戦いの朝
目を閉じる。
視界に焼き付いた黒い煙が瞼の奥に甦る。
あの後、いてもたってもいられずに小夜子と共に外に出た。
怪我をして呻いている人が路傍に転がり、横転した馬車は粉々になっていた。煤だらけになった女性が背中を丸めており、その動かぬ体を幼児が泣きながら押していた。
凄惨な情景に、胃がひっくり返りそうになるのを必死でこらえた。恐怖とそれを上回る怒りで涙が滲んだ。
"おかーさん、おかーさん"と呼び続ける子供の声は、今も一也の耳から離れない。
目を開ける。
馬車の座席から伝わる震動が、一也の意識を引き戻す。
ほぼ漆黒に染め直したBDUは体にしっくりと馴染み、ビブラム底の頑丈なコンバットブーツは足首までしっかりと固めている。
昨日の光景に、頭の一部が沸騰しそうだ。それを冷たく理性で包む。
BDUとお揃いの黒いグローブをつけた手は、微塵も震えてはいない。
腰の後ろに回したマガジンラックには十分な弾数をストックしている。
引き金を引く準備は、既に整っていた。それこそ一分の隙も無い程に。
馬車の速度が緩やかになっていく。隣に座る順四朗が全員に声をかけた。
「あと二町程で着くで」
ヘレナが、小夜子が、そして一也が一様に頷いた。
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神戦組の挑発的な決闘状に乗るかどうかは、当然物議を醸し出した。
相手が自分から居所を明らかにした以上、構うことなく全戦力を叩きつけて一蹴するべしという意見。
爆弾が横浜中にばらまかれるかもしれない、という危険が否定できないならば、第三隊のみだけで神戦組を鎮圧するべしという意見。
神奈川県警と第三隊の間で激しい意見交換がなされたが、最終的には後者が通った次第である。
「ヘレナさん、今更ですけど私らも命を賭ける覚悟くらいはありますよ」
馬車を降りたヘレナに金田が声をかける。
彼と岩尾が召集した警官隊七十名は、後詰めということで待機していた。縁起でも無い話ではあるが、第三隊の四名が殉職した場合、迷うことなく彼らは土谷を討ちにかかることになっている。
そんな展開にならないことを祈るばかりだ、と金田は真剣に思っていた。
だから言外に、自分達も助勢したい旨を伝えたのだ。
神戦組が爆弾をこれ以上保持しているかは分からない。
単なる脅しであった場合、特務課第三隊の四人はみすみす罠にはまりこみに行く訳である。
そのような真似はさせたくないという程度には、金田は義理人情に厚い男であった。
「感謝しますがもう決めたことです。土谷史沖は我々が獲る」
「――分かりました。ご無事を」
「警部、そろそろ。我々はここから先はまずいかと」
ヘレナに頭を下げる金田を、岩尾が制する。
彼の目の下にも隈が浮かんでいるのを認め、ヘレナは「心配には値しないさ。昼寝でもして待っていてくれ」と笑った。
その背に続く三嶋一也が振り返る。
「あいつらを逃がしはしませんよ。どこに逃げたって、俺の魔銃が追い詰める」
「だから安心して待っていて下さいね。何かあったら連絡の式神飛ばしますから!」
「横浜の町には指一本触れさせんよって、安心しいや。神戦組なんか己の刀の錆にしたるさかい」
小夜子と順四朗もそう言うのであれば、頷く他は無い。それに確かにこれ以上進むのは危険であった。
神戦組が指定してきた港湾地区は、ここから先の海沿いの地域である。
地図で言うならば、関内からやや北に当たる辺りだ。幕末末期の頃から急速に開発された地域であり、人が住むような場所ではない。
石と堅い土で埋め立てされた地面に、貨物船に積み込む木箱が積み重ねられている。
