本庁と県警の奇妙な関係
横浜地域の一角を占める幾分山手側の地域は元町と呼ばれている。
平成の世であれば港の見える丘公園や元町ショッピングストリートがある、いっぱしのお洒落エリアである。
そしてこの明治の御代にも、既にその片鱗はあった。それは舶来品を専門に扱う店の洒落たウィンドウや、外国人の男女が肩を並べて座るカフェーの空気に見てとれる。
異国情緒漂う横浜の中でも、所謂ハイソサエティとかセレブリティという言葉が似合う地域なのだ。
だが、その元町に立つホテル"イーストハーバー"のラウンジからは、そうした言葉がそぐわない空気が漂っていた。
いや、正確に言うと、ラウンジのソファに座る男達の醸し出す空気のせいである。
ややどっしりとした体型の中年の男、そしてその男の部下らしき若い男の二人連れだ。身なりこそ、仕立ての良い綿のシャツとそれに合わせたズボンであったが、いかんせん緊張しているのが丸わかりである。
「そろそろですかね、金田警部」
若い男の方が声をかけた。
線の細い、色白の賢そうな男である。
幾分神経質そうな響きがこもった声に、金田と呼ばれた中年の男は片眉を上げた。こちらは日焼けしたあくの強そうな顔である。
太い眉にへの字に曲げた唇が頑固そうな雰囲気を醸し出す。一言で表現するなら、雷オヤジと言ったところか。
「ちいと落ち着け、岩尾。お前、さっきから何回聞いとるんだ」
「いや、まあ......」
「とは言うても、わしも落ち着かんがのう」
僅かに苦笑しつつ、金田は煙草を懐から取り出した。吸い口をちぎりかけたその指が空中で動きを止め、煙草をまた懐に戻す。
岩尾が見ただけでも、先ほどから金田は五、六回はそのような仕草を繰り返していた。決まり悪そうに金田は咳払いをする。
"警視庁本庁からわざわざあの特務課第三隊が来る。その捜査の助力を行い、横浜での活動に不備が無いようにしなくてはならない"
神奈川県警に所属する金田警部と岩尾巡査の様子が落ち着かないのは、彼らが拝命したこの指示の為であった。
急に署長に呼ばれ、理由も分からぬままに二人で署長室を訪れた。
そうしたら、小太りの署長はまくしたてるように二人を駆り立てたのである。曰く「最近煩い神戦組の捜査の助力の為、本庁から人が来る。彼らに情報提供を行い活動を助けろ」ということであった。
それだけならまだいい。
確かに県警から見れば本庁の人間は一段階上の存在ではあるが、同じ警察組織内である。
尊重さえすれば、やはり本庁にはそれなりに話の分かる優秀な警官が多いのだ。
そう考えれば本庁から人が来るのは、さほど畏れることでは無かった。
だが金田と岩尾の顔が強ばったのは、署長が投げつけるように渡した業務指示書の最後の頁を見た時であった。
「警部」
「何じゃ?」
「やっぱり特務課第三隊の方って怖いんでしょうかね......火力に優れた武装集団や怪異、妖物相手の特殊部隊ですもんね」
「知らん。だが、ヤクザ相手にするうちの二課なんざあ、それこそヤクザ顔負けの連中が揃っとる。それを考えたら、半端なく強面な奴らがいるんだろうな......」
「も、もし、僕らが粗相でもしたら――解雇ですかね」
「それどころか、斬首かもしれんな。捜査の役に立たないクズはいらんとばかりに」
「や、止めてくださいよ、警部うう! うちにはまだ小さな弟や妹がー!」
「儂とこだって奥や娘がおるわい! 命が惜しいのは同じじゃ!」
「ううっ、貧乏くじ引かされた気分だ」
「そういうな、みじめになるだけだ」
「――頑張りましょう」
「――それしかないじゃろ。ん、おい、岩尾、その手にあるのは何だ?」
「一応、遺書を書いておこうかと」
「そうか......短い付き合いじゃったな」
「ちょっ、そこは止めるところじゃないんですか!?」
「甘ったれるな、小僧! 人間死ぬ時は死ぬんだよ!」
とにもかくにも、事件以前にまだ見ぬ特務課第三隊の姿に、すっかり金田と岩尾はびびりきっていたのである。
これに加え署長からは「き、君達! 分かっていると思うが本庁からの方々に不興を買ったら、君らの警察官としての人生は終わりだからな! わ、私はこんなところで終わる訳にはいかないんだ、分かっているだろうね!?」と小役人丸出しの叱咤とも脅しともつかぬありがたーい言葉を頂戴していた。
