一也を巡る人間模様
捜査対象の構成員が身内の友人という中々珍しい出来事があったにも関わらず、二日目以降の捜査はそれなりに平穏であった。
一也が幾分元気が無いことを除けば皆いつも通りである。
ヘレナや順四朗、小夜子も一也を敬遠したり、あるいは逆に気を遣うこともしない。
だが、それでも心配する者はいるものだ。
「順四朗さん、順四朗さん」
「何なん、小夜ちゃん?」
「一也さん、大丈夫でしょうか。こう、表情が無いというか無理に落ち着こうとしているように見えません?」
その日の捜査が終わると、各自の自由時間となる。
制服を慣れた着物に着替えた小夜子が順四朗に話しかけたのは、二人でちょっと散歩と洒落こんでいた時であった。
「異国情緒って素敵ですよね。ね、順四朗さんもそう思いますよね?」と目を輝かせた小夜子に詰め寄られたならば、順四朗も渋々散歩くらいは付き合うしかなかった。
「普通やろう、あれくらいは」
「え、そうですか?」
「あんな、小夜ちゃん。自分、仕事の相手が自分の知り合いとか友人だとしてやな、いつもと全く変わらずに振る舞えるか?」
二人が話しているのは、運河にかかった橋の上である。
横浜は港町ということもあり、通常の道路の他に運河が張り巡らされている。
艀船と呼ばれる小型船に荷物や人を乗せ、船頭が櫂一本で運河の緩い流れを進んでいく。
そんな風景を橋の欄干にもたれつつ、順四朗は見るとも無しに眺めていた。小夜子もその隣に立つ。
「難しい、と思います。今までそういうことになったことが無いから、想像するしかないですけど」
「やろ。人間、そんな簡単に親とか友人とかを割り切って捉えられへんて。一也んみたいに少しくらいは動揺するのが普通やわ」
むしろ、順四朗の目から見れば、一也は表面上であれ動揺を極力抑えることに成功している。
あの年齢にしては充分立派と呼べる。その点については、彼は全く心配していなかった。
心配なのはむしろ――
「そうですよね、うん、神戦組がおかしな人達かどうか分からないですし。きっと何にも怪しいことは無くて、一也さんもすぐに元に戻りますよね」
「そうやろか」
ポツリと順四朗は呟いた。
煙草を吸おうかと思ったが、吸いすぎを懸念して止めておく。紫煙の代わりに言葉が宙に浮いた。
「これは仮定の話やけどさ。昔の友人がそれなりの組織にいて、胡散臭いながらも捕まらへん仕事してるとするやん」
「あ、はい。それって、一也さんから見た神戦組の中西さん達......ですよね」
「はは、分かるわな、そりゃ。でな、もしその昔の友人達が一緒に働こうって言ってきたらさ。全く心動かされへんって言えるかな」
「えっ、それ引き抜きってことですか?」
虚を突かれたかのように、小夜子が目を見張る。「有り体に言えばな」と順四朗は肯定し、自分の考えを話し続けた。
「話聞いてる限り、一也んあいつらと仲良かったみたいやし。自分から近づくことはなくても、向こうから誘われたらグラッとくるかもしれんなあと思って」
「だだだだ駄目駄目駄目です! 一也さんが引き抜かれていなくなるなんて、そんなの私認めないですよ!」
「可能性の問題を指摘しただけやろ、そんなむきになるなや。中西いうんがどう考えるか知らんけど、かき回してくるかもしれんで? 向こう、女の子も二人いるみたいやしね」
「な、な、な、なんでそんな意地悪言うんですかあ! か、一也さん、女の子が多い方にふらふらするような、そんないい加減な人じゃないですよ!」
顔を真っ赤にして小夜子が順四朗に迫る。「落ち着けや、小夜ちゃん」と上手く間合いを外しつつ、順四朗はさりげなく、だがきつい一言を投げつけた。
「小夜ちゃん、一也んの何を知っとるって言える? 君と出会う前に、あいつが何しとったのかはっきり答えられるんか」
小夜子の動きが止まる。何か言わねば、と思いはするが、だが口は空回る。
そう、あの日、山中で野犬に囲まれている時に助けてくれた以降の一也しか――小夜子は知らない。
どんな人生を送ってきたのか、聞きたいなとは思っても。
「――知らないです」
その思いとは裏腹に、どこか遠い目をした一也を見る度に、聞いてはいけないと自分に言い聞かせてきた。
「己も本気で一也んがいなくなるとは思いたないけど......人の気持ちは分からんからなあ」
けして意地悪で順四朗が言っている訳では無いのが分かるだけに、尚更それが小夜子には痛かった。
自分の知らない一也が確かに存在する。