それを動かす為の原始的な起重機や、荒い鉄鋲が剥き出しの倉庫も所々に存在していた。
つまりは見通しはよろしくは無く、ある程度高低差もある場所だ。不用意に踏み込めば、高所から姿を視認される恐れもある。
金田も岩尾もそれを承知しているからこそ、そこで潔く足を止めた。
神奈川県警の期待を背中に浴びながら、四人は慎重に進む。
潮風も爽やかな十月三日の早朝、空気は穏やかであり海鳥の声が空に響いている。
だが、これがいつ火線飛び交う鉄火場になっても不思議は無かった。
「今のところ、周りに人の気配は無しですね」
偵察用の式神を飛ばしていた小夜子が報告する。掌大の小さな式神を使い、彼女は索敵を行っていたのだ。
その範囲、凡そ小夜子の前方一町余り――約109メートル。平野部ならともかく、障害物が多い場所だとこれが限界である。
一也は頭の中に地図を思い浮かべる。
既に港湾地区の一角に足を踏み入れている。
四人で倉庫らしき建物の陰に隠れつつ、様子を伺っているところだ。記憶が正しければ、ここから四町余りこのような光景が続き、そこを抜ければ海沿いだ。
神戦組に追い払われたのか、港湾地区で普段見る船乗りや船大工などは全く見かけない。静まり返った地区に響くのは、ただ波の音だけだ。
「そうか。構成員の配置はこの辺りにはしていないか」
「恐らくは。隠密呪法でも使っていれば、また別ですけれど」
ヘレナと小夜子が小声で意見を交わす。
一也はそれを聞きつつも、周囲の気配を探ることに集中していた。
第六感という物は無いが、サバイバルゲームでも草木の揺れや足音で敵を察知することはある。
呪法を修得した今、その恩恵なのか聴覚も少し鋭敏になっている。
大丈夫、いない。少なくとも1アクションで射撃してくる位置には。
「俺もいないと思います」
「よし、分かった。順四朗は?」
「刀使いの常識内って前提でやけど、まあいないんちゃう? しかし、あれやな。一也んの話やと銃持ちが多そうやし、己には相性悪そう」
一也に答えつつ話を振ってきたヘレナに、些か情けない調子で順四朗が答えた。
無理も無い。この四人の中では順四朗だけが、遠距離攻撃に対しての対抗手段が無いのだ。
小夜子ですら、式神を駆使して何とかなる目処があるのにである。
「刀で銃弾弾き返したり出来ますよね?」
「出来へん、出来へん! そもそも試す機会が無いのに、実戦でいきなり成功せえへんわ!」
「あー、じゃあ私とヘレナさんの愛情で守ってあげちゃいますね、うふふふ」
小夜子の言葉にヘレナは微妙な顔をした。
愛情などと言っているが、小夜子の式神にヘレナが防御系魔術を施したお守りのことである。
式神を媒介とするので、術者で無くても持っているだけで効果を発揮する。
全員が一つずつ装備しており、そういう意味では愛情と呼べなくも無いが――
「止めてくれ、背中がむず痒くなる」
「小夜ちゃんはともかく、隊長から愛情って何や奇妙なきぶ......」
「ほう、お前、お守りいらないなら返せよ?」
「冗談です、冗談! 頼りにさせてもらってますう!」
ヘレナと順四朗のいつもの掛け合いである。死地を前にしてこのような軽口が叩けるならば、まずは大丈夫だろう。
一也はそっと胸ポケットを撫でた。彼が貰ったお守りはそこにある。
愛情かどうかは知らないが、微かに感じる呪力が背中を押してくれる気がした。
緊張が解れたのはいいとして、このまま座していても仕方がない。敵陣に迫る最適なコースは無いかと、一也が僅かに頭を傾けて前を見た時だった。
「何だ、あれ?」
思わず呟いた。
何か白いひらひらした物が落ちてくる。
潮風に翻弄される動きは、紙飛行機とか風で吹き飛ばされた洗濯物を思わせる。
だが、確かにそれはこちらを目指していた。
