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紅茶の香りは切なさを運び

 カチャリと音を立てつつ最後の皿を棚にしまい、寺川亜紀はほっと一息ついた。

 皿洗いが終わり、午前中の家事はこれで最後なのである。

 もっとも正午には関内で大事な用があるため、あまりゆっくりしている暇も無い。それでも手と心を休める暇はありそうだった。



「あ、終わったのね。お疲れ、亜紀ちゃん。こっちも掃除終わったよ」



「お疲れ様です。まだ時間ありますよね、お茶でも淹れましょうか?」



「いいねえ、亜紀ちゃんはいいお嫁さんになるよ」



 ウンウンと頷く毛利美咲に、寺川は「そんなこと無いですよ」と苦笑する。

 謙遜では無い。事実、この時代に来るまでは実家住まいということもあり、家事は親に頼りきりであった。

 親の有り難みを知った時には親がいない――皮肉だと思いつつ、茶を淹れる手は休めない。



 中西ら四人で住まざるを得ないようになって以降、共用部分の掃除と洗濯は毛利と寺川の女性二人の家事となっていた。

 炊事については男性陣と女性陣で半々。薪割りなどの力仕事は男性陣の領域だ。

 最初は揉めたこともあったが、今はそれなりにスムーズにいっている。



「自分でも驚きなんだけどさー、掃除機無しで六部屋とか掃除出来ちゃうのね。やれば出来る子だったんだと思っちゃうよ」



「あ、それ思います。火をつけるのも今は普通に薪に火入れますもんね。火打ち石とか最初見た時はどうしようかと」



 共用スペースとなっている部屋の卓袱台を挟み、毛利と寺川は茶を片手に談笑していた。

 中西らが不在の時のいつもの風景である。

 そして話している内に、毛利が真剣な顔で不安を口にするのもいつものことであった。



「ねえ、亜紀ちゃん。あんた、あっちの時代に心残りってある?」



「えー、またその話ですか......」



「くっ、いいわよね、人に見られて恥ずかしく無い趣味しかない人間は」



 うぐぐ、と歯噛みしつつ茶をすする毛利。

 サバゲーは女の子としては若干恥ずかしい趣味に入りそうな気もするが、毛利のもう一つの趣味に比べたら確かに大したことは無い。



「うあああ、あれが見つかったらと思うと死んでも死にきれないいい~、何で机の上に放り出したまんまだったのよ~」



 ああ、始まったと寺川亜紀は思った。いつものことだ、黙って付き合うことにする。



「乙女ゲーでしたよね、確かタイトルが......」



「"背徳のトライアングル~義父と先生と義弟の間で"! もうね、全てがやばいの! けして越えてはいけない一線をギリギリ踏みとどまり、攻略対象全員の好感度を上げながらお宝スチルショットを集めるあのドキドキ感とか!」



 乙女ゲー? エロゲーの間違いだろう。それも確実にR18対象の。

 お宝スチルショットとか言っているが、どれだけやばいのか寺川は知らない。知りたくもなかった。



 目をキラキラさせて語る毛利を、寺川は生暖かい視線で見守る。これもいつもの風景である。

 そしてすぐに「けどあれを家族に見つけられたら死ぬる! タイムスリップの馬鹿あ~、何であたしに片付ける暇すらくれなかったんだあ~」と毛利が畳の上を身悶えしてゴロゴロするのも、いつもの風景である。



 いつもの風景である。



 "中田君も可哀想だよね"



