一掃、対峙、そして困惑
現在のサバイバルゲームのメインウェポンには幾つか種類がある。基本的に実在の火器に準じてそれらはメーカーが作り出し、世のユーザーに販売するわけだ。
拳銃と称される小回りが利くハンドガン。
幾分命中率には難があるものの、中近距離においては連射力で一日の長があるサブマシンガン。
手榴弾と同等の爆発弾を撃ち込む破壊力の高いグレネードランチャー。
長距離からの狙撃に優れるスナイパーライフル。
これらのトイガンを選ぶユーザーも無論のこと多い。どの武器にも短所と長所があり、またユーザーの好みもあるためだ。
だが、それらの嗜好性や偏りを考慮してでさえ最も人気がある種類の銃というのは......確かに存在する。
電動アサルトライフルと呼ばれるタイプの銃がそれだ。特殊な高圧ガスを使うエアーブローバック式のアサルトライフルもあるが、主流としては電動式の物と言っていいだろう。
電動アサルトライフルの特徴、それは俗な言い方をするならば、他の銃のいいとこどりである。連射力、命中率、取り回しの容易さ、破壊力をどれも高水準で備えており、初心者から上級者まで人を選ばない汎用性がこの型の銃にはある。
中でも連射力は相当に高く、サブマシンガン最高クラスの秒間60―70発という化け物みたいなそれにこそ劣るが、機種によっては秒間40発余り叩き出す物も珍しくない。
一也の持つM4カービンも電動アサルトライフルの代表的な機種ゆえ、やはりそれなりの連射力があるのは無論当然のことだった。
滅多にやらないものの、フルオート最速ならば秒間20発は期待出来る。
実弾ではないBB弾とはいえども、一也が野犬を追い払うくらいは出来ると思ったのも命中率や破壊力もさることながら、自分の銃の連射力を信用していたからであった。
(こっちも切羽詰まってるんだよ!)
不可思議な青い炎に照らし出された前方に、一也は容赦なく弾丸を浴びせた。上手く野犬と女の子が向かい合う側面に回り込んでの射撃だ。女の子を巻き込む心配はない。
突然現れた助太刀に仰天したようにこちらを向いているが、一也には構う暇は無い。ゴーグル越しに見える標的目掛けて、M4カービンの引き金を引く。
ギャ、ギャギャギャアアアァッ! という叫び声が次々に野犬の群れから迸った。
「え、え、えええ!?」
女の子の戸惑うような声が一也の耳に飛び込んでくる。
それが妙にゆっくりと聞こえる中、引き金を引いたままM4カービンを左右に素早く二度振り回した。
まるで手品でも見ているかのように、野犬の群れは苦痛と驚きの吠え声をあげて跳ね回る。
BB弾である。硬度も重量も本物の弾丸に比べれば何ということも無い。事実、野犬の群れは痛みに転げ回っていても、血を流している個体はいない。
所詮は安全に遊べるようにデフォルメされた玩具――ではあるものの、体の数ヶ所で刺すような激痛がいきなり襲ってきたのだ。それも一発だけではなく、何発も。
これが単発ならば、突然横槍を入れてきた一也への怒りを掻き立てて逆襲していただろう。だがそれを実行する前に二発目、三発目の弾丸に曝されたのだ。
所詮は畜生である。結局野犬の群れが出来たことはただ一つ。遠吠えと共に逃げるだけであった。
「やれやれ、ま、無事でよかった」
最後の一匹が逃走したのを見届け、一也はほっと一息ついた。ずいぶん長い間射撃を行っていたように思えるが、実のところ十秒足らずに過ぎない。
ニ百発入りのマガジンが、まだ空になってはいないのだ。約百五十発程度を七~八秒程度で浴びせたといったところだ。