M4カービン改を構えてみたが、結局それは静かに着地した。何らかの攻撃手段の可能性もあるため用心したが、数分経過しても何も起こらない。
小夜子が調べてみたところ、特に敵意が感じられる物では無かった。
用心しながら、一也がM4カービン改で引っ掛けてたぐり寄せる。
ただの紙切れなら無視したが、何らかの文字が書かれているのが見えたのだ。四人でそれを確認する。
"この文を読んでいるであろう、第三隊の四名へ。約束通り赴いたこと、感謝する。返礼としてこちらの陣容をご連絡する。一般構成員 二十名、特殊戦闘員 四名、組長こと土谷史沖 一名。総勢二十五名なり。この港湾地区を舞台に堂々と戦いたし"
短い文面である。わざと偽の情報を流し、こちらを撹乱させる手かとも思う。
だが、先刻よりの気配の無さを考えると、確かにこの程度の数しか存在しなくても不思議ではないとも言えた。
どのみち土谷を捕まえる為には進むしかないのだが、敵の戦力が分かれば作戦の参考にはなる。
恐らく特殊戦闘員の四名とは、中西達のことだろう。
それを含めても総勢二十五名とは、些か武装勢力としては頼りない人数である。
だが、それに抗うのはたったの四名だ。数の差は歴然であり、真正面から戦えば勝ち目は無い。
"にもかかわらず、じっと待ってるってことは――単純に動く気は無いってことだ"
一也は考える。
絶対に背後を突かれたくない場合、べたべたに後方に引いて守る戦術がセオリーである。
大将の土谷は恐らく後方に位置していることを考えれば、脇を抜かれて一気に奇襲されることを恐れてのことか。
その利点を保ちつつ焦れたこちらを待ち構え、確実に倒す気ということだろう。
「さっきの紙が式神を用いた一種だとしたら、大体のこちらの位置を相手は把握していて届けたわけです。その上で攻めてこないなら、こちらから出なければ膠着状態です」
「このまま待機し続けての我慢比べは、こちらは出来ないからな」
「はい。横浜市民の不安が募りますから」
ヘレナに説明しつつ、一也は考えをまとめる。
いつまた街角で神戦組の爆弾が炸裂しないかという不安を抱えている以上、早期に神戦組を排除したい。
ならば、不利を承知で攻め込むしか手は無かった。
「俺が先陣を切ります。後にヘレナさんと小夜子さん、最後尾に順四朗さんでどうですか。俺達三人が正面突破する一方で、ぐるりと大外回して順四朗さんが側面、出来れば後背を突くというのは」
「そらまた大役で......土谷の背後狙えたらええけどな」
一也の意見に順四朗が苦笑する。
言うほど簡単な役割ではないが、遠距離ではどうにもならない彼にはこの役割が適任だろう。即ち、ひっそりと戦線を静かに移動しての奇襲だ。
結局、ヘレナがこの策を承認しいよいよ実行するかという頃、ちょうど彼女の懐中時計が八時を指した。
その長針がカチリと鳴る。同時に、つんざくような音が響いた。「銃撃!?」と真っ先に一也が反応する。
だが、自分達の周りにはどこにも着弾した様子は無い。それに銃声自体も随分遠くのようであった。
「ふん――なるほど」
「こりゃあ、あれやわ。戦闘開始の」
ヘレナと順四朗が呟く。それで小夜子も気がついた。
「彼らなりの合図ってことですね。約束の時間になったから」
「無頼の集団のくせによく吼える」
表情を消し、一也が魔銃のセーフティを下ろした。ヘレナと目を合わせた上で、その銃口を天へと向ける。
"ここまではお前らの誘いに乗ってやったが、後悔するなよ"
撃鉄が落ち、轟音が地から天へと引き裂いた。
肩に残る反動は、初めて魔銃を握った時より随分軽い。
基礎訓練の賜物だと思いつつ、一也はゴーグルをかけ直した。