そんな当たり前の事実を目の前に突き付けられたのである。
出会って半年しか経過していないが、三嶋一也という青年は紅藤小夜子の中で相当に大きな存在になっていたらしい。
それをようやく自覚して、少女は狼狽した。
「私は......私は、一也さんの昔も知らないし、今だって別にそんな大したこと出来ないけど」
着物の裾をきつく握り締める。
顔を俯けたのは、いつしか目頭が熱くなっていたのを、順四朗に見られたくなかったからだ。
「一也さんがいなくなるのは、嫌です」
「そか。己もせっかく人間関係築いたのに、それが無くなるんは嫌やわ」
カツリと靴を鳴らし、順四朗が踵を返す。
「だから、もし引き留めたいんやったら泣き顔なんか見せんと、笑顔で接するのが一番やと思うんやけど?」
「だ、誰も泣いてませんよっ、何言ってるんですかっ」
「さよか。ほな、そろそろ戻るで」
小走りに駆けてきた小夜子が順四朗の隣に並ぶ。頭二つは違う二人は、それぞれの想いを抱きつつ港町の風景を急ぐのであった。
******
下手に中西らに接触すると、こちらの素性も完全に明らかにされかねない。
その為、捜査の中心は神戦組と付き合いのある出入りの商人を探し、それとなく様子を伺うという回りくどい物であった。
「よっしゃあ! こういう時こそ!」
「僕ら神奈川県警に!」
「「お任せください!!」」
無駄に力が入った姿勢で手伝いを申し出たのは、無論隙の無い接待を心がける金田と岩尾である。
ヘレナが止める間もなく、一度でも神戦組と接点のあった商人を見つけ出して資料としてまとめてくれたのは実に助かった。
助かったのだが、一々暑苦しいのが玉に瑕である。
「いい人達なんですけどねえ......」
小夜子のこの言葉ほど、二人の評価として適切な評価も他に無い。
だが、この二人の働き無しでは仕事が捗らないのも事実である。
第三隊の面々は、手早くまとめられた商人の名簿を片手に町に繰り出した。
捜査の基本、聞き込みである。
あまり派手に立ち回ると、神戦組の目を惹きかねない為、なるべく目立たぬよう普通の客を装い店を訪れる。あるいは物陰に隠れ、店主や番頭が神戦組の人間と接触が無いか見張る。この繰り返しだ。
「張り込みには牛乳とアンパン」
ある日、一也が思わず呟いた一言を聞きつけ、早速金田が二つとも買ってきてくれたことがあった。
まさかネタで言ったとは言えず、有り難く一也はそれを受け取った。
なるほど、張り込みの伝統食である。そもそも誰が言い出したのかは知らないが、昔の刑事ドラマなどで見たことがあった。
しかし、実際にこの二つを手に張り込みをしていると、ちょっと切ない気持ちになるから不思議であった。
火を使わない食べ物はどこか孤独の味がする―そんな詩的な思いと共に、アンパンを牛乳で飲み下す。
これもまた警察の仕事の一部であろう。
こうした地味な仕事がどこかで実を結ぶのだろう。
警察の仕事は忍耐が九割という標語もある。従って最初の五日間ほどは、目立った成果が無いなりに皆それなりに元気であった。
だが、欠片ほども有益な情報が得られないとなると、流石に士気も落ちてくる。
誰もが焦りと疲労感を滲ませつつも、無常にも時間は過ぎていく。
そして変化は突然に、ということもまた真実だと三嶋一也は知ることになる。
「三嶋様、受付にお手紙が届いております」
「俺に? 第三隊宛ではなく?」
「はい、左様でございます」
ある日、捜査から戻ってきた一也はホテルマンに声をかけられた。珍しいこともあるもんだと思いつつ、差し出された手紙を受け取る。
洒落た和紙製の封筒の裏には、細筆で"寺川亜紀"の四文字が記されていた。差出人の住所は無い。直接届けられた手紙らしく、切手も貼られていなかった。
ドクン、と心臓が音を立てたのが分かった。
その四文字の向こうに、手紙の差出人の笑顔が見えたような錯覚を抱く。
恐らく中西から自分の宿泊先を聞き出して、このイーストハーバーまで来たのであろう。
ホテルマンに聞いてみようかと思ったが、寺川の顔を上手く説明出来る自信が無かったから止めた。
「あれ、一也さん、どうしたんですか。手紙なんか持って固まって」
「ん、ああ、これはその何でも――なくないな」
小夜子に声をかけられ、妙に焦ってしまった。
今回に限っては、手紙だからといって他の人に見せないという訳にはいかない。
中西廉、中田正の直接会った二人以外に毛利美咲と寺川亜紀の二人がいるということは、既に重要情報として連絡済みだ。