 黙って茶を啜りつつ、寺川亜紀は大柄な友人に同情する。

 本人から相談されたのだが、中田正は毛利美咲のことを密かに想っていたらしい。「美咲先輩って可愛いよな」と相談されたこともあった。



 だが毛利美咲のもう一つの趣味がエロゲー、もといディープな乙女ゲーと知った後、中田は何も言わなくなった。

「女て分かんねえよな、寺川」と魚が腐ったような目で言われた時は、「一緒にしないで!」と危うく喉まで出かかった。

 後で分かったのだが、あの中西ですら、いたたまれない視線で床をゴロゴロする毛利を見ていたのだ。

 どうやら部内の人間全員に秘密にしていたらしい。



「三嶋君はまだ知らないわけか。美咲さーん、美咲さーん」



「何、亜紀ちゃん!? あたしの罪を笑おうというなら止めて! 後生だから!」



「違いますよ、そうじゃなくて」



 寺川は真顔になった。

 柱時計を見ると、そろそろ支度をしないといけない時間だ。

 三日前、ホテルの受付(フロント)に渡した手紙を三嶋一也がちゃんと読んでいるならば――再会の時は近い。



「今日これから三嶋君に会うじゃないですか。美咲さんのエロ......」



「乙女ゲーよ!」



「......乙女ゲーの趣味、彼に話してもいいですか?」



「別にいいわよ。話したところで減るもんじゃないしね」



「いいんですね」



 会話が気まずかったら、ネタとして使ってみよう。そう考えつつ、寺川亜紀は着替えの為にそっとその場を離れた。




******




 サバゲー部で最も仲の良い友人をあげろ、ともし言われたならば、三嶋一也は躊躇せず中田正の名をあげるだろう。

 大学入学直後のサークル勧誘で、二人は全く同じタイミングでサバゲー部のドアを叩いた。それからの縁である。



 しかし、最も好感がもてる異性という質問ならば、若干気後れしながらも寺川亜紀の名をあげるだろう。

 美人だし優しいとくれば、大概の男性は彼女に好感を抱くのでそれも無理はない。

 だが交際という踏み込んだ関係は、一也には現実味が無かった。

 寺川の持つ上品な華やかさが、一也には眩しすぎたのだ。

 自分みたいな平凡な男が追える花ではない――そう思いつつ、目を逸らしてきた。



「久しぶりだね、寺川」



 だが、いざこうして対面に座り向かい合ってみると。



「三嶋君、だよね? よかった、来てくれたんだ」



 寺川亜紀のさりげない笑顔に触れるだけで、そんな斜に構えた心がほぐれていく。それを一也は自覚した。

 いつもの書生風の詰襟シャツに着物を羽織り、下は袴という格好である。

 明治時代に於いてさほど変な格好ではないが、寺川の垢抜けた服装と比べるとやや恥ずかしい。



 洋物を扱う商店から購入したのか、濃い灰色のシャツに黒い羅紗のロングスカートという出で立ちだ。

 薄い桜色の肩掛けが丁度いい差し色となり、モノトーンの色調に彩りを添えている。

 凝った真鍮の(ボタン)がシャツの袖口でキラリと光った。これもまた面白みのある装飾(デザイン)である。



 時刻は正午ジャスト、場所は寺川が手紙で指定した関内の喫茶店だ。白く染め上げた煉瓦がテラスとなり、それが足元に敷き詰められている。

 なるほど、明治におけるオープンテラスといったところらしく、二人の座る卓にはパラソル代わりの大きな和傘が日陰を拵えていた。

 接客を行う女給(メイド)も、黒の上下に白いエプロンという清潔感のある可愛い服だ。

 周りに座る異国の客達も、この店の雰囲気には満足しているようであった。



「洒落てるね、その格好」



「ありがと。久しぶりに友達に会うのに、変な服着れないもの。三嶋君も似合ってるよ?」



「いや、俺はこれしか持ってないだけだよ」



 決まりが悪くなり、一也はふと視線を海の方に向けた。

 この喫茶店から横浜の海までは二つほど通りを挟むだけだ。潮の香りが鼻をくすぐる。



 二人とも紅茶を頼み向かい合う。半年の月日は微妙な気恥ずかしさを生み、同時に否定出来ない懐かしさを伴っていた。

「中西さんから聞いたのか」とまずは一也がその短い沈黙を破る。



「うん。最初聞いた時は驚いちゃった。三嶋君が何でいるんだろって」



「だろうな。俺もびっくりしたよ」



「だよね。でもちょっと嬉しかったかも」



 運ばれてきた紅茶のカップを女給(メイド)から受け取りつつ、寺川は微笑んだ。

 鼈甲らしき髪留めが、彼女が少し頭を傾けた際にキラリと光る。半年前より少し伸びた黒髪は、今は背中に流されていた。



「嬉しいって何でだよ」



「ん、こう言ったら怒るかもしれないけどね。もう二度と会えないと思っていた人と会うことが出来るんだって思ったら――」



 一也は寺川の言葉を待った。神戦組の一員となっても、彼女は彼女のままだなと思いながら。

 肩掛けをかけ直しながら、寺川は口を開く。



「やっぱり嬉しかったの。何か、馬鹿みたいだけどね。私達こんな時代(ところ)で何してるんだろって思うんだけど、それでも」



「......ああ」



 二人の語尾が小さくなる。懐かしさが切なさを帯びた。

 そんな気持ちに流されぬよう自分を戒めながら、一也は角砂糖を一つカップに入れた。

 トプン、と白い四角が紅茶と溶け合う。



 何故自分はここにいるのだろうか。

 何故自分の前に寺川がいて、明治の海辺の喫茶店でお茶などしているのだろうか。

 微かに想いを寄せたことがある女性を前にして、一也は心の中で嘆息した。

 同じお茶をするにしても、出来れば何の憂いも無い状況でそうしたかった。



