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捜査初日 1

 目を覚ましカーテンを明けると、海が見えた。イーストハーバーは海際に立つわけではないが、それでも視線を先へと伸ばすと大海原が見える。

 広い広い海のほんの端に過ぎないが、それでもこの先には新大陸(アメリカ)や欧州があるのかと思うと、訳もなく一也は感傷的になった。



 "おかしいな、そんなこと考えたこともなかったのに"



 着替えを済ませながら自問する。

 横浜開港の経緯について昨日聞かされたからだろうか。

 部屋を出る前にもう一度窓の外を見た。沖合いから港へと、一隻の蒸気船がゆっくりと進んでくる。

 飛行機など無い明治においては、船のみが唯一の諸外国との交通手段であり物資の輸送手段である。

 ボゥ、と微かに聞こえる汽笛を郷愁的(ノスタルジック)に感じつつ、一也は部屋を後にした。

 捜査は待ってくれないのだ。




******




「捜査方針は昨日決めた通りでいいんやんな、隊長」



 靴紐を結びつつ、順四朗が問う。

 質問では無く確認の口調である。答えるヘレナもまた当然といった風情である。



「私と順四朗が土屋氏の動向調査、三嶋君と小夜子君が地理確認でいいよ。時間はある、焦らずに」



「了解、隊長」



「承知しました!」



 一也と小夜子が頷いた。

 特筆すべき事件が既に起こっているわけでも無いため、まずは情報収集である。

 特に一也と小夜子は半分は勉強だ。馬車道、元町、関内、石川町といった地域を歩き捜査対象となるこの辺りの雰囲気を掴む――それがここ数日の業務であった。



 金田はヘレナと順四朗の案内を、岩尾が一也と小夜子の案内をそれぞれ担当することになり、二手に分かれての捜査が始まった。







 横浜については二人とも勉強はしてきていたが、こうして自らがその場にいるとまた見方が変わる。

「一番の特徴はやっぱり居留地ですねえ」という岩尾の言葉に横浜の全てが表れており、それを肌で実感することになった。

 彼は元々地元が横浜近辺らしく、知識としてだけでなく実感として横浜について詳しかった。



「明治四年――つまり今から十六年前まで、この海沿いの一角は関所によって区分されてたんですよ。関所の内側にしか外国人は住めないようにしましてね。それがここです」



 橋を渡りつつ、岩尾が指で川面を指す。

 今、三人がやってきた内陸側が関所の外側にあたり、これから目指す海側が関所の内側らしい。「へえ、だから関内っていう地名になるんだ」と応じつつ、一也は橋の欄干を撫でた。

 板張りの頑丈なアーチ状の橋は、昔も今も人や荷馬車の行き来を支えているだけあって実にしっかりした造りである。



「そうです、そうです。関所は物々しすぎるって理由で廃止されたんですが、外国人居留地は今でも健在でしてね。関内の中、西側の方に外国人居留地があるんですよ」



「あら、じゃあ関内全体が居留地という訳じゃないんですね」



 小夜子が意外そうに問う。



「ええ、よく誤解されるんですがね。関内というのは、中に外国人居留地を含む元々は関所により隔てられていた海沿いの地域――と言えば分かりやすいですか。ちょっとくどいですがね」