隙の無い接待――この言葉を金言に警察組織を何とか生き残ってきた署長のこびへつらいぶりは、部下へのこういう態度一つにも出るものである。
「全く頼りにならねえ親父だぜ」「そうですね」とぶちぶち言いつつも、金田と岩尾は第三隊の来訪準備に取りかかったのであった。こんな状況で元気が出るならばむしろ怖い。
このような事情を背負い、今か今かと待ちつつもその反面来ないでくれたらいいな、と二人は罰当たりな願望を抱いていた。
それでも時間は無情にも過ぎ、ここイーストハーバーのラウンジで第三隊の到着を待っているという次第であった。
第三隊の四人は無論こんな状況は知らず、特に気構えも無い。そして予定通り、四人を乗せた馬車は無事にホテルへと到着したのである。
******
椅子に座りつつ、一也は何となく違和感を抱いていた。
ホテルに着くや否や、神奈川県警からやって来たという二人の警察官に挨拶され、彼らが事前に手配していたホテル内の会議室に通された。
そこまではいい、ごく普通である。
だが、その二人が自分達を見る目がどうにも変な気がするのである。
金田警部、岩尾巡査と二人はそれぞれ名乗り、至極丁寧な挨拶の後でこの部屋に通された。
それはいい。邪険に扱われるよりは余程いい。
だが今回の件に入る前の簡単な情報交換、つまりは本庁の偉いさんからの通達や神奈川県警の事情聴取をヘレナが行っている間だが、二人の様子が妙に落ち着かないのである。
ヘレナの何でもない一言に一々過剰反応し、大袈裟に驚く。
そう思いきや、一也や小夜子の方をちらちらと見ることもある。
順四朗が「あのー、喫煙所あるん?」と聞くと、若い方の岩尾が弾かれたように立ち上がり案内を申し出る。
金田は金田で喜色満面といった風情で、ヘレナに相槌を打ちつつ「万事取りはからっております、ご心配なく、ええ!」と何かにつけて言い添える。どの様子を取ってもおかしい。
しかし初対面の相手においそれと言えることでもなく、とりあえずは黙って座るくらいしかやることは無かった。
小夜子を横目で見ると、たまたまなのか目があった。二人とも新人なので発言することもなく、暇なのである。ちなみに順四朗は喫煙の為、一時的に席を外していた。
「ええ、第三隊の方々に来ていただければ神戦組などという輩、物の数ではありません! この金田が必要な手配は抜かりありませんので! おい、岩尾、何をボーッとしてる、お茶が切れとるぞ!」
「いえ、お構いな......」
「はい、ただいま! 申し訳ありません、粗茶でございますがどうかごゆるりと!」
ヘレナがとりなそうとしても聞いていないらしく、岩尾は凄まじい速度でお茶のおかわりを淹れていた。
ホテルに用意されている茶葉なので、それなりに高級品である。しかし味わうにしても、二人の些か過剰な気づかいが邪魔をする。
一也はげんなりしそうであった。
それを救ったのはヘレナの一言である。
「ではここで一息入れましょう。休憩ということでどうでしょうか」
無論、神奈川県警の二人に否は無い。休憩中の案内を申し出てきたが、それはヘレナがさりげなく断った。
第三隊の三人が会議室を出ると、順四朗が廊下で所在無げに立っている。喫煙から戻ったものの、金田の声が煩く入る気にならなかったらしい。
「あの二人何ですか? 凄く気持ち悪いんですけど」
四人で顔を合わせるなり口火を切ったのは、意外にも小夜子であった。普段は穏やかな彼女が辟易した、と言わんばかりの顔である。若干引きつつ、一也がそれをなだめに回る。
「ほら、彼らもさ、緊張してるんじゃないかな。本庁から人が来たってことは県警からしたら一大事なんだよ、きっと」
「概ね三嶋君の言う通りだと思うし、多少は予想はしていたが......あそこまで露骨だとなあ」
ヘレナも同意しつつ、煙草に火を点けた。
四人はホテルの中庭に出てきた為、喫煙は問題ない。
金髪の魔女はぷかりと煙を吐き出しながら、細い指に挟んだ紙煙草をくゆらす。
「どうせ、神奈川県警の署長あたりに焚き付けられたんだろうよ。粗相の無いようにとかな。それに――」
「それに?」