"まさか犬を追い払うのに使うなんてな"と思いながら、一也は女の子の方に近づこうとした。とりあえず手近な道を教えてもらおう。若い女の子がこんな夜中に野犬と戦う事情にも多少興味はあったが、それは差し当たり自分には関係はない。
一也は警戒感を煽らないようゴーグルを外し、ゆっくりと歩み寄った。M4カービンはセーフティだけかけている状態だ。無作法にならない程度に相手の様子を伺う。
謎の青い炎の照り返しを受け、女の子の姿が浮かび上がっている。彼女の周囲を漂う白い人形のような物がふわりと動いた。
どうも紙らしく、ペラペラとしている。幻想的とも言える光景だった。そしてそれに拍車をかけているのが、女の子の容姿だった。
黒い髪はストレートに流れ、頭の左側で細いリボンで結ばれている。サイドテールと言うのだろうか。やや斜めに切られた前髪の下から、大きな丸い目が一也の様子を伺っていた。
唇は小さめで鼻も形よく小ぶりだ。芸能人にでもいそうだな、というのが一也の抱いた第一印象だった。かなり可愛い。歳は恐らく高校生くらいだろう。
だが奇妙さは拭えない。
ピンクを基調とした着物は正月や成人式ならともかく、日常生活ではお目にかからないだろう。
それにその華奢な両手で支える長い白木の棒には、ところどころ打撃痕がある。どうやら一也が助太刀する前に何発か野犬にヒットさせていたようだ。"見た目によらず武闘派か"と一也は考えた。
「あ、あの。ありがとう」
「いえ、どういたしまして」
ぺこりと相手が頭を下げたので、ちょっと安心した。まともな感覚の持ち主のようだ。これなら道くらいは教えてくれるだろう。
「あなた、凄く強いのね。そんな銃初めて見た」
「そうですか。申し訳ないですが、道教えてもらえませんか。迷子になっちゃったみたいで......それにこの辺、圏外になってて」
サバイバルゲームというマニアックな趣味の世界を知る人ではないらしい。一也にとってはそれは重要ではないため、必要最低限のことさえ聞ければよかったのだが。
「......ケンガイって何のことですか? 県の外?」
「え、いえ、スマホとかケータイの通じないあの圏外ですが」
「スマホ? ケータイ?」
首をひねられた。
困惑しているようだが、それは一也も同じだ。
時代がかった格好をしているとは思ったが、まさか現代のコミュニケーションを支える通信機器まで知らないはずが――
噛み合わない会話は思わぬ形で途切れた。
動いたのは女の子の方だった。
俊敏な足さばきで位置を変え、一也を自分の背中にかばうように動く。「式神!」と短く鋭い呟きが確かに聞こえるや否や、三体の紙人形も彼女の隣に並んだ。
先の野犬の時と同じように――まるで忠実な護衛兵のように。
さっき逃げた野犬が戻ってきたのか、と一也は緊張した。女の子の背中から身を乗り出すようにした時、構えかけたM4カービンが止まる。
"な......なんだよ、あれ"
一也と女の子の前には、細くチョロチョロと流れる小川がある。その先、さほど広くもない河原の更に先の一点。そこに一也の目は惹き付けられた。惹き付けられない訳が無かった。
巨大な黒い塊がそこに鎮座していた。
いや、よく見るとそれには四本の手足があった。大きな犬歯が生えた頭部があり、体全体は剛毛に包まれている。犬......に見えた。
ただし体高が優に1メートルを越える巨大な犬を、まだ犬と呼ぶのであればだが。
「こいつっ、来るかっ」
前を向いたまま女の子が呟く。その声は緊張してこそいるものの、恐怖してはいない。
その間に、一也は脚が震えそうになりながらも必死で考える。あんな子牛ほどもありそうな犬が日本にいるか?