「いえ、とっても分かりやすいです。ね、一也さん?」



「うん」



「反応薄っ!?」



 言葉が全てでは無い、と一也は思いつつ肩を竦めた。

 岩尾はそんな一也を少し遠慮するように見ている。

 まだ怖がられているのか、とちょっと残念ではあったが、そうではなかった。



「三嶋さんは背が高いのですね。やっぱりそれくらい体格が良くないと、第三隊には入れないんですか」



「え? いや、そうでも......」



 無い、と言いかけたところで気がつく。

 そう、スリップ前ならともなくこの時代では、一也はかなり背が高い方だ。身長174センチ、尺貫法に直すと約五尺七寸。町行く成人男子よりも頭一つは高い。

 一也が見たところ、おしなべて平均160センチ、五尺三寸あるかなしかだ。もういい加減慣れたが、スリップ直後はかなり違和感があったものである。



「そうなんですよー。だから私、隣に並ぶといっつも見下ろされて小さい子扱いされるんですよ」



「ああ、いや、女性は小柄でも別にいいではないですか。僕など男なのに中々大きくならず、はは」



 冗談混じりに嘆く小夜子に、岩尾が力無く笑う。

 見たところ、五尺四寸――約164センチはあるので、別にそう悲観するほど小さくも無い。

 だが、確かに肩幅が狭くあまり警官らしくはないかな、と一也は思った。



「んー、確かに俺は人よりは背高いけど、でも身長だけじゃ生きていけないしね。柱に良く頭ぶつけるし」



 慰めるわけではないが、とりあえずそう言っておく。

 こんな雑談をしつつも、視線を関内の町に油断無く走らせている。

 なるほど、岩尾の説明通り外国人が多い。居留地というだけあって、商いの店の他に住宅もまた多い。全ての家が豪邸という訳ではないが、少なくとも一也が知る庶民の家よりは皆大きく、また綺麗であった。

 煉瓦や漆喰を隙無く積み重ねた二階建ての洋館、そしてそれを囲う緑の芝生。

 鉄の門越しに見ると、白い大きな犬と戯れる外国人の子供が二人。それはまるで別世界の出来事のようであった。



「うわあー、何だか夢の国みたいですねえ」



「ある意味それも間違いではないでしょうね。この居留地にいる外国人は、一攫千金を夢見て日本にやってきた商人が多いです。本国では果たせなかった成功という名の夢を追って、彼らはこの居留地にいる」



 ため息をつく小夜子に説明するように、岩尾が声をかけた。彼の目もまた犬を追っている。ワン、と元気な吠え声が響く。

 流石に一也はこうした風景にさほど驚くことも無い。

 だが、明治二十年という時代は日本が西洋に追いつけ、と走っていた時代なのだということだけは嫌という程分かる。

 たかだか半年にもならぬ警察勤めであっても、とことんまで貧困に喘ぐ人々を見る機会は少なくなかったのだ。

 鎖国政策という安穏が破れてから、まだ一世代程しか時代は経過していない。

 恐らく、大半の日本人はこの居留地の生活を見れば目を剥くだろう。"西洋とはどれほどまでに豊かなのか"と。



 "そういう意味では、俺の身長も日本の近代化の恩恵なのか"



 ふと思い、一也はすれ違った外国人の夫婦を横目で見た。

 さほど体格で劣っているとは思わない。

 食糧事情の進歩や椅子に座るという生活習慣の変化――それらが世代を超えて積み重なった結果が、自分の身長につながっているのかもしれない。

 そう考えると時代の流れを感じる。



「夢を追うのは、ここにいる外国人だけじゃないだろ」



 ポツリと一也は呟いた。小夜子と岩尾が振り向く。



「俺ら日本人もさ、この海の向こうの国々に追い付け追い越せって――そんな夢を持って生きてるんじゃないかな。そんな気がするけどね」



「な、何いいこと言ってるんですか、いきなり」



 おお、と小夜子がびびったように一歩後ずさる。「いや、結構マジなんだけど」と言いつつも、ちょっとばかり傷ついた。こう見えて意外に一也は繊細である。



「上手い言葉が見つからないんだけど、あれだ。時代の扉って奴を日本は開いて、今まさに走り出しているとこなんじゃないかなって。だってさ、ちょっと前まではこの居留地だって無かったんだろ」