「サイダー頼まないんだね」



「いつもそれしか飲んでいないわけじゃないからな」



「ごめん。あの時も三嶋君に持っていってあげたなあ、と思って」



「あの時、ああ、こうなる前か」



 一也は思い出す。

 そう、M4カービンの手入れをしていた時だった。

 寺川がサイダーのペットボトルを持ってきてくれて、その後フィールドを掃除したのだ。それから――



「半年も前になるんだね。こうして話していると、ついこの間の出来事みたいなのに」



「うん」



 相手の言葉の端がほんの少し湿り気を帯びているのは、きっと潮風のせいだろう。

 三嶋一也はそれに気づかない振りをして、紅茶に視線を落とした。

 角砂糖はすっかり溶けて、もう一欠片(ひとかけら)も見えなかった。




******




「今のところ何も不穏な点は無し、と」



「ああ、こうして見ている限りはただの恋人同士の逢瀬だな。うん? どうした、小夜子君?」



「ううー、うー、面白くないですうー」



 順四朗に相槌を打ちつつ、ヘレナは小夜子に声をかける。

 ぷくっと頬を膨らませながら、彼女は燃えるような視線を投げ掛けていた。対象は勿論、一也と寺川亜紀である。



 オープンテラスにいる二人に対して、第三隊の三人がいるのは同じ喫茶店の店内だ。

 壁の一面が庭に向かって開いており、そこに唐風の透かし彫りがされた衝立がある。その衝立越しに、店内から庭を見張ることが出来たのは好都合であった。

 周囲に違和感を感じさせないよう、三人とも洋装であるのは良い判断だが、残念ながら順四朗と小夜子はやや居心地が悪そうであった。



 ヘレナからすれば「警察の制服だってれっきとした洋装だろうが」ということらしいが、私服で着るのはまた別らしい。

 もっとも似合わないわけでもない。

 順四朗は男性の標準的な服装だが、ズボンを吊るサスペンダアが良いアクセントになっているし、袖口にフリルのついたブラウスと膝上のフレアスカートという格好の小夜子は中々可愛らしい。

 少なくともヘレナはそう思う。



 そのヘレナはヘレナで、男物のジャケツを引っ掛けるという男性的(マニッシュ)上衣(トップス)であった。

 下衣(ボトムス)は脚線美も露なスリットが入ったミディ丈のスカートに長革靴(ロングブウツ)であり、ちらちらと男性の視線を惹いている。

 何を着ても大体絵になる女である。



 そんな三人が監視を続けること約十五分、一也と寺川の雰囲気は至極和やかな物であった。

 小夜子などは任務を無視して途中で邪魔してやろうか、と一瞬考えたりもした。

 それとなく察した順四朗が止めなければ、本当にやっていたかもしれない。



「一也さん、私達が見ているのを知っているのにすごく自然に接していますね」



「不自然な挙動で警戒されるよりはましだ。ただ、相手も私達が周りから監視しているのは織り込み済みかもしれんがね」



 小夜子とヘレナの会話に、順四朗が口を挟む。



「相手がどこまで神戦組の内情洩らしてくれるかは、ほんまに一也ん次第やからなあ。で、今のところ、俺らみたいな奴らはいないみたいやね」



「待つしかないですよね。あっ、順四朗さん、そのケエキ追加で頼んだんですか。ずるいです」



「ええやん、昼飯抜いてるんやし。長居するんやったら店にも悪いやろ」



「お前、酒飲みの癖に甘党なのか。それでよく太らないな」



 小夜子のみならずヘレナも呆れた。

 躊躇いもなく二個目のシュウクリイムをつつきつつ、順四朗は悪びれる様子すらない。



「隊長や小夜ちゃんやって割りと食べるやんか」



「その分動きますからね。あっ」



 小夜子が卓をコツリと指で叩く。ヘレナと順四朗の視線が庭へと向いた。

 穏やかだった一也の顔が今は険しくなっている。

 会話の流れが掴めぬのがもどかしいが、どうやら旧交を暖めるだけでは済まなかったようだ。

「ほう」と呟きつつ、何となく視線を店の入り口に向けたヘレナは、そこで動きを止めた。



 二人の男性と一人の女性が女給(メイド)に案内されている。

 丁度入店したばかりなのだろう。どちらかと言えば午後のお茶に使う店であるため、昼食時のこの時間帯は比較的に空いている。その為、ヘレナも気がつくのは早かった。



 三人とも若い。

 一也とほぼ同年代の日本人だ。

 大柄な方の男と小柄で髪の短い女は両者とも着物であるが、小柄で端正な顔をした男だけは洋服に身を包んでいる。

 その男の視線がスッと動き、ヘレナを捉えた。



 "三嶋君から聞いていた特徴と一致するな。あれが中西廉か"



 記憶と目の前の三人を重ね、ヘレナ・アイゼンマイヤーは僅かに警戒心を強め。



 "なるほど、これが三嶋が与する組織の人間か"



 中西廉は確信に近い推測を抱く。土谷に依頼して、イーストハーバー中心に見張りを置いた価値はあったようだ。



 くるくると回る天井扇(シイリングファン)が店の空気を緩やかに動かす中、無言の内に二人はお互いの存在を認めあっていた。

"背徳のトライアングル~義父と先生と義弟の間で"は、安心と安定の足軽エレクトロニクスのメガヒット乙女ゲーです(棒)

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[一言]  足軽エレクトロニクスの男性向け製品に―― 『義母と女教師と義妹の間で』  とかは無いのでしょうか?  出来れば是非とも、女教師は眼鏡を……
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