一也の相槌を受けたのは順四朗であった。こちらも煙草を吹かしながらである。
「己ら第三隊ってさ、滅多に表に姿見せんやん? 結成されて半年ちょいやしさ。それでいて物騒な連中相手の特殊部隊みたいなもんやから」
「あ、だからですか。過剰に気を使われてるのは」
得心いったとばかりに、小夜子がポンと手を叩く。一也にも大体その先は見えた。ヘレナと順四朗の方を向く。
「本庁の機嫌を損ねないように、という懸念と俺らが異常に恐ろしい戦闘力を秘めている――少なくともそう思いこんでるから、ああいう畏怖とおべっかが混じった態度になると。なるほど」
「当たらずとも遠からずだろ。敢えてつけ加えるなら、まあ」
フフ、とヘレナは微笑を洩らす。どことなく悪そうな笑みである。
「何なん、隊長。意味深な笑い方してからに」
「いやな、そんな暴力の象徴みたいなはずの連中がな、美女二人とその従者二人だとさぞや意表をつかれただろうなと」
「自分で美女言うかー! いややー、この人性格悪うー!」
ヘレナの冗談とも本気ともつかぬ発言に、順四朗が突っ込む。
一也は何とも言えず、隣に立つ小夜子を見た。「わ、私っ、美人なんですか!?」と声を上ずらせて小夜子が袖を掴んでくるので、どうしようと考える。
しかし考えるより早く「うん、そうだね可愛い可愛い」と視線を逸らしながら言ってしまう辺り、一也は甲斐性無しと言われても仕方がない。
「ああっ、何で目を逸らしながら言うんですか! ちゃんとこっちを見て言ってくださいよ、人を褒める時は!」
「え、だってほら、俺別に君の恋人でも何でもないしさ......」
「そういう時はな、嘘でもちゃんと言った方がええねんで、一也ん。後で恨まれたくないやろ?」
横合いから順四朗が茶々を入れる。
ヘレナはそんな三人の様子を見つつ、消えかけた煙草を中庭の隅の灰皿に押し付けた。フイ、と紫煙の欠片が風になびき散らされる。
「仲のいいことは結構だが、じゃれあいはそこまでにしておけ。あの二人がこちらをどう見ようが構わない。精々気張って働いてもらうだけさ。それで十分だ」
自分が外国人、しかも女だからという理由で軽視されないだけ有り難いよ――胸によぎった想いは声には出さず、ヘレナはクルリと背を向けた。そろそろ休憩も終わりである。
******
"結局、今の時点ではめぼしい情報は無しか"
ベッドに仰向けになりながら一也は目を閉じた。
夕陽が射し込むこの時間帯には、横浜湾も赤く染まり大層美しいらしい。
だがわざわざ見に行く気にもならず、自分の部屋で一人物思いに耽っている。
午後一杯を使い、第三隊は金田と岩尾から神戦組の活動についてのこれまでの調査結果を聞き出した。
活動頻度、集団規模など基本的な情報は既に調書が上がっていたが、現場の人間からは文字にはならない情報がもたらされることがある。それに加え、意見交換している内に違う見方が発生することもよくあるのだ。
流石に捜査活動そのものの話になると、おべんちゃらだけでは済まされない。
神奈川県警の二人は、やや過剰ながらも出来る限りの情報提供を行おうとしてくれた。その点については不満は無かった。
それでも現時点では何もとっかかりらしい物が無いのが、不満と言えば不満であった。
ぐるりと体を横に倒しながら、午後の長い会議の内容を思い出す。
神戦組と称する集団が現れたのは、約三ヶ月前。つまり六月である。土屋と名乗る男がどうやら首謀者らしく、彼を中心に神戦組はじわじわとその数を増やしていった。
どうやって勧誘をしているのかは定かではないが、気がつけばいつの間にかその構成員が増えていたという。
それと分かったのも、神戦組は二週間に一度くらい集会を催しているからであった。
横浜では、一定規模の人数以上の集会を行う時は事前に役場に届け出を出すという決まりがある。
これは何の知らせも無いまま急に多数の人が集まった場合、すわ暴動かと周囲が警戒する為だ。
そもそも神戦組の人数が二百名というのも、その直近の集会で確認された数である。
その二百名の中に誘われただけの者もいたならば、実数はもっと少ない。しかし集会に来なかった構成員がいたならば、もっと多いわけだ。
つまりは二百人というのはあくまで推定値でしかなかった。ぼんやりとした不定形な数字だ。