狼、はかなり昔に日本では絶滅していたはずだ。動物園から逃げ出してきた何かの犬科の動物だろうか。あんなのに襲われたら一咬みで死ぬだろう。
"ヤバい、追い払いたいけど無理だ"
相手を刺激しないように、一也は焦りそうな体を制御しつつ考える。
さっき野犬の群れを追い払うには役に立ったM4カービンだが、あそこまで相手が大きいとヒットさせても通用しないだろう。
体を覆う毛は剛そうだし、皮膚も体格に比例して分厚いはずだ。
何より、犬に思えない殺気がビシビシとこちらに叩きつけられている。BB弾を数発叩きこんだくらいじゃ怯みもしないだろう。
シン......と夜の空気が静まりかえった。
向かい合う二人の人間と一匹の巨犬が睨み合う。恐らく実際に向かい合っていたのは数十秒かそこらだろう。
だがチリチリと空気が焦げ付きそうな濃密な睨み合いは、容易に時間感覚を狂わせる。
正直に言えば、この時一也の平常心は崩壊寸前だった。普通ではないことが起こりすぎた結果、かなりナーバスになっていた。野犬をトイガンで追い払う、という荒っぽい行動に出たのも溜まりに溜まったストレスのせい......と言えなくもない。
恐らくあと十秒この睨み合いが続けば、一也はへたりこんでいただろう。
幸いにして事態はそうはならなかった。忌々しそうに二人の人間から踵を返し、巨犬は山道を駆け上がった。
人間の脚力ではとても登坂不可能な速度だ。恐ろしく身が軽いらしい。こちらにはそれを追う術も気力も無い。
真っ黒と思っていた毛色が暗い赤だと分かった時には、正体不明の巨犬はその姿をくらましていた。
一也の視界が揺れた。ああ、尻餅を着いたんだなと気がつくと同時に、大きく息を吐いた。心臓の鼓動が速い。
当面の危機は去ったと実感した途端、安堵感からか力が抜けた。それと同時に頭はこの状況を理解しようと必死で回転を始める。
まずサバゲーの後片付け中に迷子になった。
スマホは圏外になり、急に山深くなった。
時間もおかしい。昼だったはずがいきなり暗くなった。
そして真っ白な光に包まれたかと、気がついたら真っ暗だ。
人里目指して歩いてみても、野犬と戦う奇妙な着物姿の少女が一人。しかも何やら不可思議な手品? あるいはトリック? のように紙人形を操り、正体不明の青い炎を照明代わりに使っている。スマホも知らないときている。
ここまであえて突っ込まなかったが、冷静に考えてみればおかしいことだらけ。
「おまけにあのバカでかい犬ときたもんだ......何なんだよ」
思考が堂々巡りして半ば放心状態だった。いきなりへたりこんだ一也を見知らぬ少女は心配そうに見ていたが、どうやら意を決したらしい。身を屈めて和哉に話しかける。
「あの~大丈夫ですか? いつまでもこんなとこにいたら危ないですよ。とりあえず安全なところに行きましょう」
「安全ね――」
世界から見放されたように感じている一也からすれば、少女が口にする"安全"という単語は全く現実味が無かった。
しかし空腹感と疲労はもはや耐えがたい。
差し当たり彼女に案内してもらい、まずはこの山を出よう。あとはスマホが繋がる場所まで行けばどうにかなるはずだ。
大儀そうに立ち上がり、いまだ少女の頭上で燃えている青い炎に目をやった。可燃性の気体を使ったか何かしているんだと思ったが、否、思いこもうとした。
しかし、見れば見るほど自分が知る範囲の知識内にある代物ではない。先程少女が口にした"式神"という単語も気になる。
その"式神"と呼ばれたあの白い三体の人形はいつの間にか消えていた。一也がぼーっとしていた間に少女が着物の袖に収納したのだが、一也はそれを見ていなかった。注意力が散漫になっていたため、気がつかなかったのである。
そんな一也の様子を見かねたのか、少女は急かすように軽く彼の肩を叩いた。
「早く行かないとさっきの大きいのが来るかもですよ。とにかく離れないと」
「えっ」
少女の注意に一也は思わず背後を向いた。背後に黒々と広がる木々の密度は濃く、深い。
錯覚――闇の中からあの巨犬が牙を鳴らし、飛びかかってくるような。
それは錯覚ではあったが、この山の中は危険だという考えが理屈抜きで沸き上がる。四方を木々に囲まれ、視界も悪い。人が本来いるべき場所では――あるまい。
ザッと土を蹴り、少女に並んだ。一也が歩けることにほっとしたように、少女は山道を歩き始める。傷ついた左足を僅かに庇うような歩き方だが、歩行自体はしっかりしていた。
