が出た。
ひりついた喉から出た声は自分でも驚くほどひび割れていて、そして掠れていた。
「おい、中田」
半ば無意識の内に、右手を伸ばしていた。
虚しくさ迷う指が、まだ狙撃眼で捉えていた中田正の姿と重なり通り過ぎる。
地面に溢れた赤い血の跡をなぞるように。
一也の膝が落ちた。
体から力が抜けそうになる。
言葉にならない叫び声は、しかし喉を痛めるだけで自分の耳にも届かなかった。
それがただひたすらに――悲しかった。