 一也は道を左に折れた。

 曲がった先は海へと向かい、小さな防波堤が見える。

 その上空に飛んでいるのはカモメだろうか。白い海鳥の声が潮風に乗って運ばれてくる。



「......意外です、一也さんてそういう詩的(ポエティック)な心あったんですね」



「......僕、本庁の方ってもっと鬼みたいな方ばかりかと、いえ、別に第三隊の人のことでは、ああっ!」



「たまには夢見たっていいだろ、俺まだ十九歳なんだし。あと小夜子さん、岩尾さんが泡吹いてるけど」



 一也の声に小夜子はハッと気がついた。「誰が鬼ですか、だーれーがー!」と、岩尾の喉をぎりぎりと締め上げていたのである。口を滑らせた神奈川県警の巡査は白目を剥いていた。



「い、岩尾さーん、岩尾さーん!」



「ああ、波間に婚期がさらわれていくなあ......」



「け、蹴り落とされたいんですかっ!?」



 そんなやかましい人間三人を見下ろしながら、カモメ達がクワックワと鳴いた。捜査真面目にやれ、と怒っていたのかもしれない。




******




 日が上り、頂点に達し沈んでいく。

 一日のサイクルの終盤にさしかかる頃、太陽は人間達に別れを告げる。代わりに夜がやってくるのだ。

 それは帝都東京でも、ここ港町横浜でも変わらなかった。



 紅藤小夜子は左側に一本結んだサイドテールを手で押さえた。急に強くなった潮風に吹かれた髪が乱れかける。

 夕刻に馬車道を探索した後、そのまま海の方へ出たのだ。

 狭い砂浜が左右に伸びており、両端には船着き場が設置されている。

 そろそろ夜になろうかというのに、停泊している大型船からは煌々と角灯(ランタン)の光が漏れていた。



「小夜子さん、そろそろ戻ろう。日が暮れる」



 岸に腰を下ろした一也が声をかけてきた。それには答えず、小夜子はその細い指で示す。



「あの船、何でわざわざこんな時間に灯り点けているんでしょう? 無駄じゃないかと思うんですけど」



「ああ、多分夜中の間に荷積みなんかをするんじゃないかな。ほら、船着き場から乗降用の板がかかってる」



「この時間帯によく見えますね......」



 一也は事も無げに言うが、日がほぼ落ちかけているのだ。

 恐らくここから三町――約327メートル――の距離はある船の周辺がはっきり見えるというのは、尋常ではない。



「狙撃眼使ってみたから」



「わざわざ呪法を使ってまでですか。回数制限ありますよね?」



 若干小夜子の声に注意するような響きがあるのも無理は無い。

 彼女が指摘するように、呪法という物は無尽蔵には使えない。

 制限の基準は術者によって異なるが、大体一日辺り何回までと決まっている。

 寝ている間に精神力が回復し、また使えるようになるという具合である。



 つまり呪法とはここぞ、という時の為に使う切り札であり、無闇に使う物では無いのだ。

 一也もそれは承知らしい。「そろそろ帰るし、一回くらいはいいかなーと」と言ってはいるが、若干決まりが悪そうではあった。

 小夜子も別にそれ以上は何も言わない。足が疲れたので手近な岩に腰を下ろす。一日歩き詰めだったのだ。



「岩尾さん、馬車呼びに行ってくれたんですよね」



 ポツリと呟いた。いつも通り、一也が特に意味はなく相槌を打ってくれるだろうと思っていたが――その予感は外れた。

 ザッと砂を蹴散らしながら一也が立つ。

 まだ狙撃眼を維持しているのか、その視線は先程の船を凝視したままだ。

 尋常ならぬ様子に小夜子が声をかける。



「どうし――」



「悪い、先に岩尾さんと戻っていて。ちょっと用事が」



 それだけ言い残すと一也は船を目指して走り始めた。「ちょっと、ま、待ってください!」と慌てて立とうとする小夜子に目もくれない。

 砂に足を取られたこともあり出遅れる。

 体勢を立て直した時には、一也の背中が宵闇に溶けかけていた。



「何なんですか、もう」



「三嶋さーん、紅藤さーん、馬車呼んできましたー。あ、あれ、三嶋さんは?」



 岩尾の声が小夜子の背後から聞こえてきた。

 ゆるゆると振り返りながら、どうしたものかと小夜子は困惑して首を傾げた。

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