"集会があり、目的不明の集団の存在が発覚し、そこから首謀者の土屋の名前が割り出されたんだっけ"
ベッドから身を起こす。
こういう場合、やはり集団の首謀者を徹底的に追及するのが早道な気がした。
土屋史沖というのがフルネームらしいが、彼は一人で神戦組を立ち上げたのだろうか。
いや、違うだろうと一也はその考えを否定する。
集団を形成するというのは非常に労力を食う仕事だ。表には出ていないが、誰か協力者がいると考えた方が合理的だろう。
神奈川県警も傍観していた訳ではないらしく、密偵を張り付けて神戦組の様子を探っていた。
その結果、何人かの構成員は横浜在住の商人やその使用人であることが判明した。これらが大多数を占めるのかは分からないが、あまりにも貧しい人々は少なそうである。
だが何の為の集団なのか、それはまるで見えてこない。
集会から帰ってきた人が晴れ晴れとした顔をしている、という情報もあったので、新興宗教の類いかと一也は疑ってはいた。
ただ、それも現時点では単なる推測である。
普段は目立ったことはせず、恐らくほとんどの者が生業についていることも含めると、活動的な組織というより趣味の集いに近いのかもしれない――ある事柄さえ無ければ。
「土屋の側近らしき奴らがちょいとね、キナ臭いんですよ」
会議もそろそろ終わる頃、金田がそろりと口を開いたのである。
それまでの喧しさは影を潜め、その場にいる全員の顔を見ながらの発言であった。「あれは、でも裏も取れてないじゃないですか」と何やら知っているらしき岩尾を制し、神奈川県警の警部は拳骨を前に出した。
その固く握った拳から親指と人差し指だけを開く。
その仕草にピンと来たのは一也であった。
「銃、ですか」
「ご名答です、三嶋さん。順を追って説明しますわ」
金田が語るにはこういうことであった。
異国情緒溢れる横浜といえども、多少離れればまだまだ野原は広がっている。
たまたまその辺りを巡回していた巡査の一人が、銃声を聞いたのもさほど不思議では無い。
猟銃を持ち狩猟に使う者は多くは無いとはいえ、それなりにいる。だが一応注意しておくかと思い馬首を向けてしばらく銃声の方へ向かうと、彼は奇妙な一団に出くわした。
若い男二人、同じくらいの年頃の女が二人。動きやすそうな洋装に身を包んだ彼らは、全員が銃を携帯していたのである。
言うまでもなく銃は高価な代物だ。そうそう民間人が、それも女が手に出来る物ではない。
ここで何をしているのか、と声をかけたらば、幾分小柄な方の男が「鳥を撃っていました。いいですね、ここは。鴨やシギがたくさんいる」と笑ったという。
確かに男の言う通りであり、巡査は幾分不思議に思いながらもその場を離れ、元の巡回路に戻ったのであった。
悪事を働いているわけでもないし、関わらないことにしたのである。
これだけなら話は神戦組に関係ないまま終わるのだが、偶然という名の悪戯は時折面白いことをする。
この巡査が神戦組の集会を監視する業務にたまたまついていたのだ。私服姿でそれとなく見張れ、と言われ忠実に実行してみたところ。
「いたんですよ、土屋の周りにね」
もったいぶるかのように、金田は口を閉じた。そしてまた指を銃の形にする。
「その巡査が先日出くわした四人の男女がね」
確かにきな臭い。
金田で無くてもそう思う。
その四人の男女を見たのが件の巡査一人であり、そういう意味では見間違いの可能性もある。
岩尾の言う通り裏も取れていないのだが。
――だが、何だろうか。この気持ちの悪い感覚は。
その話を思い返す一也の中に、首をもたげる物があった。
理由もなく神経の一部がささくれる。そのささくれが次第に大きくなり、不安へと姿を変える。
"何だ"
自分を叱咤しつつ、落ち着く為に部屋に備え付けの水差しを掴んだ。
冷たい水を乱暴に喉に流し込む。感情の一部は水と同化するように冷えて落ち着いたものの、その逆に背骨を遡る熱があった。
自分でも訳が分からぬまま、二杯目の水を一気に飲み干す。
"何だ、この嫌な予感は――"
理由の無い震え、論理を欠いた不安。
それらがぞわりと自分の中に広がりかけ、三嶋一也は思わず額を抑えた。