「――俺、道に迷ってしまったみたいなんですが」
「はい」
おずおずと一也が聞くと、しっかりした声が返ってきた。覆いかぶさりそうなクヌギの木を払いつつ、一也は言葉を続ける。
「ここ、どこですか? あと、さっきから気になっていたんですが、この青い炎――何なんですか。LEDライト?」
「......ここは神奈川県北多摩郡の一番北側の山の中よ。えるいーでぃーらいと? というのが何か分からないんですけど、これ見たことないんですか」
神奈川県北多摩郡という地名なんかないよ、と言いかけた一也だが、女の子が訝しげな表情と共に青い炎を指差したので黙って頷く。
ソフトボール大の青い炎の球はくるりと一度回転すると、少女の頭上からやや前方へと移動した。あまりに滑らかな動きに再び一也は呆気に取られる。
これではまるで魔法のようだ。
そうだ、前にテレビで見たな。魔法使いの少年が異世界の学校に入学する、そんな内容の映画だ。
あの映画の中では明かりを魔法で生み出していたけど、あれはフィクションだった。断じて現実にはありえないはずだ。
「こんなの見たことない」
「ほんとにですか? 珍しいですね、初歩の呪法なのに」
そう呟きながら、女の子は青い炎をふわりと遊ばせる。手も触れていないのにそれは動き、闇が払われていった。
呪法――また意味不明の言葉だ。何だか聞けば聞くほど自分が知っている世界が遠退くようで、一也は困惑せざるを得ない。
下手すると隣を歩くこの少女も人間ではないのかもとすら思う。
いや、待て。
とりあえずさっき神奈川県とはっきりこの少女は言った。少なくともここは日本だ。
埼玉のサバゲーフィールドにいた自分が何故神奈川にいるのかはともかく、ここは日本には違いない。ただ自分の常識が全く通じないだけで――
「――ねえ、ここ日本だよね」
「え? そうですよ。日本の神奈川県北多摩郡吉祥寺村の近く。あなた、どこから来たの? 見たこともないような服だし、そんな連射式の銃持ってるし、陸軍の兵士? あっ、でも西洋式の銃だから留学帰りなのかしら」
少女の言葉に一也は顔をしかめる。見たところまともそうな子ではあるし、話し方も普通ではある。
だが噛み合わない。どうもこちらの感覚とずれている。居心地が悪くて敵わない。
何と答えていいか分からなかったが、黙って歩くのも気詰まりだった。幸いにというか、すぐに少女の方から話しかけてくれた。
「私、紅藤小夜子といいます。紅に藤の木の藤ですね。改めて助けていただき、ありがとうございます」
「三嶋、三嶋一也。ごめん、さっきの質問の続きなんだけどさ」
聞きたいことは――山ほどある。だが切り出し方によっては、相手に警戒させてしまうだろう。
スマホも知らず、圏外という言葉も通じない......時代の流れから隔絶されたような、そんな相手だ。
「その、呪法って何か教えてくれる? 君にとっては馴染み深いみたいだけど、俺は全く知らなくって」
「呪法を見たことないんですか。あっ、そうか。開港地みたいなハイカラな場所だと今は使わないんですよね。呪法というのは一言で言うと、うーん、呪の力を秘める言葉を唱えて色々な現象を生み出す術ですよ。詳しく説明すると長くなっちゃいますけど」
少女――紅藤小夜子はこれでいい? とでも言うように微笑んだ。だが一也の中の違和感は増加する。呪法の意味は相変わらず分からない。それではやはりまるで魔法としか思えない。
しかも――ハイカラ? 確か"流行の"とか"お洒落な"という意味の言葉だが、その言葉が使われていたのは。
ゾクリと背中が震えた。この少女がまともだとして、もし真面目に答えていたならば。
「すいません、今、いや、今年って何年でしたっけ?」
がらりと変わった一也の質問にも小夜子は嫌な顔をしなかった。慎重に山道を下りつつ、彼女は答える。一也の方を向いた時、夜風が特徴的なサイドテールを揺らした。
「明治二十年ですね。西暦で言えば、1887年か。あの、三嶋さんってどこかに――」
――閉じ込められてたりしたんですか?
小夜子の言葉の切れ端が一也の耳を叩いた。だがそれは彼の頭までは響かなかった。
――明治? 何だ、それ。どういうことだ。
感情が理解を阻む。
無言で一也はスマホを取り出した。5インチ長の液晶画面は無情に圏外の表示のままである。
指で操作してカレンダーを展開すれば、きちんと平成2x年と出てくる。出てくるのに。
信じたくないな、と一也は暗い気持ちでスマホを閉じた。