この手紙が捜査の手助けになる可能性もある。
だから一也は素直に手紙を差し出した。
「覚えてる? 神戦組に与してる一員からだよ。俺の昔の友達」
「寺川さん、寺川亜紀さん......ああ、同級生の女の方でしたよね。中はもう開けて?」
「これから。ヘレナさんと順四郎さんが戻ってきてから、目の前で開ける」
この時、小夜子の顔にスッと不安の影がよぎったことに一也は気がつかなかった。
******
一通の手紙を前に金田、岩尾を含めた六名が集まる。
手紙の封は開けられ、一枚の便箋が無造作に机に置かれていた。開け放した窓からの風に、それがカサリと揺れる。
「三日後の正午に関内の喫茶店で、か」
「中西さんから聞きました。もしよければ旧交を温めたく、やって」
ヘレナと順四朗が顔を見合わせる。同時に頷いた後、二人は揃って一也に顔を向けた。
「三嶋君。彼女は君の恋人か?」
「旧交を温めたく......意味深やな」
「違う違う違います。ただの友達です、いや、でした」
慌てて否定する一也。
確かに少し好意を抱いてはいたが、あくまでサバゲー部内での友人に過ぎない。
しかし疑惑の視線は他からも飛んできた。
「一也さんが、一也さんが、捜査中に、捜査中にあろうことかあ、あ、あ、逢い引き!」
「岩尾、あいびきってあれか。牛と豚が半々の」
「そうですそうです、よくハンバアグ作る時なんかに使う......」
「金田さんと岩尾さんは黙っててください!」
動揺したように口をパクパクさせていた小夜子だったが、神奈川県警の二人の漫才を一喝してようやく立ち直ったようだ。
項垂れる金田と岩尾を捨て置き、何やら所在無げな一也に向き合う。
「それで一也さんは――この寺川さんに会われるんですか」
「それは俺の一存じゃ決められないから。相手は捜査の対象だし、何が狙いかも分からないし」
「会ってみたらどうだ」
ヘレナが口を挟む。じっと手紙に視線を落としたままで。
「会って何を話すかは分からない。ただの様子見かもしれないし、ほんとにただ君に会いたいだけかもしれない。寺川さん本人の意思なのか、背後で土谷氏か、あるいは中西某の考えがあるのかもしれない。考え出したらきりがない」
一度黙り、前髪をかきあげる。その時でも視線は手紙から外れない。
「だが、捜査の進捗も芳しくはない。罠かもしれないが、敢えて乗ってやろうじゃないか。三嶋君、命令だ。寺川亜紀の誘いを受けろ。その上で出来る限り彼女の真意を引き出せ」
「分かりました」
一也に異論は無かった。懐かしさが業務への義務感を後押しする。
更にヘレナは追加で指示を出した。一也にというよりは、小夜子と順四郎にである。
「万が一ということもある。二人が話す場に私達も出向こう。まさかとは思うが、強引に連れ去られたりしないか監視する」
「あ、そしたらちょっと離れた場所から見張るんやな。了解......いや、待って。これ、向こうも同じこと考えよるんちゃうか?」
「あり得ますよね。もし、中西さんという人が一也さん本人だけじゃなく、私達全員を既に把握していたら」
順四朗の疑問に小夜子が反応した。
一也は自分が警察官であることを、中西に話してはいない。だが、その様子から中西が一也の現在の職務を疑い、また調べている可能性は十分あり得た。
知らぬ内に第三隊全員の素性を向こうが把握している――もし小夜子が指摘した通りであれば。
中西らが二人及び第三隊を監視する為に出てくる。それは十分考えられた。
「それならそれで結構さ。もし奴らが出てくるなら、こちらも顔を拝める機会になるという物だ。挨拶の一つもしてやろう」
「中西さんも多分、同じこと考えてる気はする」
「そう思う根拠は?」
ヘレナが一也に問う。少し考えてから、一也は答えた。
「彼は相手をよく見て行動します。寺川の手紙という餌を撒いた上で、こちらがどう考えるかを想像し、そしてそれに対応してくる。多分、神戦組の方でも俺達がちょろちょろ動いていることは気がついているんじゃないでしょうか。もし今回の件がその牽制ならば――」
中西の考えや行動の癖を一也は思い出す。
頭脳プレイも得意ではあったが、最後の局面では自ら最前線のアタッカーになっていた。もし今もそうなら。
「――寺川と会った時の俺の反応、またその周囲にいるであろう第三隊の反応を自分の目で確認しにくる。背後に隠れるような真似は、彼はしない」




